2018年2月22日木曜日

クイーンの「'39年」について

10年あまり前に印刷会社のDTP要員を解雇され、再就職もままならず、成行きで居職の英語翻訳などで糊口を凌ぐ身とはなり……と思っていたら、その後取引先の翻訳会社が2つほど倒産したりしまして、もともと不充分だった報酬すら得難くなくなって早数年……って、そんな愚痴が趣旨ではありませんでした。

何年か前、普段仕事で接する面倒なだけでおもしろくもない原稿(失礼)に辟易するあまり、たまにはちょいと自分の道楽で好きな歌の訳でも捻ってみようか、と思ったことがございまして。実は、ポップソングの訳詞ってのを見るたびに、そのあまりの無様さに、自分は金輪際こういうのには一切手を出すまい、とは思い極めていたのですが、ちょっとしたきっかけで、まあ手慰みにひとつ試みておくのもいいか、ってな気になっちまって。

とは言いながら、何せメロディーに乗せるなどは至難の極みなれば、それはハナから念頭になかったし、歌詞の区切りを原記に合せて歌われるとおりの順序で並べてくってだけで厄介なのも先刻承知。にもかかわらず、そのとき何ゆえ敢えて破戒に及んだかと申しますと、Queenの作の中でも数十年来最も好きな‘'39’という「謎の」歌を、その謎の謎たるところをまったく解さざるが如く、了見違いの「訳詞」を自慢気に掲げてある例を複数、ウェブで偶然見かけてしまい、何だよこれは、と思ったところから、なら俺が自分でやってやるわい、と思っちゃったっていう仕儀なのでした。

                  

長年の謎だった歌の内容については、高校生の頃からときどき思い出したように考えてはいたし、後にウェブの情報から何とか概ね見当もつけてはいたのですが、その道楽訳詞を施すに当って改めて検索したところ、既に作者のBrian May自身ががネタばらしをしていたことが判明。

それはまあ、ほぼこちらの睨んでいたとおりではあったものの(決して自力で見抜いたわけでは……)、何とか英詞と同じ順番で日本語にできぬものか、ってところだけは思うに任せませず。どうにか英語1行につき日本語も1行ずつっていう苦心の作とは相成り候、と言いたいところではあるんですが、なにしろ歌の文句ですので、そもそもどこからどこまでが1行なのかも判じ難いってのが実情。極力メロディとしての区切り、ってことにはしましたけど。

実を申せば、およそ英語(に限らないでしょうけど)の訳詞だの訳詩だのってのは、どんな才人がやったって野暮となるは必定、ってのが下拙の基本的な了見でして、それでもやはり、上記の如くこのクイーンの歌にはかなりの思い入れもあり、何とかぜんたいどういう歌なのかが知れぬものかと、種々知恵を巡らせてはおったのでした。それがまあ、数十年にわたってずっと好きな曲でありながら、歌詞の意味などまるでわからず(英語の名曲にはそういうの多いんですが)、一時はまったく諦めたりもしていたところ、英語自体の読解能力の向上につれ、次第に「推理」が可能となるとともに、今日のネット社会のありがたさ、やがて作者自身の解説さえ接閲覧が叶うに及び、ひとまず「物語」の中身については逡巡の必要がなくなったという寸法。同時に、それでもまだトンチンカンな和訳が罷り通ってんのがいかにも捨て置けず、とでもいうような、どのみち余計な反感による余計な思いつき、ってのが実のところではございます。

まあとりあえずその拙訳を以下に示しときやしょう。既述のとおり、普段は絶対にこの種の翻訳なんざやるもんけえ、と思ってるほどで、自分でも決してこれを会心の出来だなどとは申さざれど、これもまた既述のように、無残としか思われぬものを臆面もなく訳詞でございって威張ってるやつらがこうもほうぼうにいるんじゃあ、俺のほうがよっぽど(まだしも)ましじゃん、との矜持もございまして(ほんとかな)。

