ビートルズデビュー当時のイギリスでは、ほんのちょこっとだけアメリカでも売れた(曲もある)というクリフ・リチャード(本名 Harry Webb)が数年来の国民的ロックスター。この人、生れはジョン・レノンより数日遅れで、十代の時分から英国内随一のポップアイドルなのでした。
50年代、イギリスの若者の間で流行したスキッフル(skiffle)という、元来は相当に古いアメリカ生れの音楽がこの人の原点。「寄せ集め」と「何でもあり」を理念とし(?)、洗濯板に代表される日用品や手製の楽器で、金も技量もないズブの素人でもバンドに参加できる、というところが大流行の要因だったのでしょう。しかし、やがてその「なんちゃってバンド」ブームから、さまざまなジャンルにおける後の有名ミュージシャンが輩出されることになり、ビートルズもその一例なのでした。16歳で自らそうした素人スキッフルバンドの親玉となったジョン・レノンなどは、翌年年下のポールに触発されて始めるまでギターは弾けず、実母に手ほどきを受けたというバンジョーを弾いてたんですよね。
件のクリフ・リチャードもまた同時期のスキッフルバンド出身なのですが、58(昭和33)年にはいち早く(英国初の?)ロック歌手としてデビューし、早速アイドルに。見た目はまだ子供だったというジョージ・ハリスンが、一番よくコードを知っていたからという理由でジョンのバンドに交ぜて貰ったのがその頃で、比較の例として挙げておりました ‘Johnny B. Goode’、‘Dizzy Miss Lizzy’、‘Summertime Blues’ だのはその年のヒットでした。ビートルズの3人がこのクリフと異なるのは、全員が楽器(ギター)に取りつかれたってところでしょう。作曲、編曲の能力が培われたのも、それによるところが大きいのではないかと。
因みに、ジョンに限らず、ビートルズはこのクリフ君が嫌い。英国版エルビスなどともてはやされてたけど、ロックンローラーには到底あるまじき、いかにもお上品なお坊ちゃんぶりがとにかく鼻についた、ってことらしい。敬虔なクリスチャンってところもお笑い草だったようで。それより、自分たちがデビューした頃などは、宛も時流におもねるが如く、ロックとは名ばかりの軟弱極まる歌ばかりやってやがる、ってところが腹に据え兼ねたのかも。まあ毎度お馴染みの口の悪さ、どこまで本気で言ってたのかはわかりませんけれど。
バックバンドのシャドウズ(the Shadows)、と言うよりギタリストのハンク・マービンは、ギター小僧だったビートルズの3人にとっては英雄的な存在だった、とも言うのですが、音の烈しさではデビュー前のビートルズのほうが遥かに時代を先取りしていたような。軒並みレコード会社のオーディションに落ちたのも、「もう荒っぽいギターバンドは流行らない」との判断によるところが大きかった、という話も充分頷けます。
それを掬い上げたのが、やはり時流に乗り遅れて若年層に受ける歌手の獲得に四苦八苦していたとかいう、EMIの末端レーベル、パーロフォン(Parlophone)のA&R(artists and repertoire)担当社員(日本じゃディレクター?)だったジョージ・マーティン(いずれもとっくに身売りしちゃって、イギリスのレコード会社じゃなくなっちゃってますが)。当人はその種の「子供の音楽」には関心がなかったのだけれど、弱小レコード会社の要員としては何としても1人ぐらいは確保したいもの、と思っていところへ、同じく、と言うよりはむしろ逆に、いくら売り込んでも却下され続けていた押しかけマネージャー、ブライアン・エプスタインが人づてに持ち込んだデモが、ロックンロールバンドのビートルズだった、ってことになるようで。
オリジナル曲に興味を抱いた、ってところが、さすがは後の名ロック・プロデューサーたるマーティン氏って感じですが、実はこの人、レコードの制作者は飽くまで裏方たるレコード会社の従業員、というそれまでの形態を打破し、独立のプロデューサーという商売を成立させた最初の成功例らしい。単純に、ビートルズが世界中で売れ、自分の会社もその親会社もウハウハ状態だったのに、自分自身は飽くまで単なるサラリーマン待遇のまま、いつまでも所定の賃金しか支払われない、ってところに憤慨、絶望した故の独立だったとのことで、当初は誰もがその危険性を唱えて思いとどまらせようとしたんだとも。
実は本人も博打であるは承知の上で、とにかく破れかぶれでやってみたら、案ずるより生むが何とやら、それまでの雇用主だった会社とは対等(以上?)の関係で制作業を請け負うことになり、当然収入は激増、名望も上昇。やがてそういうのこそが「プロデューサー」の第一義に変ずるという次第かと。
