2018年3月18日日曜日

セイかシか?(1)

前回まで20回にわたって書き連ねて参りました、「勝手なロック史」とでも呼ぶべき駄文は、最初に断っておりましたように、実は一昨年、2016年の秋から SNS に長々と書き散らした愚長文から派生したものでした。

その随分と長い愚文、最初は「赤とんぼ」のアクセントに絡んだ山田耕筰、およびその安直な信奉者に対する揶揄から始まり、ほんとはその話をネタにして、日頃から苦々しく思ってる半端な衒学の徒輩(おっと、俺か)による、歌のメロディと歌詞の関係に対する見当外れの言説や、主に昨今の NHK アナウンサーに顕著な非東京語的発音をやっつけるつもりだったのに、そこに話が達する手前で、次々と余計な話題へと自らを引きずり込んでしまい、果然長大極まる与太話の堆積とは相成ったのでありました。

国語の音韻について、とでもいうべき所期の主旨が、書き綴るにつれて次々と逸脱を繰返し、やがて江戸の町奉行やその役宅について、さらにはそこから近代以前の日本における姓名の慣習へと話が流れて行ったという、相も変らぬ放恣と無秩序の極み。

で、今回はその、昔の名前の事情について書き散らした部分をちょいと整理し、またぞろここに再録して参ろうかという了見でして。件の SNS への投稿以前から、一部の反動主義者ども(ってほどのもんでもねえけど)が、やれ夫婦別姓は日本古来の伝統に反するだの、創氏改名は現地の朝鮮人にせがまれてやったことだのと、愚蒙の限りを尽くした謬聞を恥ずかしげもなくウェブ上で唱えてやがるのが不快を極め〔たとえばこれ、ほんとは江戸時代の姓名(バカどもは平気で「氏名」と言わねば間違いだなどと言い張るし)の慣習について書いていたのが、つい「姓」「氏」という漢語、および「かばね」「うじ」という和語などに関するあらずもがなの御託を並べる仕儀とはなりにけり、っていう毎度お馴染みのズレっぷり。

ともかくまあ、その姓氏談義を以下に掲げて参ると致します。前後の文脈とは切り離すことになり、またしても唐突な始まりではありますが、そこはどうぞ悪しからず。「坂部三十郎」の名を代々継承した旗本の話からの流れなんですが、それについてもいずれ再録を試みる予定……ではあります。

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〔前略〕さて、将軍や大名旗本といった上層に限らず、下級武士や庶民層でも、相続という概念に縁がある家には、この養親・養子という疑似的親子関係がしばしば発生致します。その場合、多少とも血縁のある者から養嗣子を選ぶことが自然多く、系図上は弟が兄の子供という例がよく見られるのですが、叔父が甥の養子という例も珍しからず。家名存続のため、まったくの他人を養子に迎えることもあり、その場合も、いわゆる婿養子とは限りません。男女ともに実子がいないということもありますし。

しかしそれは同時に、嫡男以外は実家にいる限り居候のままという閉塞的境遇の解消にも繋がるわけで、跡継ぎ以外の男子は是非とも養子先を見つけ、つまり何としても他家の当主とならなければ一生独立できぬまま。稀には、何か特別な勲功により新たに家名を賜る、ってこともありましたけど。

                  

ああ、そう言えば、あたしの成田って名字、田舎の青森ではやたら多いんですが、実は父方の先祖は「紙沢」とかいうそうで、成田は主筋(しゅうすじ)のものだったとのこと。そのお主(しゅう)が内藤って家名を相続することになり(つまり養子となり?)、浮いた成田という家督が払い下げになったということらしい。つまり今の成田って名字、全然ほんとの先祖、生物学上の祖先とは関係ないんです。そういう人や家も珍しくないのでは。

                  

で、とにかく、こうした実情によって生起するのが、昔の男は実の親子兄弟で皆いつまでも同じ名字ということはまずなかった、という意外な事実。一方、もともと他人どうしである夫婦の場合は、儒教的倫理の観点からも、名字が同じというほうがむしろ例外。単に、結婚に際してその当事者のいずれかが名字を変えねばならぬ、などという西欧(の一部)に阿るが如き習慣がなかっただけ、と見るべきかとも思われますが。

儒教の卸し元である中国や、李朝以降の朝鮮では、未だに同姓どうしの結婚に対する抵抗感が遺存、とも仄聞致します(一部の夫婦別姓反対論者による、中国の「姓」は、日本の「名字」である「氏」とは違う、などという寝言はとりあえず閑却)。我が国の氏姓制度は、言うまでもなくハナはそちらの方面から移入されたもの、ってより、まあ真似ですよね。だもんで、儒学的教義なんぞは一部の鼻持ちならない論語読みの建前に過ぎなかった本朝においては、そんな固いことを気にするやつぁまずいない。

