2018年2月25日日曜日

「正しい」和式英文法への抵抗(1)

前回に続き、またぞろ過去の拙文を流用。この話柄については未だに腹に据え兼ねてもおりまして。原文は、前回掲載分の数日前、2016年9月13日の記述です。

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暫く前、ちょっとした事情があって、日本では未だに金科玉条の如き勢威を誇る例の受験英語というやつに対し、どうせならこっちからもエラそうな英語で威張り返してやろうなどと、またぞろ無益な試みを思い立ちました。

その事情というやつについてはさておき、まずは以下にその威張り返しの例をいくつか示すことと致します。

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among/between
While ‘among’ is used when its objects are referred to collectively, only ‘between’ can properly refer to separate entities individually, regardless of the number, although the notorious superstition still dies hard that the former must be used of more than two and the latter of only two.

大意: ‘among’ は3者以上、‘between’は2者のみというあの迷信は未だに根強いようだが、前者の目的語が一括的に扱われるのに対し、個別的には後者のみ有効。数は無関係。

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any
‘Any’ can, when followed by ‘of + a plural noun/pronoun’, take either a singular or plural verb depending on whether it is supposed to mean ‘any single one’ or ‘some at all’.

大意:「of+複数名詞/複数代名詞」の前の‘any’は、「任意の単体」を指すか、数量を問わず「少しでも」という意味であるかによって、単数動詞も複数動詞も使用可能。

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as ... (adj/adv) as ... (n/pron)
The second ‘as’ is usually a preposition rather than a conjuntion even in fairly formal writing. When used as a conjuntion, mainly for avoiding possible ambiguity, the omission of the verb would be positively precious and mealy-mouthed.

大意:後のほうの ‘as’ は、比較的正式な文章においても、接続詞ではなく前置詞として用いられるのが普通。接続詞としての用法は主に曖昧さ回避のためであり、その場合も、動詞を添えなければ相当に仰々しくかつ不明瞭な言い方となる。

【補遺】
‘as soon as (it is) possible’ のように、主語・動詞をともに省き、構文上、または情報として必要最小限である補語(含形容詞)や目的語だけを残す例も少なくありませんよね。

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ask
When ‘to ask’ is converted from a ditransitive verb to monotransitive, the dative object, especially a personal pronoun, is normally just left out but not placed after the accusative with a preceding preposition, namely ‘of’, except when the verb means ‘to demand’ or ‘to expect’ rather than ‘to enquire’. Thus, ‘Can I ask something of you?’ is more a request than a question, as against ‘Can I ask you something?’ While it is perfectly possible to say e.g. ‘She asked a question (i.e. requirement for an answer)/favour/lot etc of me’, ‘She asked the way of me’ would be unusual, though ‘She asked of me the way’ may be acceptable, if perhaps somewhat antiquated (‘She asked me the way’ would suffice at any rate). Additionally, ‘to ask a question “to” someone’ — instead of ‘“of” (= out of) someone’ — is really passable and quite common in publications and on websites, both formal and informal, though still considered wrong by many.
 
大意……ではなく、この項については元の文言を離れてちょいと講釈を:
 
動詞 ‘ask’ には「尋ねる」と「求める」(または「頼む」)という語義があり、後者がより原義に近いとも言われます。日本で言う第4文型から第3文型への転換に際して、前者における間接目的語に前置詞を付して後置する場合、その前置詞は須く‘of’とすべしとされ、試験でこれを‘to’と書いたら誤答となるのはご承知のとおりかと。
 
しかしこれは、今述べた後者の語義、すなわち「求める/頼む」のほうについての話であり、元来は派生義かとも思われる前者の「尋ねる」には適応しません。普通は、 ‘Can I ask you something?’ ならまず質問、 ‘Can I ask something of you?’ と言ったらほぼ依頼、ということにもなりそうです。
 
この ‘of’ の意味は、 ‘out of’、つまりは‘from’に類するもので、 ‘ask something “of” someone’ とは、相手「から」何かを得よう、引き出そうとする行為を指す表現である、とも言えましょう。 ‘ask a question of ...’ が「~に質問する」=「~から答えを聞き出そうとする」という意味になるのも、この場合の‘ask’がもともと、 ‘ask a favour of ...’ (~に頼みごとをする)や ‘ask a lot of ...’ (~に多くを期待する)などと同様、「尋ねる」ではなく「求める」の意だったから、といったところです。
  
