2018年3月5日月曜日

ザじゃないのよ the は ―― 続き

与太話の続き、予告していた蛇足を記します。

母音の前でも/ðə/と発音される‘the’(飽くまで「ザ」には非ず)に伴う音韻現象、すなわち、母音で終る音節と母音で始まる次の音節とを明確に分つため、(無意識に?)為される声門閉鎖(glottal stop)による発音法のことを、音声学では ‘hard attack’ と称するのですが、もちろん「猛攻」なんてわけじゃない。 ‘attack’ の訳語は「起声」とのことで、「硬起声」たる ‘hard attack’ の対義語は当然‘soft attack’なんですけど、そっちはどうも、専ら歌唱における母音の発音法の区分に用いられる語らしい。「軟起声」という訳に対し、原語の ‘soft attack’ のほうにはそこはかとない撞着が感ぜられなくもなかったりして。

ともあれ、発話時における英語音の ‘hard attack’、実は ‘the’ の後に限らず、不定冠詞と呼ばれる‘a’についても生起する事象でして、それもまた、母音の前では‘an’たるべしという「規則」が(無自覚に? 敢えて?)閑却され、‘n’を発音しない場合もある、ということなのでした。‘the’とは異なり、何せ表記自体が変っちゃいますから、実際の発音を無理やり描写するのでもない限り、文章で用いられることはないものの、 ‘an apple’ の代りに ‘a apple’ (/əʔæpl/)と発音されることもなくはない、ということなんです。その条件として、またしてもこの ‘hard attack’ が必須とはなるてえ次第。

つまり、2つの母音の連続による不明瞭(と言うより発音の難)を避けんがため、両者の間に声門閉鎖を挿入するって仕口なんですが、これもまた現実の母語話者の発音に接していれば、まったく聞いたことがないなんてこたねえんじゃねえかしらと。やっぱりそれも、「文法」を知らない一部の「無学な」英米人による誤った発音、とでも言い張ってそう。相変らずダルい。

ついでのようではありますが、 ‘the’ を強調する場合は直後の音が何であろうと /ðiː/ と発音されるってのと同様、 ‘a’ を明示したいときには通常の/ə/ではなく /eɪ/ となります。つまり、アルファベットの ‘e’ が[イー]すなわち /iː/ である以上、 ‘the’ の基本形も /ðiː/ であるというのと同じで、冠詞の ‘a’ も単語としては飽くまで[エイ]という理屈。それが文中では、他のあらゆる単語同様、強勢が置かれない限りは母音が「緩み」、 /ə/ という曖昧母音に転じるというだけのことなんです。結構何でもかんでもそうなる、ってことも前回申し上げました。

「緩む」とは言っても、国語の高低アクセントと同じことで、意味もなく各語をいちいち強調したのでは、発言の趣旨が支離滅裂となりますので、「曖昧」母音などと呼ばれてはいても、英語におけるこの/ə/は重要不可欠なる存在。極めて頻繁に発せらる音韻なんです。日本語だとそれが他の複数の母音と一緒くたに[ア]ってことんなっちゃうわけで、そこが何とも厄介なところ。 ‘a’ に対する /eɪ/ という強勢音に対応するのが、 ‘an’ における /æn/ って音なんですけど、いずれも強勢たることを示す表記は、 ‘the’ と同様、下線またはイタリック。しかしこれ、英語音としては明確な別音でありながら、カタカナでは /æ/ も /ə/ も等しく[ア]なもんで、多くの日本人には区別つかないんですよね。ほんと、どうすりゃいいものやら。

                  

気を取り直しましてさらなる蛇足を。定冠詞(その他)に区分されている ‘the’ ではありますが、もともとは ‘that’ と同類で、指示形容詞(今どきの決定詞に相当)が出自なのでした。実は名詞・代名詞のみならず、形容詞(含決定詞)にも「数」や「性」(男性、女性、中性)、それに「格」の違いがあり(平板型にするとエラさの違いってことんなっちゃったりして)、この ‘the’ だの、(決定詞としての) ‘that’ だのの先祖については、それら文法要素の輻輳によって、13世紀以前には10種もの語形が使い分けられていたとも申します。

