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2022年11月25日金曜日

懲りることもなく、またSNSネタの流用です。

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前回の投稿の後で、どうも何か忘れてるような気がしてたんだけど、やがて本当に忘れてることがあったのを思い出しました。同じく‘Help!’の歌詞における発音と表記の齟齬なんですが、その個所も、前回触れた冒頭部分の少し後であり、それほど離れてはいません。またしても音韻の問題に止まらず、一般に流布している「公式」の歌詞が、何だか下手くそっぽいんですよね(そう思うのはやっぱり俺だけ?)。

ほんとは、この忘れてたほうこそ、この歌における齟齬として最初に引っ掛かり、こっちがよほど謎だったのに、たぶん順番が後だったから前回は図らずも閑却してしまった、ってところではあります。どのみち気にならない人にとってはどうでもいい話ではありますし。

2022年11月24日木曜日

またぞろ SNS に投降したネタを横着にも流用:

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自宅から徒歩数分のドン.キホーテ(看板を見たら「・」ではなくこういう表記でした)は、1階が主に食料品、2階がそれ以外の日用品売場で、いずれもかなりの広さなのですが、その2階に行くと、各区域ごとに連日連夜途切れることなく決ったBGMを流していて、自分が最も頻繁に通り過ぎる辺りではそれがビートルズの ‘Help!’ なんです。

それで思い出したこの曲の歌詞の謎ってのがありまして、またぞろ無益なるは承知の上で、それについてひとくさり記したくなっちゃいました。謎ったって、それ自体はとっくに氷解しとりますので、もはや謎でも何でもなくなってんですけど、まあちょいとおもしろい……かも知れない話ではあろうかと。

2019年2月4日月曜日

誤訳邦題など

英語の歌の邦題というやつ、今どきはそのままカタカナにするのが前より普通だったりするから、昔ほどトンチンカンな例は目立たなくなりましたが(ほんとか?)、たとえばプロコル・ハルム(プロウクル・ハラム?……などと、つい無駄な悪足掻きをしたくなっちゃって。どうせ似非ラテン語だけど)の「青い影」ってのも、まったくの誤訳ながら、あれは怪我の功名とでも称すべき見事な日本題(?)。

原題は、それが狙いなんでしょうけど(?)結構長くて、無理やりまとめれば「青白さがより強く」みたような感じ。ちょっと違うか。いずれにしろ ‘pale’「蒼白な」と ‘shade’「色合い」(てえか顔色)を、辞書的な、あるいは中学生的な感覚で、「青い」とか「影」とかにしちゃったんでしょうね。「青」はまだしも、誤訳にしたって ‘shade’ のほうは「陰」なら穏当にしろ「影」(そりゃむしろ「光」に近いような)はねえだろうに……とは思えど、「青い影」っていうキッパリした言いようは、歌の題目としては図らずも秀逸……だったりして。どのみち意味はわかんねえにしても。
 

2019年1月15日火曜日

うっかり1周年

複数の(会ったこともない) SNS 友達に勧められ、この無料ブログを始めて1年が過ぎました。前回の投稿から既に2ヶ月近く、その後は無沙汰を決め込んでおりましたが、書きたいものが払底したわけではなく、いよいよ金欠症が重篤を極め、つまりは生活に追われてその余裕すらなくなってしまったというのが実情です。

ま、正月のめでたさももう終ったことだし、少々勝手な愚痴を記して、ひとまずはまだ書き散らす意欲が消滅し去ってはいない、というご報告まで。いずれにせよ、何かとすみません。
 
                  

最初の投稿の折には、その後むやみに長いものばかり掲げるようになろうとは自分でも思っちゃいなくて、引用(再録)した友人宛の文に書き加えようかと思った話も敢えて閑却することにしたのでした。その1つが、件の ‘Songsterr’ というサイトで見た ‘Stairway to Heaven’ の間奏や末尾のギターソロに対する「弾き方指南」(タブ譜というやつ)への異見または苦言。間奏の始まりからズレてる半拍問題ほど致命的ではないにしろ、「それじゃあジミー・ペイジがやってんのとは違い過ぎるじゃねえか」と思う部分が目についちゃって。でも「もとより正確な記譜など物理的に不可能ですし」などと自ら記しておりますとおり、それを文章で伝えるなど厄介に過ぎるは明白、というわけで、今回もやはりほっとくことには致しました。先述の如くそれどころじゃなくなっちゃってる方今の我が身、ってのがほんとのところではありますし。
 

