〈烏帽子の風俗は主に公家や武士の平服のときに用いられた。紙貼りに黒漆を塗り縁を固くして形を作ったもので、左が「折烏帽子」右が「侍烏帽子」(右二人)である。着用は陣羽織で、大小刀を差してパリの街を歩いたので、パリジャンにはさぞ好奇な目で見られたことだろう。〉
……などと自信たっぷりに解説しておりますが、いったい何時代の話をしてんだか。これが江戸時代、それも幕末の武士の平服だなどと本気で思ってるんでしょうかね。「風俗」ってのも「用いる」ものなのかしら。「烏帽子を用いる風俗」てえなら意味も成すでしょうけど。
その烏帽子についての説明がとにかく噴飯ものなんですが、いずれにしろ江戸時代の烏帽子は基本的に儀仗用。19世紀後半のこの写真など、外交上の演出とも思われ、実は頭より腰のほうがよほど大時代だったりするのですが、それについてはひとまず置いといて、まずはその烏帽子についての与太話。
基本形は「立烏帽子(たてえぼし)」で、時代とともに、また着用者の身分などにより、さまざまな種類が派生。当初は貴族階級の平装(正式の場では冠)だったのが、平安時代の前半には公家や武士に限らず男子一般に広まり、日常、室内でもかぶってるのが普通に。紙を使うようになったのは平安末で、それまでは「羅(ら)」、すなわち薄い絹織物が材料だったのとこと。とは言っても、いずれにせよ庶民用は麻が基本。紙も高価な贅沢品でしたので。因みに烏帽子の「烏」は、漆で黒くなってるから。つまりカラス色の帽子ってことです。
立烏帽子ってのは、要するに頭の上に立ってるやつなんですが、前面をちょこっとへこませるのが通例。平安時代のものは結構な高さがあり、明治以後にその古式も復活したってんですけど、実は鎌倉時代には丈が低くなり、さらに江戸時代にはかなりの装飾が施されるようになっていたんだとか。全体を「さび」という皺が覆い、前面のくぼみも凝ったデザインの一部に組み込まれていたようですが、形式は年齢や地位によって作法が決っていたとのこと。現代でもそういう形の立烏帽子はしばしば見られ、エラそうな(と言っては余計なお世話ですが)神主なんかがかぶってたりします。
鎌倉頃までは、後部内側に「小結(こゆい)」という紐が付いており、髪を縦に結い上げた「髻(もとどり)」にこれを結びつけて固定していたのが、室町頃に髪形が変ると、「掛緒(かけお)」という顎紐を用いるのが普通になったようです。ただし、そうなる前でも、下層の武士は髪を切り、烏帽子も用いず、後述する「月代(さかやき)」を施すようにはなっていた模様。江戸以降のものは当然その掛緒付きが基本ということになります(あ、月代ってのにもいろいろありまして、それについてもひとくさり説明ってえか弁解の如きものを要するような……)。
さて、いよいよここからが言わば本題(長えな)。
〈左が「折烏帽子」右が「侍烏帽子」(右二人)である〉なんてエラそうに言ってますけど、まずこの表記が愚の極み。「 」で挟もうがどうしようが、とりあえず「左が〇、右が〇」と、間に読点でも打たなくちゃなるめえ。これだけでも充分愚劣なのに、あたかもバカさ自慢が不足だとでも言うが如く、〈右が〉としておきながら、すぐ後にまた括弧入りで〈右二人〉との要らざる駄目押し。ハナから「右二人が」って言っときゃ「右」を繰り返さなくて済むじゃねえかい。書くほうの手間なんざ知ったことじゃねえが(どうせバカだし)、読まされるほうが迷惑なんだよ。目が疲れるってんじゃなく、精神への毒悪とでも申しましょうか……って、贅沢なんですかね、こういう愚痴って。でもあたし、この文章のDTP作業をやらさられたんですぜ。思い出しても心が荒ぶ。
おっと、それどころじゃなかった。これ、左右とも大間違いです。正解を先に述べると、左が「梨子打(なしうち)烏帽子」、右(おっと2人ね)が「風折(かざおり)烏帽子」となります。折烏帽子と侍烏帽子って、そりゃおんなじもんじゃねえかい、って感じ。
