2018年3月20日火曜日

セイかシか?(5)

(承前)ときに、血族集団を意味する「うじ」(ウヂ)は同義の朝鮮語に由来すると言われ、類義、類音の語は、モンゴル語だのトルコ語だのにも見られるのだとか。ただし、そちらから日本に渡来したというより、日本へと同様、そっちのも別の方面から伝えられたものだという説もあります。

一方、古代の豪族の地位を示す「かばね」は、今日でも死骸の意味で使われるとおり、骸骨ってのが原義だそうで。皮骨、すなわち「かわほね」が語源と説く者もおり、そこから「血肉を分けた親兄弟」って意味が派生して、それが古代の姓(かばね)に繋がった、ってんですけど、それはどうでしょうね。少々民間語源説の臭いが。新羅では社会的存在の高下を表す「骨品」という語が用いられ、それになぞらえて、本来骨とは関係のなかった「姓」に「かばね」の訓を当てたのでは、ってほうが好きです(大野晋の『岩波古語辞典』の記述)。

いずれの場合も、肝要なのは、漢字はもともと中国語の文字であり(言わずもがな)、それに当てたやまとことばである字訓は、当然ながらまったく同じ意味とは限らないってこと。「氏」も「姓」も、この地が未だ縄文時代にあり、国家なんて影も形もなかった頃にまで遡行可能な文字、と言うより語であり(当然今とは随分字体が違いますけど)、母系を基準とした血族集団の称が「姓」で、そこから分派した個々の下位区分を指すのが「氏」だったとのことです(やがて後者が前者の上位に?)。

なんで「母系」かと言うと、DNA鑑定なんかなかった時代、確実に親子関係を証明し得るのは母方に限られるから、っていう実に合理的な(ミもフタもない?)話。女偏なのはつまりそういうわけでした。

初めは、「姓」が貴賤を問わずあらゆる階層に用いられたのに対し、「氏」は上層に限られたのが、やがてその区別がなくなったとも言い、また、前者が女系、後者は男系の一族の称、とも、あるいは前者は女性、後者は男性に対してだけ用いられた、という記述もあります。女偏はそれ故、ってんですが、いずれも後世の解字。後世ったって、それ自体が紀元前だったりするわけですが。

しかしさらに肝心なのは、日本に初めて漢字なんてもんが伝わって来たのが、これらの文字(の原形)ができてから千年以上、それどころか二千年ほども経ってからであり、実はその数世紀も前の漢代(こっちではやっと弥生時代)に、本場では姓も氏も字義が混淆しちゃってたってこと。

その頃には既に楷書体も使われていたわけですが、だいぶ後になってから「姓」に「かばね」、「氏」に「うじ」という和語を当てたのは日本の勝手で、漢語と和語は本来まったくの別物である、っていうあったりめえのこともわからねえお人が、しばしば大威張りで見当外れのこと言ってるのはまことに笑止の極み。おっと、自分こそまたぞろ大威張りをしてしまった。まあいいか。
 
                  
 
てことで、とりあえず漢字、漢語ではなく、日本の古代における和語としての語義を考えると、氏(うじ)は、先祖を共有する血族集団を指し(「氏族」って言いますな)、その氏の序列を表すのが姓(かばね)ってことになるようで。なんか本来の漢字の意味とは逆転してるような気も致しますが、どのみち古代ったって、それぞれのやまとことばはいつからあんのかわかんないし、後者などは「ねかばね」とも訓じれば、「かぶね」とか「かぶな」とかから転じたって言ってる人もいるようで、結局確たることは(相変らず)わかりません。

原義はともかく、日本にも漸く全国的な支配権力ができ上がった時分には、「うじ」のほうが血筋の繋がった一族、「かばね」はその氏を等級分けした称号、みたようなもんに決められたようではあります。それがさらに、納税義務を課せられた庶民層すべてに充当されるも、やがて律令制の衰退によって形骸化、さらには制度自体が崩壊するに至って雲散霧消、って感じではないかと。朝廷の支配は緩み、私有地、私有民は増え続け、それにつれて和語、漢語ともに、氏と姓の語義もいよいよ曖昧になり、さらには後発の名字/苗字とも混用されるようになった……とか。いずれにしろ、姓だの氏だのを専らセイだのシだのって読むようになったのは、やっぱり明治以降でしょう。
 
