2018年2月28日水曜日

『帰ってくれたら嬉しいわ』という勘違い

下記は、昨2017年10月にラジオを聴いていて抱いた所感を再録したものです。英文読解における統語関係の認識不全……てえのも大仰だけど、構文要素たる各語句が互いにどう絡み合っているかがわかんないと、たった1語の役どころを取り違えただけで文全体の意味がひっくり返っちゃう、っていう、結構古典的な実例についての愚考。コール・ポーター作曲によるジャズ・スタンダードの邦題に対する雑言なんですが、古典的とは言い条、とっくに訂正されてるもんだと思ってたので、軽く驚いたのでした。

とにかくまあ、そのときに早速 SNS に投稿した駄文を以下に。

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ありゃまあ……。

元々ジャズこそ得意分野だという八代亜紀の ‘You'd Be So Nice to Come Home to’ がラジオ番組で紹介されてたんですが、わざわざ古典的な誤訳『帰ってくれたら嬉しいわ』って言ってました。英語通を名乗ってた大橋巨泉の訳らしいですね。

高校生の頃、この ‘to’ が何だかわからず、 ‘home’ の前なら「家『へ』」ってことにもなりそうだけど、 ‘home’ はそれだけで副詞だから、その前に前置詞の ‘to’ なんか付かないし、いずれにしても ‘come home to’ っていったい何?って感じなんでした。こういう事例については、学校じゃ教えてくれないし。

でもフツーに英語がわかるようになったら、何のこたあねえ、前置詞ってのは必ず何らかの名詞や代名詞、すなわち目的語の「前」に置かれるものにて、それがこうして文尾にあるってことは、それが連なるべき語が言わずと知れてるから省略されてるか、実は文の前半で既に姿を現わしてました、ってのがお馴染みの型。

この歌はその後者の典型例で、 ‘to’ の目的語は最初にある ‘you’ だったというオチなんでした。要するに、帰宅するのは相手ではなく歌ってる自分自身、帰る「先」が ‘you’ てえ寸法。 ‘come home to you’ の ‘you’ を主体にして並び替えた言い方だったんです。そうやってひっくり返さないことには、 ‘You'd be so nice’ の ‘so’ も立つ瀬がありませんしね。

これはつまり後半の ‘to come home to’ と呼応し、「それを目当てに帰宅すべきほど素敵なあなた」……って、それじゃますますわけわかんねえか。「うちに帰ったときに待っててくれたらさぞや嬉しかろう」って感じなんですけど、英語では普通でも、国語の構文じゃあちょいと無理な表現ってのが実情かと。いずれにしろ、 ‘you'd be’ すなわち ‘you “would” be’ ってことは、まず待っててくれるこたああるめえ、ってのが言外の前提……てなところで。

                  

おっと、ついでに思い出しちゃった。かつては、前置詞の後置は作法に外れるという、無理やり「字義」、すなわち ‘pre-position’ に拘った17世紀以来の文法的正義を振りかざす向きも少なからず、チャーチルがその種の賢き頓痴気どもを皮肉って ‘This is the sort of English up with which I will not put’ とか言ったっていう伝説(?)が結構有名。「これは私には堪えられない部類の英語である」っていうのを、その堪えられない言い方で表明しったって寸法。

ほんとはもっと容赦なく、 ‘This is the sort of bloody nonsense up with which I will not put’ だったという話もあり、諸説ある中でもそれが最も現実的な雰囲気だったりも致します。 ‘bloody’ ってのはいかにも英国風の無作法な強意の副詞、形容詞でして、必ずしも悪態専門ではなく、 ‘Bloody hell!’ とも言えば ‘Bloody nice!’ とも申しますが、いずれにしろ良い子は言っちゃいけないことにはなってる(つまりみんな頻繁に口にする)。

ともあれチャーチルのこの台詞、つまるところは ‘put up with’ っていう熟語の‘with’が文末にあってはならぬ、っていう愚劣な言いがかりに対する、ほんとにそう思ってんなら、こんなバカバカしい言い方が正しいってのか、という反撃。もちろん正常な感覚では、 ‘... English (which) I will not put up with’ としか言いません。