2018年6月29日金曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(1)

「時制」という名詞に対応する英語の ‘tense’ は、「一定の時間」というほどのラテン語 ‘tempus’ を語源とするものである一方、同音同綴の「緊張」、というより「張りつめた」という意味の形容詞は、 ‘tensus’ が語源、てなことは以前申し上げました。

ところが、「緊張」の意の形容詞(および動詞)より先に、古フランス語を経て移入されたという名詞の ‘tense’、「時制」について、これを飽くまで発話における「緊張」の度合いを表すものとし(意味わかんねえけど)、時間的な区分に特化した「時制」という訳語がそもそも不適当、などという、それ自体があまりにも頓珍漢な解説を、日本語で書かれた英文法サイトでは見かけることがあります。

2018年4月3日火曜日

無声母音と歌メロ(9)

早速ですが、都はるみの『北の宿から』には無声母音が皆無という話から。

ああ、先行する父音(頭子音)と一緒くたにして「無声子音」って言うことにしたんだった。「子音」という語の持つ両義性により、やっぱりこれにゃあ無理があったようで。英語の ‘vowel’ =「声」と ‘consonant’ =「共鳴音」の訳語として、安直に国語音の「母音」「子音」ってのを当てちゃったのが混乱の元(「父」は亡き者にされたかのよう)。最初にもうちょっと考えて貰いたかったぜ。

それはまあさておき、この歌の一番の歌詞に出てくる該当部分が、〈ないでか〉の[ス]、〈つのりま〉の[ス]、〈てはもらえぬ〉の[キ]、〈編んでま〉の[ス]、〈た(北)の宿〉の[キ]でして、これらはすべて発話時には母音が無声化し、そうしないと東京発音にはならんのです(少なくとも俺の目の黒いうちはそうはさせねえ……って言ったってなあ)。

2018年4月2日月曜日

無声母音と歌メロ(8)

さて、件の『眠れぬ夜』という曲については、もちろんイントロだけでなく、本体にもかなり感服したものでした。当時の邦楽は、英米のロックだのポップだのを聴きつけていてると、どうしてもいろいろと拙く、手法も古過ぎる、ってのばっかりでしたから(流行ってたのが、ってことであって、優秀な音楽家は日本にだって昔からいくらでもいたんですけど、まあ大抵は埋もれてたような塩梅で)、こういう「進んだ」音楽を耳にすると、何だか自分の油断を突かれたようでもあり、図らずもちょいと驚喜など致しまして。

2018年4月1日日曜日

無声母音と歌メロ(7)

いわゆる邦楽には殆ど関心のなかった十代の頃、当時2人組の「フォーク」グループだったオフコースの『眠れぬ夜』って曲(の特にイントロ)にはちょっと感心し、件の『さよなら』以前にはたぶんそれが唯一自分の知るオフコース作品だったのでした。で、これもちょっと確認してみたところ、〈涙流ても〉って歌詞の「し」は、前後のいずれよりもピッチが低いのを明示せんがため(たぶん)、ほぼ母音の無声化は施されておらず、また〈傷けてゆく〉〈入ってたら〉〈飛び出て〉の[ツ][キ][シ]の母音も決然たる有声音でした。

2018年3月28日水曜日

無声母音と歌メロ(6)

前回は成行きでオフコースの『さよなら』って曲を例に、歌メロにおける無声母音の扱いについて言及したのでしたが、どうやらこの小田和正氏、条件が許す限りは、それこそ「隙あらば」といった風情で、無声母音の歌唱は発話時の法則に準ずるという(無自覚の?)自己規範をお持ちのご様子。『言葉にできない』って曲でも、後半で二度繰り返される〈嬉くて〉の[シ]をしっかり無声化して歌っとりました。この歌詞の場合は、大抵の歌手なら迷わず有声で歌うんじゃないか、とも思われる事例なんです。

無声母音と歌メロ(5)

再三再四という様相を呈しておりますが、なんとか主旨である「歌メロにおける無声母音問題」(毎回言い方変ってる気もしますけど)に回帰。逸脱を重ねるのは無意識の逃避行動なんですかね、ってひとに訊いたってしょうがないのは百も承知二百も合点。