                  

そう言えば、前回何気なく書いてましたが、単なる名前、名称を意味する続日本紀の用例における「名字」、ミョウジではなく「メイジ」と読むべきものらしい。漢字の原義としては、「名」が生誕時に親がつける名前、「字」が成人後に改めて加える名前で、いずれも気安くは呼ばせないとっておきの「諱」(いみな)とは別。おいそれと他人には呼ばせないから「忌み名」ってことなんですけど、これが後世の日本における「実名」(じつみょう)とか「名乗」とかいうやつに相当。「金四郎」という「あざな」に対して「景元」が「いみな」って寸法。エラい人の死後の尊称も「いみな」ですけど、こっちは「諡」の訓で、「おくりな」と訓むのが原則。「諡号」すなわち「シゴウ」と書いても、やはり義訓は「おくりな」ですけどね。

ただし、ここでもやはり元来の字義と、日本語に取り込まれてからの語義には齟齬が生じ、日葡辞書の記述によれば、「字」は「名」の意で通用してますね。少なくとも中世末にはそうだったってことで。また、「諱」も、日本で言う「忌み名」より字義は細かく、生前の名前を死後そう言ったのだとか。

因みにその「実名」も『邦訳 日葡辞書』には〈Iitmiǒ. ジッミャゥ〉と記載。つまり、「実」も破裂に至らぬ閉鎖音だったということに。
 
                  
 
ついでに言っときますが、「遠山金四郎」とか「遠山左衛門尉」ならいいけど、「遠山景元」っていうのは近代の、それこそ氏も姓も名字も一緒くたになってしまってからの言い方。実名、諱ってのは極めて正式なもんだから、実際にはその当時の人はあんまり知らない。公式の署名では、必ず「氏」(うじ)+「諱」の組合せで「藤原景元」となり、一方「遠山」という「苗字」と実名は直接繋げません。間に「金四郎」だの「左衛門尉」だのがないとヘン。

家康もほんとは「源家康」、でなければ「徳川次郎三郎」とかね。氏の詐称も結構杜撰だったため、「藤原家康」って名乗らなくちゃならかったりもしたようだけど、そういうお手盛り式は秀吉も、その前の信長もおんなじ。その他大半の「名族」も実情はやっぱり似たり寄ったり。

鎌倉御家人の多くもそうだけど、その前の平安期から、ほんとはどこの馬の骨やらっていう田舎武士が、何とか成り上がろうとする過程で先祖を粉飾するのが基本。建前ではあれ、それが必要条件だったということで。だからこそ(偽)系図屋って商売も繁盛するって寸法。江戸期の大名諸侯も、なんせ将軍家がそうなんだから、むしろ大半がその口、ってより、古代・中世における「なんちゃって源平藤橘」……どころか、そうしたなりすまし名族の子孫というのでさえ、実は勝手に言い張ってるだけで、殆どは中世以前の現実の血統はわからんのです。

鎌倉時代の御家人がその後も各地の領主として居座り、何とか戦国期も乗り切って、結局明治まで大名として存続、って例もありましょうが、先述の如く、その鎌倉の祖先自体の正体は?ってことんなると、甚だいかがわしいと申さざるを得ず。誰が子孫を名乗っていようと、先祖にされちゃったほうは文句の言いようなどありませんから。

尤も、それは同時に、実際は古代天皇の子孫でありながら(天皇の先祖自体がいかほどのものか……って言い出すとキリがないのみならず、相変らずちょっとヤバいかも)、中世にはとっくに「馬の骨」と成り果て、江戸時代には成り上がりの殿様階級に苛斂誅求を受ける立場になっちゃってた人たちもいるということに。結局のところ、時流に乗り遅れればそれまで、ってのはいつの時代も、またいずれの領域においても変らぬ世の習い。

