テンポがより速めだからかも知れないんですが、基本的にはこれに負けず劣らず古風な路線を狙っているのが歴然(どころか、19世紀の発祥という ‘boogie-woogie’ 的形式)たる、同年のビートルズソング ‘Lady Madonna’ が、やっぱりどうしようもなくずっと「ハード」で、それもまた、奇数拍を(も)強調することによる相対的なバックビート感の後退によるものではあるまいかと。そう感じるおいらが変なだけなんでしょうかねえ、やっぱり。でも、とりあえずリンゴのキックはかなり強いですぜ。
で、その忘れかけていたクリフ・リチャードなんですが、さすがの往年のアイドルも、その時分には世の趨勢に抗えなかったってことか(そんなこた考えてもいなかったでしょうけど)、この曲もYouTubeで聴き直したところ、60年代後半以降のロックの作法に則り、奇数拍も当然のように強調され(てえか、イントロなどは8分の刻みが全部均等の強さ……って、それベースのことですけど)、その分、正統的なバックビート感は「順当に」薄れてました。
因みにこれが評判になってた頃に買った ‘Melody Maker’ だったか ‘Sounds’ だったか(いずれもとっくに廃刊になった週刊音楽紙)に、そこはかとない悪意の感じられるこの人のカリカチュアが載っていて、 ‘I'm nearly 40’ という文言が表示されていたと記憶します。すっかりロートル扱い。それでもまだ四十前だったんですよね。今なら若手の部類? ロックも歳を取ったものよう、ってところですな。
てな次第で、60年代以降の「新型」ロックは英国が発祥地(なのではないか)、そしてその元祖がビートルズだった(のではないか)、ってのが自分の勝手な分析(思い込み)って話なのでした。
あれ? そうじゃなくて、その前にまず「新旧」のロックを分つのが、数十年来誰もが当然のこととして言っている、「バックビート、つまり弱拍たる偶数拍に強勢を置いたリズムこそがロックである」ってなお題目に反し、実はそれ、50年代の初期型旧式ロック、日本で昔から「ロックンロール」という「ロック」とは別のジャンルとして括られていたものには充当し得ても、ビートルズ以降(たぶん)に普遍化した、「ンロール」の付かない「ロック」は違うぜ、ってことだったんだ。ハナは「エイトビートなんていう和製語の野暮なことよ」ってな文句が言いたかっただけだったような気もするけれど。
とにかく、60年代以降のロックのノリってのは、たとえ旧式ロックンロールのカバーであっても、穏やかに(rockだrollだって割には)バックビート(だけ)を強調するんじゃなくて、強拍弱拍ともに強勢っていう、1小節4拍全部が「強」ってところが決定的に(?)違う、ってことを、主にビートルズによる古典ロックの焼直しの例示により、ひとまずは証明し得たのではないかしらと(ほんとか?)。
カバーではないけれど、70年代に初めて聴いたときには、てっきり50年代のパロディに違いないと思った ‘Oh! Darling’ (実は少年時代のポールによる旧作だったいうオチ)も、楽器音の極めて現代的な(69年だけど)激しさとともに、やはり1拍め、ダウンビートからの容赦ない強烈さが、何よりも50年代的ビートとは最も異なるところ。でなかったら、それこそレトロ趣味のパロディにしか聴こえんでしょう。
同時期の「現代もの」である ‘Get Back’ についても、「典型的なオールドロックである」てな能書きをしょっちゅう目にしたもんですが、左利きで右利き用の設定のまま演奏するというリンゴ・スターの特徴的ドラミングの面目躍如、各拍を4等分した16分のそれぞれ2つめだけを飛ばしたスネアが光る、「典型的」とも「オールド」とも思われぬ結構意外性のあるリズムアレンジ。これも結局は通常のエイトビートなんかよりずっと明確に全拍(の表=forebeat)が均等に強調されたノリ……なんですよね。
これ自体が50年ほども前の曲なんだから、「オールドロック」なんて文言はとっくに何の意味も成さないにしろ、当時だっていったいどこを指して「古い」って言ってたものやら。だいいち、ロックなんて音楽がこの世に湧いて出てきてからまだ20年足らずって時分の曲ですぜ。ひょっとすると、ピンク・フロイドだのジミヘンだのに比べて、ってだけのことだったんでしょうかねえ。ま、どうせ評論家だのライターだのって連中の言うこと、書くことなんざ、何の参考にもならねえのは今もまったく変らず(俺も懲りずによく言うもんだけど)。