主格= nominative case (以下、通例に従い ‘case’ は省略)、属格= genitive、 それに対格= accusative (直接目的語)、与格= dative (間接目的語)のほか、専ら道具、手段を示すのに用いられる「具格」= ‘instrumental (case)’ てえのもあったんですと。名詞、代名詞が「具」であることを示す前置詞の目的語の形は「奪格」= ‘ablative (case)’ てえんですが、英語には昔からそれ専用の格はなかった模様。でも役割としてはそれに対応しそうですかね、この具格てえやつ。

現代英文法では、主格のことを ‘subject(ive) case’ と言い、属格 (genitive)は所有格= ‘possessive’ ってほうが普通なんですけど、どのみち今の英語じゃあ、主格も目的格も、人称代名詞における6種以外に形の違いはなく(だから「通格」、 ‘common case’ とは申す次第)、また名詞(代名詞ではなく)の所有格だって、語形が変化するってより、単純に ’s (または ‘ のみ)を付け足すだけ……ってことは、既に「格」などあってなきが如きは炳乎なれど、昔はラテン語や他の欧語と同様、結構語形の仕組みが細かかったのね、ってところではあります。今日の英語は、屈折語、つまり語形の違いによって統語関係が明示される欧語一般とは一線を画し、単語の形は殆ど変らず、語順こそが構文の要諦、って感じなんですが、その現代英語しか知らない自分にとっては、昔のはまた随分と込み入ったものものに思われる、という次第。

                  

ああ、思い出しました。前回は、「‘the’ +形容詞が名詞になる」ってやつのからくり、つまり、主役の被修飾名詞を端折った結果、それに先行する脇役の形容詞が主役に成り上がり、やがてそのまま名詞として通用するようになったのよ、って話を致しましたが、それ、定冠詞の有無は限定の度合の違い、って感じで(相変らずよくわからねえ話で恐縮)、実際の英語では多数の形容詞がそのまま名詞としても通用してんですよね。主格を単に ‘nominative’ と言ったり、属格を ‘genitive’ とだけ言う、ってのでそれ思い出したんですが、「格」を指す ‘case’ という名詞はいちいち示すには及ばず、ってことで、本来はそれを修飾(形容、てえか限定)する形容詞だけで、本体たる ‘case’ の意味までをも包摂するに至った、ってな具合かと。

何より、まさに ‘adjective’ ってのが、見るからに形容詞くせえじゃござんせんか。「形容詞は名詞である」っていう古典的な撞着表現もありますけど、現代語としてはそれ、飽くまで「1つの品詞」という「名詞」には違いない、ってだけのことであるのに対し、17世紀ぐらいまではほんとに名詞の一種だったんですよね、この形容詞、てえか ‘adjective’ というやつ。昔は単純に「形容詞」という品詞自体がなくて、後に形容詞とされるものは悉く名詞の一種って扱いだったのでした。他の名詞に付随してそれに説明を加える「名詞」が ‘noun adjective’ 、すなわち「付加的名詞」で、説明される主役、本体のほうが ‘noun substantive’、つまりは「実質的(または実体的)名詞」という塩梅(「実名詞」ってのが普通の訳らしいけど)。

名詞はまずそのいずれかに二分される、ってのが数世紀前までの文法だった、ってことで(英文法の前にまずラテン語がそうなってたんでした)、上の例だと、 ‘noun’ が実名詞、 ‘adjective’ だの ‘substantive’ だのが付加名詞、ってな具合なんですが、この両者、今の感覚だと典型的な「形容詞」の面構え。確かに「付加的」ではあり、 ‘noun’ という「実」に取り付く以外に身の立てようはありません。かつての文法ではそれもまた「名詞」の下位区分だったてえ次第。「実」のほうが前で、それを「形容」する付加語のほうが後置ってところなどは、いかにも昔の文法用語、ってえか、ラテン語っぽいではありませぬか

「形容詞」という訳語がいつ頃から使われているのかは知りませんけど、 ‘adjective’ には「形容」という意味はなく、飽くまで「付け足し」って感じでなんですよね。いずれにしろ、本来は「実」を成す他の名詞に付随するのが「付加的名詞」たる ‘noun adjective’ だったところ、例に漏れず、とでも申しましょうか、「皆まで言うにゃあ及ばねえ」ってんで、「実」のほうを端折ったら、 ‘adjective’ だけでこと足りるようになった、ってことなんじゃないかと(知らないけど)。そうこうするうち、やがてそれが実の「名詞」とは別の種類の品詞としてめでたく独立の運びに、ってところでしょうかね。で、それがなぜか日本では「形容詞」と呼ばれるようになってる、ってのが現状かと。「付加詞」とでもしとけば、国文法の形容詞とはかなり素性を異にするものである、ってことも明確になった……かも。まあ、和英共通の文法用語が、ときに全然違うもんだったりするのはこれに限った話でもございませんけれど。

