50年代的な古典ロック、日本では当初から「ロックンロール」という、「ロック」とは別種の音楽として括られていたものを聴くと、なるほど、バックビート云々の名に恥じず(?)、スウィングだのモダンだのという時代のジャズにも通ずる、offbeat=弱(偶数)拍に強勢(accent)の置かれたノリが感ぜられは致します。それでも、ジャズのスウィング感に比べれば、基本的なドラムの使い方の違いによるものか、あるいは拍どうしの時間的対比の粗密によるものか、相対的にonbeat=強(奇数)拍にもかなりの強勢が付されている……ような雰囲気ではありますけれど、60年代以降の「ンロール」が付かない「ロック」(それが以前は日本特有の区分であったことは既述の如し)ともなると、それはもう「かなり」を通り越して、とにかく1拍目からドンと行かなきゃ、とてもハードだのヘビーだのにはならない……てな寝言を並べてたんでした。
寝言とは言い条、だってあぁた、2拍4拍だけでノっちゃいらんないでしょ、ヘビメタだのパンクだのは。首や脳味噌には悪いっていう headbanging’ にしろ ‘moshing’ にしろ、ああいうノリってのは、どうしたってバックビートなんていう長閑なもんじゃ間に合わねえでしょうがよ……ってことなんです。
ああ、「他の臨床例」などとも言っとりましたな。忘れるところだった。 ‘Whole Lotta Love’ も随分古いけど、そのさらに2年あまり前のJimi Hendrix Experience、 ‘Purple Haze’ ってのを思い出しちゃったので、それについてまたひとくさり。
この曲、最初はまずギターとベースだけで2小節ばかり、なかなか凝ったハモリでそれぞれオクターブの両端を上下……ったって下が先だから「下上」って感じではあるけれど、とにかく1拍ずつ、特段強弱の差を感じさせることなく行ったり来たりするという、かなり洒落た出だし(やっぱりこれじゃ要領を得ませんが、リンク音源を聴いて頂ければと)。キックとスネアの関係と同様、高いほうが否応なく強勢だってんならそれまでだけど、高いから強いわけじゃない、ってことはたびたび申しておりますとおり(実際は低いほうの振幅がだいぶ大きかったりして)。
ええと、その「凝ったハモリ」ってのは、ベースがトニックノート(主音、てえか音階上の1度、てえか調性にとっての基礎音……って、言えば言うほどわけが知れねえような……)を弾くのに対し、ギターは減5度、つまりドミナントノート(属音)を半音下げたやつで、結果的にパワーコード(ルートと5度だけで、ほんとは和音じゃない)の上のほうが半音低い音程っていう、随分とお洒落な(?)手口(やっぱりわけがわかんなくて恐縮)。これ、ノリだビートだって前にまず、何気なくそういうハモリ技(不協音程だけど)からいきなり始まるってだけでも、その10年足らず前のロック(ンロール)の素朴さ(幼さ?)とは雲泥の差と申せましょう。その隔たりはその後の50年を遥かに凌ぐものではないか、などと思ったりもして(これは結構本気)。
ともあれ、その出だしの2小節、つまり1拍×8、都合4分8つを高低それぞれ4つずつ繰り返した後、いよいよギターがあの特徴的なフレーズを始めるってわけですが、ベースは引き続きトニック(ノート)が1拍ずつオクターブ間を上下し、ドラムはやはり1拍=4分ずつ「均等に」スネアを打ち鳴らすという、やっぱりバックビートとは懸け離れたノリ(結局わけがわかりませんな。やっぱり音を聴かないことには……)。
キックなどは、1拍め(downbeat)に1発踏み込むと、あとは3拍めと4拍めの各裏拍(afterbeat)に1回ずつという、これもちょいと洒落たアレンジ。キックとスネアが同時に鳴らされるのは、「弱」勢たるがロックの作法とされる1拍めのみで、物理的にはそこの音が最も強いというのが実情。「強勢の置かれた弱拍」たるバックビートの筈の2拍めと4拍め(の表拍= forebeat)は、3拍め(の同じく表)ともどもスネアだけですので、到底1拍めより「強い」とは言い張れまい、としか思われませず……と言ったところで、毎度文章で説明しようってのが無謀だとは承知しつつ。そりゃまあしょうがねえ。
それでも怯まずにもうちょっと語りますと、その後暫くして歌のバッキングの型に入り、そこで漸くドラムはとりあえず(日本で言う)エイトビート的なノリとはなり、ベースも4分から8分へと2倍(半分?)の刻みに転ずるてえ寸法。それにより、スネアの位置でベースがオクターブ上がるっていう形に落ち着き、それならまあバックビートっぽいか、と思われなくもない、ってなところではありましょうか。
でもギターは、1拍めがルート(根音、てえかコードの基礎音……遅れ馳せながらこれも一応言っとくことにしました)で、2拍め以降はその上物(コードの上層部分ってつもり)を適宜「散らす」が如き弾き方で、スネアに合せて「強勢弱拍」でだけコードを鳴らすなんてこたしちゃおりません。やっぱり「ンロール」が付された種類の音楽とは随分、ってよりまったく異質?
