自分自身が「何だかよくわかんねえや」ってことを何とかわかろうとしてこの歳まで足掻いてきた結果、多少わかるようになってはきたんですが、塾講師とか英文和訳tとかの仕事を通して痛感するのは、「あんたら、どうしてそんなにわかってないのに、自信たっぷりにトンチンカンな英語もどきで書いたりしゃべったりできんのよ」ってこと。もちろん「自信はないけど頑張ってます」って人たちはその限りに非ず。自己正当化ってやつか。
さて、 ‘the’ という英語の定冠詞を、本朝にては夙に「ザ」だなどと呼び習わしておりますが、そう言ってる時点でダメなんですよね、ほんと。
そもそも、「定」も「不定」も、冠詞なんてもん、ハナから日本語にゃねえわい、って認識こそ肝要……なんですけど、そこからしてもう、って感じ。ハナからねえんだから、日本人なら何だかわかんなくて当り前、ってことだけでもわかってりゃあ、まだいずれはわかる折もあろうか、ってところですかね。
とりあえず ‘e’ って字は、カタカナ発音だって「イー」って読みましょ? 英語じゃあ /iː/ ってわけですが、それは取りも直さず、 ‘the’ だって単語としては飽くまで /ðiː/ にほかならない、ってことなんです。文中ではしばしばそれが「緩んで」 /ðɪ/ (母音の違いは舌の緊張度、高さの差異)となり、それがさらに緩んだ結果が /ðə/ (さらに舌が下がった音)というに過ぎず、この /ə/ という「曖昧母音」を[ア]だと思い込むのもまた日本人の勝手な勘違い。
英語に言わせりゃまったくの見当外れなのに、この ‘the’ という単語を[ザ]、すなわち /dza/ であるなどと誤認し、さらには、それが母音の前では /dʑi/ だの /dzi/ だの、あるいは /di/ だのになるだなどという「文法」(音韻論、音声学は文法に非ず……って言うのもダルい)が、未だにしぶとく罷り通っているのが実状、ってことなんです。
因みに、「母音の前では[ザ]が[ジ]になる」なんて「規則」はありません。上述の如くそもそもの発音が /ðiː/ であり、「不定」ではなく「定」であることを明示する場合には、次が母音だろうが子音だろうが、その基本形 /ðiː/ で発音され、 /ðə/ と曖昧化されたのでは、どういうつもりで言ってるのか判然とせんのです。そこだけピッチを上げるって手もなくはありませんけれど。
一方、通常子音の直前では習慣的、無自覚的にその曖昧形 /ðə/ が用いられるというだけであり、何ら強調の意図がなくても、 /ðɪ/ と発音される場合は珍しくない上、母音の前でも /ðə/ と発音する人だっていくらでもいます。ただその場合は、例外なく一瞬の無音状態(瞬間的声門閉鎖)が挟まれるんですけど、いずれも当人の癖や、そのときどきの発話状況による、多分に無意識的、自動的な現象なので、どれが正しくどれが誤りであるかを論うなどは笑止の沙汰、なんてね。
因みに、文章において強調を示す場合は、手書きなら下線、出版物ならイタリック体による表記、ってのが作法です。活字でも下線は使われますが、基本はイタリック。原稿に下線が引かれていたら、その語句をイタリック書体で印刷すべし、という指定なんです。
とにかく、学校英語で言う「規則」の正体は、単なる一般的な傾向というだけのものであり、実際は確乎たる法則とすら呼べないのが実情です。まして「規則」だなんてとんでもない。それを、「文法」などと称して、あろうことか「英米人の中にはその『文法』を知らずに間違った発音をする者もいる」などと抜かす寝惚けたバカ(毎度ご無礼。だって……)の多きに驚き果てぬ、といったところ。そんなに威張るなら、まずてめえが「文法的に」正しい英語で何か1つでもしゃべってみろい、などと思う間もなく、母語の筈の日本語からして崩れてるし、その前にまず訛ってんじゃねえかよ、ってな事例がまた多くて。
この‘the’に限らず、弱勢の音節における母音の曖昧化という現象は、実はあらゆる英単語に見られるものであり、かつては地域的(あるいは「階級」的)な「訛り」、何より北米訛りの最大の特徴(の1つ)と見なされていたところもあります。それが、20世紀後半、第二次大戦後には、マスコミの影響、主にテレビの普及によって英音にも広く浸透し、今ではとっくに「標準発音」の扱い。
