さてと、「ロックとロール」ってのが景気づけ、語呂合せのトートロジーの如きもんだってことは既述の如し。「ハードロック」バンドてえことんなってる件のツェッペリンだって(これもまた、英語なんだから、「ゼパリン」とか「ゼプリン」とまでは言わねえまでも、せめて「ゼッペリン」ぐらいにしといて貰いたかった)、 ‘Rock and Roll’ って曲やってるじゃありませんか。別に古臭いロック音楽を賛美した歌ってわけではなく、単に「昔に比べて今の俺は……」みたような歌詞。その最初のぼやきが「もうずっとロックやってねえや」って感じで、それが題名になってるってだけのことなんでした。
そりゃ関係なかった。とりあえずこの曲も、コード3つで一回り12小節っていう、それこそチャック・ベリー的な古典ロックの(ってよりはまず初歩的ブルースのような)構成でありながら(おっと、2倍の24小節で一回りでした)、やはりスネアに勝るとも劣らぬ奇数拍のキックの強烈さ。バックビートを利かせてないんじゃなくて、強拍にも容赦なく強勢を置いてるとしか聴きようはあるまい、って思っちゃうんですよね、どうしても。50年代ロックンロールとの最大の(あるいは唯一の?)差異はそこなんじゃないでしょうか。
ツェッペリンの歌の中には、 ‘The Rover’ っていう、およそ(日本で言う)「ロックンロール」とは、テンポから何からまったくほど遠い曲もありまして(何より奇数拍がいちいち強烈)、そのちょいと深みのある(?)歌詞の最初のほうにも、しっかり ‘I used to rock it, sometimes I'd roll it’ って出てくんですよ。つまりこれ、40何年前の英語では ‘rock’ と ‘rock 'n' roll’ は何ら対立概念に非ず、ってことを示す好例の1つと言えるのではないかと。
既述のとおり、昨今の英米でも「日本的に」両者を区別する傾向にはありますが、それは宛然、性別を問わず同性愛者全般を指していた‘gay’という語が、「主に男性について言う」ってことんなってんのと軌を一にするが如き事例……かも。40年前は、 ‘gay boy’ も ‘gay girl’ も同等の言い方だったんですがねえ。
これらはほんの一例で、音楽ジャンルに限っても、 ‘prog’(プログレ)や ‘techno’ など、以前は日本独自の区分だったものが、今では卸元の英語にも浸透している例が目立ちます。単なる偶然なのか、やっぱり逆輸入ってことなのか……。日本も知らない間に随分エラくなってるようではあるし。ま、ちょいと謎ではあります。
因みに、「テクノ(ポップ)」が定着する以前、70年代中頃までの英語(英国?)で ‘techno rock’ と呼ばれていたのは、日本で言うプログレ……の超絶派、つまり「前衛」の旗手たる(?) Pink Floyd とかじゃなくて、King Crimson だの Yes だの EL&P だの……でしたぜ。 ‘techno’ の謂いは ‘technology’ ではなく ‘technique’ だったってことで。 ‘quality rock’、 つまり「高級ロック」(良質な岩?)という、かなりの揶揄を込めた呼び方もあったんですが、今じゃあいずれも廃語の類い? なお、その時分に ‘progressive’ と括られていたのは、60年代以降(ビートルズ以降?)のポップ全般だったりもしたんですが、そうなるともう、ロックとロックンロールが別物かどうかなんてのはよほど呑気な(トンチンカンな)話に思われて参りますな。
おっと、またも枝道に片足を踏み入れてしまいました。これ以上分け入るのは思いとどまり、その「ロック(ンロール)」の続きを。
ツェッペリンと同時期に聴いていた Wishbone Ash てえツインリードが売りのバンドには、 ‘Rock 'n Roll Widow’ って曲がありました(「n」にはアポストロフィが前に1個付いてるだけですね)。山口百恵の「ロックンロールウィドウ」はその数年後でしたが、果して偶然なのか、阿木耀子もウィシュボーン知ってたのか……。宇崎竜童は知ってたんじゃないかと思いますけど、ツェッペリンなんかに比べればかなり地味なバンドではあったから、そこは判然と致しません。
ともあれ、山口百恵の歌は、男女間の結構他愛ない関係を描いたものであるのに対し、ウィシュボーンのほうはかなり重い内容。アメリカ南部でのコンサート中、その会場のすぐ外で銃による殺人事件が発生していたことを後で知り、それを歌にしたってんですよね。つまりこのウィドウはその被害者の妻を指し、「ロックによって未亡人にされたロックの犠牲者(がまた1人)」という歌だったのでした。
まあ歌の中身はさておき、ここでもまた、およそ「ロックンロール」という語感からは懸隔した70年代ブリットロックの題名に、墨痕淋漓とでもいった風情で ‘Rock 'n Roll’ との文言が用いられているというところが眼目。
さて、1978(昭和53)年、イギリスに住み始めて1年足らずの頃、音楽週刊紙の ‘Melody Maker’(水曜発売だったかと)を見たら、その一面にボブ・ディラン日本公演の記事が載ってまして、我が日本の記者が「フォークの神様と呼ばれてますが」って言ったのに対し、「あたしゃ人間だよ」って応えたってのに笑ったのを今でも憶えてます。神か人かって前に、「フォーク」って、それいつのディランのことだよ、とも思ったものですが、ことほどさように日本のマスコミは何でもかんでも画一的ジャンルに押し込めなければ気が済まない、ってところは今も変らず。「アーティスト」の側はそんなの知ったことじゃないし、知ってやる義理もありゃしません。