ついでに申さば、その「うわもの」も、コード=和音の要件を満たすほどの音数は鳴らさないのがジミヘン流。そこはツェッペリン(てえかジミペー)その他も同断です。1発めのやつなんざ、世間では昔から勝手にジミヘンコード(the Hendrix chord)などと称し、ジミヘンがこれを発明したなどと解説してくれてる物知りもウェブ上には少なからざるところながら、もちろんずっと昔から利用されていた和音または音程です。
この曲のキーだと(リンク音源はジミヘンの看板とも言える半音下げチューニングを始める前の録音)「E7#9」などと書かれるコードがそれなんですが(この「#」、嬰記号としては形が不正確なような……)、都合5つの音から成るそのコード、本来は ‘dominant 7th chord’ (属七の和音)に、9度を半音上げた音(10度の半音下、ってことは短3度のオクターブ上)を重ねた、言うなれば長(メイジャー)と短(マイナー)が同居したような不協和音(これじゃやっぱり意味不明か)。そんで、それからとりあえず5度(B)を省いたものが、どうもジミヘンの「発明」したコード、ってことらしいんですね。
でも、ちょいと聴きゃあわかるけど、ジミヘン自身が実際に多用してたのは、それからさらに3度も抜いたまったくの「コード未満」ですぜ。ルートの他は、短7度と増9度(つまり上述した短3度のオクターブ上)だけってのがジミヘンの常套句。いや、ジミヘンだけじゃないけどね、それ弾いてんの。でも結局それ、マイナーセブンス(□m7)の5度抜き(の転回形)ってことになっちゃいますねえ。
いずれにしろ、ジミヘンその他、60年代以降のロックギタリストに活用されてきたその不完全なコード(ってより音程の組合せ)って、本来は長とも短ともつかないような、言わばパワーコードに類するものであり、そのパワーコードの5度も飛ばして、上記の如く、その上の短7と増9をルートの上に載っけただけ、ってのがほんとのところではないかと。ギターでは、ジミヘンがそうだったけど、6弦のルートからは2オクターブ辺り上に2音添えるのが基本形って感じ。その2つの上下関係を入れ換えたり、あるいは(キーに応じて?)ルートとの音程を1オクターブほどに近づけたりとか、何せほんとはコードじゃない単なる音程の組合せだから、弾き方、使い方は結構テキトー。
ああ、でも世間で言うジミヘンコードって、6弦のルートを使わない、5弦から2弦までの4音から成る形のことなんですよね、どうも。まるでジミヘンがいつもそればっかり弾いてたかのような。当人もさぞや草葉の陰で……などとつまらぬ皮肉のひとつも言いたくなろうではありませんか。
さてその、ルートが6弦じゃない、つまり全体が高めで音程が近接した「コードもどき」ですが、ジミヘンが「発明」したとされる前年の66年、 ‘Revolver’ でビートルズ、てえかジョージ・ハリスンが使ってんですよね。1曲めの ‘Taxman’ がそれで〔手頃なオリジナル版の音源が見つからず、ここはリンクなしってことで〕、ルートが高めなのは、キーがDで、通常の調律だとギターでは低い音が出せないから……でしょうか。ま、ベース(つまりポール)もいるから困るわけじゃないけど、単純に ‘Purple Haze’ よりは一挙に1オクターブ近く全体が高くはなっちゃうという仕儀。
……と思ったんだけど、(だいぶ後から)久しぶりに CD をちゃんと聴いてみたところ、そこの不完全コード、ルートが高めどころか、それ自体をも省いちゃったやつで、下から順に F#、 C、 F の3音だけの模様。その前後、2拍、4拍に繰り返される「通常」の(トニック)コードたる D7 も、やはり5度は欠いた F#、 C、 D ……ですな、どうやら。2弦と3弦で D と C だなんて、接近し過ぎでつい避けたくなるような音程。さすが、とでも言っときましょうかしら。
