2018年2月12日月曜日

「ハッカー」は‘hacker’に非ず?(2)

【承前】

 

術語としての下位区分

 
Wikipedia には感動的なほど詳細な(長大な)解説があり、読むのにかなり時間がかかっちゃったけど、いやあ、よっくわかりました。対してWiktionaryのほうはごく素っ気なくて、あまり参考にはなりませんでしたね(いずれも2013年当時に覗いた記事です)。

コンピューター用語として掲げられた語義は3つで、1つめが前述の「プログラミングとコンピューター障害の解決に長けた者」、2つめが「コンピューターを使って不正にデータへアクセスする者」、3つめが「コンピューターセキュリティのプロ」でした。やはり ‘cracker’ を「同義語」として挙げておりますが、それは米国外における2つめの語義(つまり大辞泉が間違いとするハッカーの意味)に対してのものであることも括弧入りで付加されています。

さらに、用語法の注意事項として、米国内では他の英語国よりもかなり語義が広いこと、コンピューターの専門分野で ‘hacker’ を ‘cracker’ の意味で使うのは米国以外で顕著な傾向であること、一部のコンピューターオタク(じゃなくて「愛好家」か)は侵入者を ‘hacker’ ではなく ‘cracker’ と呼ぶべしと言っていること、の3点を指摘しているのには、なるほどねって感じでしたが。

Online Etymology Dictionary という語源辞典サイトの記述もおもしろくて、つい深入りしてしまいそうなのを、なんとか途中で思いとどまったほど(いつものことなんですが、ある単語の語源として示された単語の項を見ると、それにもまた語源があって……という無間地獄、と言うか無間極楽に陥ってしまうという……)。なんとなく古来の動詞 ‘to hack’ からコンピューター関係の ‘hacker’ が生じたのかと思いきや、どうもそれとは別系統の名詞が起源で、先祖をたどって行くと‘Hackney’という地名(現ロンドン市内)にまで行きつくらしい。

語源についてはWikipediaにも記述はありますが、その確度は(他サイトと同様)必ずしも高くはないようです。わずか数十年前のことながら、世上の通説というのは、その根柢がいわば各人の主観の集積であり、盲信は致し兼ねる、と申しましょうか。どのみち真相は突き止められないにしても、継時的な用例の分析に基づく語源学的講究のほうを、まあ自分は採りますね。

                  

さて、ではまずそのWikipediaの記述から、この駄稿の趣旨に関わる部分の眼目をまとめてみたいと思います。冒頭に、コンピューター関連の ‘hacker’ は多様な意味で使われてきた言葉である、と言明した上で、 ‘hacker’ と呼ばれる者を、帰属する共同体や集団の区分によって3種に大別し、それぞれの区分については独立したページでもさらに詳述しているという念の入りよう。

最初にその3つの区分を概説しているので、それを以下にざっと和訳:

  1. コンピューターセキュリティの突破に従事する人々。主に、インターネットなどの通信ネットワークを通じてコンピューターへの不正な遠隔侵入に関わる者(Black hat)を指すが、セキュリティ障害の除去や修復を行う者(White hat)、および道義的に曖昧なGrey hatも含まれる。Hacker(コンピューターセキュリティの項)参照。〔成田註:‘Gray’ ではなく ‘Grey’ となっているところを見ると、執筆者は米人ではなさそう。それと、「コンピュータ」って言うと通人を気取ってるようで嫌だし、統一性も欠くので音引きを加えたんですが、それなら「セキュリティ」もだろう、って言われればそれまで(「コミュニティ」もね)。ほんとは「保安」とでもしたいところなんですが。〕
  2. 熱狂的なコンピュータープログラマーおよびシステムデザイナーのコミュニティで、1960年代にマサチューセッツ工科大学(MIT)の工大鉄道模型クラブ(TMRC)およびMIT人工知能研究所周辺から発生した。このコミュニティはフリーソフト運動を世に送り出したことで知られており、ワールドワイドウェブも、またインターネット自体もその所産である。コメント要求RFC1392ではこれをさらに、「システム、特にコンピューターやコンピューターネットワークの内部機構に精通しているのを愉楽とする者」であるとしている。Hacker(プログラマーサブカルチャーの項)参照。〔「コメント要求」と訳される ‘RFC’ は、 ‘Request for Comments(=ご意見募集)’ の略で、公開仕様書(の保存形式)のことですって。1993年(20年以上前!)1月付の1392号は ‘Internet User’s Glossary’ =「インターネットユーザー用語集」の由。〕
  3. コンピューターの個人愛好家のコミュニティで、1970年代後期にはハードウェアを対象とし(ホームブリュー・コンピュータ・クラブなど)、1980/1990年代にはソフトウェアを対象としている(ビデオゲーム、ソフトの不正使用、デモシーン〔CGアニメの制作や鑑賞とか?〕)。スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアック、ビル・ゲイツ、ポール・アラン(アレン)が属したこのコミュニティによって、パソコン産業が生み出されるに至った。Hacker(愛好家〔オタク?〕の項)参照。
……という感じなんですが、いかがでしょう。そのあとの記述を見ると、