                  

またちょいと話が逸れちまいやした。語形変化、あるいは活用……と普段は言っとりますが、厳密には歴史的な変容をも指す「変化」ではなく、 ‘inflection’ (inflexion って書くとグッと古風)の訳語たる「屈折」、それどころか「替変」を用うべしとか(そりゃちょっとたいへんかも)、「活用」は動詞に用いられる ‘conjugation’ の訳なのだから、名詞(その他)については ‘declension’、すなわち「曲用」とするのが正しい、などとは申しますものの、それはさておきまして(なんかしゃらくせえし)、とりあえず近世(日本史じゃまだ中世だったりしますけど)以前の英語には、統語則による(構文条件に応じた)単語の変形に「強弱」の差というものがあったのでした。

動詞についての強弱の別は、ドイツ語(なんか知らないんですが)その他のゲルマン語全般に見られるもので、ざっと言えば、時制変化において語幹自体が姿を変える(母音が入れ替る)のが ‘strong’、語尾だけが変る(接尾辞が付加される)のが ‘weak’ という区分。現代英語にも多数遺存する、と言うより、日常的、基礎的なものにほど顕著な存在たる不規則動詞が ‘strong verbs’ に相当し、 ‘(e)d’ を語幹に付して過去、過去分詞とする規則動詞が ‘weak verbs’ とは相成ります次第。

しかし、古英語における強弱の対比は、動詞に限らず、名詞や形容詞にもあり、品詞によってその分れ方には言わば粗密のようなものがあるとともに、分け方の基準自体も一様ではないんですが、とにかく、語形がスッパリと単純素朴な今の英語からは想像もし得ない複雑さ……と思っちゃうのは、やっぱり現代英語しか外国語を知らないあたしの勝手な事情ではありましょうけれど。

                  

因みに、「古英語」、 ‘Old English’ (OE)ってのは、6世紀ぐらい(日本は古墳時代)から11世紀(平安時代)のノルマン征服までイングランドの主であったアングロサクソン人の言語、ってほどのもので、それ自体も単に ‘Anglo-Saxon’ と呼ばれたりするんですが、その後徐々に征服者の言語であったフランス語の方言と(フランスっていう統一国家はなかったと思うけど)、被征服者のアングロサクソン(語)が混淆して、今のような英語ができあがるのが15世紀頃、って感じですかね。

イングランドってのは、5世紀頃(大和王権とやらが確立した辺り?)に北ドイツ、デンマーク辺りから流入し、先住のケルト系を駆逐して居座ったゲルマン人の一派たるアングル族の地、つまり「アングルランド」が訛ったもん、みたような具合で、今のザクセン(英語ではサクソニー)と同語源のサクソン族とつるんでイングランド人の根幹を成すに至ったのがそいつら、ってな塩梅でしょうか(あまりにも大雑把ですけど)。

サクソンの名は、エセックスだのサセックスだのという現代の地名に残ってるし、テムズ北岸を南端とする東南イングランド地方(いつの間にか ‘the East of England’ というのが行政区分になってるようで)を指す「アングリア」という語も健在、ってところではあります。

                  

一方、「駆逐」されて、ウェールズだのアイルランドだのという「辺境」に追いやられたケルト系もまた、紀元前に大陸から移住して来て先住民と混血した人々。ゲイルとも呼ばれたりしますが、ゴールという地名や人名も同根。てえか、ラテン語の「ガリア」でしょう。シーザーの『ガリア戦記』ってのは、フランスからオランダ辺りまでの「蛮族」を如何に征服したかって手柄話のような。で、その勢いに乗じたシーザーの軍に侵攻、制圧され、数世紀にわたってローマの支配下に置かれることになったわけですが、ブリテンだのブリトンだのはそのローマ人による呼称。

ローマが引き上げた後は各地の王(部族長?)どうしが争う内乱状態にはまり込んで(領土拡張欲はローマの置き土産?)、ちょいと戦国の様相を呈するようになり、それにつれて傭兵として雇ったゲルマン人に、やがては庇を貸して母屋を取られるが如き体たらく、ってのがお馴染みの伝説。伝説と言えば、アーサー王だの円卓の騎士だのってのも、雇われる側の(?)アングロサクソンではなく、先住民族たるケルト連中なんでした。