関ヶ原の戦後処理では、徳川の敵方、いわゆる西軍に加担した者のみならず、日和見を決め込んだ大名も懲罰の対象となり、それに付随して百姓身分に落された家来などもおり、抵抗して殲滅されたという例も。重複しますが、その粛清された戦国武士のほうが、粛清した側の徳川なんかよりよっぽど先祖は立派だったりする(かも知れない)ってことも充分あるわけです。
 
                  
 
さて江戸時代の話。特権階級の象徴たる(?)苗字も、別に当主にとって何がありがたいってこともなく、むしろ家名としてそれを継承し保持して行くという重責を担うのが家督相続者。飽くまで一子相伝の家の名が狭義の苗字というもので、決して家族の名前などではないため、当然嫡子以外には伝えられません。その点でも、「日本の名字は氏であって姓ではないのだから、夫婦別姓は無効」などという言いがかりは笑止千万。

とにかく、いつまでも父親や兄貴と苗字が同じってことは、冷や飯食いの部屋住みだっていう証拠であり、養子の口が見つからなければ一生正式な妻帯も認められず、嫌なら刀を捨てて庶民になるだけのことです。実際そうした例も珍しくはありませんでした。

逆に、実子がありながら、因果を含めてそれを廃嫡し、持参金目当てに富裕層の庶民から養子を迎える、なんていう身も蓋もない事例もあったりします。それほど江戸時代の武家はどこも困窮していたのですが、戦国の終焉時における先祖の碌を世襲してるんだから、百年、二百年と過ぎるうちに、当然インフレは仮借なく昂進を続け、とてもそれだけじゃ暮しは立たない。まあ、建前は戦闘員ですから、どのみち太平の世では専ら無為徒食に甘んずるだけの無用の存在。充分な収入が付随する何らかの役職にありつけない限り、にっちもさっちも行きゃあしねえ、ってのが平均的武士の常態だったんです。

江戸の御家人など、バレたらヤバそうだけど、元手を貯めて金貸しをやる者もあれば、ゆすりたかりの常習犯も。大抵は各種の内職仕事に従事し、市販の日用品には熟練の御直参による製品も少なくなかったりして。ともかく、直参に限らず、所定の俸禄だけでは生活自体が維持できないのが大抵のお侍。一方で、できれば二本差しになってみたい、と思う物好きな庶民もいますから、需給の釣合いが成立する場合もあるというわけです。金のために刀を捨てる者もいれば、侍になるためだけに大金を惜しまぬ者もいたってことで。
 
                  

「苗字帯刀の禁」ってのも、建前としては、庶民が勝手に苗字を名乗ったり刀を差したりすんのを、「おまえらちゃんと取り締まれ」っていう、各領主に対する通達のようなもんなんですが、それは同時に(と言うよりむしろ)、殿様が金と引換えにその特権をむやみに付与する悪しき風潮を抑えるためでもあったのだとか。ところが、結果的にはますます「欲しけりゃ金よこせ」って手が横行するようになり、実際幕府でも諸藩でも、なんせいよいよ困窮を深めてるもんで、何かと不足する資金を豪農や豪商に負担させる代りに、恩着せがましい「苗字帯刀御免」を連発し続けたんだそうな。あまりにも頻繁にそれやってたもんだから、すっかりありがたみもなくなっちゃったりして。

どのみちそれも、明治初期には全部取り消されます。徳川の世で苗字帯刀御免となった民百姓は、新政府によってその特権を取り上げられるんですが、数年後には国民全部に苗字が「強制」され、さらには廃刀令によって士族もすっかり形無し。めでたく四民平等とは成りにけり、って感じ。
 
                  
 
ああ、この「四民」ですが、これもまた例の日葡辞書に記載があり、〈Ximin. シミン(四民) Xi, nô, cô, xô. すなわちSaburai, nônin, tacumi, aqiŭdo.〉ってんですよね。「士農工商」という言い方は中世から存在したってことに。でもその細目は「侍」、「農人」、「工」(たくみ)、「商人」(あきうど)だったんですね。身分ってよりは、職業区分。階級と職業が連動しているのは、洋の東西を問わぬところではありました(未だにあります)でしょうが。
 
                  
 