……てな具合に、思いつくまま書き散らしてた日にゃ、またも泥沼の如き様相を呈してきそうなので、今一つだけビートルズネタを挙げて締めくくろうと思います。やはり最終段階のオリジナルにして、チャック・ベリー(の版権管理業者)から、その13年前の56年、つまりジョンが16歳の年に発表された ‘You Can't Catch Me’ の盗作であると言い立てられた ‘Come Together’ について〔既に言及してはおりますけれど〕。
裁判沙汰にはせぬ代りに、ジョンがその曲を収録したナツメロ集、つまりは件の ‘Rock 'n' Roll’ を出すってことで手打ちにはなったわけですが、結局チャックのオリジナルよりはよっぽど ‘Come Together’ っぽくやってますね。まあこれ、メロディーの初めのほうが似ていなくもないとは言え、だってその「そっくり」のメロディー、たった3つの音を上下するだけっていう、あまりにも単純素朴なやつですぜ、どうせ。それより、歌詞もおんなじようなのが出てくる、ってところがどうしようもなくパクリ、ってことにはなるんでしょうけど、まあいわゆるオマージュってつもりだったんじゃないかしらと。
ジョージは例の ‘My Sweet Lord’ が敗訴になった後(無自覚の剽窃だとか何だとかいう判決?)、自分が思いついたと思った曲も、実は悉く誰かが既にやってるんじゃないか、っていう不安に苛まれるようになり、暫くまともに創作ができなくなったてえんですよね。音楽文化にとっての弊害は図り知れず(ってのは大袈裟にしろ)、いずれの場合も、著作者自身ではなく、その権利の代理執行業者に過ぎぬ胡散臭い業界人からの言いがかり。その陋劣さこそ忌まはしけれ、ってなもんで。
原告側(作曲者の遺族から印税不払いで訴えられてた会社を引き継いだ連中……らしい)の言い張る「コード進行が同じ」なんざ、音楽知ってんならあまりにも恥ずかしい言い草たるは歴然。だって、そのおんなじところってのは、たった2つのコードの繰返しなんですぜ。果然、音階上の限られた音の組合せから成るメロディーだって、いくらでもおんなじもんが思い浮ぶは理の当然。それをいちいち盗作だって騒いでた日にゃ、古今の大作曲家も例外なく先人の作をパクリ続けてたってことになろうじゃねえかい、ってなもんで。
実はこれ、63年のシフォンズ(the Chiffons)のオリジナルより、70年発表の ‘My Sweet Lord’ のアレンジをパクッたかとも思われるそのカバー、翌71年のJody Millerによる ‘He's So Fine’’ や、当のシフォンズが75年に「カバー」した ‘My Sweet Lord’(嫌がらせ?)なんかが、敵方(原告側)の証拠として大いに奏功した裁判結果なのだとも。力が抜けちゃいます。
おっと、それはまたどうでもよかった。その ‘Come Together’、 先日〔2018年初頭〕たまたまラジオでGary Clark Jr.とJunkie XLによる最近のカバー(米蘭合作ってこってすかね。映画のサントラだとか)を聴いたところ、件の4拍全強ぶりはいよいよ鮮明かつ絶妙。どのみち打込みでしょうけれど、キックの入れ方はEDMの4つ打ちと変らないようでいて、そんなダサさはなく(ダンスもの愛好者諸氏には恐縮……テンポも随分遅いですしね)、またヘビメタ的な野暮ったさもないという(ヘビメタ愛好者諸氏にも恐縮しきり)、何て言うか、こういうのが現代(60年代以降?)ロックの模範的リズムなんじゃねえの?などと思ったり致しましたる次第。
いずれにしても、これが弱拍=偶数拍だけを強調した古典的なバックビートなんかとはまったくの別物であるは、もはや言うもおこがましきあったりめえのこってしょう……と思案致すものにございます。余計なカラ知識なんざうっちゃって、とにかく素直に聴きさえすりゃあ、誰の耳にも灼然たるもんじゃねえの?って感じ。
えー、ではこれにて。結局最後まで締らなかったけど、そいつぁどうしようもねえや。
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……というのが、昨2017年の暮から今年初めにかけて書き綴った駄長文(に一部かなり手を加えたもの)でございました。バックビートだのロックだのという話からはむしろ大半が逸脱しておりますが、書き出しはいつもまったく無計画のたため、このように的が絞れぬまま、よんどころなくあちこち寄り道しちゃうんです。まあ何とかケリがついたんだからいいか、と居直ることにしときましょう。
ともかくも、長々と失礼致しまして、恐縮の限りとは存じます。
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