あ、でもそれ、アコギの弾き語りなんかでは頻用される、開放を含むローポジションの C7 でも同様ですね。あれも5度の G を欠いたフォームなんでした。親指で6弦の G を押さえるという手もあるけれど、普通はわざわざそんなことはしないような。
ともあれこの‘Taxman’、それこそバックビートでギターのコードが鳴らされるんですけど、やはりキックやベースが1拍めから容赦なく、古式ロックンロールとはまったくノリが違います。それよりそのギターの「コード」、やはり厳密には不完全な和音であり、主和音の役どころたる D7(の5度抜き)の繰返しの合間、3小節めとか7小節めとかの頭に、件の「5度抜き」ジミヘンコードが挿入されるという寸法。後半には、5度(A)を頂部に置いたものも出てきますが。
既述のとおり、ジミヘン自身のみならず、新時代の「ハード系」ギタリストの多くは、3度も除いたさらなる簡略形を多用してたんですが、そりゃもうハナからコード=和音として弾いてんじゃなくて、言うなればリフやソロの一部ってつもりだったんじゃないかと。ビートルズ、またはハリスンには、そういう臭みとでもいうようなところは稀薄な感じはしますけれど。
いずれにしろ、ジミヘンその他が実際によく弾いていたのは、5度が欠け、都合4音だけから成る「簡易版ジミヘンコード」よりさらに音数の少ない、「長短」を決すべき3度も取り去ったもの……かと思いきや、上にのっかってんのが9度、つまり2度のオクターブ上を半音上げたやつなので、何のこたあねえ、短3度の一回り上ってことで、充分にマイナー臭が漂うような……って、これ、さっきも言ってたことなんですけど、毎度何のことやらとんとわからず、まことに申しわけございませず。まあ文章で音を説明するってのがそもそも……って、これまた毎度お馴染みの言いわけ、恐縮の限りとは存じますが、しょうがねえんですよ、もう。
めげずに続けると致しましょう。簡略形ではない、5音揃った完全版の「□7#9」っていうコード(「セブンス・シャープ・ナインス」って読むんでしょう)、つまり「観念上の」ジミヘンコードは、いつの間にか(20世紀末から?) ‘the Gretty chord’ とも呼ばれているようで、それはどうも、90年代以降、複数のインタビューでポール・マッカートニーが語ったところによる、ってことらしいんですね。
少年期の50年代、ジョージと一緒にリバプールの楽器屋店員、Jim Grettyという人に教えて貰ったコードの1つがこれだったとのことで、2004年のインタビューだという雑誌の記事によれば(ポールとアコギの関係が主眼なので、肝心のコードへの言及はごく一部)、Gretty氏が2人にそのお洒落なコードを弾いて見せ、「えっ、何、今の?」って訊いたところ、基本は普通のFだけど、1弦と2弦の4フレットを小指で押さえるんだよ、との答え。もちろん、ポール自身が「グレッティコード」と名付けたなどとは語っておりません。
50年代の当時はモダンジャズが最先端の「大人の」音楽で、リバプールのその楽器店でも店員はジャズに精通していなくちゃならなかったんだとか。で、このGretty氏は、2人が「あれ」って呼んでいた「ジャズコード」をいろいろ弾いて見せてくれたんだけど、暫くの間は件のF7#9が2人の知る唯一のジャズコードだった由。その後Gretty氏からは他のコードもおいおい学んだ、ってことです。
一方、この10年後、2014年のインタビュー記事(こちらはコード使いに特化した内容)では、同じ経緯を語りつつも、2人がこのコードを「ヘンなF」って呼んでたって言ってまして、いずれにしろ「ジミヘンが発明した」なんてことはあり得ませず。