何より、 ‘to put up with ...’ って、「…を我慢する」っていう phrasal verb であり、一体でなければ意味をなさず、 ‘put’ と ‘up’ や ‘with’ を分断しちまったんじゃおしめえよ、ってなところ。それに、前置詞と言い張れるのは最後の ‘with’ だけであり、その前の ‘up’ は副詞だろうから、チャーチルの名言(?)だって、もうちょっと容赦すれば、 ‘... with which I will not put up’ ってことんなりそう。でもそれじゃ大しておもしろくもないし、皮肉としてはいかにも弱い。

                  

それはさておき、さらに思い出しちゃったんですが、こういう「前」と「後」の入れ換えの結果、言わずと知れた後置の前置詞が端折られちゃう例も少なからず。受験英語では採点者の恰好の餌食のような気もしますけれど(そういうバカ教師ほど ‘come home to’ が何だかわかんなかったりして)、これもまた高校生(卒業間際)のときにちょっと悩んじゃった事例に、ご存知 Eagles の ‘Hotel California’ がございまして。

終盤近くに、 ‘(I had to find the passage back) to the place I was before’ ってのが出てくんですが、何せ高校生ですから、「あれ? これじゃあ『自分が場所だった』ってことんならねえか?」って思っちゃって。「正しく」は、 ‘to the place (which) I was at/in before’ とか ‘(to the place) where I was before’ ってことになりそう。チャーチルが揶揄した「正しい」文法に従えば、 ‘to the place at/in which I was before’ とでもなりましょうか(この ‘before’ は副詞なので苦しからず)。でも野暮だよな、やっぱり。

おっと、バカ教材を盲信するバカ教師ならさらにこれ、 ‘had to’ に呼応して(「一致」とまで抜かしやがるし)、 ‘was’ ではなく ‘had been’ でなくてはならぬ、とまで言いそうだけど、まったくの要らぬお節介。過去に対する過去完了は(これ、「時制」ではなく「相」……って断るのもダルい限り。どうせわかりゃしねえだろうし)、前後関係を明示するためのものにて、ハナから明らかなもんにはいちいち用いぬが作法。でないと切りがなくなっちまうじゃねえかよ。 ‘before’ だってお呼びじゃなくなっちゃいそうだし。

                  

この前置詞って一派、日本語だと後置の助詞の如き存在なんですが、結構英語知っててもちゃんとわかってない人は存外多いんですよね。特に、副詞も含めてこのちょいと「てにをは」的なものが連なってると、どれがどこにどう繋がってんのかわかんなくなっちゃうようで。

以前も、結構英語知ってる知人が、 ‘there is not normally room for in ...’ という語句の ‘for’ と ‘in’ はどっちか1つでいいんじゃないか、って言ってました。なんで文全体をちゃんと読まねえかな、って感じ(読んでもわかんなかったんでしょうけど)。これ、割と長い文の末尾に添えられた、いわゆる関係節てえやつで、 ‘... which there is not normally room for in a grammar of this size’ ってのがその節の全貌。「(~なのだが、それは)通常この規模の文法書には記載の余地がない」ってな話なんでした。 ‘for’ は「(記載)のための」って意味、‘in’は「(この規模の文法書)には」に対応するって塩梅。

これも、チャーチルの皮肉を踏襲して、 ‘... for which there is not normally room in ...’ って言えばよっぽどわかり易かったんでしょうけど、英文としてはちょっと野暮ですぜ、やっぱり。

自分だって中高生の頃はそんなもんだったんだろうけど、「そうか、英文の読めない人ってのはこういうところで引っかかっちゃうわけね」と、エラそうにも思ったことでした。

                  

ま、それはそうと、イーグルスのこの歌の場合は、なんせ歌詞なんだから、何より語呂(音節数)が肝心。いや、口頭の発話においても、この歌詞の文言のままで何ら問題はありませんから。野暮な文章と口語表現は元より別物、ってことすらわからねえ手合が未だに英語教育の専門家を標榜し、あろうことか「英米人は英文法を知らない」などとほざいてやがんだぜ。そいつらが「日本語」で書いた文法書なんざ、まず母語たる日本語の記述が文法的破格に満ちてんじゃねえかよ。

……と毒づいてみせたところで、彼我の社会的存在の格差は如何ともし難く、こっちがこんなところで何をどう愚痴ったところで、所詮は遠吠えにすらなり得ず。無理ばかりが罷り通って、道理なんざ身の置き所すらないのが、つまりはこの浮世の正体か。