特に /ɪ/ が /ə/ に転ずる例は無数にあり、昨今の英和辞典でもその傾向を(遅れ馳せながら)反映する発音表示が支配的ではありますが(その前から米音優先だったし)、それ自体は大いに結構とは存ずるものの、問題はやはり、そもそも音声記号なんか読めもしない「英語屋」が珍しくもないため、たとえば生徒が‘ability’を[アビリティー]って読むと、[アビラティ]などと、臆面もないカタカナ発音で訂正する愚蒙の教師なんてのも野放しだったりする、ってところでしょう。
愛用するロングマンの辞書、 ‘LDOCE’ では、そうした音節のすべてに対し、縮小された /ɪ/ と /ə/ を上下に並べた記号を付しており、それだけでも未だどの英和辞典も追随し得ない合理性、科学性の発露、といったところではないかと。と言ったって、実に簡単なことなんですけどねえ。ひょっとして版権でもあんのかしら。知ったことじゃねえけど。
まあ俺だって中高生の頃は、なんせ田舎の公立校だったし、音声記号の表す音韻については何ひとつちゃんと教わったことがなく(明らかに当時の教師は誰ひとりわかっちゃいなかったし)、他の生徒の多く(全部?)がそうであったように、よんどころなくぼんやりとローマ字的に読んではおりましたさ。だってわかんねえんだからしかたがない。
それが、40年ばかり前の1977年、十八でイギリス行ったところ、まず周りでしゃべってる英語がそれまで学校で習ってたのと(実は半分予想どおり)随分違うのにちょいとまごついたりもしたけど(日本の学校じゃあアメリカ弁もどきだっただけ、ってのにすぐには気づきませず)、オックスフォードの初心者向け(?)辞書に記された現実的な発音表示に感心したりもして、それまでの誤認識(てえか、なんにもわかってなかっただけ)を一挙に洗い流すことができたてえ寸法ではございましたのよ。
単に頭脳が若かったってだけではなく、生得のひねくれ者だったのが幸いしたものとも思われます。それまで「学んで」きた英語との違いに悩むことなんか一切なく(そういう日本人留学生も複数いて、こっちにも同意を求めてきたのには辟易)、むしろ中学高校の教師が大威張りで言ってたことが、いちいち「これもウソだったんじゃん」ってわかるたびに嬉しくなっちゃうようなやつだったもんで。
まあ、自分にとっちゃあ実はどうでもいいんだけど、あたら優れた知能を有する(かも知れない)今日の若人が、あたしのようなねじれた性格を有さざるが故に、学校英語だか受験英語だか、とにかく日本固有のトンチンカンな英語教育に毒され、英米に限らず世界中で流通している(それ自体の是非はさておき)英語というものの正体から否応なく隔絶され続けているという惨状には、甚だ憤りを禁じ得ず(ウソ)。
あれ? なんでこんなこと書こうと思ったのかすら、既に相わかり申さず。脳味噌溶けかかってんのかも。
ああ、思い出した。寄る年波よの。発音なんかじゃなくて、その用法について文句言いたかったんでした。
たとえば、「ザ・トーキョー」ってな意味不明の文句は昔からよく見かけますが、定冠詞ってもんは、不特定多数の事例のうちの特定のものを区切るのが役どころなんで、ハナから1つしかねえのがわかり切ってるもんにゃ用はねえんですよ。
昔風のバンド名で、 ‘the Rolling Stones‘ だの ‘the Animals’ だのって言ってんのは、この世に数限りなく存在する「転石」だの「獣」だののうち、特定の5例(5人)でござい、ってことを言ってんですよね。その点でも ‘The Beatles’ が秀抜なのは、 ‘beatle’ なんて普通名詞はないのに、宛も自らを遍在する ‘betles’ 中の任意の4例であるかの如く名乗ってるところ。やつら以外に ‘a Beatle’ なんてやつぁ1人もいないんですがね(既にこの世には2人だけか。 Pete Best ってのもいましたっけ)。
連中が敬愛していた Buddy Holly のバンド、 ‘the Crickets’ が、現地の米国では単に「こおろぎ」って意味しかないのはわかってたけど、イギリスじゃあどうしても同綴同音の国民的な球技の名称が想起され(日米における野球のようなもん?)、何気なく洒落になってる、ってところがますます気に入り、その本家にあやかって思いついた昆虫の ‘beetle’ に ‘beat’ を絡めて ‘Beatles’ とはした、って経緯だってんですよね。今度はそれを後続のバンドがこぞって真似し出し、「生き物」グループ名の流行が招来されたという次第。 ‘Animals’ ってのもその容赦ない踏襲例だったりして。