ともあれ……

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〔以下、1行ごとに原文と拙訳を上下に並べて参ります。通常は原文全体の下あるいは上に訳文を記すんですが、自分が他者の訳を見直す仕事を受けたときには、それだと和英の比較が厄介なことが多いため、先方が難色を示さない限り〈示されたことはなかったような)、自分が訳を提出する場合は、全部段落ごとに原文と訳文を並べて納品してます。……って、それはまた関係なかった。とりあえず、YouTubeに音源がありましたので、そのURLをリンクしときます。メインボーカルも作者のブライアン・メイがやってます。
 
 '39
 '39年

 
 In the year of '39
 '39年
 
 Assembled here the Volunteers
 ここに志願者はつどった
 
 In the days when lands were few
 陸地が少なくなった頃のことだ
 
 Here the ship sailed out into the blue and sunny morn
 青く晴れた朝に向け船は出て行った
 
 Sweetest sight ever seen
 かつてない見事な光景であった
 
 And the night followed day
 昼夜はめぐり
 
 And the story tellers say
 語り部たちは伝える
 
 That the score brave souls inside
 乗り組んだ二十人の勇者は
 
 For many a lonely day
 幾日もの孤独な航海を続け
 
 Sailed across the milky seas
 乳色の海を渡って行ったと
 
 Ne'er looked back
 決して振り返らず
 
 Never feared
 恐れず
 
 Never cried
 泣くこともなく
 
 Don't you hear my call
 この呼び声が聞こえないか
 
 Though you're many years away
 君は何年もの彼方だけれど
 
 Don't you hear me calling you
 呼んでいるのが聞こえないか
 
 Write your letters in the sand
 砂に手紙を書いてくれ
 
 For the day I'll take your hand
 君の手をとる日のために
 
 In the land that our grandchildren knew
 我々の孫たちが知っていたあの地で
  
 
 In the year of '39
 '39年
 
 Came a ship in from the blue 
 青色の中から船が現れた
 
 The Volunteers came home that day
 志願者たちはその日に帰還したのだ
 
 And they bring good news of a world so newly born
 真新しい世界があるという朗報を携えて
 
 Though their hearts so heavily weigh
 だがその心は飽くまで重い
 
 For the earth is old and grey
 大地はすっかり年老いてしまった
 
 Little darlin' we'll away
 さあ旅立とう
 
 But my love this cannot be
 ああしかし何たることだ
 
 Oh so many years have gone
 これほどの歳月が過ぎ去っていようとは
 
 Though I'm older but a year
 私は一つ歳をとっただけなのに
 
 Your mother's eyes
 おまえの母の目が
 
 From your eyes
 おまえの目から
 
 Cry to me
 私に泣きかける
 
 Don't you hear my call
 この呼び声が聞こえないか
 
 Though you're many years away
 君は何年もの彼方だけれど
 
 Don't you hear me calling you
 呼んでいるのが聞こえないか
 
 Write your letters in the sand
 砂に手紙を書いてくれ
 
 For the day I'll take your hand
 君の手をとる日のために
 
 In the land that our grandchildren knew
 我々の孫たちが知っていたあの地で 
  
 
 Don't you hear my call
 この呼び声が聞こえないか
 
 Though you're many years away
 君は何年もの彼方だけれど
 
 Don't you hear me calling you
 呼んでいるのが聞こえないか
 
 All your letters in the sand
 砂に書いた君の手紙のすべても
 
 Cannot heal me like your hand
 君の手ほどには私を癒してくれない
 
 For my life
 私が死ぬまで
 
 Still ahead
 この先もずっと
 
 Pity me
 悲しいけれど
 
➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣ ➣

重ねて弁解致しますが、これ、いつも仕事でやってる文章ものとは異なり、飽くまで歌の文句ですので、メロディーの切れ目にも対応すべく、原句に合せて無理やり細かく区切りを施しておりますことをお汲み取り頂きたく。「訳詞」を標榜しながらその辺を無視している例も散見されるのですが、そりゃちょいと手ぇ抜き過ぎだろうぜ、と思ってたりもして。

などと言いながら、下拙も例の「押韻」と訳される‘rhymes’は一切無視。昨今ヒップホップ人士が平然とこの「韻」なる言辞で用いて自作に言及しておりますが、どう足掻いたってそりゃせいぜい「お洒落な駄洒落」に過ぎませず。単純な話で、我が日本語の音韻は作りが素朴に過ぎ(だからって格が落ちるなんてこた金輪際ないけれど)、そもそも英語音における‘rhyme’も中国語音における「韻」もまったく成立し得ない無縁の概念。和歌その他について「韻」って言うのは徹頭徹尾単なる比喩であり、要するに全部語呂合せのことでしょう。