「辺境に追いやられ」と申しましたが、今でも、アイルランドを筆頭に、イングランド西南端を含む言わば周縁地域にこそ、ケルト風の文化、言語が遺存するのはそのためなんですが、周縁どころか、ゲルマン人から逃れてフランスまで漕ぎ渡った一派もおり、それの落ち着いた先が後のブルターニュ、ってんですが、比較的近年まで(あるいは今でも?)ウェールズ人とブルターニュ人は通訳なしで話が通じたとも仄聞致します。

さすがに話は通じそうにないけど、青森や岩手辺りのアクセントって、鹿児島や沖縄の訛りにかなり似てたりすんですよね。ケルトが縄文でゲルマンが弥生に相当、ってこともないでしょうけれど。まあどっちの民族も、時代こそ懸け離れてはいても、発祥は今の中欧、ドイツの辺りだとかいうことですし。

そもそも民族ってのは、言わば社会的要因によって成立する、多分に自他の主観的意識によって画される集団であり、「発祥」ったって、別にある日突然新たな人種が現れるなんてこたねえわけだから、いつどこで発生したかの前に、民族そのものが悉く後世の恣意的な区分。要するに単なる後知恵に過ぎねえ、っていう基本認識すら欠けちゃってる人が多くて、結構ウンザリすることも少なくはございませず。

                  

ともあれ、ケルトを追い出して居ついたアングロサクソンもまた、数世紀後にはフランスから乗り込んで来たノルマン人に抑え込まれるてえ筋書きなんですが、その支配者たるノルマン人だって、先祖は大半が同じゲルマン民族。ノルマンジーってのが本拠だったんだけど、ノルマンって呼称自体が「北方人」みたような感じです。征服された古代イングランド人にとってはフランス人ってことになりましょうが、その2世紀ばかり前に北欧から南下を始め、やがて北フランスに居座って「公国」などと称したのが、つまりはその征服者の元祖だったわけで。

でもまあ、英語が今のような洒落た(?)形に変ずるきっかけをもたらしたのが、その ‘Norman Conquest’ だった、とは言えそう。双方の言語が交ざり合って今の英語の形が固まるまでまた数世紀、ってところでしょうか。いずれにせよ、日本における漢文と同様、正式の文書は長らくラテン語だったようだし。知らないけど。

「日本における」って言えば、このノルマン征服の1066年、本朝にては治暦(じりゃく)2年に当り、奥州十二年合戦、すなわち前九年の役ってやつが終って数年後……なんですけど、すぐこういうふうに余計な換算をしてしまうのは、子供の頃からの性癖でして。無駄だよなあ、我ながら、とは重々承知。

                  

さてと、さんざん寄り道をしといて何ですが、その話は置いときまして、格、すなわち‘case’という文法語について。これ、文法自体が固定の「規範」などではなく、言語現象を解明せむとて不断に為されたる多数の研究がもたらす(時々の)成果を個々に理論化したものである、という見地からは、当然いくらでも細分が可能とはなるんでした。まあ、あたしがここで用いておりますのは、外国語としての英語の把握、習得に資するべき、いわば基礎的、または平均的な現代文法における用語、とでも申しましょうか。

……また言いわけをしてしまった。どうぞ悪しからず。

とにかく、やがて(15世紀以降?)格や性の峻別も緩み、それらに応じた形にも混淆、淘汰が生じた結果、英語の指示形容詞(または決定詞)は現今の ‘the’ と ‘that’ に収斂された、とも言えそうなんですが、元来は格を始め、性、数の異同による同一語の活用違いから発したその両者に、いつの間にかそれぞれ個別の用法が振り分けられるに至った……とか? これじゃ何言ってんだかわかんないか。毎度ご無礼。

ともあれ、一時期は ‘that’ が ‘the’ と同じ「定冠詞」としても使用されていたともいうことで、それが実は母音の前の形であり、対する‘the’のほうは子音の前の形であったのだとも。う~む、おもしろい、てえか、そいつぁ知らなんだ。

                  

おっと、そうかと思うと、専ら名詞以外、つまり形容詞や副詞と抱き合わせで用いられる、それ自体が副詞の ‘the’ (‘the sooner the better’ とかのやつ)は、現代英語(15世紀以降)からは消滅した先述の「具格」、すなわち道具や手段を表す語形から生じたもので、今日定冠詞とされる‘the’とはちょいと出身が別だってこってす。

