2018年3月9日金曜日

バックビートがロック?(10)

さてその ‘Whole Lotta Love’ のギターリフ。後から「エイトビート」のドラムが交ざってくるけど、リフ自体は16分の刻み、ってな話をしてたんでした。で、前小節の3拍目裏、例のアフタービートってやつから始まるその「先乗り」部分が、しょっぱなの第2音からいきなりシンコペーション……ってなこと言ってたら、ついそれが前回までのシンコペーション談義に流されちまったてえ仕儀。

ともあれ、この話で肝心なのは、むしろその3拍目裏から始まる、フライングにも類する「先乗り」の部分ではなく、それに続く16分の並びが1小節半あまり(歌に入ると2拍半)続くリフの「本体」のほう。「先乗り」だの「本体」だのってのも随分といいかげんな言いようだとは承知致しておりますが、だってどう言やあいいんだかわかんねえんだもん。すみません。

とにかくその16分のギター、冒頭はまったくのソロで、ほどなくベースがやはり同じ符割で加わるも、トラムは当分沈黙状態。で、そのギター(とベース)だけを聴く限り、これが2拍4拍だけを強調した、いわゆるバックビートのノリだなんてこたあ金輪際あり得ないのは灼然炳乎……って言ってんのは俺だけかも知れねえけど、だってどう足掻いたってそうとしか聴こえねえんだからしょうがない。

4拍子で「エイトビート」で16分刻みってことは、もしバックビートを利かそうてえなら、それが1拍に4つ並んだリフ(1つめだけ5弦と4弦によるパワーコードで、残りの3つがその5弦の音からオクターブ下のルート……って、無駄だとわかってんのに、どうしても言葉で説明しようとしちゃう)の2番めと4番め、すなわち2拍めと4拍め(の頭)だけ強く(大きく?)弾かなきゃ間尺に合いません。しかし、言うまでもなく我がジミー・ペイジはそんな「ダセえ」こたあこれっぽっちもやっちゃいねえ……って、やっぱりこれ、聴きさえすりゃ全部わかることであると同時に、聴かなきゃ何だかさっぱりわかりませんな。困った……けど続けます〔それで音源をリンクさせたのでした〕

ありようは、16分4つずつの単位、つまり各拍ってことですが、その1つ1つの頭がまったく同じように強調されてるってことであり、取りも直さず、強拍=奇数拍と弱拍=偶数拍との間に微塵も「強弱」の区別がないってこってす。バックビート(の片鱗なり)が感じられる(無理やり感じることもできなくはない)とすれば、それはドラムが鳴り出してからのことであり、そのドラムの叩き方、ってより単にスネアが鳴らされる拍の位置によって、辛うじてそんな感じもするか、ってなもんでしょう。

しかしそれも、既述の如くスネアがキックより無条件に「強い」なんて法はねえし、実際、ボンゾのバスドラ、相当に強烈ですぜ(スネアだって4拍めは裏、afterbeatだし)。スウィングなんぞとの隔絶は覆うべくもなく、バックビートなどという言葉自体、あんまり用はねえんじゃねえかしら、としか思われませず。で、あたしが思うロックのリズムってのはそういうやつなんですね。

そういうやつったって、そりゃぜんたいどういうやつなのかてえと、つまるところ、強拍弱拍もろともに強調した音楽、ってことになりましょうか。それだと、今どきのEDMとやらの4つ打ちなんざもっと容赦なくそうだってことになりますかね。

でもまあ、いずれにしたって昔(50年代まで?)の、それこそチャック・ベリーが「どんな拍子だろうとバックビートが必須」てなこと歌ってた ‘Rock and Roll Music’ とは随分違いやしょう? ま、どのみちおりゃあ勝手にそう思い続けることにしてんだけどさ。

世間じゃ単純に、そういう偶数拍のスネアのことを指してバックビートって言ってるだけなのかも知れませんな。でもそれじゃあちょいと(だいぶ)間抜けなんじゃねえかって気がして。

                  