英語だって中国語に比べればかなり与し易いような気は致しますものの、それでも日本語よりはよほど重層的。クイーンのこの歌の場合は、旧来の作法への義理立ては殆ど見られぬとは言え、それでも‘day’と‘say’、‘sand’と‘hand’、‘grey’(‘gray’じゃないってだけでイギリスっぽくて懐かしい)と‘away’(その前には‘weigh’もあり)、といった具合に、ところどころ思い出したような脚韻にはなっていたりもしますが、いずれも日本語には初めから存在し(得)ない韻律ですので、上段で「一切無視」と述べたのはつまりそういうことなんでした。

                 

なお、‘Ne'er’というのは、メイのインテリぶりを示す格調高い文学的表現、ってなご高説をウェブで見てしまったこともあるんですが、それもただの勘違いです。ここは3行続きでこの語が頭に並ぶんですけど、2番めと3番めはいずれも‘Never’と普通の書き方になってますから、格調とやらを気取ってるってんなら、最初の1つだけってのはいかにも不可解。単純にこれ、音楽的な事情によるもんでして、音節数によりメロディーの符割を調整しているだけのこと。国語における詩歌だの韻文だのってのも、結局は音節数を揃えるかどうかってところが散文との違い……って言ったら怒るかな(誰が?)。

この‘never’と‘ne'er’、カタカナにすれば「ネバー」と「ネアー」で、どちらも同じ3音節ってことんなっちゃいますが、それこそ日本語音の素朴さを如実に示すものかと。英語では、普通が/név-ə/という2音節、「詩語」とやらでは中ほどの子音/v/が端折られた結果、前後2つの母音が連なって/neə/という1音節の二重母音に変ずるのです。音韻論的簡易表示ではなく、より精密な音声学的表記では、前者の/e/はちょっとだけ/ə/に近い、つまり舌の位置が低い[ɛ]ってことになりますが、英語では両者は一緒くたの同一音素ということで、かつては英和辞典にも採用されていた/ɛ/という音韻記号はだいぶ前に廃止……などという話はどうでもよござんした。

                 

それより、歌の文句に限らず、古い詩文の類いでもこうした端折り技が多用されるのは、別にそう書けば自動的に雅趣が増すなんてことではなく、飽くまで音節数の都合であり、それを整えるのが要するに韻文の作法。同様に、ポップソングだって歌メロの都合でいくらでもそういうのは出てくるわけです。実際に歌ってるとおりに歌詞が表記されるとは限りませんけれど。

と言うか、こういう「文学用語」という区分(辞書では‘literary’って括られる連中)は、雅語どころか、むしろごく世俗的な、つまりぞんざいな発音を模したもの、って場合も多いんですよね(雅俗双方に通ずるのが文学の本旨?)。この歌の場合は、まあ全体が伝説を語るような硬めの口調ですので、その限りには非ず、ってところでしょうか。

                 

などと、英語の歌詞の事情についてまたもあらずもがなの講釈を垂れてしまいました。恐縮です。いずれにしろ、普段の仕事の報酬は語数に比例しますので、道楽でなきゃこんな「訳詞」なんて真似は絶対に致しません。初めから訳詞っていう依頼であれば、その辺の設定もまた別なんだろうとは思われますが、どのみちこちとらにゃあ縁のねえ話。てえか、たぶんそういう仕事なら訳にも著作権てえもんが付随するんでしょう。でなきゃとても商売にゃなるめえ。やっぱりこちとらにゃあ無縁の世界。

だからって居直るつもりもありませんが、自分でもしょっぱなから「つどった」は野暮だよなあ、とは思ってんです。「集った」じゃあ「あつまった」って読んじゃうし……ってな表記の問題ではなく、話の流れを思えば、ここは時代物の小説か何かのように「参集した」とでも言いたくなるところ。でも基本的に歌の文句に漢語は野暮、極力やまとことばを用うべし、ってな思い込みがありまして……。それならまず「志願者」がダメだろう、とは自分でもわかってんですけど、ほかに言いようが思いつきそうもないものは簡単に諦めるたちでして。