〈1980年代以来のマスコミの用法によって、今日 ‘hacker’ の主たる語義は「コンピューター犯罪者」となっており、それには、(狭義の)‘hacker’ 間の隠語では ‘script kiddie’ と呼ばれる、他人の作成したプログラムを仕組みも碌に知らぬまま使ってコンピューターに侵入する輩も包含される。〉

とのこと。この犯罪者という語義があまりにも流布しているため、もはや大衆はほかの意味が存在することすら知らなかったりするのだとも。日本だけじゃなかったんじゃねえかい。

なお、オタク、じゃなくて愛好家が ‘hacker’ を自任することは3種の ‘hacker’ すべてが認めるところであり、またコンピューターセキュリティの ‘hacker’ にはその3つの用法が悉く受け入れられている一方で、プログラマーサブカルチャーに帰属する者は(今さらですが、 ‘subculture’ って、「下位文化」とか「福次文化」ではなく、その国や社会における一部の特殊な集団、って感じですね)、侵入行為絡みの使い方は誤りであると見なし、その意味では飽くまで ‘cracker’ と言っている、とも書かれています。犯人はプログラマーどもだったか。

この ‘cracker’ については、括弧入りで(‘safecracker’ に類似)と付記されていて、自分も真っ先にそれが語源かと思ったんですが、どうでしょうねえ。因みに先述の語源辞典によれば、 ‘safecracker’、 すなわち「金庫破り」という語は19世紀末以来のもので、もともとはダイナマイトを使った賊を指したものだったとのこと。

その他、「定義論(争)」という項では、 ‘hacker’ の用法における現在の主要な対立概念を2つ挙げているのですが、その1つめが「コンピューターセキュリティを破壊することのできる者で、故意にそれを実行する者は ‘cracker’ とも呼ばれる」となっているのに対し、2つめは「Unixその他のフリー/オープンソフトのプログラミング・サブカルチャーに属する者、あるいはその成果を利用する者」だとのこと。どのみち大辞泉的「本来」とは違いますけど、これが米国あるいは英語圏における現況のようで。

この項ではまた、その大辞泉的「本来」論を真っ向から否定する見解も紹介されておりまして、既に1963年、 MITの学生新聞が、不正な電話回線網使用者、すなわち ‘phreaker’ の意味で ‘hacker’ を用いており、それがやがて今日の「コンピューターセキュリティ hacker」へと発展したのであろう、とのことでした。

                  

既にかなり冗長になっておりますが、これでもWikipediaの解説のほんの序盤部分なんです。このあと、3区分それぞれにおける語義、用法が詳述されてるんですけど、それでさえ梗概に過ぎず、3者それぞれのページを開くとさらに詳しい情報が。対立する所信が細かく述べられ、たいへん参考にはなったものの、あまりにも内容が濃密で、とてもすべてを掌握することはかないそうにもありません。でも自信を持って大辞泉の(エラそうな)主張を笑えるならそれでよし。目的は充分に遂げられました(とっくにそうなんですけどね)。

判明した事項を今少し掲出致しますと、マスコミによって ‘hacker’ という言葉が一般に知られるようになったのは1983年。同年公開の映画 ‘WarGames’(邦題『ウォー・ゲーム』。原題には語間スペースなし)さながら、十代の少年たちによって公的機関や企業のコンピューターシステムが多数侵入されるという事件が発覚し、それが ‘hacker’ たちの所行として報じられたのが契機だったとのことです。それ以前の世間一般は、そのような行為が存在することすら知らなかったとも(もちろん日本ではもっと知られていなかった筈です。インターネットはおろかパソ通すら普及するずっと前の話で、一般人にはオフコンだの端末だのも当然無縁。 ‘Internet’ の初出は1985年の由)。当時は専門家(やオタク?)も侵入行為を ‘hacking’ と言っていたというのですが(ほらね)、マスコミが専ら犯罪者の意味で ‘hacker’ を用いることに憤慨し、それで ‘cracker’ という別語の使用を提言するに至った、ということのようです。

                  

その ‘cracker’ ですが、 ‘FOLDOC: Free Online Dictionary of Computing’ というサイトになかなか穿った記述があるのを発見。最初に「隠語」(あるいは符丁? 術語?)との表示があり、意味は要するに「不正侵入者」。でも語源について新たな情報が。1985年頃、新聞や雑誌の誤用に対する防衛策として当時の(正統派)‘hacker’ たちがこの ‘cracker’ を考案したのだけれど、その前、81~82年頃には同じ意味で ‘Usenet’ 上に ‘worm’ を定着させようと試みており、そっちは結局うまく行かなかったんだとか。

さらに、この用法は ‘safe-cracker’(ハイフン入りになってますね)からというより、中世後期には「嫌な奴」を意味し、現代の米口語でも「貧乏白人」と同義の蔑称となっている‘cracker’の影響によるものではないか、とも。なるほど。ソフトの改竄行為を表す動詞の ‘crack’ は発生系統が別ということになりましょうか。