さて、前回までは、いくらアクセントに拘ったところで、無声母音という、東京語には不可欠の発音がなくなっちゃうのはどうしようもねえじゃねえか、っていう難癖が眼目だったわけですが、実はそれ、必ずしも歌メロなら全部諦めなきゃならないってこともないんですよね。って、相変らず肝心なことを後から引っ張り出してくるという遅延技法(?)。まあそこはどうぞお許しくだされたく。

2018年3月27日火曜日

無声母音と歌メロ(4)

さて、漸く本来の主旨たる「歌メロにおける無声母音問題」に早速とりかかろうと思います。当初からその話がしたくて書き始めたのでしたが、やっとのことでそこにたどり着いたという心地。おっと、漸く片足の先を踏み入れた程度で、まだたどり着いたなどとは到底言い難いところではありますが。
 
                  

余計な言いわけは切り上げ、本題に入ると致しやしょう。まずは既にたびたび言及しております、「言葉を大切に」して伝統的東京アクセントに沿ったメロディーを付した(と言い張る)山田耕筰の『赤とんぼ』、その一番の歌詞の末尾、〈日か〉の「日」、すなわち[ヒ]が、後続の[カ]の前では自動的に母音の無声化を生じ、発話においてはピッチの高低が判別不能の「囁き」にならずにはいられないのが「正しい」東京発音なるに、アクセントの高低には無益極まる拘りを誇る山田先生、この「日」が決然たる有声音で、しかもちょいと間延びした歌メロになっちゃってるってことについてはとんと無頓着、ってことに対する義憤、じゃねえや、冷笑(てえか言いがかり)というのが、実はこの1年あまり言いそびれていた与太話の眼目だったのでした。……って、相変らず文が長くて恐縮。一種の貧乏性が発現したるものと思召されたし。

2018年3月25日日曜日

無声母音と歌メロ(1)

前回は、今からだともう1年数ヶ月前に半端なところで継続を遺棄し、そのまま途絶していた「伝統的東京語と歌メロの関係についての与太話」の、半端な中断部分で終っておりました。その話を約1年後に再開……したところから以下に再録して参ろうかと。

そもそも書き始めたのは2016年の秋だったものの、11月末には早速趣旨が逸れ、結局次々と逸脱を重ねたまま放棄したのが2017年春。下記は、同年12月、気紛れに書き始めたその続きという次第。そろそろやっとかないとそのまま有耶無耶になってしまうような気がしたもので。ほっといたからって誰が困るわけでもないのは承知ながら、結局自分が落ち着かなかったんでした。中途半端のままじゃ死んでも死に切れない、なんてこた金輪際ありませんけど。ひょっとすると無意識に遠からぬ死を予感してたりして。まあいいか。

2018年3月22日木曜日

アカトンボのアクセントって?(4)

さて、「頭高型アカトンボ」に正しくメロディーを施した山田耕筰先生の偉業を讃え、歌メロはすべからくこうあるべし、てな空疎極まる与太話を、宛も自らの知見ででもあるかの如く吹聴し(ほんとか?)、それに違背するメロディーは断じて許すまじ、とでも言い張るが如き連中に対する難癖の続きです。

山田と同様、東京生れ(現渋谷区育ち)ながら、世代はかなり下る團伊玖磨(それでも私の亡父より1つ上で、生きていればとっくに90歳超――曲は山田のよりずっと好き)が、12歳の時分から個人的な師匠であったという山田に、この「赤とんぼ」という歌詞に付されたメロディーについて質問した、って話があります。発話時の高低アクセントは是非とも歌メロに反映されねばならぬ、という山田の拘りは既に知っていたので、[ア]が[カ]より高いのは妙ではないか、という甚だ妥当なる疑義。

アカトンボのアクセントって?(3)

アクセントの相違は聴解の妨げになどならず、したがって歌メロの高低の正否を論うのは不毛である、ってな屁理屈を書き連ねて参ったわけですが、ここでちょいと気になることを思い出してしまいましたので、それについて少々。