ああ、チャック・ベリーで思い出した。かつての日本じゃあ「50年代のロックンロールが60年代のロックに進化した」てなことを、これまた「通」どもが大威張りで言ってたもんですが、もともと ‘rock’ も ‘roll’ も似たような意味で、景気づけに2つ並べただけってのが実情。‘rock’はその言わば略称に過ぎず、‘roll’ってよりは粋だろうってだけの話だったしりて。

……てなことを言い出すとまたちょいと枝道に入り込んで暫く戻って来られなくなりそうですが、枝道が見えてんのにそれを無視して前に進むのは……苦手なんですね、あたし。とっくに気づいちゃいたけれど。

てことで、今暫くはこの新たな蛇足、ロックとロックンロールについてひとくさり。主旨が何だったのか、またしても曖昧模糊として参りましたが、そりゃいつものこって。もうしかたがねえ。一応は「バックビートだけじゃロックっぽくならない」というのが当面の話題であることは忘れちゃおりませんけれど。

                  

ともあれその「ロック」と「ロックンロール」。これ、日本では結構昔から画然と分れており、40数年前の中高生の時分、マスコミの用語としても、また周囲の友人との雑談においても、たとえば「頭脳警察」はロックで「キャロル」はロックンロール、ってことんなってました(古い……)。でも、ハードロック(英語では ‘hard’ より ‘heavy’ ってほうが普通でしたが)という括りのツェッペリンだのパープルだのの歌やメンバーの発言だのには、しょっちゅう ‘rock 'n' roll’ って文句が出てくるし、あたしが40年前に住んでた英国では、 ‘rock music’ と ‘rock and roll’ は概ね同義でしたぜ。ロングマンやオックスフォードの辞書にも以前はそう明記してあったもんですが、21世紀になってからは徐々に両者を別物として扱うようになってはおります。その他の多くの「ジャンル」と同様、まさか日本の用法が逆輸入されたわけでもないでしょうけれど(可能性がないわけでは……)。

おっと、それどころか、ロングマンの辞書では見出し語の表記まで改められておりまして、これは多数の実際的用例に準拠するという編集方針の表れとも思われるのですが、 ‘rock’ と ‘roll’ の間の ’n’ が、語義からすれば誤記としか思われぬ「‘n’」になってんです〔おんなじじゃん、としか思われぬ場合は、かなり拡大してみればわかるかも……ったって、それほどの話でもありませんけどね〕。つまりその「n」の前後は引用符ってわけですが、これだとまるでその ‘n’ が特殊な単語ででもあるかのような表記。国語だと『ロック「ン」ロール』というような書き方に相当するやり方なんですが、これ、元々は ‘and’ の略記、と言うより、日常的な発音(どちらかと言うと米音より英音に顕著な言い方)をそのまま表したもので、 ‘n’ の前後はいずれも「省略」を意味する「 ’ 」、すなわちアポストロフィであり、「I’m」だの「you’re」だのと一緒。前後ともに発音が省かれ、つまりは ‘a’ も ‘d’ も言わないってわけで、「’n’」とは書かれるてえ寸法。それが、いつの間にか(たぶん間違えて)省略を示すアポストロフィではなく引用符で挟んだ「‘n’」という書き方をする者が多数を占めるに至り(?)、ロングマンも「誤用の慣用化」との判断でそっちを採用することにした……とか? わかんないけど。

                  

ところであたし、上の段落ではそのアポストロフィや引用符を、敢えて通常「全角」と呼ばれる和文文字(……というのが本来の区分かと)で統一したんですが、実はこれだと表示環境によっては相当ガタガタんなっちゃうのは承知の上。今どきは(だいぶ前から)フォントの設計などによって、「全角」の原義どおりそれぞれがマス目1つ分になったり、左右いずれかの二分スペースを取り去った半角(二分幅ってことです)になったりと、表示にかなりの開きが生じ得るため、ほんとは避けるべき表記法ではあるのですが、アポストロフィも引用符も、欧文文字(これも不正確に「半角英数字」ってまとめられちゃってますけど)が使えないもんで、致し方なく。