でもそれ、いったいどうして嫌なんでしょうね。短歌だの俳句だのにも、今どきならカタカナ外来語が出てきたって構やしねえ、って思ってんのに、字音語が1つでも混ざると途端に興ざめ。文学だの詩歌だのにはとんと疎い野暮天ってのが身上の筈なのに。まあいいか。

いずれにしても、歌詞として訳すなどは到底無理と早々に諦め、意味を伝えるのを眼目に、なるたけ元の歌の雰囲気も残すよう、硬めの表現を目指しはしたのでした。かと言って、文語調じゃいかにもわざとらしいし、ってことで、結構悩んだ割には中途半端なことんなってます。そこは、既述のとおり仕事でもないんだし、まあこんなもんかって感じではあったのですが、今読むとやっぱり随分と野暮ですね。やり直そうにもこれ以上の知恵はもう浮かびそうもありませず。

                  

さて、無駄な言いわけはそろそろ切り上げると致し、漸く件の歌詞の内容に立ち戻ります。まず、'39年ってえと、当時の高校生に想起し得るのは第二次大戦勃発の年。でも歌詞の中にそれを思わせる文句は見当たらず、そもそも高校生じゃこんな凝った英語が読めるわけもございません。

そうこうするうち、英人と結婚して現地で暮す長姉の案に乗っかって、大学受験の代りにイギリスに語学留学(いかにも怪しい響きですな)って仕儀とはなりまして、そうなりゃいずれは英語もわかるようになろうし、順当にこの歌の意味もわかるようになるんじゃないか、と思ってたら、やっぱりわけがわかりません。

こは如何に?ってんで、語学学校の教師や義兄とかに訊いても、やっぱり何のことを歌ってるのかさっぱりって答え。歌の文句なんてそんなもんでしょ、とさえ申します。特に60年代、あるいはビートルズ以降の、多少とも気の利いたポップソングなら、むしろそれこそが属性であるかのような認識なのでした。斯く申すそれがしとて、普段は音楽こそが眼目であり、和英を問わず、歌詞の中身なんかよりゃ語呂のほうがよほど大事、っていうひねくれた野郎ではあった(ある)んですが、やっぱり曲が好きになると、歌の内容も気になってくるという具合でして。

特にこの曲については、いずれ何としても解明したいものとその後も念じ続け、折に触れてはあれこれ知恵を巡らすも、やっぱり謎は謎のまま。漸く20年あまりを経て、インターネットの普及で世界中から情報なり知見なりが得られるようになってから諸々検索してみるに、この歌、英米のファンの間でも長らく謎とされており、当初からいろんなやつがいろんな推理を開陳してたってことが知れたんです。

さらに、21世紀に入ると、作者のブライアン自身がこれを‘schi-fi’、すなわちSFだって語ったことにより、一挙に「国際的な」謎も氷解。要するに「ウラシマ効果」の話だってオチなのでした。さすがは元天文学専攻、ってところですかね。中学のときにテレビで観たチャールトン・ヘストンの『猿の惑星』で知ったこのウラシマ効果、星新一も物語のネタに使ってたような。

あたしゃこの歌、同じ「39年」でも、ひょっとして末尾の2ケタだけがおんなじっていう「詐欺」か?ってところから、さてはウラシマか、と睨んでおりました。と自慢したいところですが、実はそれ、出発も帰還も39年ということはその前の桁が違うのでは?と思わせる記述をどこか英語のサイトで見かけて、まさしくそうに違いあるまいと納得した、というのが実情。下2桁が同じとなれば最短でも100年後、加えて孫が既に過去の存在となれば、こいつぁどうでも例のウラシマに違えあるめえ、と思い当ったてえわけです。それで、‘Milky Way’ならぬ‘Milky Sea’、あるいは海とも空ともとれる‘the blue’などと、つまり船は船でも実は宇宙船だってことをほのめかしてたのね、ってところにも気づきましたる次第。

                  