かかる事情は日本語にこそ該当するものの、言語によっては、発音とともに抑揚によっても意味の違いが示されたりするんですよね。英語も、かつては英米人どうし話が通じなかったりもしたそうですから、そうした要素も皆無ではなかったと思われますが、今ではそれこそ東京弁と関西弁の関係のようなもので、お互い何を言っているのか理解不能といういことはないでしょう(ただし、それぞれの、特に英国の田舎の訛り丸出しだと、日本語と同様わけわかんないこともありましょうが)。

アカトンボのアクセントって?(2)

前回の続きです。藤山一郎については、たかだか「ホタル」の「ホ」が「タル」より低いメロディーが気に食わなかった(らしい)ってだけなので(山田耕筰よりよほどうるさかったとの指摘もありますが)、もういいでしょう(エラそうに)。以後は専ら山田耕筰、あるいはそのトンチンカンな信奉者の傲慢または誤謬について、極力それを上回る傲慢さでケチをつけてやろうと目論んでおります。不毛の極み。先刻承知。

「傲慢」というのは、標準語と同一視される「一部の」東京方言のみが許容し得る正当な国語である、とでも言うが如きそのエラそうな態度に対するもので(山田がそう明言したとも思われぬし、そもそも何者が「許容」したりしなかったりできるってんだか)、「誤謬」としたのは、前回述べた、音楽的なピッチと言語音のアクセントは到底「一致」などし得ない、という点に加え、例えば、現にこれだけ地方によるアクセントの差異が甚だしいのに、それによって同一言語としての理解が不能になるなどということは皆無に等しい(文脈、状況というものがありますでのう)、てなことすらわからねえのか、という気持ちの表れでございます。

アカトンボのアクセントって?(1)

「所感をまとめる」とか言っときながら、まとまりとは無縁の索然極まる長駄文を垂れ流して参りました。「して参りました」ったって、決して心を入れ替えてもう止そうなどという殊勝な思いに至ったわけではなく、依然懲りてはおりません。

これまではわずかながらも後ろめたさのような気持ちがあった(ような気もする)んですが、もう居直りました。まとめるどころか、寸毫も理論の体をなさぬまま、あちこち飛び火を繰り返し、数々の類焼をも顧みず(省みず?)ここまでダラダラと書き連ねてきたのだから、今さらお利口ぶってもしかたがねえ、ってな心にて、頭に引っかかった枝葉末節にいちいち言及して参ることと致します。

先日来の(勝手な)「懸案」、山田耕筰と藤山一郎のネタについてはまたしても日延べってことになりそうですが、それについても前提となりそうな雑学(与太話)を含んで、このまま「漫談」を続ける所存。何卒ご海容のほどを。

2018年3月17日土曜日

バックビートがロック?(20 ‐ 終)

さてクリフ・リチャード。英国での絶頂期は、ビートルズ旋風が始まった頃までの、つまりはあたしが生れた辺りの数年間なんですが、この人の曲で子供の頃知ってたのは、68(昭和43)年の ‘Congratulations’ だけ(例によって邦題は「コングラチュレーション」、そんなに「ズ」が邪魔なのか?)。小4の当時でさえ、既にビートルズは否応なく耳にしていたので、なんだか古臭い歌だなあ、とは思ったことでした。ことによるとその古臭さ、犯人はまたもリズム的な要因なのでは……と睨み、これも久しぶりに聴いてみましたる次第。YouTubeは重宝します。

テンポがより速めだからかも知れないんですが、基本的にはこれに負けず劣らず古風な路線を狙っているのが歴然(どころか、19世紀の発祥という ‘boogie-woogie’ 的形式)たる、同年のビートルズソング ‘Lady Madonna が、やっぱりどうしようもなくずっと「ハード」で、それもまた、奇数拍を(も)強調することによる相対的なバックビート感の後退によるものではあるまいかと。そう感じるおいらが変なだけなんでしょうかねえ、やっぱり。でも、とりあえずリンゴのキックはかなり強いですぜ。

                  

ともあれ、その後あたしが久しぶりにこの人の歌を聴いたのは79(昭和54)年、英国から戻る少し前で、イギリスでも久々のヒットだったという ‘We Don't Talk Anymore’ って曲。なんと邦題は 「恋はこれっきり」だそうな。てことはこれ、日本でも流行ったんでしょうね。