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などと不貞腐れていたら、この『帰ってくれたら嬉しいわ』という誤訳の誘因、すなわち前置詞 ‘to’ が文末に取り残される形を、「タフ移動」(tough movement)であると説いている記述をウェブで見てしまいました。そりゃなかろうぜ。

あれ? 誘因ってよりこれ、その存在を敢えて無視した故の誤訳でしょうね。何だかわかんないからいっそ無いことにしちゃった、ってな感じ。そりゃ駄目でしょ、いくら何でも。

因みに、大橋巨泉は後からこの誤訳を悔やみ、自ら〈『帰ってくれたら嬉しいわ』という邦題があるけど、あれはゴヤク。ほんとうは、『君の元に帰っていけたら幸せ』って意味なんだよ。まったくバカがいるね〉と語っていたとか。

しかし念の入った愚者の種は尽きることなく、これだと「早く自分ちに帰ってくれないかな」とも解されるってんで、「帰って来てくれたら……」が正しいって言い張る向きもおりますものの、大橋訳に「来て」はないし、だいたい誰がこの英語の歌聞いて長っ尻の客の話だなんて思うかよ。語義、文意というものは文脈によってこそ明解となるべきものにて……って、またぞろ余計なことが言いたくなるじゃねえか。ケッ、くだらねえ。

                  

ああ、そのことではありませんでした。 ‘tough movement’ の話。これ、別にチャーチルが皮肉った「正しい文法」に違背する、前置詞の後置状態を指すものなんかじゃありませんから。

This problem is tough to solve.
 
の ‘tough’ が移動し、
 
It is tough to solve this problem.
 
とか
 
To solve this problem is tough.

などと言い換えられる、っていうような事例についての用語であり、たまたま最初に ‘tough’ ってのを例にとったからこうは言うようになったてえだけの話……なんでしょう。知らないけど。いずれにしろ、この ‘You'd Be So Nice to Come Home to’ について言うなら、懸案たる(?)最後の ‘to’ はまったく無関係。

‘nice’ が ‘tough’ の役どころとも見えますが、先に申し上げたとおり、この ‘nice’ には ‘so’ が冠せられており、それがどう「それほど」なのかと言うと、つまりは ‘to come home to’ ってほど素敵だってことなので、 ‘nice’ は飽くまで ‘you’ の属性と言い張ることも可能であり、いったいそれ何の話かと申しますと、上述の ‘problem’ と ‘tough’ との関係とは少々異なり、単純に ‘It would be so nice to come home to you’ とも ‘To come home to you would be so nice’ とも言い換えられない、ってことなんですよね。それだと ‘so’ の修飾対象がすり替っちゃうてえ次第。

まあ、どのみち表される状況は似たようなもんではありますが、やっぱり同義とはならんでしょう。それこそ歌の文句、題名だからこそ、文章よりゃよっぽどその辺が肝要なんじゃないかしらと。

それにしても、俺がなんでわざわざこんなことに拘ってんのかは自分でもわかりませず。そもそもそれほど好きな歌でもないし。八代亜紀のボーカルは粋でしたけど。

                  

さて、駄目押しの蛇足を1つ。これは文法などとは無関係だし、確乎たる規範などとも程遠い、因襲に類するものだとは思うんですが、各単語の頭文字を大文字にする見出し表記でも、あたしゃいつも昔の英文タイピストの習慣に倣って、冠詞、接続詞、前置詞の3つ(活用がなく、他語に付随するもの……って区分でしょうか)は小文字にしてるんです。見た目の問題なので、ほんとは ‘Come Home to’ と、最後だけ小文字ってのは不恰好なんですけど、一貫性を欠くほうが自分には面倒なもんで。

因みに、副詞は適用外となりますので、意味によっては同語が大文字だったり小文字だったりもするんですが('on' などはその代表例)、品詞の観念がなければ(堅気の衆は普通そんなもん気にしませんよね)、どういう理屈によるものやらとんと見当がつかず、単に疎漏による誤記だと思われることもしばしば。いや、大小の混在にすら気づかない人のほうが多かったりして。

いずれにしろ、やっぱり益体もないことにばかり拘りたがるこの性格、バカバカしいとの自覚はありつつ。そいつぁもうどうしようもねえや。

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以上、2回分の投稿を1つにまとめて再録致しました。毎度恐縮に存じます。

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