「質問を尋ねる」、「問いを訊く」と言うのは、「質問を質問する」、「問いを問う」と言うに等しく、まったくの同語反復と断ぜざるを得ないでしょう。 ‘ask a question’ が一体で「質問する」という意味になるのであって、その場合の‘ask’自体は「質問する」という動詞ではない、ってことです。あるいはこの常套句から、‘ask’だけで「尋ねる」という意味を表す用法が派生した……のかどうかは知りませんけれど。
               
‘question’ と言えば、その母型である ‘quest’ 自体が「求める」という意味のラテン語に発するとのことで(ただし英語では名詞用法が先)、これは「追求(する)」や「探究(する)」に加え、「探査」だの、ご存知「冒険」だのという意味でも使われますよね。 ‘quest’ + ‘ion’、すなわち「求める」+「こと」は、「問題」に対応する英語の名詞ではありますが(派生義には「疑念」や「難題」のほか「尋問」どころか「拷問」も)、多少の詳述を試みれば、「疑問への答えを要求するのに用いられる語句」とでもなりましょうか。それがやがて動詞としても転用されるようになったという次第かと。
 
同じく ‘quest’ の派生語である ‘request’ も、主に「要請(する)」、「懇願(する)」といった意味(やはり当初は名詞)であり、いずれも動詞としては ‘ask’ と語義が通底するものの、素性を異にする‘ask’(ゲルマン語?)は初めから動詞であるところが違います。いずれにせよ、 ‘ask someone something’ がいつでも ‘ask something of someone’ に言い換えられるわけではない、という認識が肝要。
               
ところが、入試問題などでは昔から、 ‘She asked me the way’ を ‘She asked the way “to” me’ と書き換えるのは間違いで、正しくは ‘She asked the way “of” me’ である、といった例が散見されるのです。語源についてなどは言うに及ばず、現代の語義、語法すら一顧だにせぬまま、 ‘She asked a question of me’ と言うのだから(なぜかは知らず、考えもせず)、当然 ‘She asked the way of me’ とも言うに違いなく、それどころか「そう言わねば間違いに決っている」との、機械的、と呼ぶだにおこがましい浅短極まる軽忽ぶり。
 
そういうのが我が国では長らく英語教育の権威者だったりした(する?)わけです。昔は充分な知識・情報が得難かったからということもありましょうが、今どきはちょいとウェブで検索すりゃあ本場の用例が無数に見られるのだから、かかる無知、無関心(または愚蒙、緩怠)は到底容認すべからざるところ。あるいは、他者にものを教えてやろうなどという思い上がりとは表裏一体を成す浅はかさの発露、ってこってしょうかね(俺も調子に乗って随分と威張ることよ)。
 
斯く申す下拙とて、かつては塾講師などで糊口を凌ぎ、最近もよんどころなくその商売に手を染めようかなどと思っていたのだから(実はそれが冒頭で触れた「ちょっとした事情」)、偉そうなことが言えた柄じゃないのは重々承知。ほんとはひとに教える仕事なんて嫌でしょうがないんです。どこまで行ったって自分自身が「これで全部わかった」などとはとても思えませんから。まあ、確信のないこと(全部か)については、「たぶんそうなんじゃないか」とでも言っときゃ間違いないとは思えど、そういう自信のないやつは「先生」として失格らしいし。何の商売でもハッタリは肝要、ってこってしょうか。しかたありませんな。
               
閑話休題。さて、現実には、  ‘She asked the way of me’ も、 ‘She asked the way to me’ に負けず劣らず、英語としてはいかにも妙だってことなんでした。そもそも何のためにわざわざ ‘She asked me the way’ を長ったらしく(1音節だけですけど)言い換える必要があるってんだか。 ‘She asked a question of me’ だって、単にそういう言い方もあるというに過ぎず、無駄に1語多いのは明白。簡潔さを是とするなら避けるべきものでしょう。まあどう言おうと勝手ではあるけれど。
 
