2018年3月7日水曜日

バックビートがロック?(3)

「エイトビート」その他の和製語に対する言いがかりを少しでも正当化せんがために為しておりますこのリズム用語談義(?)、「ノリ」は ‘beat’ ってより ‘groove’ その他のほうが適当、ってところまでは既に(複数回)申し上げておりますものの、話を進める前に、いっそのこと自分にとっての「リズム用語の再定義」ってのをもうちょっと念入りにやっとこうかと思っちゃいまして(そんな話をしてたんだ……って、自分で言いそうになってたりして)。

                  

まず、既にちょこっと触れてますが、英語では「拍子」のことを ‘metre’(米国だけは ‘meter’ って書くやつ)、あるいはまさに ‘time’ ってんですよね。「小節」は英米で言い方が異なり、前者では ‘bar’、後者では ‘measure’ てえ次第。米で ‘bar’ と呼ばれるのは、どうも専らその小節を区切る縦線のことのようで、英ではそれ、 ‘barline’(とか ‘bar line’ とか ‘bar-line’ とか)ってんです。

因みに、またしても今さらではありますけど、英語について「英」だの「米」だのと言った場合、「英」はオーストラリア、ニュージーランド(とかアイルランド)の用法をも包含し、「米」は北米全体、ったってつまりは合衆国とカナダを括ったもの、ってことになります。相変らずそれがどうした、ってところですが。

                  

さて、この‘beat’というやつ、19世紀初頭、我が文化年間に考案されたというメトロノームの設定値(表記は ‘MM’ とか ‘m.m.’ とか。発明者の名を冠した ‘Maelzel's Metronome’ の略たる由)や、いつの間にか日本でも流行り出した ‘bpm’ (or ‘BPM’)  =  ‘beats per minute’ という単位では、当該の拍子における1拍とは限らず、任意の音符が毎分いくつ繰り返される勘定になるか、って意味なので、実は基準とする音符によって、同じ数値の示すテンポがまちまちの筈なんですよね。 ‘tempo’ ってのもラテン語の「時間」が語源なんですが、まあ音楽における「速度」ってのは、畢竟時間を区切った単位の数、ってことで。

それにしても「テンポ」とか「速さ」とか「速度」って言っときゃよかろうに、なんだって今どきは、英語としちゃあ昔からあった ‘bpm’ をわざわざカタカナ読みにして言うかな。やっぱりそのほうがお洒落なんスかね。「ビーピーエム」ってんじゃ全部で6音節ともなり、単純に2倍の長さになってんじゃん(英語ではもちろん母音が3つ=3音節)……てな難癖は控えときましょう。話が進まねえや。

たぶんこれ、何でもかんでもデジタル方式になり果てた結果、ドラムマシンその他の人工リズム機器では当初から用いられている、とりあえずは4分音符(♩)を基準にしたbpmが暗黙の前提、ってことなんでしょう。実際にはテンポだの速さだのと同義で使われてますけど、わざわざ「ビーピーエム」って長ったらしく言った場合は、否応なくその「ビー」は4分ってこと……なんでしょうかね。知らねえや。

ああ、4分だの8分だのってのが何かってことも言っとくと(話の順番が滅茶苦茶で毎度恐縮至極)、白玉1個で表される「全音符」の4分の1および8分の1の長さってことで(白玉に棒をつけたのが半分の2分音符)、4分が2つで1小節を成せば2/4拍子、4つなら4/4拍子てえこってす(あ、3拍子ってのもありますね。3つなら当然3/4拍子)。2分が2つの2/2拍子は、長さの区切りとしては4/4拍子とおんなじ……って、悉く言わずもがなって感じであると同時に、こんな話に無縁の人には結局何言ってんだかわかんねえだろうとは重々承知。相変らずしょうがねえなあ。すみません。

                  

え-、今さっき「ビーピーエム」てな言い方に対して、懲りもせずまた揶揄するが如きことを書いてしまいましたが、それについては何ら忸怩たる思いもございませず。 ‘beats per minute’ の原義からすれば、果してその「ビート」が4分なのか8分なのか、はたまた2分なのか16分なのか判然としないのは事実。しかしまあ、先述のとおり、今日の打込みソフトなんかだと4分ってことで統一されているようなので(とにかく何かに決めとかないと汎用基準にはなり得ないわけで)、つまりはそういうことなんでしょうけれど(?)。