加えて、巷間伝えられるところとは違い、通常 ‘cracking’ 行為には ‘hacker’ ならではの絶妙の閃きなどは見られず、セキュリティのありふれた弱点につけこむ限られた平凡な手口を執拗に試みるだけ、というのが実態であり、大半の ‘cracker’ は凡庸な ‘hacker’ に過ぎない、とも言っています。ここでの ‘cracking’ は ‘hacking’ 同様、侵入行為のことでしょうけれど、これはもうカタカナ語の「クラッカー」や「クラッキング」、および「ハッカー」や「ハッキング」とは別次元の話になっちゃってますね。

ともあれ、新聞雑誌の煽情主義に乗せられた一般の読者が思い描くほどには、 ‘hackerdom’ と ‘crackerdom’(ハッカー界/クラッカー界?)の重なりは大きなものではなく、広範で多様な ‘hacker’ たちに比し、 ‘cracker’ の集団は概してごく狭小であり、両者の共通部分は極めて微細である、というのが玄人的な見地となるようで。

                  

……と、ここまではその辞書サイトが説くところの ‘cracker’ についてでしたが、いずれにしても、実際には不正 ‘hacker’ を ‘cracker’ で置換する目論みは達せられぬまま、その後漸く後者が前者の別称として認知されるに至るも、結局前者ほどには普及しなかった、というのが実情だったわけです。1986年には犯罪的侵入行為を禁ずる法も発効し、両者の峻別に対する必要性がより高まるにつれ、90年代以降は、セキュリティ用語として、犯罪的侵入者を ‘black hat’、システムの検証を目的とするような善意の侵入者を ‘white hat’ と称するようになり、さらに善悪定かならざるどっちつかずの者を指す ‘gray/grey hat’ なる表現も用いられている、ということになるかと。

しかし、日本でやっと「不正アクセス防止法」ができるのはなんと2000年! 今になって、英語における70年代的な符丁の類を盾に「本来のハッカー」を云々するなど、如何にバカげているかはもはや炳乎の極みと申せましょう、なんちゃってね。

                  

実は、この無料コンピューター辞典サイト、ついでなので ‘cracker’ だけでなく ‘hacker’ も引いてみたんですが、さすがはオタク、おっとマニア向けだけあって、9つもの定義が並んでましたぜ。概ね凄腕のプログラマーを示すものだったのですが、必ずしも尊称ばかりとは言えず、「狂的な」という意味合いがつきまとうような。うち1つには「‘hack value’ ハック価値?)を解する者」という定義もあり、ますますオタッキー、じゃなくて専門的って感じ。

大辞泉の言い張る「間違い」、すなわち一般社会では紛う方なき国際標準となっている用法に類するものは8番めで、頭には「異論あり」との断りつき。 ‘password hacker’、 ‘network hacker’ という派生語も掲げつつ、正しい用語は ‘cracker’ であるとの付言も。コンピューター用語辞典としての矜持、ってとこですかね。因みに1996年時点の記述です(‘cracker’ の項は1998年)。

また、 ‘hacker’ と言うと、コンピューターネットで規定された世界的コミュニティの一員であることを想起させるとともに、何らかの ‘hacker’ 仁義、おっと倫理をわきまえた者という含意もあるのだとか。その意味では、他人にそう呼ばれるのはいいとしても自称はいただけない、とも言っています。ごもっとも。

さらにまた、 ‘hacker’ たちは自らを能力による特権階級のようなものであると見なしており、その称号を僭称する者には即座に ‘bogus’(いかさま)だの ‘wannabee’(なりたがり)だのというレッテルが貼られる、ってこってすが、このあたりは Wikipedia にも詳しく書いてありました。なんせそっちのほうが最近の〔2013年ですが〕動向までをも含む膨大な内容ですので。

最後に挙げられていた9項目めは稀な用法で、メリーランド大学における語義、すなわち「プログラミングの技術や原則を正しく理解しておらず、コンピューターサイエンス(情報工学?)の学位を取得していない者」ですって。これは、マスコミによる「誤用」の一例としてWikipediaに挙げられた「未熟で粗雑な不正侵入者」を指す‘hacker’と重なるところがありそうですけど、こちらの語源は、「ぶった切る」だの「切り刻む」だのという意味(原義)の動詞 ‘to hack’ から派生した在来の用法である、「ヘタクソ」(スポーツとかの)という意味の ‘hacker’ なのではないかと。そうすると、例の語源辞典サイトの説く、70年代の MIT あたりが発生源だとされ、 ‘Hackney’ を祖先とする名詞の ‘hack’ が語源であろう「本来」の ‘hacker’ とは、成立ちからして別ってことに。結果的には同語と扱われるようになっていても、実は血筋を異にするという例だったりして。

                  

ここまで来たら、その語源辞典の記述についても、もう少し紹介しておきたいと思います。すみません。【また次回に続く】

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