そんなに長くしたいなら、 ‘She asked of me the way’ という語順にすればいいんですよね。いくぶん大時代ではありましょうが。しかしこの場合は、 ‘ask of’ が言わば一体を成し、他動詞相当句として熟したもの(あまり流行ってもいないけど)と見なすべきかとも思われます。 ‘ask’ 自体は単体で他動詞とも自動詞ともなりますが、 ‘ask of’ は専ら、何かを求める、または尋ねる相手を目的語とする他動詞句、とでも申しましょうかね。でもやっぱり ‘She asked me the way’ だけで充分同じ意味になるんだから、どのみち ‘of’ は不要です。
 
‘She asked the way of me’ が成り立つ(意味を成す)としたら、 ‘of me’ が ‘asked’ ではなく ‘the way’ にかかっているとき、つまり「私の道(行き方? やり方?)を尋ねた」って場合でしょうか。 ‘the way of me’ がまるごと動詞 ‘ask’ の目的語になってるって塩梅。 ‘way’ が ‘time’ でも ‘price’ でも、いっそ ‘name’ でもそれは同じです。「~の時刻」だろうが「~の値段」だろうが「~の名前」だろうが、それを「訊く」と言うのは普通の表現で、要するに ‘ask’ が「質問する」という意味になるのは、目的語の中身が主語にとっては不明で、相手の答えがそこを埋めてくれる(かも知れない)ような場合、ってところではないかと。
 
‘She asked the name of me’ なら、「私にその名前を尋ねた」ではなく、「私の名前を尋ねた」としか解釈されないのではないでしょうか。 ‘She asked “me” the name of me’ と言ったって構わないけど、やっぱりなんか間抜け。普通はまず ‘She asked (me) my name’ としか言わんのでは。いずれにしろ、こうした例では尋ねる相手を示すのに‘of’という前置詞は不適であり、 ‘She asked the name of me of me’ なんざわけが知れねえし、 ‘She asked my name of me’ もやはり間が抜けている、ということです。
 
それに対し、依頼や要求の意の‘ask’では、その ‘ask’ の相手「から」何かを引き出そうとしていることになるので、めでたく‘of’の出番とは相成る、って感じなんですよね。質問の‘ask’と違うのは、その(直接)目的語が、相手自身から生じるもの、相手が(わざわざ)施してくれる(かも知れない)ものだってところ。 ‘favour’ が疑問の対象でないのと同様、 ‘question’ も(元来は)「相手の答えによって解消され得る不明点」ではなく、「相手がその答えを与えてくれる(よう望む)こと」とでもいった塩梅。
 
重ねて申しますが、目的語が「未詳事項」の ‘ask’ は「尋ねる」、「要請事項」なら「求める」であり、質問や依頼の相手に‘of’が付されるのは後者のみ、といったところなんです。 ‘question’ 自体が「質問事項」という意味にもなるため、そうした ‘of’ の典型的使用例である ‘ask a question of ...’ という語法から(先述のとおり、それが ‘ask’ =「尋ねる」の起源かどうかは存じませんが)、純粋に質問を表す ‘ask’ もおんなじに違いあるまい、って思い込んじゃったんでしょうけど、それで「文法が基本」なんて威張られてもなあ。
               
さて、元の(上掲の)英文では最後に付言していたことなんですが、日本の英文法では容赦なく間違いとされる ‘ask something “to” someone’ という言い方、実は英語の本場では結構使われてんですよね。出版物やウェブの記事、それもかなり正式な文章においてさえよく見られます。英米の公共機関や政府関係のサイトにもありました。質問の相手を明示するにはそのほうが好都合、という判断によるものでしょう。「それは(他の者ではなくこの)私に訊いてください」と言いたければ、どうしたって ‘ask it “to” me’ とせざるを得ない、といった具合かと。
 
母語話者の多くは依然その語法に難色を示しているようですが、それも単に旧来の(自分が教え込まれた)規範文法に対する盲信の然らしむるところ、と言っては過言でしょうか。そのような事例は我が国語においてこそ夙に猖獗を極めている、とも思いつつ。
 
すっかり長くなっちまった。「講釈」終り。すみません。

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……という具合で、まだかなり続くんですが、上のバカ長い段落が、頭文字‘a’の項の終りではありますれば、今回はひとまずこれまでと致し、続きはまた次回ということに。残りは数項目ですが、やはり一部長大な蛇足も含まれますもので……。

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