儒教なんざ、江戸っ子自慢の戯作者、山東京伝(深川生れですが)などは言うに及ばず、そういう連中から見りゃ随分と野暮てえことになりそうな、国学界のスター、本居宣長だって、大和心(やまとごころ)を蝕む「漢意」(からごころ)なんぞと呼んでバカにし切ってます。仏教もいっしょくたにやっつけていて(若い頃は自分だって念仏唱えてたろうに)、今なら典型的な右翼、国粋主義者って決めつけられそうな御仁。それでも言語学者としてはごく科学的です。(義理の)子孫が作曲家・本居長世で、どうも同期の山田耕筰よりゃあたしゃ好きですねえ。

ついでながら、宣長は初め小津富之助って名前で、本居ってのは何代か前に絶えていた、ほんとは血縁のない系譜上の家名を名乗ったんだとか。小津安二郎を宣長の子孫って言ってる人もいるけど、その小津家もやっぱり別系統らしい。

                  

おっと、そんな話じゃなかった。とにかく、日本では今も昔も、いとこどうしの結婚でさえまったく問題視されず、それどころか、古代にはエジプトやキリスト教以前のヨーロッパ諸民族のように、実の兄弟姉妹間の近親婚さえ禁忌ではなかったほど。ギリシャ神話なんかと同様(それよりは随分最近のことになりますが)、日本の神話や古代の記録にも、実の親子間の結婚なんていう話だって平気で出てきます。

イスラム教、ユダヤ教では、昔から(父方の?)いとこどうしの結婚こそ良縁とされ、イランなどではそれが原則なんだとか。ちょうど手頃ないとこがいない場合にのみ、「しかたなく」他人どうしで結婚するんだそうな。儒教的には禽獣に等しき人倫の蹂躙……だったりして。

                  

ともあれ、まあそういうわけで、夫婦同姓こそが忌むべき不倫行為(「倫」とは、人間どうしのあるべき姿……みたいな)、ってほうが、孔孟をありがたがるような(外来思想にかぶれた?)手合にとってはよほど良識。だから、ってわけでもないでしょうけれど、公家でも武家でも、跡継ぎ以外はいずれ名字が変り、親兄弟でも別姓となるのが男子の通例であったのに対し、女は他家の養女とでもならない限り、生涯生家の名字のままってのがほんとのところ。殆ど名乗る場面がなかったってだけで。

忠臣蔵もののキャストでも、大石内蔵助のかみさんのことを「りく」とか「理玖」とだけ示すならいいんですが、わざわざ「大石りく」などとしていたら間違い。時代考証では初歩的知識です。実家は石束(いしづか)というそうで、姓名を名乗るなら(これも「氏名」って言わなきゃ間違い、って言い張る愚者が多くて……)、結婚後も大石ではなく「石束りく」と言ってたんじゃないでしょうか。わかんないけど。でも、結婚後の女性が、今で言う旧姓で署名している記録は少なくないようではあります(これも正しくは「旧氏」だとよ。「急死」にしか聞こえねえじゃねえか)。

                  

う~ん、さっきからどうにも気になってしょうがないので、一応記しときますが、あたしがここで書いてる「姓」とか「氏」とか「名字」ってのは、特に断らない限りは現代国語としての常識的な用法によるもの、つまり3つともほぼ同義語ですから。……って、そんなこたあ、まともな現代日本人にとってはわざわざ言うまでもないわかり切ったことなんだけど、今の世の中、論理的に破綻し切った自説(「他」説の受売り)を押し通すために、こちらの予断など到底及びもつかぬ破壊力を以て、ネットで仕入れたカラ知識に寄りかかった(それもご丁寧にいちいち誤読、曲解を加味した)寝言、戯言を垂れ流す徒輩が多過ぎますでのう。言わずと知れた筈のことをわざわざ言わねばならぬこの辛さ(ウソ)。

とりあえずなるたけ原典を確かめてからにすれば?って思うこともしばしばございます。原典ったって、別に古文書を繙くにゃあ及びません。直接当って見るなんてこたあ、こちとらトーシロにゃ土台無理だし。でもちょいと図書館を冷やかせば、全何十巻っていうようなドデカい字引きだって覗き放題ですから。

大袈裟な辞典、字典のいいところは、なんたって用例が豊富なところ。当然それぞれの典拠、出典が明記されており、いつの時代のどういう書物にどういう意味や用法で載ってるか、ってのを手っ取り早く教えてくれます。それって初歩の手口なんじゃねえの、って思ってたおいらがやっぱりヘンなのかしら。やっぱりヘンなんでしょうな。まあ、典拠ったって、ほんとのオリジナルは散逸し、底本自体が後世の写本という例も珍しかありませんけれど。

あ、でもね、ダメな日本の辞書って、著者が勝手にでっち上げた例文ばっかり大威張りで載っけてやがんですよ。日本じゃ文句言うやつなんざまずいないようだけど、それって実は相当にヤバい話なんですぜ。実際、古典的な英和辞典、和英辞典なんざ、とても英語たあ言い張れねえようなヘンチクリンな例文に事欠きません。俺もイギリス行くまではちっとも気づかなかったぜ。