ああ、ジミヘンコードってのはやっぱりこの「□7#9」から5度を取ったやつのことなんでしょうかね。それならそれで ‘Taxman’ は ‘Purple Haze’ の前年だし……ってなことを思ってると、ジミヘンがビートルズをパクッたんじゃないか、などとトンチンカンなこと言い出すやつも(世界中に)いやがって、もうウンザリ。……などと油断しておりますと、ジミヘンはその数年前、アイズリー・ブラザーズの助っ人時分にもうそれ弾いてるから、パクッたのはビートルズのほう、って言い張る輩もおり、ほんともういいかげんにしろよな、って感じ。
敢えて申すもおこがましきことながら、自国の米国でさえまったく無名だったアイズリー時代のジミヘン、英国のビートルズが注目していたなんてこたあり得んでしょ、ってより、そういう話を得々と語ってるあんたら、その話いつ知ったってんだよ。どうせジミヘンどころか、ジョージ・ハリスンさえもあの世へ引っ越した後だろうが。
そもそも、その10年も前に、「ジャズコード」(というのは多分に偏見?)としてポールがジム・グレッティからそれ仕入れてるんだから、50年代のその時点で既に確立されたコードであったは灼然。誰が発明しただのパクッただのってのがいかに馬鹿げた議論かってことは、その他無数のコードについてとまったく同様。そういう人たちって、単純に自分がそのコードのことを知らず、ジミヘン(またはビートルズ)以前にはそれが存在しなかった。などと愚かにも勝手に思い込んじゃったってだけでしょう。ちょっとは確かめてみようたあ思わねえもんかな。
まあいいや。とりあえず、昨今はポールのインタビューに由来する「グレッティコード」が「ジミヘンコード」の別名となっているようではあり、するってえと、やはり後者も依然として5度を含む完全形の「□7#9」を指すのが基本、ってことなんでしょうかしら。ポールがそのGrettyって人の思い出に絡めて語っていたのは、4音だけから成る実質的ジミヘンコードではなく、飽くまで5音揃ったやつのことなのは明らかなんですがねえ。
と申しますのは、ポールがこの「ヘンなF」に言及する場合、その実用例として挙げるのが、 ‘Purple Haze’ の前々年、1年あまり前の65年暮に発表された ‘Rubber Soul’ 収録の ‘Michelle’ であり、前年の ‘Taxman’ ではないんですよね。5度抜きの、「姿ではない声のブッポウソウ」とでもいった風情の「実のジミヘンコード」(ジミヘン自身はそれからさらに長3度も除いたコード未満を多用していることは既述の如し)は、ポールの言う「ヘンなF」とは飽くまで別枠、ってつもりかと。
いや、問題はそれよりその ‘Michelle’ の実際のコード。何せ本人がたびたび語ってるもんだから、この曲のバース、歌が始まって2つめのコードが、つまりは件の ‘the Gretty chord’、 完全版の「□7#9」だってことになってまして、それをそのまま、しかも図解入りで掲げてるサイトなども少なからず(リンクした例では、前記2004年のインタビューを流用してますね)。実はあたし、これについてSNSに書き込んだとき(今書いてるやつの「原文」のような……)、そうした記事をうっかり鵜呑みにしちまいやして、「へえ、そうだったのか」ってんでそのまま伝えちゃったんですよね。でも結構すぐに、「あそこのコードってそんな込み入ったやつだったっけ?」という疑念が湧き、改めて聴き直したら、全然。どう足掻いても5音から成る「完全版」ジミヘンコードとはほど遠い代物でしたぜ。こは如何に?