もともと一緒だった言葉が別語に分れたり、別々だったものが一緒くたになったりするのは、国語においてもまま見られる現象ではありましょう。

                  

さらにまた、「不定」のほうの ‘a/an’ も、今の形や用法は後からそうなったってだけで、実は ‘the’ の発音の「使い分け」と同様、「母音の前では‘a’に‘n’が付される」ってのは本末転倒。どっちかってえと、もともと‘an’だったものが、めんどくせえから ‘a’ とだけ言うようにはなったんだけど、母音の前だけは却って厄介だからその ‘n’ が温存された、ってのが実情らしいですな。だから、母音の前の ‘the’ を、件の「硬起声」てえ手口によって、いわゆる「ザ」的に発音するのと同じように、母音の前でも ‘n’ なしの ‘a’ で済ますってやり方も、むしろそれだけ「進化」した発音法……と言えなくもないような。進化と横着はさも似たり?

さて、もともと ‘a’ の「原形」だった(らしい) ‘an’ からは、ご存知 ‘one’ という語も派生したとのことで、今じゃあ何となく不定冠詞 ‘a’ の、音韻条件による代役のような扱いを受ける ‘an’ ではあるけれど、何気なくこいつが一等エラかった、ってことにもなりそう。尤も、何せ文字さえ今とは随分と異なる大昔のことなので(ラテンアルファベット、つまりローマ字はラテン語専用だったんでしょう)、ほんとのところはよくわからんのですが(あたしがね)。

                  

あ、それから、副詞の ‘the’ (‘the more the merrier’ とかの ‘the’)の原形が、定冠詞のそれとは別の活用形(動詞に非ざれば曲用ってのがほんとなんでしょうけど、やっぱりしゃらくせえや)、つまり主格ではなく具格だったってのと通底するところですが、前置詞の ‘per’ と同義の ‘a’、つまり例の ‘once a month’ だの ‘30 pence a dozen’ だのにおける「~につき」「~ごとに」って意味の ‘a’ は、 ‘one’ とは語源を異にする別口の ‘an’ が先祖だってんですよね。

この場合の ‘a/an’ も、辞書の扱いでは不定冠詞てえ身分に納まってはおりますものの、ほんとはこれ、今で言う ‘on’ に相当する ‘an’ (もちろん現代表記ではそうなるってことですけど)が本家で、ということは、 ‘per’ と同じく前置詞だったんじゃん、ってことになりますねえ。 ‘one’ とか ‘lone’ とか ‘single’ とかいう意味だったいう、指示形容詞、決定詞の ‘an’ (‘a’ のほうが派生形だということは既述の如し)は、母音が長めだったとも言い、もともとハナは別語だったってことです。むしろ、現代語としては冠詞と前置詞に画然と分けられてはいるものの、意味だけじゃなく形の上でもこの ‘a/an’ と ‘per’ はまったく用法が重なりますしねえ(後者はラテン語源で、意味も広いけど)。

‘on’ に相当、とは申しましたが、言い換えるとすれば ‘on each’ ということにはなりましょうかね、現代語における ‘Eight Days a Week’ とかの ‘a’ は。当初はやはり時間的な意味、つまり頻度に対してのみ用いられていたのが、やがて値段とか速度とか距離とか、さまざまな数量に充当されるようになった、って経緯のようではあります。

それより、今の英語には不可欠となっている ‘a/an’ という決定詞、すなわち不定冠詞ではありますものの、それもやはりノルマン征服語のフランス語流入の結果だったものか、どうやら古英語には不定冠詞に相当するものはなかったようなんです。今でも ‘the zero-article/determiner’ などと称し、単数可算名詞でありながら、冠詞その他の決定詞なしで平然と用いられる例は無数にあり、中高生、受験生どころか、教師にさえ把握し難い「例外」表現の扱いになってたりしますけれど、ひょっとするとそれ、後から省略するようになったんじゃなくて、古代アングロサクソンの名残りだったりして。わかんないけど。

                  

えー、以上、またぞろ不用意に何本も蛇足を加えてしまいましたが、何とか今回の主題に関してはほぼ所思を書き連ねることができた模様。ひとまずこれまでと致しとう存じます。毎度散漫の極みにて恐縮の限り。どうもすみません。

0 件のコメント:

コメントを投稿