このときのディランと同様、件のツェッペリンも、日本に来るたびに「ハードロックの王者と言われてますが」みたような間抜けな取材を受け、ロバート・プラントは「我々がやっているのは ‘ROCK 'N' ROLL’ だ」って応じたとかいう話もあります。さもありなん、ってところではございますが、これもまた、70年代の時点では、少なくとも英語において ‘rock’ と ‘rock 'n' roll’ に語義の対立がなかった証左とは申せましょう。
ついでのことに、件のディラン日本公演を伝えるメロディー・メーカーの見出しが ‘Dylan Zaps Japs’ だったと思うんですが、これは当時のイギリス(アメリカも?)のマスコミや一般人の間に、よもや日本人が、単なる略語に過ぎない ‘Jap(s)’ を、まったくの勘違いから自らに対する蔑称だと思い込んでるなんて認識が微塵もなかったことを示す好個の例。
その数年後のポール・マッカートニーによる ‘Frozen Jap’ も同様で、日本国内向けに限り、この ‘Jap’(アメリカを米、イギリスを英とするのと本来は何ら変らず)がわざわざ ‘Japanese’ という表記に差し換えられたってのは結構知られた話。英語を知る者にとってはお笑い草だったものですが、無理が通れば何とやら、その後英米でもめでたくこれを「差別語」と認定するに至りました。道理がどうあれ、当の日本人が怒るんじゃあしかたがねえ、って感じ。因みに、日本人に対する正真の蔑称は ‘Nip(s)’ で、「米(国)人」に対する「アメ公」みたような感じ。どのみち古くさいってところも同様かと。
まあいずれにしろ、あちらには夙に人種、民族間の軋轢が絶えないって事情もございましょう。今では、これこそまったく差別的意味などない(本来略称ですらない)‘Jew’ って呼称も用いるべきではない、ってことんなってるそうで、言葉狩りの猛威はとどまることを知らざるが如き様相。侮蔑的に用いられるとすれば、それはユダヤ教徒自体に対する偏見の表れであって、名称そのものが蔑みの意を包含するわけではなかった筈なんですがねえ。
‘J’ の字を用いる綴りは16世紀以降とのことで、それ以前の古英語、ラテン語由来の ‘Iudas’ に取って代ったってことです。そもそもの語源は、この民族の起点とされる ‘Y'hudah’ というキャラ。今の普通の表記だと ‘Judah’ ってことになりますが、要するに、ヤコブの四男だという「ユダ」から派生、ってことでした。ヘブライ語で「祝福された」って意味だてえから、ますます蔑称とは懸隔の極み。
親父のヤコブってのは、旧約の創世記に出てくる部族長だとかで、後年イスラエルに改名(神と戦って勝ったやつ、とかいう称号だとか)。殆どが雲散してしまったイスラエル十二部族の祖だってんですが、その1つが、息子のユダに発し、その後隆盛を極めるユダヤ民族ということになるんでしょうか。その辺、欧米では常識に属する話なのか、そうでもないのか、いずれにしろあたしゃよく知りません。
でもまあ、今のユダヤ人は古代のイスラエルびととはまったく無関係で、だから「白人」のユダヤ人にも、またそれが牛耳る今のイスラエルという国にも何ら正当性はない、などという寝言にはウンザリ。そういうてめえらは純然たるヤマト民族だってのね。でもそれいったいどういう民族だってんだよ。民族なんてもんが所詮観念に過ぎない、ってのがこの期に及んでまだわからねえってか。そんなんじゃ、アメリカ南部の19世紀で止っちゃってるような人たち(偏見も甚だしい)を嗤えまい。
おっと、また無駄に毒づいてしまった。さてこの親子、どっちの名もその後ありふれた人名として汎用され、英語の ‘James’ も ‘Jacob’ の派生形なんでした。フランス語の ‘Jacques’ に対応するってんですが、英語の ‘Jack’ は ‘John’(これもヘブライ語のヨハネじゃん)の変形だてえから、英仏の「ジャック」は互いに無関係だったとうことに。
息子の名前のほうも今の英語で現役。 ‘Hey Jude’ てえ歌もあれば、 ‘Jude Law’ てえ役者もおりましょ? キリストの取り巻きにもユダってのが2人いたとかいなかったとかってんですが、ひとまず1人は師を売り渡した裏切り者として有名。結局首をくくっちゃったようだけど、だからってユダだのジュードだのって名前がキリスト教徒に忌避されてるわけじゃないのは今言ったとおり。その辺も平気で勘違いしている日本人が多いようで。 ‘Adolf’って名前は英語でも普通だったのに、かの総統閣下以後、すっかり流行んなくなっちゃったのとは事情が違うんです。
なお、間投詞の ‘Judas Priest’ は ‘Jesus Christ’ の代用で、初出は百年ばかり前の1914(大正3)年、一次大戦勃発の年とのことです。宝塚歌劇団の初公演もこの年だったんですね。知らなかった。
さてと、ヒトラーがワーグナー(ヴァーグナー?)好きだったのは、ワーグナーがユダヤ人の悪口言ってたから、ってところにもよるようですが、ワーグナーには仲のいいユダヤ人(てえかユダヤ信徒)の友達もいたってんですよね。ありゃ単に、当時の音楽業界における「権力者」、メンデルスゾーンからボロクソに言われたのがいかにも腹立たしく、それで「ユダヤ人の作曲家に碌なやつはいない」って毒づいただけだったんだとか。
まあ何にしろ、そういう込み入ったあちらの事情に比べりゃ、日本のマスコミによる自主規制なんぞはことの切実さにおいて遥かに甘っちょろく、単純に余計な面倒は事前に避けとこうってだけの姑息な姿勢の表れに過ぎまい、って気は致します。
しまった、またも余分な末節にのめり込んじまった。次回は再び「ロック(ンロール)」の話を。
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