しかし、これを素朴に曲の速度の意味で使う今どきの(日本の)用法は、やはりかなり杜撰なのではないかとは思っていたりも致します。これ、本来は「時速」とか「秒速」ってのと同じで、その前に数字がなくちゃ意味を成さない……筈なんですがねえ。「ビーピーエムが速い(とか遅いとか)」ってだけじゃ、「毎分○ビート」の○が抜けてることんなっちゃうんですが、まあこれも「外来語」の通弊、とは言わないまでも通例なのではありましょう。

実は英語でだって、多少素人っぽい言い方なのかも知れないにせよ、 ‘What's the bpm of this song?’ =「この曲のbpmっていくつ?」とか、‘at a bpm of 120’ =「bpm120で」だのとは言うんでした。じゃあいいんじゃん、別に。しまった。

                  

問題はそれより「エイトビート」その他の、より伝統的和製英語のほうであった。漫才の「ツービート」は「ツービーツ」でなければならない、などと言った野暮な(てえか馬鹿な)学校の教師もいたそうだけど、そんなのは子供のプロレスごっこを「プロではないのだからレスリングと言え」ってのと同工のトンチンカン……ってなこたどうでもよくて、単純に英語にはそういう言い方がない……って話を、無声母音問題についての駄文〔それもいずれ何とか整理してここに晒すつもりではあります〕中に挿入したのが、今やってるこのさらなる駄文の発端だったのでした。決して忘れたわけでは……。

                  

ああ、そう言や、件の「ビーピーエム」だって、「ビート・パー・ミニット」の略だって言い張ってますな、各種ウェブサイトでは。 ‘beat’ は可算名詞なので(でなきゃ意味を成しません)、毎分何個かってことんなったら当然複数、それも結構な数であるは必至。どうしたって常に ‘beats’ てえことんなるでしょう。 ‘a beat per second’ とか ‘a beat per every 2 seconds’ とかってことはあり得るにしても(かなり遅め)、1拍(とか半拍とか)の長さが1分にも及ぶなんて、そりゃ人間が音楽として感じ取れる遅さを遥かに超えちゃってんでしょう。せめて1拍数秒ぐらいまでにはしといて貰わないと。

……と、またもくっだらねえことを考えちまった。ええと、英語(英国系?)で、たとえば ‘music with 4 beats to the bar’ とか言うと、それは「1小節が4拍から成る音楽」、要するに4拍子の曲ってことで、たびたび述べておりますように、それが音楽用語 ‘beat’ の基本義、すなわち「拍」に即した用法なんです。しかるに日本語のエイトビート(フォーでもツーでも)ってな言い方に相当する英語は、拍数ではなく拍の長さその他に依拠したものにて……って話だったんですよね。やっぱり忘れたわけじゃないんだけど、つい……。よっぽど恨みがあるのかしら、あたし。

                  

えぇー、思い出したように何ですが(実際今思い出しました)、ここでまた、まず「拍子」とは何かってことを(自分に対して)改めてはっきりさせときたくなっちゃいました。既に強弱云々ってことは言っとりますけど、これ、その構成単位たる「拍」、つまりは時間を細かく区切った任意の長さを均等に並べて得られるリズムってやつの最小区分単位……って、相変らず何言ってんだか要領を得ませんが、とにかくその最小単位、すなわち原義の ‘beat’ を、強弱の順に複数並べた一段大きな区切りが「小節」という単位で、その小節の言わば構成、形態を示すのが、つまりは拍子ってやつ……みたいな?

「強弱」という言辞についても、この際だから存念を吐露しておきますと、たとえば、ロック(に限らず「軽音楽」全般?)を聴きながら、奇数拍、つまり1拍目と3拍目(4拍子の場合……って、大抵そうですけどね)に手拍子を入れようもんなら、ここぞとばかりにさも馬鹿にしたような顔をして、「強拍は2拍4拍なんだよね」などと苦笑して見せる手合というのがおりますけれど、あたしゃむしろそいつらをこそ腹ん中で笑ってんです。

まず、「ビート」はともかく(結局何だかはっきりしねえし)、 ‘beat’ の語義は、再三述べておりますとおり、基本は「拍」というものであり、その拍の規則的な連なりを区切った単位が拍子、すなわち ‘time’ とか(詩の作法に倣って) ‘metre’ とかってやつ。で、各拍子の頭は常に「強拍」で、結局その名で呼び得るのは奇数拍だけってのがほんとのところ。4拍子の偶数拍は弱拍に決ってんです。でないと小節の区切りがどこなんだかわかんなくなっちゃうし、そもそも拍子という概念自体が成り立たぬではありませぬか(とは世間じゃあまり言わないようだけど)。