紙への印字を前提とした欧文専用のフォントや業務用の組上げソフトなら別なのかも知れませんけど、10年ほど前だと、会社のMacでウェブの欧文記事を閲覧致しますと、しばしば一部がやたら難しい漢字に化けてたりしたのを思い出しました。

実はあたし、2006年に印刷会社クビんなって、居職の翻訳仕事を始めるまではWindowsを使ったことがありませず、それ以前は十数年専らMacのみ。それも、職場で業務用DTPソフトを動かすだけってのが実情だったんですが、その前の電算写植機の時代から、印刷出版用デジタルフォントというものについては堅気の衆よりよほど慣れてはおったのです。それが、一般用の、つまり通信端末としてのパソコンだとか、それに応じた文字の扱い、分けても横組みばばっかりの和文表示には辟易しどおし……。まさか自分自身が自宅でそういう文字の入力、編集を余儀なくされるとは思いもよらず……ったって、それを今やってるところなんですけどね。

さてその、欧文記事によく見られた文字化けですが、それは畢竟、「正しい」欧文表記に(日本の)パソコン環境が追随していなかったから、ってことだったのでしょう。それもとんと見かけなくなったのは、もはや世界中で正しい欧文活字の作法なんざ衰退し去った証拠……だったりして。WindowsがMacを席巻するにつれて……かどうかは知らないけれど(マックもいつの間にかウィンドウズの亜流のようになっちゃったし)、印刷や出版ではなく、専ら画面表示の便が優先されるようになった結果が、つまりはこの現状、ってことなんでしょうかしらねえ。

                  

かつては ‘WYSIWYG’、 すなわち ‘What You See Is What You Get’ を誇っていたのが、今ではすっかり主客転倒し 、‘WYGIWYS’ = ‘What You Get Is What You See’ ってな風情。つまり「出力されるとおりに表示」ってよりは、「表示物はそのまま出力も可能」とでもいったところではないかと。印字は必要に応じてやってればいいんであって、多くは画面表示だけで充分、ってほうが普通? 印刷屋が印刷なんかしなくなるわけだ。まあそれがいけねえたあ言わねえまでも、その「便」のために、過去数世紀におよぶ(欧文の場合)活字文化の一角が脆くも崩壊……といった様相ではありませぬか。相変らず大袈裟ですが。

つまりこれ、日本だけの問題ではなく、もはや世界の趨勢なんでしょう。本場の欧米でだって、こういう文字の使い分けを心得ているのは(かつての)印刷出版業界の人間だけ、ってこともハナからわかっちゃおりますしね。ネットやメールの普及につれ、アポストロフィ(いずれの書体でも本来はコンマとまったく同形)だの、前後2種類の文字の組合せから成る引用符だのを、悉く「 ' 」や「 " 」、つまりは「分」や「秒」、または「フット」や「インチ」という単位を表す記号で代用する者が圧倒的多数を占めるのが実状なんですね(前者の「シングル・クウォート」はアポストロフィの形になっちゃてたりして、引用符としては閉じにしか使えなかったりして)。しかしまた、そうとでもしなければ、欧文のウェブ記事やメール文が、世界中の通信端末で難なく見られるという現在の簡便さが一朝にして霧消する、ってなもんで、しょうがないんでしょうねえ、もう。

                  

あ、いろいろ言ってますけど、個々の環境、表示の設定によっては、実際に示される字形と今言ってることが随分食い違ってるかも知れません。まず、上記のとおり、欧文(半角英数字)の「 ' 」は微妙にコンマっぽいやつだったりもして、つまりそれ、アポストロフィとしてだけ使え、ってつもりなんですかね? 本来ならこれ、二重引用符(米式)の筈の「 " 」、すなわち元来は「秒」や「インチ」を意味する2連記号の半分、片方の1つだけを用いた形たるべきもので、それが「分」だの「フット」だの、って筈なんですがねえ。正統の欧文活字においては、傾斜の有無による使い分けさえあったりなんかもして。