                  

とにかく、「姓」も「氏」も「名字」もどのみち今では同義となっておりますが(だって誰でも1つしかなくなっちゃったんだから)、本来は互いに別語(特に訓読の場合)であったものが、かなりの昔から用法の混淆は見られます。とは言っても、「氏」なんざ、単独の字音語としてはまったくの現代語。民法だの戸籍法だのでは「名字」の意味で使われちゃいるけど、そんなのはお上の勝手。政治権力如きに言語を支配する資格はない、っていう基本を知らねえ日本人が多過ぎるんじゃねえかしら。

明治以来、法の条文なんざちっともまともな日本語じゃねえってこたあ、多少とも国語への関心を有する者には夙に常識(か?)。だって、「図画」を「ズガ」ではなく「トガ」なんて読む連中なんだぜ、日本の法曹界に巣食う輩は(失礼ですね。ごめんなさい)。

蛇足ながら、「画(=畫)」の正統的字音は漢音「カク(クワク)」または呉音「エ(ヱ)」であり、「ガ」は慣用読み。「図」を漢音で「ト」って読みてえなら、「図画」は「トカク」でなくちゃ間尺に合わねえ。そんな読み方誰がするかよ。でも「トガ」なんざそれよりもっと妙ちきりんなんですぜ。どのみち字音が混ざっちまってんのは「ズガ」もおんなじだけど、じゃあなんで素直にそう言わねえ。ほんとは2字とも呉音で「ズエ」って読むのが一等まともなんだけどね。「図絵」と同様、重箱読みなんかじゃない、立派な字音語。

                  

それはさておき、いずれにしたって、名字の同義語としては「氏」なんかより「姓」のほうがよっぽど普通、ってのが正常なる現代日本人の感覚ってもんでしょう。他人の「姓」を尋ねることはできても、「あなたのシは何ですか」たあ訊くめえ。「氏名」も「姓名」も前世紀末からはまったくの同義語であると同時に、「氏」と「姓」だけじゃあ用法の互換性は成り立たないもんね。「シは車、名は寅次郎」ってんじゃ意味がわからねえってより、あまりにも間抜けでやしょ。それを、「同姓同名」も「改姓」も間違いで、「同氏同名」、「改氏」が正しいなどと抜かしやがる。とりあえず「カイシ」って打込んでも漢字変換できませんでしたけど。「エキシカクメイ」(易氏革命)は言うに及ばず。

それもこれも、「夫婦別姓はどうでも誤り」っていう屁理屈を掩護せんがための糞理屈たるは明白。「夫婦別姓は我が国の伝統的家族制度を脅かすけしからん主張」なる言説など、考証的にはまったくの噴飯ものです。それなら、源頼朝の妻でありながら北条政子を名乗るとは何事ぞ、とか、夫が足利義政なのに日野富子とはこれ如何に、って言いそうなもんなのに、そういう文句は一度も聞いたことがありません。実に不思議(ウソ)。「日本の名字は氏であって姓ではない」なんて言い張るなら(日本以外にそもそも名字だの苗字だのってもんがあるかどうかはさておき)、北条も日野も、原義を尊重する限り、姓でもなければ氏でもなく、名字以外の何物でもなかろうぜ。

かと思うと、それだけでは飽き足らず、行き掛けの駄賃とでも言うが如く、大日本帝国の「二等国民」たる朝鮮人民に対する「創氏」の強制(「許可」されたのは「改名」のほう)も、「姓」を取り上げたわけではなく、それとはまったく意味の異なる「氏」を新たに名乗らせたのだから、何ら責められるには当らず、てなことまでほざいてやがる。その同じ口で、「在日どもの通名は許し難い特権」だてえんだから、具合が悪くなってくるじゃねえか。芸名だのペンネームだのっていう通名も、日本人以外のものはみんな特権ってことになるのかね。

それにしても、姓だの氏だのっていう外来の文字について、それも千年も二千年も後になって、本場じゃあとっくに字義が混ざっちゃってから漸くその文字を知った日本人が、分際も弁えずにエラそうにその意味を決めつけるたあ、傲岸不遜にも程があろうぜ。宛然今どきの英米人が、碌に読めもしねえラテン語に勝手な定義を施して「無知な」イタリア人やフランス人に講釈を垂れるが如し。恥ずかし過ぎる。

                  

ついまた無駄にリキんでしまった。そんなこたどうでもよかったんでした。日頃から不快を禁じ得ない言辞に触れることが多いもので。

こんなことばっかりやってるもんだから、ちっとも話が進まないうちにまたも益もなく長くなっちまったじゃねえか。てことで、ここでまた一旦切ることに致します。毎度ご無礼至極。

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