2018年3月8日木曜日

バックビートがロック?(7)

さて、では早速ちょいとその臨床的な(?)話を。

ジャズと同様、どんな音楽をロックと呼ぶかは人それぞれではございましょうが、とりあえずはまったく恣意的に、既に50年ほども前とは言え、自分にとってはロック音楽の典型の如き(?)Led Zeppelin 初期のヒット曲、 ‘Whole Lotta Love’ ってのを例に、またぞろ勝手な屁理屈を捏ねてみようかと。

うちじゃあ誰一人ロック、それもマスコミ(日本の)が言うところのハードロックなんざ聴かないんですが、あたしゃ当時十歳でもこの曲知ってました。ラジオを聴く習慣もなかったし、どうしてあのリフを憶えちゃったのかは不明(てえか、いつの間にか憶えてたのはそれだけだったかも)。グループ名も曲名も知らぬまま……ったって、どうせ「胸いっぱいの愛を」でしたけどね。ちょいとトホホな昭和ぶり?

まあいいや。とにかくそのツェッペリンの名曲よ。ってよりあのイントロのギターリフよ。ドラムが入ってくると、これが遅めの ‘quaver groove’、本邦における「エイトビート」だってことが知れるんですが、ギター自体は16分の刻みで、リフ本体の頭から1拍半早い、前小節の3拍め裏(本来の ‘afterbeat’)が開始位置……って、これまた文章で表そうったって無理は承知の上。まあ、曲知ってりゃわかることだし、知らない人は、恐らくこの一連の駄文全体が何言ってんだかさっぱりわからんでしょう。てえより、そういう人はそもそもこんなもん読むわきゃねえさ、っていう居直りの下に、とりあえず話を進めます。

えー、このリフ、出だしからいきなりシンコペーション(今さらですが、このカタカナ言葉も語義に錯綜が見られるので、いずれ改めて言及しようかと)の見本のような塩梅で、3拍めの裏、つまり1拍(=4分)を二分した後半の8分から入りつつ、その8分をさらに二分した、言わば後半の後半たる3拍目の最後、4番目の16分が、次の4拍目の頭の16分と繋がり、実質8分となって拍を跨ぎ……って、こりゃダメだな。どう足掻いたって言葉や文字で示せるもんじゃねえや。音ってのはまずそれ自体を聴かないとね。ってことで、不得要領必至の説明は諦めました〔とりあえずリンク先の冒頭だけ聴いて頂ければ〕

                  

それより、〈いずれ改めて〉と申したばかりの「シンコペーション」問題ですが、こういうのってあたし、まず忘れはしないものの、間が空いちゃうと億劫なだけでなく、うまい具合にその話題に立ち戻るのが厄介になっちゃったりするもんで、急遽ここで今やっつけちゃうことにしました。立ち戻るも何も、そもそも別の話なんだから別文でやりゃいいだけのことなんですが、それがさらに面倒だったりして(全部その時々の連想に流されて書いてるだけですから)。折角の「臨床例」、 ‘Whole Lotta Love’ についてはちょいと保留ってことでひとつ。

ええとこれ、もちろん英語の ‘syncopation’ のカタカナ表記ではあるんですが、ご多分に漏れずこれもまた用法にはかなりの偏りがあるようでして。外来語としては恐らく専ら音楽用語なんでしょうけれど、それにしたところで、ネットの記述にはしばしば「小節を隔てた2つの音符を小節を跨ぐように繋ぐこと」てな説明が見られ(実際はどう書いてあったか確かることなく、勝手な文言で再現を試みております)、あたしも一瞬「え? そうだったの?」って驚いたりして。「小節と小節」に限らず、とにかく拍と拍、拍の表と裏といった、基本的には画然と分かれている筈のものどうしをくっつけたやつ、ってな認識だったものですから。