いずれにしろ、苗字ったって、もともと寛政期(18世紀末)までは厳然たる特権ではなかったってことでしょう。「公称」は控えられていたのかも知れませんが、百姓町人の大半が事あるごとに苗字を署名していたことは、それを示す多数の記録によって明らかです。

「帯刀」のほうについても、18世紀前半までは庶民が短いのを差している絵をよく目にしますね。特に京阪では町人がみんな差してるような塩梅。侍だらけの江戸はまだ事情が違ったのかも知れませんけれど。

あ、でもそれって、享保の「文運東遷」以後、つまり吉宗将軍就任を機に漸く江戸も上方に匹敵する文化風俗の発信地となってからは、前半とは逆に、京阪より江戸の絵画史料のほうが目につくようになってるからかも知れません。京都大坂では幕末まで結構みんな刀差してたのかも。

……わかんないことが増えちゃったじゃねえか。自業自得。
 
                  
 
う~む、またしても迷走から脱するどころかますますあらぬ方角へと迷い込んでしまいましたが、姓氏・名字については、常々憤懣やる方なき思いに囚われて(=ちょっとムカついて)おりますれば、今少し毒づいておきたいところではございますものの、それはまた後日ということに。いつになるかはわかりませんが、この話柄、すなわち姓氏問題については、言いたいことを吐き出しとく、ってより、敵(誰?)の飽くなき牽強付会を看過したままでは、まるでこっちが間違ったことを書き散らしているかのように言い立てる手合を放置することになりますでのう。

いや、実際前にあったんですよ。SNSのこっちの書込みに対し、誤謬と虚偽で「理論武装」したバカが、居丈高にトンチンカンを並べ立てて攻めて来やがったことが。

もとよりそんなバカどもは一生バカのままでいりゃいいだけのことだけれど、自身はバカじゃないのに、たまたまそういう謬論(ってほどのもんだとも思っちゃいねえが)を目にして鵜呑みにしちゃう人も存外多いってのがわかってるもんで……。義を見てせざるは何とやら、などという殊勝な思いあってのことでもござらぬが。

てえか、ほんとは飽くまでてめえの勝手な存念。言わずもがな。
 
                  
 
……てことで、またぞろどうもすみません。 ‘I wonder what to do with myself’ って歌の文句を思い出してしまった。いくら唸ったところで仕方ないけれど。

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以上、5回にわたって再編、再録を試みて参りました「姓氏論」、例によって索然たるまま終焉には至りましたが(強引に区切っただけ)、これもまたとんでもない駄長文のほんの一部を切り取ったものでして、この後にも、今日「島津」「毛利」「山内」などと固有の名字で呼ばれている大物大名の大半が、実は江戸時代を通じて軒並み「松平」だった(少なくとも当主は)、ってなことも書いてんでした。

でも、話が長くなるってより、全体の流れから切り離すのがますます厄介そうなので、その部分は飛ばしつつ、戊辰戦争の初期に「新政府」の指示で、松平から山内に「改姓」することになった土佐藩主(自らがその新政府の幹部だったりして)についての記述に絡んで書き散らした、当面の趣旨たる姓氏問題への言及部分だけを切り取って、またぞろ以下に掲げようかと思います。雑な切り貼りで恐縮。

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〔前略〕一族の称である氏(うじ)を位階づけた姓(かばね)について申しますと、早くも奈良時代には殆ど「朝臣(あそん)」ってのしか使われなくなってて、もうとっくに、偉いやつの署名に景気づけで添えられるだけっていうような、無意味な形骸となり果てていたのでした。

それが明治初期のほんの一時期にだけちょっと復活したようで、さすがは「王政復古」と言うべきか、宛然律令時代に逆戻り。ほんとは大名諸侯のお歴々でさえ先祖は貴族とは程遠いのが実情だったってのに、薩長の下っ端上がりの「元勲」が無理やり朝臣だ宿禰だって言ってやがる。ついでに苗字も「本姓(ホンセイ)」、すなわち「ハジメ ノ ウジ」[明治5年版「布令字弁」(法律用語字典……のようなもの)の定義。ただし小学館『日本国語大辞典』の表記]にすべしってことんなって、大久保一蔵(正助)が「藤原朝臣利通」、木戸準一郎(桂小五郎)が「大江朝臣孝允」だと。