ポールの言う「ジャズコード」であれば、これ、歌の出だしのキー(いきなり同主調に転調)であるF=ヘ長調にとっての下属和音(subdominant)の属七版(って言い方もあんまりだけど)、つまりB♭7に、件の増9度、つまり#9たるC#=嬰ハ(D♭=変ニ)をのっけた、B♭7#9……ってことになる筈なんだけど(相変らず文字では何のことやら……)、生ギターやコーラスから感ぜられるそこの和音、どう足掻いたって素直なB♭m7としか思われませず。ポールがこれを「ヘンなF」の例として語ったのは、実音ではなく、5カポによる疑似的C=ハ長調のフォームってことではありましょうけれど、それはとりあえず無関係。
この「ミッシェル問題」、というより、世間(世界)ではむしろ「グレッティコード問題」として、要らざる論議を惹起するに至ったポールの発言、最初に流布したのは、どうやら先述の記事よりだいぶ前、90年代初めから中ほどにかけてのインタビュー取材を基に書かれたという、97年出版のポールの伝記、Barry Miles著 ‘Many Years from Now’ の記述によるものらしいんですね。検索したら、そのポールの発言を再録した別の本、2003年初版のDominic Pedler著 ‘The Songwriting Secrets of the Beatles’ ってのがあり、その電子版の「見本」部分で、ポールの台詞が閲覧可能だってことが判明。著者はかなりの「理論派」と見え、どうもジャズ的な和声学の見地からいろいろ詳細な分析を為している模様。それはそれで全部読んでみたくもなりそうではありますが、とりあえず(只で見られる)その引用部分、ポールの発言を読む限り、その ‘Michelle’ でしっかりこのグレッティコードを使ってることになってんですよね。著者は、意図せぬ説明不足、と見なしているようですが。
ポールが挙げている使用例はもう1つありまして、2枚目のアルバム ‘With the Beatles’ 所収のカバー曲 ‘Till There Was You’ におけるジョージのソロの末尾、ってことなんですけど、そこのコードもやっぱり件のグレッティコード、「□7#9」じゃないんですね。この曲、ビートルズ以降はそのカバー版のほうが有名になってるのは他の多くの事例と共通なんですが、ちょいと違うのは、古めのR&Rだとか同時代のソウル、R&Bとかじゃなくて、ミュージカル ‘The Music Man’ の劇中歌だったってこと。ロックだのポップだのに比べれば、クラシックにも準ずる「大人の音楽」という括り。ビートルズ本人にとってはお笑い草って気もするけれど、この曲をやったことで、それまでは単なる騒音として見下していた一部の頑迷なロック差別主義者、ビートルズ排斥論者も、多少態度を軟化させたんだとか何とか。今となってはそれこそ笑っちゃうような話ですけれど。
この曲って、作詞家のオスカー・ハマースタイン2世とつるんで数々の名作ミュージカルを生み出した巨匠、リチャード・ロジャーズの作曲によるものなんですが、例に漏れずビートルズは独自のアレンジを施しており、やはり原曲(映画版)とは随分と風情を異にしてはおります。そりゃまあ、ロックバンドがやってんだからおんなじなわきゃありませんわな。
問題は件のコードでして、やはりこれも‘Michelle’と同様、ポールの言葉足らずに起因するあらずもがなの謎だった、ってことで。キーはF(ヘ長調)だけど、一瞬使われるコードは「ヘンなF」たるF7#9ではなく半音高いF#7#9(この表記は不正確で、最初の「#」はその前の「F」に、2番めの「#」はその後の「9」に付随するんだけど、正しくは、「7#9」を小さく、かつ上付きにしないと、って感じ)、しかもそれ、ソロの最後ではなく、歌(サビ)に戻る3つ手前のコードに相当。小節の後半、2拍分だけチラッと鳴らされるってのがほんと……のようです。ジョンの金属弦より、ジョージのナイロン弦のほうが鮮明ですね。ソロの一部、という感じで。
流れとしては、「Ⅲの和音」であるAm(7)(C=ハ長調にとってのEm)から半音階的に2つ下降してきたGmでちょいと止り、そこから主和音たるFに戻る繋ぎの役、とでも申しましょうか。その半音下降の流れから、そこのコードのルートも手前のGと次のFの間、っていう了見なんじゃないかしらと。またぞろ文字や言葉じゃ意味わかんないのは重々承知。
しかし一方の‘Michelle’については依然不可解のまま。「説明不足」ったって、こっちにはそのコード自体が全然出てこないじゃん……と思ってたら、先ほど挙げた2004年のインタビュー記事の当該部分でちょいと謎が解けました。 ‘Till There Was You’ についての言及は見られぬものの、アコギに特化したその記事で最初に‘Michelle’という曲名に触れるのはインタビュアーのほうでして、初めから件の「□7#9」コードがそれに使われているのを前提とした言いよう。ポールはそれに応えて、リバプール時代のGretty氏からジャズっぽいコードを学んだことを話す、って流れなんですが、「そうしたコードの知識がどう ‘Michelle’ の作曲に繋がったんですか」という質問に対する「思い出話」が、言わば真相だったという感じなんですね。