まあそれも随分とテキトーな了見ではあったわけですが、まさか小節を跨がなきゃシンコペーションじゃなかったとは、ってのが驚きで、するってえとおいら、今までずっと間違えてものを言ってきたのか、って不安に陥ったりもしたのでした。でもそれ、俺のいいかげんで勝手な解釈のほうがよっぽどマシだった、ってのがすぐに知れ、ひとまずは安堵することに。

                  

ウェブ検索でも容易に原語の意味、用法は確認できるのですが、40年あまり前にロンドンの行きつけの本屋で気紛れに買った、オックスフォードの音楽事典(辞典?)ってのがありまして、戦後の1953年に初版が出たその本、買ったのは40年前とは言え、そのさらに10年以上前の1964年に刊行された改訂版、つまり第二版だったため、内容は随分と古く、今では殆ど「音楽古語辞典」の如き風格。古い辞書ってのを馬鹿にする人もいるけれど、むしろかつての正しい語義、用法がよくわかり、場合によっては軽く時代考証にも資するが如き重宝さもあるのです。まあ、現代用語の参考においては概ね実効を失しているということにはなりましょうけれど。

その音楽事典も今では第六版に達しているそうで、当然 ‘rock’ も ‘Beatles’ も採録されているものとは思われますが(知らないけど)、50数年前のその第二版には、辛うじて戦前から存在した ‘jazz’ だの ‘blues’ だのは載っている、って程度でした。そういう古い本に書いてあることのほうが、元来の語義をよく伝えている……かどうかはわかりませんけど、ひとまずこの ‘syncopation’ については、かなり詳細な解説が記されてはおったという次第。

で、それによると「小節を跨いで」云々は何ら成立要件ではなく(そりゃそうだろうぜ)、とにかく拍または通常の強勢をズラしたもの、ってだけのことなんでした。もちろん小節内でもしょっちゅうシンコペーションは発生している、ってのがわかったわけで、ひとまずは「ほらな」って感じだったんですけど、ちょいと意外だったのは、別に拍どうしやそれを細分した表(拍)や裏(拍)の間だけの問題ではなく、1拍ずつ素直な符割であっても、強拍に休符が置かれるなど、強勢の位置が通常と異なっていれば、それがつまりは ‘syncopation’ だてえんですよね。

う~む、そいつぁ知らなんだ。てことはつまり、先日来ああだこうだ書き散らしております「バックビート」ってのがまさにその、本来の意味におけるシンコペーションの見本のような存在ってことになりましょう。「強弱」の順番を守るのが礼法たる(?)クラシック界隈では、その掟に抗うが如きやり口は悉く ‘syncopated’ って言われるって次第。それは取りも直さず、ジャズもポップもロックも、その他殆どすべての流行音楽が常時シンコペーション状態だってことではありませぬか。

                  

そう言えば、ウェブ上には ‘backbeat’ の定義として ‘a syncopated accentuation on the off beat’ と記したサイトが多数あり(てことは引用元が同じなんでしょう)、いずれにしろこの場合の ‘syncopated’ こそ、単純に「普通とはズレた」って意味で、「本来弱勢たるべき弱拍に置かれた強勢」ってのがバックビートだって言ってんですよね。別に拍と拍を繋いだり、ましてや小節と小節を跨いだりしていなくてもシンコペーションには違いなく、それどころか、オックスフォードの(古い)音楽事典の言いようだと、それこそが本来の ‘syncopation’ だということに。

でもそうなると、ジャズだのロックだのでは、その ‘syncopation’ って言葉自体出る幕がない(と言うよりむしろ出ずっぱり)ってことんなっちゃうだろうから、まあ「軽い」部類の音楽業界においては、やはり飽くまでこれ、最低でも拍と拍に跨るもんについてのみ用いるのが穏当なのではないでしょうか。つまり、俺が勝手な思い込みで今まで言ってきたことも、とりあえずロック的にはズレちゃあいなかったってことんなるんじゃないかと。