でもそんなことやり出しちゃったら、それこそ律令時代の混乱を再現することになり、案の定、どこもかしこも駐車場ならぬ「源平藤橘」と「朝臣」ばっかり。区別がつかなくてしかたがねえから、明治4(1871)年には早くもその2つは使うな、っていう「姓尸不称令」(せいしふしょうれい……と読みます、今は)が出され、あっけなく大久保利通だの木戸孝允だのって言い方に落ち着き、次いでほどなく国民全部に苗字1つと個人名1つが許可、てえより強制されることとはなったという次第。

これ、姓(セイ?)が元来の氏(うじ)のことで、尸(シ)がもともとの姓(かばね)に当てられた表記なんですが、元来は姓の字の義訓だからこそ「かばね」、つまり「骨品」になぞらえた「骨」ってことで意味をなすんであって(かぶね=株根の転訛との説もあり、結局もう誰にもわかりゃしませんが)、尸じゃあそのまんま「死骸」ですぜ(比喩として「有名無実」とか)。骨だけじゃなく肉も皮も一緒くたじゃあねえかい。身も蓋もねえたあこのこと。明治新政府のいかがわしさの発露、とでも言っとくか。それ以前にも用いられていた表記ではあろうけれど。
 
                  
 
夫婦別姓けしからん論者が言い張る「日本の名字は氏(シ)であって姓(セイ)ではない」ってのも、どうやらこの辺りからのお上の言い方を根拠にしたつもりらしい。どのみち「名字は名字であって姓でも氏でもない」ってのが本当だろうに。わざわざ異同を論おうってんなら。

敢えて申すまでもなきことながら、「氏」が「家柄」で(無論戦後の民主日本では「法的に」無効)、「姓」は「血筋」だから日本の「名(苗)字」は前者に限る、なんてのは、近代以降の「無知な」為政者や法曹関係者による、寝言と呼ぶもおこがましき与太話。自己正当化の辻褄合せにすらなってはおりませぬ。それをまたさらに愚蒙を極めた今日の半可通ども(てえ呼び方すらもったいねえけど)が、身の程知らずにもトンチンカンな出まかせを吹聴してるって寸法。

本来の氏(うじ)のことを、エッラそうにも「姓」または「本姓」と言うのが正しい、なんて威張ったって、それいったいいつからだってのよ。氏をシと読んで苗字のことだなんて言い出すのは明治も後半、殆ど20世紀以降だし、姓の字を専らセイって読むようになったのも明治になってから、ってことは既に申しました。「本姓」という語については、江戸時代の辞書(事典)、伊藤東涯による「名物六帖(めいぶつりくじょう)」に「本姓 ホンメウ」とあるって話ですぜ。つまり読みも意味も「本名」ってこと。明治の「布令字弁」だって「ハジメ ノ ウジ ノ コト」って言ってっから、どう足掻いたところで、日本の名字は家柄を意味する氏(シ)であって姓(せい)ではない、なんざお笑い草。いや、笑えもしねえや。
 
                  
 
これも前に言及したことではありますが、ここまで来ちゃあしかたがねえ、もいちど言っときます。原義としては姓の下位区分が氏であったものの、いずれも血族「集団」の称。しかも、日本(と今は名乗っているこの地)に漢字なんてもんが伝来する何世紀も前に本場でさえ字義は混淆しており、後からそれぞれに当てられた「かばね」だの「うじ」だのっていうやまとことばも、もちろん本来はそのいずれとも無関係。

律令時代には、血族を表す「うじ」(それに当てた字が「氏」)を等級分けした呼称が「かばね」(「姓」と表記するも、明治には「尸」なんてことに)となり、それがまた時代を経るにつれて、比喩的発想によるさまざまな派生義、派生用法を生じ、「家柄」を表す「うじ」もその1つ。「氏素性」の「氏」がそれで、もちろん今で言う「法律上」の「シ」とはまったくの別物。ご丁寧にも「セイとかばね、シとうじは別語」だなどとも威張ってやがるけど、そいつぁこっちの台詞。