「偶数拍が強拍となるのがロックだ」なんてのは笑止の極み。単純に「強拍」「弱拍」と「強勢」「弱勢」をものの見事に混同した愚蒙の所産……とはまた、俺もまた随分と威張ることよ。でもそうじゃん、明らかに。

                  

「強弱」という観念については、音楽以前にまず言語的な意味を了解せねばならず……とまでは言わねえけど(言ってるけど)、英語の辞書だの教科書だのには、昔から金科玉条の如く、「国語とは違い、英語のアクセントは高低ではなく強弱である」てなことが書いてあり、教師どももそれをそのまましたり顔で受売りしてたもんですが、ほんとは何もわかっちゃいねえのはバレバレ。だって、高低のない強弱だけの「アクセント」とやらで何かしゃべってみねえ、と言ってやったところで、できやしねえじゃねえかよ。無理やり高低を排するってだけなら、昔のSF映画にでも出てきそうな古典的なロボットの口調を真似りゃいいようなもんだけど、ありゃあものの見事にまず強弱が消えちゃってんじゃん。

……という恨み言を今さら言い立てると、またもキリがなくなっちまいそうなので、この話は早々に引っ込めようとは思ってんですが、単純に英語教師の誰一人として「高低」のない「強弱」だけの英語なんかじゃしゃべっちゃいなかったし、それどころか、実際は英語にだって当然伴う(どころか極めて重要な)ピッチの高低を、これもまたものの見事に笑っちゃうようなカタカナ式で教科書読んでたりしたじゃねえかよ。……って、ダメだね。どうしても恨み言になっちまう。でもまあ、実際の英語の音節には、聞いてりゃわからずにはいられない筈だけど、強弱と同時に高低の対比も必須……って、やっぱりキリがねえや。眼目は音楽だから、やっぱりこの話はこの辺で切り上げときやしょう。

それでも、その音楽的な ‘beat’、「拍」の話を進める上で、いずれも比喩に過ぎぬとは言え、より原義に近いと思われる、言語的な意味、すなわち発話上の音節とか、詩文、韻文の作法とかに関する用法ををまず確認しときたいとは思うんですよね。それ言おうとしたら中学高校の英語にまつわる苦々しい記憶が蘇ってきちゃったもんでつい。

                  

とりあえずはまずその、英語の詩作に関わる拍とか強弱の意味を改めて再確認。詩の作法なんざ全然知らねえから、「脚」だの「音歩」だのって言われても何のことやらってのが実情とは申せ、強弱、つまり ‘strong’ だの ‘weak’ だのってのが、高低、大小、長短その他の、空間認識に関わる表現の流用と同じく、飽くまで比喩表現に過ぎない、ってこたあ知ってらい、って感じ。いや、こんなこと言うと、「何を愚かなことを」とおっしゃるお方もいようとは承知の上。でもね、喧嘩でもあるめえし、言葉や音そのものに強えも弱えもあるかよ、ってのは我が偽らざる真情……なのよね。俺だって鬼じゃねえし、そりゃ気持ちはわかなくもないけれど、やっぱり比喩は飽くまでも比喩。例えってのはそれそのものじゃないからこそ例えたり得るんじゃねえか、との思いは依然もだし難く。

振動の速さを音の「高さ」、幅を「強さ」、その相乗効果を「大きさ」とは言っちゃあいるものの(普通は強さと大きさがごっちゃ? 昔はよく、その強弱大小までをも高い低いって言ってましたな)、それ、どう足掻いたって全部まったくの比喩でしょ。音ではなく、言葉の発し方や、それを文字に記したものについて「強弱」ってのもまったく同じ、というのがあたしの勝手な認識。もとより俺の勝手じゃねえか、とも思っとりますが。

                  

どうもますます話がわかんなくなってきちゃったようでまたも恐縮の極み。とりあえず元来の(?) ‘beat’、 つまり詩文における韻律の単位てえところから言うならば(関係ねえか)、音楽における律動の単位としても、やっぱり自称「ロック通」(?)が、エッラそうに(俺の僻みか?)言いたがる、「偶数拍こそ強拍」てな勘違いは、どうしたって冷笑の対象……って、さっきからおんなじことばっかり繰り返してますけど、遅れ馳せながらその点もちょいと(勝手に)整理しときたくなってしまいました。

……という仕儀にて、依然論旨の動揺からは脱し得ぬまま、続きはまた次回ということに。またもすみません。

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