ところで、英国の人気スポーツたる ‘cricket’ について、玉を打つ音がこおろぎの鳴き声に似ているところから、との民間語源説が、ときどき英和辞典などに勿体らしく載ってたりするんですが、昆虫名のほうは14世紀、古フランス語の ‘criquet’ が移入したもの、って話です。その仏語自体は12世紀初出ということですが、まさにその虫の声を模した……かも知れない擬声語由来の動詞 ‘criquer’ から派生、とのこと。一方の球技名は、16世紀末、やはり古フランス語の同じく ‘criquet’ から、ってことなんですが、こちらは競技の「ゴールポスト」の意で、どうやらオランダ、ベルギー辺りの言語における ‘cricke’、「棒」とか「棹」とかいうのが語源……らしい。
なんでわざわざ当てにならねえ語源俗解なんか載せるかなあ。そんな余裕があるならもっと有用な情報を盛り込むべきに非ずや、とは思いますね(相変らずエラそうだけど)。
ああ、バンド名の生き物シリーズと言えば、日本の GS 時代にも、ザ・スパイダーズだのタイガースだのジャガーズだのと、結構流行りましたね。尤もタイガースについては、もともとはファニーズとか名乗ってたのを、レコードデビューに際して上京したら、関西出身なら阪神ファンに違いあるまい、と決めつけられ、会社の上つ方から勝手に名づけられたんだとか。でも5人のメンバーのうち阪神贔屓は2人だけだった由。
いずれにしろ、生き物を名乗ったからってビートルズの洒落には遠く及ばず、そこはまあ、もともと英語じゃないんだから不利ではありましょうが、アメリカにはちゃんと綴りで洒落た ‘the Byrds’ ってバンドもありました。そりゃ日本じゃ無理か。説明しなきゃ伝わらないようじゃ洒落にゃならず、その時点で意味ないですよね。
おっと、また話がズレちゃった。閑話休題。
てえことで、固有名詞に定冠詞は絶対に付きません……てえと文句が出そうだけど、まあ「元来は」ってことでひとつ。あたしも学校じゃ「定冠詞付きの固有名詞」として、たとえば ‘the United States of America’ なんてのを習いはしましたが、これ、固有名詞と呼べるのは ‘America’ だけであって(だって Amerigo Vespucci ってイタリア人の名前をもじったんでしょ?)、定冠詞 ‘the’ が付されてんのは、飽くまで普通名詞の ‘states’ なんだす。結果的に、この語列が固有の連邦名とはなっているというだけの話。
まず ‘united’ という修飾語(形容詞)によって、無数の ‘states’ の中からそれに該当しない ‘ununited states’ が除外されるのですが、それでも依然無数であることには変りがないため、単に「連邦」という「普通名詞」として用いる場合には定冠詞は付されんのです(昨今は ‘the Ununited States of America’ っていう揶揄も既に使い古し?)。
‘the united/ununited states’ と言ったら、この世のすべての事例を指すのではなく、予め限定された複数(多数)の国家をさらに区分する表現となり、とりあえずこの世界中の国家のうち、特定の事例に絞ってからでなければ、この‘the’ってのは出る幕がないって寸法。単なる無意味な飾りでもなければ、「いわゆる」だの「あの」だの、あるいは「これぞ」だのっていう強意の連体詞に類するものでもありません。その有無によって語義、文意が大きく左右されるという、実は隠然たる大物……だったりして。
つまるところ、形容詞はどれだけ連ねても被修飾普通名詞を唯一の事例に限定し得ない(たぶん)という理屈で、「細身で背が高い色白の西洋美人」って言ったら、世界中の全女性のうち、「美しくない人」(おっと!)、「西洋人以外の人」、「色白でない人」、「背の高くない人」、「細身でない人」は悉く除外されるものの、それでもまだまだ星の数ほどおりましょう、ってことなんですよね。
尤も、形容詞の示す内容はときに発話者の主観に左右される曖昧なものである、というのが実情ではございますが、とにかく形容詞の限定用法(国語における連体形のようなもん)ってのは、絞り込みには資するけれど、最終的な特定に至ることはない、ってところではございましょう。