大修館の『諸橋大漢和』によれば、「姓」の呉音ショウ(ソウ)は「氏」と混用して「うじ」の派生義たる家柄を表し、漢音セイは原義たる血筋の意であると同時に、「かばね」という義訓に対応するのもまたセイということに。一方、「姓」を「うじ」とも訓じれば、「氏」の字音には「セイ」もあり、かと思えば「尸」も「氏」もともに「シ」だったりするのだから、安直な認識が禁物であるは言うを俟たず。そんなことすらわかりもしねえで勝手なことばかり抜かす手合の驕傲ぶりこそ断じて黙(もだ)さざるべけれ。

……ってな調子でやってたらまたキリがなくなるので端折りますが、字義や字音についても、また和語の意味や用法についても、その変遷に対する基本的な理解(の前に関心)すら欠いたまま、蒙昧と恣意を極めた妄言を飽くことなく重ねる徒輩の存在を思い知らされるたびに、つい憤りを抑え難く、結局こうなっちゃう次第。ほんと、しょうがねえな。
 
                  
 
いずれにしろ、法務省自身がわざわざ〈「姓」や「名字」のことを法律上は「氏」と呼んでいます〉って言いわけしなきゃならねえほど、単独の字音語として「氏」を前二者の意に用いるのが妙だってことは昭然たるところ。それが唯一正しくて、「夫婦同氏」はいいけど「別姓」はそもそも言い方が誤り、なんてのは言いがかりにもならねえ堅白異同であるは炳乎の極み。「同氏」ったらふつう、「今言及したその人」ってほどの意味にしかなるまいぜ。「法律上」はどうか知らねえけどさ(知ったことじゃねえし)。「ベッシ」って言われても「別紙? 蔑視?」って思っちまうじゃねえかよ。正常な母語話者であれば。

法の用語が唯一正しいってんなら(上述のとおり法務省自体がよんどころなく言いわけしてるわけだけど)、小学校の「図工」すなわち「図画工作」なんざ、どうでも「トコウ」って言わざあ間尺に合うめえ。誰がそんな言い方してるってんだか。いや、誰がしなくても、てめえらは是非ともそうしなくちゃならねえだろうよ、別姓は間違いで同氏って言わなきゃならねえってんならさ。話が通じなくったってそりゃしかたがねえ。間違えてんのは「ズコウ」なんて言ってる世間のほうなんだろうから。

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以上がその切り貼り部分でございました。横着であいすみません。さて、この期に及んでって感じですが、ちょいとさらなる蛇足も……。
 
                  
 
19世紀末に、漢字の原形とも言える甲骨文(字)が発見(学術的な研究対象として認知)され、その分析が進むにつれて、漢字というものの発祥がより明確になった……らしく、ここ2千年ばかり漢字についての最高権威と見なされてきた、最古の本格的漢字典『説文解字(せつもんかいじ)』が説くところも、結局はその編纂時(日本はヤマトタケルの親父、景行天皇の御世……ったって弥生時代だけど)における古典の記述に依拠したものなれば、必ずしも各文字のそもそもの成り立ちを正確に伝えるものではない……ってことになるような。

それでも、後代の、つまり漢字として確立して後の字義、用法については依然最高の権威には違いなく、「世界最大の漢字辞典」とされる件の『諸橋大漢和』を始め、漢和辞典でもまずこの『説文』の定義、解字を何よりの拠りどころとはしているようです。比較的新しめの字書のほうが、甲骨文についての記述は多いような気もするんですが(もちろん確かめたことはないけれど)、つまり時間の経過とともにそれだけ研究が進んだってことなんでしょう。わかんないけど。
 
                  
 
ということで、とりあえずはこれにて姓名についての駄論は終りということになろうかと。まあいずれは、ここに掲げた分の前後の記述にも何とか整理を施し、懲りもせずまたここに掲げて参る所存……ではあるのですが、さてどうなりますものやら。何せ生活の基盤自体がかなり脅かされてるもんで。つまりこれ、明らかに逃避行動なんですな、ってひとごとのように言ってる時点でダメだってこたあ重々承知。

ま、しかたがねえ。

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