我田引水ってんですか、こういうの。まあいいじゃん。てえか、そうとでもしなきゃ、ほんとに意味がわかんなくなっちゃいますんで、以後は(これまでどおり)、小節と小節、拍と拍、裏と表を無遠慮に繋いだようなものだけを「シンコペーション」とは呼ぶことに致す所存。

ああ、それなら ‘swing’ の解釈だって、バックビート……ならぬオフビート、すなわち弱拍に重心を置いた「ノリ」ってのと一緒くたで何ら間違いはない、とも言えましょうか。それはもういいや。キリがござんせん。

                  

とにかくまあこの ‘syncopation’、いわゆる術語の類いではありましょうけれど、当然近代になってから拙速気味に習得した日本なんかよりゃよほど古くから使われてきた言葉ではあり、語源サイトを覘くと初出は16世紀前半の1530年代(信長、秀吉が生れた頃、みたいな)。当初は言語音の省略を指した語で、今日最も一般的な音楽用語としての用例はその数十年後、16世紀末の記録が最古とのことでした。

語形から察するにこれ、 ‘to syncopate’ という動詞の名詞形なんですが、その動詞の初出は1600年頃とのことで、音楽関連での用例はさらに遅く1660年代の由。名詞形のほうが数十年早いってわけですが、それはまあ現存する記録上では、ってことではありましょう。出現の順番が入れ違っているようにも思われるのは、動詞のほうがいわゆる逆成ってやつなんですかね。知らねえや。

いずれにしてもこれ、まずは ‘syncope’(シンコピ)という名詞から派生したもので、その名詞の初出は1520年代、語義は後からできた当の ‘syncopation’ とほぼ重なります。と言うより、音楽用語としては同義の古形ってところでしょう。

かと思うと、医療関係では「失神」がこの ‘syncope’ なんだとか。う~む。

                  

実はあたしこの‘syncope’って言葉、音楽用語としてではなく、同じオックスフォード発行の英文法辞典ってやつで知ったんですよね。持ってんのは1994年の初版で、ほんとは2014年に出た現行の改訂版が欲しいところなんだけど、まあ金もねえのにそりゃ贅沢かってことで。とにかくそれによるとこの「シンコピ」、歴史言語学の用語ということになっておりました。

ウェブで語源を探ると、例によってラテン語由来ってことなんですが、そのまた語源たるギリシャ語の原義では、 ‘syn-’ に相当する部分が「一緒くたに」とか「完全に」とかいう用法によるもので、 ‘cope’ ならぬ ‘kope’ が、「切る」「叩く」みたようなもんだってこってす(さらに遡れば ‘koptein’ とか)。何らかの、もともとあったものが切り捨てられる、つまり「失われる」ってところが、「失神」とも通底するという次第かと。

「対処する」とかいう意味の動詞 ‘to cope (with)’ の元はフランス古語の ‘couper’、「殴り合う」だとのことで、とりあえず ‘syncope’ の ‘cope’ とは発音だけじゃなく来歴が異なるのでした。こっちは、 ‘coup d'etat’、すなわち「クーデター」の ‘coup’ とも語源は共通のようで、これもギリシャ語まで遡れば、ラテン表記で ‘kolaphos’ というやつが先祖っぽく、やはり「殴打」という意味らしい……んだけど、そんなこたますますどうでもよかった。

                  

ほんとは音楽用語としての「シンコペーション」の元来の定義が確かめられればそれでよかったんですが、自前の事典類だけじゃなく、ウェブの記事をほうぼう覗いてるうちにいろいろ(と余計)なことが知れ、またぞろ勝手におもしろがっております次第。こうなりゃもう行きがかりってことで、ちょいとまたその蛇足情報をまとめときたくなっちゃいました。次回はそれを。

いよいよ「主旨」からは遠のきつつありますが、いずれ戻って来ますんで、暫しお許しを。

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