この人が後に開設した「エアスタジオ」では数々の名作が生み出されることになるのですが、30年ほど前、ハリケーンの壊滅的被害により閉鎖されたとのこと。 ‘AIR’ は ‘Associated Independent Recording’ の略で、「共同独立録音」みたような感じ。独立に当って仲間と設立した企業の名称だったんですね。
どうもまた肝心の音楽の話からは逸れちゃってますが、行きがかりってことで今少し。
ビートルズのデビュー時、アメリカでは、やはりレノンと同年齢、クリフよりさらに2ヶ月あまり若いフィル・スペクター(実は同年春の国勢調査に記載があるとも言われ、前年の生れという説も)が、既に早熟の名プロデューサーとして名を成していたんですが、この人もハナは十代ポップアイドルグループの首領格なんでした。The Teddy Bearsという女性ボーカルが主役の3人組で、 ‘To Know Him Is to Love Him’ がデビューヒット。R&R、ロックンロールってよりは、初めからR&B系の雰囲気だったんですね。因みに、リンク映像中、リーゼントってより「角刈り」っぽいのがスペクター少年。
実は個人のレコードプロデューサーとしての成功は、前述のジョージ・マーティンに2年ほど先んじており、22(23?)歳だった63年には自前のレコード会社を設け、経営者兼制作者としてヒット曲を量産。トランジスタラジオで絶妙の効果を発揮したという ‘the wall of sound’、「音の壁」という多重録音手法の名手として、その後長らく称揚されるに至るのですが、あたしゃあんまりその音好きじゃない。なんか大味ってえか、ビートルズの歯切れ良さ(素っ気なさ?)とは対極のような。
ともあれ、早々に演者からは引退し、制作者として成功を収めるに至った音楽分野も、やはりロックというよりは甘い女声R&Bの路線で、プロデュースした人気3人組、ロネッツ(the Ronettes)のリードシンガー、ロニーは一時配偶者だったりもしました。後に彼女に対する虐待が暴露されたり、さらに後年には殺人を犯したりと、何かと陰惨な側面もある人物ではあります。
それより、ことによるとこの人、デビュー前夜のビートルズのハードさを一時的にせよ「時代遅れ」ならしめた、軟らかく厚い音の流行(なのか?)における主犯格だった……ってこともなかろうけれど、後のビートルズ(マーティンと組み続けたポール以外)、分けてもジョンとの交誼(や確執)を思うと、ちょいと皮肉さえ感じられたりして。まあ、本人自身がいつまでもおんなじことやってたわけじゃないからこそ、30年にわたる大物プロデューサーたり得たのではありましょうが。
ひょっとするとビートルズ自身は、クリフ・リチャードに対しての冷笑的感情とは異なり、若い頃のこの人の音楽は好意的に評価していたのかも知れません。そもそも、自分たちのビートが時流とは真っ向から対立するほど強烈なものだなんて認識は全然なかったのかも。わかんないけど。
話がズレどおしでした。ビートルズ、あるいは60年代的なビート、いわゆる「ロック」、つまり「ンロール」の付かないやつが確立する前のイギリスは、いったいどんな具合だったのかってことだったんだ。クリフ・リチャードの名前出したのもそのためだった筈が、またしても脇道に踏み込んでばかり。
さて、 ‘rock 'n' roll’ の略語として当初から定着していた ‘rock’ ではなく、より後の用法における ‘rock’、 つまり「ンロール」から切り離された新時代のロックを、古式ロックたる ‘rock 'n' roll’ から画するのは、ロックの条件として未だに金科玉条の如く奉じられているバックビート、すなわち「強勢弱拍」などではなく「4拍全強」、つまり強拍も弱拍も等しく強烈(しかも拍の長さは均等?)というところにあるのではないか、という管見を長々と書き連ねて参ったわけですが、どのみちやたら長いのは、いつに変らぬ止めどもなき逸脱の為せる業とは重々承知。恐縮の極みに存じ奉ります(ウソばっかり)。
とにかく、何せ本国ではデビュー後わずか半年足らずで国中の若者を熱狂させたビートルズ(マスコミは当面無視)が、エプスタイン氏の精力的な売込みも奏功せず、現地では当初まったく黙殺されたってぐらいで、ロック、ポップの卸元たるアメリカ帝国から見れば、英国なんてのは世界中の有象無象と何ら変らぬ一方的な輸出先。そこは日本とさして変らなかったわけで、まあ英語で歌うのには不自由しない(でもわざとらしい北米訛りが作法?)ってところだけは有利か、って程度。いずれにしたって、米国にとっての隣国(属国?)たるカナダの出身者には遠く及ばず。どう足掻いたって物真似の粋を出ないという扱いではあったのでしょう。
その、なんちゃってアメリカ弁によるなんちゃってロックンロール界のローカルスターが、要するにクリフ・リチャードだったということに……なるんですかね? 自分が生れた頃の、それも遠い外国の話なもんで、ほんとはちゃんとわかってるわけでもないんですが、どうもそういう雰囲気ではありそうです。