それによると、若い頃はパーティーにギターを持ってっては、女の子に受けようと、謎めかして隅に腰掛けてた、ってんですよね。一度などは、黒襟のシャツを着込んでフランス人になりすまし、小指を使った謎っぽいインスト曲を弾いたりして、それがどうも‘Michelle’の原曲だった模様。で、その2番めのコードが、高いほうの2本弦の4フレットを小指で押さえたグレッティのFコードだった、という次第。
その時点では、飽くまでその「ジャズコード」をそこに当てていたってことでしょう。それが、何年も経ってからジョンに「昔やってたあのフランスっぽいやつ憶えてる? あれに歌詞付けようか」と提案され、やがて‘Michelle’に結実、ってことなんですけど、‘Rubber Soul’所収の版では、そこの「ジャズコード」が差し替えられた、という顛末なのではないかしらと。
しかしそれも、完全形のグレッティコードの長3度だけ除けば、そのまま実際に聴こえるB♭m7というコードにはなるわけです。ついでに5度も除くと、再三申しますとおり、実際にジミヘンその他が多用していたコード、と言うより音程にはなるという寸法。まあ ‘Michelle’ に関しては、そういう経緯でああいう結果になった、ということでもないとは思われますが。
とにかく、「ジミヘンが発明した」とか「ビートルズからパクッた」とか「やっぱりビートルズのほうがパクッた」なんてことを本気で言ってる半可通どもは、こんな和音、あるいは音程が珍しくもない現代音楽の類いは聴きもしねえんだろうし(俺もあんまり聴かねえけど)、ジャズだのファンクだのはおろか、西洋じゃあ、近現代以前どころか何百年も前から使われてきた手なんですぜ、これ……ってことも夢想だにせんのでしょう。まあ、昔……に限らず、今だって「軽」くない部類の音楽では、コードなどという安直な、おっと便利な符丁は使われないし、音楽的「文脈」だって違いましょうから、音程の重なり具合だの、いずれの音程を取捨するかだのってところからも、「安直な」コード名で示されるものとは根本が別、ってことにはなりましょうか。それだってスコアでも見りゃわかんじゃねえの? 見たことないけど。でも「聴きゃあわかるじゃねえか」とは思わざる能わず、みたいな。
実はあたしが最初にこのコード、と言うか音程のカッコよさを知ったのは、 ‘Purple Haze’ と同年のヒット、女性「カントリー」歌手のボビー・ジェントリーによる ‘Mississippi Delta’、「想い出のミシシッピー」を聴いたときだったのでした。5度は省いてるところが(鳴らさなくてもその「了見」は知れますし)、俗に言うジミヘンコード(の基本形)と共通で、3度は顕在のため、長短が呉越同舟(長3度と増9度)てえファンキーなコード、とでも言いたくなるような絶妙の響き、ってところだったような」。
リズムは、同じくこのコードが活躍する ‘Taxman’ に似たノリなんですが、キーは ‘Purple Haze’ と同じため(ジミヘンが半音下げやり出す前)、ルートは6弦の開放、それを軽くミュートしつつ8分で刻み、コードの上物は各小節2拍めだけ。4拍めは8分2つの単音フレーズで、小節ごとにそれの上昇と下降を交互に繰り返す、っていうカッコよさ(やっぱり言葉じゃわけが知れませんけど)。
しかも、ギターだけで始まるイントロ1小節めは、2拍めのコードの末尾に16分でミュートのルート(図らずも駄洒落的?)が実にお洒落に挿入され、いきなりハネた感じがいやが上にもワクワクさせる出だし……と、とりあえず書いてはみましたが、相変らず言葉による描写なんて意味ありませんな。やっぱり音は聴かなきゃわかりゃしねえ。ちょいと悲しい(だからウェブにあった音源をリンクしたんでした)。
それはさておき、アメリカではこの曲、当初B面だった気怠いブルース風の歌のほうが流行っちゃって、やがて裏表が逆転したとかいう話なんですが、それはどうも、レコード会社が時間調整のために歌詞を大幅に端折った結果、歌の内容に謎を生じて聴く者の関心が高まったから、ってことらしい。あたしゃどのみち、ロックでソウルな「ミシシッピ」のほうがずっと好きですけどね。ドラムが入って来るところなんざ、今聴いてもシビれちゃう(と、敢えて昭和40年代風に)。
でもこれ、自分が聴いたのは5年ほど後の中2の頃でして、件のコードも、ちょうどその頃聴いていたディープ・パープルの ‘Strange Kind of Woman’のイントロの最後、歌の手前に鳴らされるやつと、ひょっとしておんなじか?と思ったりしたのでした。
……というような話を実に長々と書き連ねちゃいましたけど、それもとりあえず本来の主旨とは関係ないのでした。ジミヘンコードが何であれ、眼目は飽くまでリズム、ビートだったんだ。またも次に続くってことでひとつ。
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