2018年3月7日水曜日

バックビートがロック?(2)

ええと、和製語のエイトビートだのフォービートだのツービートだのが英語としては意味をなさない、ってことを改めて言っときたくて、その「ビート」が何者かを(自分自身に対して)明確化せんがため、まずはその根柢となるであろう「リズム」ってものの正体をはっきりさせとこうと思って書き散らしたのが、まあ前回の駄文ではございました。

やはり既述ではございますが、「ビート」が英語の ‘beat’ に対応するものであるのは言を俟たざるところでありながら、恐らくはあらゆる外来語、カタカナ語の通弊で、これもまた語義、用例がかなり曖昧なんですよね。少なくとも「ビート」= ‘beat’ とは参らぬということで。

‘beat’、 つまりは「叩く(こと)」「打つ(こと)」って意味の動詞兼名詞は、これもあらゆる外来語と同じく、日本語には名詞としてしか取り込みようがなく、「拍」とも訳されるものの(音楽ではなく、詩の「格」なんかについちゃあんまり「ビート」たあ言わねえようだけど)、結局これ、ぜんたい何なのかと言えば、前回述べたように、音楽の根幹を成す「時間を区切って並べたもの」である(?)リズムの構成単位(?)……ってところなんじゃじゃないかと。

すみません、どう言えばいいんだかわかんなくて、いちいち「(?)」っていう言いわけを挿入しちゃいました。歯切れの悪いこと甚だしい。まことにあいすみませず。「構成単位」なんざ、自分で書いてて「何でえ、そりゃあ」とは思いつつ、再び弁解を試みるなら、やっぱり音だの音楽だのっていう影も形も臭いもないものを、こうして文章によって語ろうってのがどだい無理か、ってところでして。

                  

まあ、めげずに話を続けますと、4拍子ならとりあえず1小節を4分割したうちの1つが1拍、すなわち1個の‘beat’ってことにはなりましょう。もともとが「打」って意味の一般語を、比喩として詩文や音楽にも充当したものなので、この ‘beat’ も、カタカナ語の「ビート」ほどの胡散臭さはないものの、音楽用語としての意味、用法には多少流動的なところはあるようで。

特に、その「リズム」てえやつを、単なる暗黙の規則的な時間区分ってだけじゃなく、それこそ曲の一部として、つまり聴取可能な「音」として明示する、ジャズだのポップ(含ロック)だの何だのっていう、「軽い」部類の音楽では、この ‘beat’ というやつ、個々の「拍」てえより、その連なりようがもたらす(広義の)「ノリ」ってなもんを指したりもするようなんですよね。

ただしその場合は、その種の、すなわちリズムが明確に鳴らされ、そのためにそうじゃない「重厚な(古臭い)」部類の音楽(クラシックとかいうやつ?)からは見下されがちとも思しき、大衆向け商業音楽(?)の編曲、演奏においてはむしろ基幹的位置を占める ‘kit drums’、 いわゆる「ドラム」の使い方を指すものであり、単なる ‘beat’ ではなく ‘drum beat’ と言わなきゃ何だかわからない……って、それも以前に申しましたな。

おっと、 ‘percussion instruments’ てえと「打楽器」全般のことなので、当然ドラムセットも含まれるんですが、これもまたカタカナ語の「パーカッション」ってえとそれとは別で、打楽器でもごく特定のものだけを指したりしますねえ……って、また余計なことを思い出しちまった。

                  

ええと、 ‘beat’ ではなく、 ‘feel’ だの ‘groove’ だのってえとグッと「ノリ」っぽい語感になりますけれど、同じような意味で ‘time’ とか ‘rhythm’ とか言うのはちょいと硬派の風情? いや、その言い方じゃあそれこそノリが悪くて話が茫洋としちゃうかもね。日本語の「エイトビート」とかってのも、そういう「ノリ」って意味の ‘(drum) beat’ に対応するものだろうとは思われるものの、肝心の英語に ‘eight-beat’ なんていう形容詞もなければ、 ‘eight beats’ じゃあ単純に「八打」、「8回叩くこと」にしかならないという……すみません、こないだからおんなじ話を繰り返してばかり。ちょいと脳味噌がくたびれてますようで。

あ、念のために言っときますが、この「ノリ」って言葉、さっきは括弧入りにして「広義の」などと断っときましたけど、これを「エイトビート」その他の、いわゆるリズムの「型」の意で用いるのは間違い、って言い張る向きも少なくないのはもちろん先刻承知。「拍」の微妙なタイミングこそが「ノリ」の意味するところであって、強弱の配置などによる単純な「型」のことではない、ってんですよね。ついでに、「前ノリ」とか「後ノリ」とかって言葉も「間違えて」使ってるやつらが多い、ってんですが、ああ、そうかい、わかった、エレえよ……って感じ。

だって、てめえら自身が「ノリ」とは ‘groove’ のことだ、って自信たっぷりに教えてくれてんじゃねえかよ。てこたあ、取りも直さずその ‘groove’ が何なのかちっともわかってねえってことんなるんじゃねえか? てえより、あらゆる語句によんどころなく付随する多義性ってもんがまずわかっちゃいねえんだろう。てめえがたまたま憶え込んだものだけが絶対正義で、それ以外は全部誤謬っていう、誤謬の中の誤謬。日本語だけでやってる分には、そりゃ騙されるやつがいてもしかたなかろうけど、どっこい、アメリカ渡りの音楽についての用語は、当然どうしたって卸元の英語が本家。てめえら如きがどれほどエラそうに勝手な講釈を垂れようと、そんなもん屁でもねえわい、ってなもんさね。

                  

ありゃ、 ‘Pardon my French’ とでも言っときましょうかね。ついまた暴走しちゃって恐縮。とにかくまあ、 ‘beat’ =「拍」っていう時間区分、リズムの刻みが曲中に明示されず、言わば「隠されて」いる昔の管弦楽曲なんかのほうが何となく立派だってんで、こっちの立派じゃないほうは「軽音楽」だなどと呼ばれて軽く扱われてきた(未だに扱われてる)という現実もあるてえ次第ではございます。かつての民謡、俗謡に対応するのが、近代以降の「流行歌」とか「商業音楽」とかってことんなるかと(ほんとか?)。

でもクラシックだって商売のタネにゃあ違えあるめえし、今じゃあ歴史上の大作曲家ってことんなってる昔のお歴々だって(楽聖などと呼ばれたりして)、むしろほぼ例外なく最初から音楽を商売にしてたからこそ、その「作品」が今に伝わってんでしょ。この100年ほどの間に、演奏会場の充実やその後の録音技術の向上によって、俗な音楽のほうが商売として遥かに優勢ってことんなっただけのことじゃねえかしら。そりゃそうだろうぜ。いつの時代もどこの国でも、立派な(気取った)部類よりはそうじゃねえ連中のほうがずっと多いに決ってる。俺もそうよ。文句があるか、ってね。

あ、クラシックって括られる昔の西洋音楽にも好きなのはたくさんあるんでした。もともとは(特に19世紀以降は?)ハナから流行りもんだったわけだし。

                  

しまった、またどうでもいいことばかり……。つい油断してるうちにやっぱりまた無駄に長いだけんなっちまいそうなので、ってより無駄な反復が目立つようになっちゃってるんで、今回もひとまずここまでに致しとう存じます。次回も引き続きビートとかリズムについての能書きを。

0 件のコメント:

コメントを投稿