とにかく、今じゃあ想像もできない整然たる規則性が守られてたんです、かつては。活字なんてもんは素人がおいそれと使えるもんじゃなかったわけだし。ワープロソフトってのは畢竟、表面的な活字の字形だけは器用に真似しつつも、根本はタイプライターの安直さをこそ継承するものにて、活版印刷の伝統は無残にも踏みにじるが如き代物である……とかね。言うことがいちいち大仰でエラそうだけど。

自分がたまたま印刷業界の末端に、それも主に欧文専門要員として帰属していた時期が結構長かったために、今でもこんなことに空しく拘ってるってわけですが、そんなのはもはや欧米の印刷物でさえ無視されることが珍しくもないのは先刻承知。和文ほどではないにしろ、活字の作法の凋落はこの他にも多数の事例が。しかしさすがに辞書ではそうも行かないということか、ロングマンの「rock ‘n’ roll」という表記(2つの記号のうち前のほうはアポストロフィまたはコンマがひっくり返った形)など、むしろわざわざ旧来の引用符を明示したものとなっており、既述の如く、本来ならば2つとも「省略」を示すアポストロフィ、つまりは引用符の「閉じ」のほうだけで充分、ってよりそっちがよほど正しかったのに……。

てこたあ、今どきのフツーのやり方で打っとけば、怪我の功名よろしく、よほど本来のロックンロールの「ン」、つまり‘and’の尾かしらを取り去った姿を表す 'n' ってことになるってわけじゃねえかい。現行版のロングマンの辞書、何気なく御苦労千万なる本末転倒、ってことんなってるような。まあいいか。

                  

そう言えば、「フォント」って言葉も、パソコンやネットが一般化するまでは欧文印刷関係者しか知らず、実はそれもまた当の欧米でも同様だったんですよね。コンピューター関係の英語は概して米国式の用法、表記が国際標準となっており、一般の英国人は(豪州人その他も)当然これを初めから‘fonts’だと思ってんですが、それは、マックのDTPソフトの普及後、まあ意地悪く言えばトーシロも業務用の活字を扱うような時代になってからのこと。80年代ぐらいまでのイギリスでは、そんな用語自体、印刷業界とは無縁のフツーの人たちは知りもせず、30年ほど前、最初の渡英から10年ぶりに訪英した折にも、ごく遠い親戚に当る現地の英国人に自分の仕事の話をするのにこの語を用いたところ、まったく通じなかったのが思い出されます。

実は‘font’ってのがそもそも米国綴りで、英国その他では‘fount’と書き、なおかつ発音はその見かけを裏切って「ファウント」ではなく「フォント」って読むのが玄人の作法(つまり読み方だけは今どきと同じ)。で、その遠い親戚にはとりあえず「フォント」って言い方したんだけど、そりゃいったい何?って感じで、綴りを唱えて「ファウント」と言い直すと、今度はそれ、‘fountain’の雅語(冗談っぽく気どった言い方)たる「源泉」とかって意味ならわかるんだけど、ってことなのでした。

何よりこのフォントって言葉、語義も変っちゃってて、今じゃあ「書体」ってのとまったく同義になってますけど、ほんとは書体、大きさの同じ活字の一揃いが1つのフォントで、大きさが違えば同じ書体でも別フォントってことだったんですが、それもこれも既に「今は昔」って感じ。字の大きさなんて今や好き勝手に変えられますし。

儂も歳を取ったものよのう、ってところですな。

                  

おっと、本旨からは逸脱した「ロック対ロックンロール」てえ話から、またしてもさらなる逸脱に耽ってしまいました。欧文活字にまつわる昔語りなどはこの辺に致しまして(遅い!)、漸く次回、一段階だけ話を戻し、その「ロック(ンロール)談義」の残りをやっつける所存。

いつまでもダラダラとほんとに申しわけございません。果してこの話ちゃんと終るのかな、って気もしつつ。

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