それに対し、この ‘the’ だの ‘a/an’ だの ‘some’ だの ‘this’ だの ‘my’ だのという ‘determiner’ (とりあえず「決定詞」と訳されている模様)ってのは、あたしなんざ中学高校で「形容詞」の一派として習い、自分が塾で教えてたときもそういうことになってはおりましたけど、少なくとも40年前の英国の学校じゃとっくに別枠でしたぜ。「決定」ったって、不定冠詞なんざ、どれのことか明示せざるためのものだったりするわけではありますが、何が形容詞と違うかと言えば、被修飾語を何ら形容せず、すなわちそれがどういうものかについては何ひとつ言わず、とにかく無数の同類の中から、特定、不特定を問わず、その一部または唯一の例を切り取るのが仕事、ってところなんです(あれ? こいつぁちょいと、先般言及した、人称代名詞 ‘it’ と指示代名詞 ‘that’ との対比に通底しませんかね。今思いついた)。
しかしその後に ‘of America’ なんてのが付加されると、なんせアメリカってのが唯一の存在(大陸名としては3つあるので、固有名詞扱いのまま複数形にしたりもしますけど)なので、その前の ‘(united) states’ が否応なく特定の存在となってしまい、その「特定ぶり」を明示するのが、頭に冠される‘the’ではある、ってなカラクリなんでした。その結果、 ‘the United States of America’ てえ固有の連邦名とは相成り候、ってな寸法。
駄目押しの如く重ねて申しますが、初めから特殊な存在はそれ以上「特定」することは不可能なので、定冠詞を付することができるのは、それだけでは同類が複数(大抵は無数に)存在する普通名詞だけ、ってことなんです。 ‘the Tokyo’ ってのが、例えば ‘The Tokyo Hotel’ とかの略ででもなければ意味をなさないのは(つまり定冠詞はホテルのほうに付いてるってことで、川だの海だの山だのの名前もその伝)、東京ってのがもともと1つしかない(筈だ)から。「どの」東京かを特定するのが定冠詞‘the’ですので、予め少なくとも2つは東京がなくちゃ間尺に合わない。とりあえずあたしゃ1つしか知りません。
たったこれだけのことすらわかってない自称英語通が多くてもう。てより、なんでそこを学校でちゃんと教えねえかなあ。いや、教科書にもざっと書いてはあったけれど、なんせ日本語にゃ縁のねえ言語現象なんだから、もっと「臨床的」に説明しなくちゃわかりっこあるめえに。まあ教師自身がわかってなかったりするんだから、そりゃしょうがねえのか。
毎度ご無礼。
~*~*~*~*~*~*~~*~*~
……と、一気に毒づいておりますが、以上は2017年2月に書き散らしたSNSへの投稿文なのでした。実はこれ、ますます話が長くなるので敢えて言及しなかったんですが、上記はごく基礎的な概要を述べたものに過ぎず、つい断定的な口調で語ってはおりますものの、 ‘the’ の実際的な語義や用法は極めて多岐にわたり、当然それほど簡単に割り切れるものではない……などと、今さらのように弁解しときたくなっちゃって。
無数の同類の中から一部あるいは一者のみを特定する……のではなく、初めから唯一の存在と見なされるものに冠する例もあれば、 ‘the’ +単数普通名詞で、その名詞が指す種類全般を表すこともあったりするというのがほんとのところ。専ら名詞以外のものと併用されるため、決定詞ではなく副詞に区分される用法も少なからず。遅れ馳せの言いわけでした。
これ、たとえば ‘the French’ で「(全)フランス人」だったり、 ‘the impossible’ で「不可能『事』」だったりするってな例のことでして、「フランスの」とか「不可能な」っていう形容詞(連体修飾語)が、 ‘the’ を冠された途端になぜか名詞に変身、なんてわけじゃなく、その後に控える ‘people’ なり ‘situation’ なりが、言うまでもないから省かれちゃった、ってのが実情だったところ、とっくの昔にその端折った言い方こそが世の習いとは成りにけり、といった仕儀ではございましょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