2018年3月16日金曜日

バックビートがロック?(19)

ロック(ンロール)談義の続きです。

ビートルズデビュー当時のイギリスでは、ほんのちょこっとだけアメリカでも売れた(曲もある)というクリフ・リチャード(本名 Harry Webb)が数年来の国民的ロックスター。この人、生れはジョン・レノンより数日遅れで、十代の時分から英国内随一のポップアイドルなのでした。

50年代、イギリスの若者の間で流行したスキッフル(skiffle)という、元来は相当に古いアメリカ生れの音楽がこの人の原点。「寄せ集め」と「何でもあり」を理念とし(?)、洗濯板に代表される日用品や手製の楽器で、金も技量もないズブの素人でもバンドに参加できる、というところが大流行の要因だったのでしょう。しかし、やがてその「なんちゃってバンド」ブームから、さまざまなジャンルにおける後の有名ミュージシャンが輩出されることになり、ビートルズもその一例なのでした。16歳で自らそうした素人スキッフルバンドの親玉となったジョン・レノンなどは、翌年年下のポールに触発されて始めるまでギターは弾けず、実母に手ほどきを受けたというバンジョーを弾いてたんですよね。

バックビートがロック?(18)

前回の ‘レノン版 ‘Ain't That a Shame’’ から3年後、1978(昭和53)年に、Cheap Trickが同年春の武道館ライブを収めたアルバムを発表し、それが当ってこのバンドも世界的に認知されるに至った……ってのも夙に伝説とはなっておりますが、当時ロンドンで暮していたやつがれは、シングルカットされた ‘I Want You to Want Me’ のヒットぶりをラジオで知り、その前年春、渡英直前に渋谷陽一が新人バンドとして紹介したのを聴いて気に入っていたため、何となく勝手に嬉しくなったものでございます。

その話じゃなかった。ええと、このチープ・トリックがそのライブで ‘Ain't That a Shame’ やってんですよね。レコードだとB面の1曲めだったと思うのですが、あたしが最初に聴いたのは、レノンのやつと同様、かなり経ってからで、82年に友人からレコード借りるまでは、こんなナツメロやっていたとはつゆ知らず。CD買ったのはそのさらに10数年後でした。

で、そのCDを、たぶん10年以上ぶりに聴いてみたところ、これもまたレノン式の、てえかそれよりよほど容赦のないエイトビートのハードなノリで、テンポはさらに速め。やはりキックの4つ打ちを基盤とするロックなイントロが、ライブならではのやりたい放題といった風情でひとしきり続き、歌が始まるまでは何の曲かわからないってほど。とにかくその長めのイントロ部分が、ビートルズ以来の(?)4拍全強方式で、ベースもギターのパワーコードも8分均等の刻みという具合。

2018年3月15日木曜日

バックビートがロック?(17)

唐突ながら、先般言及した ‘mods’ どもにとって英雄的存在であった、60~70年代の代表的ブリットロックバンド、the Whoの ‘Summertime Blues’ を初めて聴いたのは、既に高校生の時分、NHK・FMの渋谷陽一の番組ででした。その頃の自分にとっては既に大昔とも思われる1969(昭和44)年の録音で、翌年のライブアルバム収録曲、ってのは後から知ったことでしたが、とにかくあたし、これをフーのオリジナルだと思っちゃったんです。それほど50年代的な古臭さとは無縁の、むしろハードロックに類する強烈な音とノリ。キース・ムーンのドラムを始め、やっぱり全体的にとにかく激しゅうございましたもので。

やがてこれが、 ‘Johnny B. Goode’ や ‘Dizzy Miss Lizzy’ と同年の58(昭和33)年に発表されたエディ・コクラン(Eddie Cochran)のナツメロだということを知り、かなり驚いた記憶が。フーのアルバムと同年には、改名後の初アルバム中でT Rexもやってたんですねえ。寡聞にして殆ど72年以降の曲しか知らなかったもので、今になってYouTubeで聴いてみたら、例のちょいと気怠い雰囲気もあり、なかなか「現代的」な味付けではありました。素朴なナツメロも随分とお洒落になるのね、って感じ。現代だのナツメロだのったって、10年しか離れてはおらず、今じゃいずれも大昔ってところがちょいと可笑しくもあり寂しくもありってところですが。