ところがまあ、そのネタばらしをどっかで聞きかじっただけであろう日本の知ったかぶりどもがまた、どいつもこいつもいい気になってそれぞれの「訳詞」とやらを披露してやがんですよ。やたら宇宙宇宙ってうるさくてかなわねえ。それのどこが訳だってんだか。

せっかく「船」だの「海」だの、徹頭徹尾比喩で通してんのを、さも得意気に「宇宙船」だの「銀河」だのって言ってやがる。台無しじゃねえかい、と思わざる能わず。海とも空ともつかないようわざわざ‘the blue’としてんのにも気づかねえたあ恐れ入谷の何とやら。野暮が必ずしもいけねえたあ言わねえけど(我が身にふりかかって来そう)、さすがにそいつぁなかろうぜ、ってな心地にて。

                  

さて、そういう半可通にも及ばぬ我が国特有の(?)ともがらは捨て置き、これは英語母語話者の言説に限らないんですが、世界中の物好きどもがそれぞれの見解をウェブ上に残してくれてまして、それらの中には、これをやはり第二次大戦時の話だと思ったって人(たぶん米人)のものもあり、アメリカからヨーロッパに送られた兵隊のことじゃないか、ってんだけど、それはいかにも弱いような。

あるいはまた、かつて英国から船出し、オーストラリアやニュージーランドを発見して戻って来た連中の物語では?ってのもあったんですが、1639年、1739年、もちろん1839年のいずれにも該当する史実はない模様。だいいち'39年に旅立って'39年に帰って来るってんじゃあ、同年でない限りは少なくとも百年、へたすっと何百年も後ってことになり、それこそ浦島太郎でもあるめえに、この世の者なら生きて帰れる道理がござんせん。だからこそウラシマ効果ってことで腑にも落ちるってもんで。    

てえか、実は史実とは乖離したこの謬説こそ、「さてはウラシマか」との閃きをあたしにもたらしてくれた、言わば巧まざる功労者。もちろんあっちにはそんなつもりは微塵もなかったでしょうけれど。

                  

……などと油断していたところ、そういう珍説奇説の中に1つ、多少穿ち過ぎかとも思われるものの、随分と凝ったなかなかおもしろい推考を見つけまして、なんとこれ、ショパンの話だってんですね。

ジョルジュ・サンドとマジョルカ(マヨルカ)島で暮し始めたのが1839年で(何気なく天保10年だったりして)、死んだのが(10年後の)39歳なんですと(生年に異説があり、38歳だったとも)。

でもそれ、ほんとは38年の話で、翌年の39年ってのはパリで同棲を始めた年、ってのが正しいようなんですが、いずれにしろそんなのは単なる無意味な暗合。あたしがおもしろいと思ったのはその後の話。

サンドの娘(ショパンの胤には非ず)が、自分の母親の元愛人であるショパンに何度も手紙を書いたのに一向に返事が来ないことに業を煮やし、パリ在住のショパンに直接文句を言いに行ったところ、実は秘書(マネージャー)が、殺到するファンレターの処理に困り、差出人が関係者でないものは容赦なく全部廃棄してたってことが判明。

それでショパンは、「今後は手紙にサンドと署名するように」と言い、さらに「君のお母さんが君の目を通して私に語りかけている」てなことを言ったてえんですよ。その逸話が、‘Write your letter in the SAND’と‘Your mother's eyes, from your eyes, cry to me’てえ泣かせるくだりに符合するってんだけど、作者のメイ本人もビックリの深読み。しかしこれを牽強付会として唾棄し去るにはいかにも忍びず、こじつけにしたってよく考えるもんだねえ、って感心しちゃいます。志願兵だの長い航海だのって話はどこへやら、ってところではありますが。

                  

それにしても、そもそもなんでこれを'39年ってことにしたかってえと、単にデビュー盤からの起算で、曲順がちょうど39番めだったからなんですと。それをまた「偶然にも」39曲目……などと書いている日本の知ったかぶりがいたりして、ほんと飽くことなき不明ぶりよのう、とでも言いたくなっちゃいます。

と言うより、すみません、またも無益極まる与太話で。我ながらこの性格は如何ともし難く。

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