ひとまずビートルズ以前のヒット曲(英国限定)をいくつかYouTubeで聴いてみたら、これもやはりと言うべきか、なんせ英国版プレスリーって言われてたぐらいで(さしずめ本朝における佐々木功、おっと、ささきいさお?)、模範的な(凡庸な?)50年代ロックンロールではあり、いわゆるバックビートぶりは歴然。偶数拍が強いってより奇数拍が弱いんです。もちろんドラムの音がどうこうってだけの話じゃなくて、たぶん全体の「ノリ」ってやつが。
曲自体はつまんないので(失礼な! でもそこはビートルズと同意見?)、いちいち例示する煩は敢えて忌避……と思ったけど、17歳当時のデビューヒット、 ‘Move It’ だけリンクしときます。アメリカ国外における正統のロックンロールとしては最初期の例、ってことんなってるようで(英国チャートでも最高2位の由)。バックのシャドウズはまだthe Driftersというバンド名だったとのこと。映像の冒頭部では前述のスキッフルバンドの様子も見られます。
でもこれ、単純なバックビートがダサいから云々ってんじゃ、あたしの主張も筋が通りませんな。ビートルズはむしろそうした典型的な50年代ロックをこそ範としていた筈だし、ジョンだって、クリフ以前のイギリスには聴くに値する音楽はなかった、って言ってたそうな。やっぱり何かと出来過ぎっぽいクリフの佇まい自体が気に食わなかったってだけだったりして。まあ音楽的には、随分と優等生的な、言わばお洒落で軽いクリフのノリが、そういう流行りからは(知らぬうちに)外れていた自分たちのビートに対する「不当」な軽視を招来したかのようで、それがどうしても癪に障った……とか。やっぱりわかんないけど。
とにかく、ビートルズの成功は、ごくポップなメロディーに、トーシロの若造ならではの斬新(強引)な和声、何より「時代遅れ」とさえ見做された強烈なビートという、いわばミスマッチの妙によるもので、世間の大人たちはその激しさという部分だけを嫌悪したのかも知れないのですが、今どきの、と言うよりそのわずか数年後のジミヘンその他の音に比べれば、まあかわいいようなもんではあります。それでも、ごく狭いライブハウスでさえ意地になってるのかってほど何でもかんでもPAを通しちゃう今どきの風潮からは想像だにし得ぬほど、とにかく「生音」はデカかったんですよね。
因みに、ビートルズ騒ぎがアメリカを経ていよいよ全世界に広まった64年(東京オリンピックの昭和39年)に制作された、ショーン・コネリー主演の007シリーズ第3作「ゴールドフィンガー」に出てくるボンドの台詞ってのがありまして、「やっちゃいけないことってのがあるんだよ。華氏38度(3℃強)を超えた53年もののドンペリを飲むのもそれさ。ビートルズを耳栓なしで聴くのと同じことだね」ってな感じ。それが当時の「大人」には穏当なビートルズ観だったってことでしょうか。
でもそのわずか10年足らず後の73年、ロジャー・ムーア(どうしても「モー」って書きたくなるけど)初主演作「死ぬのは奴らだ」では、そのビートルズのポールが主題曲歌ってんですよね。音楽担当のジョージ・マーティンが話を持ちかけたんだとか。これもまた、60年代後半におけるロック、ポップの驚異的な進歩と、それに対する遅れ馳せながらの世間的認識の表れとも見られ、やはりビートルズがその嚆矢であった……とかね。いちいち言うことが大袈裟だけど。
いずれにせよ、まだマスターボリュームなどない、極力「歪まない」ように作られた小さめのギターアンプでも(その後の基準ではってことですが)、全開にすると相当の迫力。そういう音の再現こそが今どきは困難だったりもするんですが(デジタルシミュレーションが流行る道理)、そんなのに伍そうってんだから、そりゃドラマーだって随分とリキが入りましょう。たった1日で10曲を1発録りってのも、単にそれまでずっとやっていた全力ライブ演奏を録音スタジオで再現しただけ、ってことだったかと。
それがまた、わずか3年あまりの後には、多重録音を前提とした実験的な曲ばかりってことになるのだから、やはり60年代の英国ロックの急伸ぶり、ってより、先駆者たるビートルズの突出ぶりはやはり覆うべくもなく、といったところ。英国を席巻した63年当時、いや、現地での恐るべき狂躁が始まった翌64年の時点でも、アメリカのロックなんざその新しさにまったく及びもついちゃおりません。……ったって、そういうのはどうせ各人の勝手な思い込み。人それぞれ感じようが違うのはハナから承知ではありますが。
おっと、また話が脇に逸れちまった。とりあえずクリフ・リチャードのこと。
……と思ったんだけど、まだ長くなりそうな気配なので、この続きはまた次回ってことに。やはり終焉には至りませんでした。……思ったとおり。
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