立烏帽子を小さく折りたたんだのが侍烏帽子=折烏帽子で、本来の名称は「折据(おりすえ)烏帽子」。時代とともに様式は変るも、今日相撲の行司がかぶっているのは、20世紀になってから用いられるようになった復古調であり、江戸時代のものよりよほど古形。ただし鎌倉室町期の形式を完全に復活させたわけではなく、結髪せず髻などない現代の髪形でも容易に装着し得る折衷型になっているんだとか。明治末までの行司は裃姿で、烏帽子も直垂(ひたたれ)も着用せず、とのこと。ま、社会的存在、じゃねえや、身分、分際ってもんで服装にもうるさい決りがあったでしょうし。
ときに、この侍烏帽子、すなわち折据烏帽子の別称が、言うなれば狭義の折烏帽子ってことなんですが、本来は立烏帽子の上部を折ったものの総称が折烏帽子だそうで、右2人の風折烏帽子もその一種ということにはなりましょう。これ、立烏帽子を横に折って紐で留めてるんですが、よく見ればこんな古い写真でもそれがわかります。
さて、烏帽子についてはまだまだ説明の余地が大いにあるのですが、既にこれだけ冗長になっているにもかかわらず、やり出すとほんとに際限もなく長くなりそうですので、ひとまずはこの辺で引っ込むことに致しとう存じます。
毎度失礼。
〈左が「折烏帽子」右が「侍烏帽子」(右二人)である〉なんてエラそうに言ってますけど、まずこの表記が愚の極み。「 」で挟もうがどうしようが、とりあえず「左が〇、右が〇」と、間に読点でも打たなくちゃなるめえ。これだけでも充分愚劣なのに、あたかもバカさ自慢が不足だとでも言うが如く、〈右が〉としておきながら、すぐ後にまた括弧入りで〈右二人〉との要らざる駄目押し。ハナから「右二人が」って言っときゃ「右」を繰り返さなくて済むじゃねえかい。書くほうの手間なんざ知ったことじゃねえが(どうせバカだし)、読まされるほうが迷惑なんだよ。目が疲れるってんじゃなく、精神への毒悪とでも申しましょうか……って、贅沢なんですかね、こういう愚痴って。でもあたし、この文章のDTP作業をやらさられたんですぜ。思い出しても心が荒ぶ。
おっと、それどころじゃなかった。これ、左右とも大間違いです。正解を先に述べると、左が「梨子打(なしうち)烏帽子」、右(おっと2人ね)が「風折(かざおり)烏帽子」となります。折烏帽子と侍烏帽子って、そりゃおんなじもんじゃねえかい、って感じ。
立烏帽子を小さく折りたたんだのが侍烏帽子=折烏帽子で、本来の名称は「折据(おりすえ)烏帽子」。時代とともに様式は変るも、今日相撲の行司がかぶっているのは、20世紀になってから用いられるようになった復古調であり、江戸時代のものよりよほど古形。ただし鎌倉室町期の形式を完全に復活させたわけではなく、結髪せず髻などない現代の髪形でも容易に装着し得る折衷型になっているんだとか。明治末までの行司は裃姿で、烏帽子も直垂(ひたたれ)も着用せず、とのこと。ま、社会的存在、じゃねえや、身分、分際ってもんで服装にもうるさい決りがあったでしょうし。
ときに、この侍烏帽子、すなわち折据烏帽子の別称が、言うなれば狭義の折烏帽子ってことなんですが、本来は立烏帽子の上部を折ったものの総称が折烏帽子だそうで、右2人の風折烏帽子もその一種ということにはなりましょう。これ、立烏帽子を横に折って紐で留めてるんですが、よく見ればこんな古い写真でもそれがわかります。
さて、烏帽子についてはまだまだ説明の余地が大いにあるのですが、既にこれだけ冗長になっているにもかかわらず、やり出すとほんとに際限もなく長くなりそうですので、ひとまずはこの辺で引っ込むことに致しとう存じます。
毎度失礼。
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