2018年3月21日水曜日

東京語の音韻その他について(1)

2016年10月頃から長期にわたって SNS に書き綴った愚文の一部に手を加え、ここに再録している次第なのですが、いっそのこと、これまでの掲載分を一部とするその駄長文自体を順次掲げて行こうかと思いまして。

依然相当の分量が残っており、趣旨の逸脱、迷走も頻繁なれば、随時区切りを施して参る所存。極力文章の整理にも努めるつもりではございますが、何せもともとが無計画に書き散らした恐るべき長文ですので、自ずとその整理にも限界はあろうかとは思われます。……などという予めの弁解がまた小ざかしいところですけれど。
 
                  

とりあえず、前回の再録分に至るまでの迷走経路をざっと示しますと、

①「赤とんぼのメロディーとアクセントについての難癖」→ ②「NHK の発音・アクセントへの言いがかり」→ ③「鼻濁音・無声母音の欠落に対する愚痴」→ ④「(田村兄弟と)石倉三郎への勝手な苦言」→ ⑤「八丁堀同心(の巻羽織)および町奉行とその役宅についての無駄な論考」→ ⑥ 「坂部三十郎の話」→ ⑦「名字/苗字についての御託」→ ⑧「姓氏の語義、用法に対する傲岸愚蒙なる言説への恨み言」→ ⑨「大部から成る各種辞典に拠った自説の正当化」→ ⑩「日葡辞書談義」……

ってところなんですが、最近の「連載」はこのうち⑦から⑩までだったんですね。自分でも今気がついた。結局その後も長々と続いたし、最初の①だってそれ以前の書込みを継承したものだったので、そのSNSでの「連載」を始める少し前まで遡り、言わば準備段階の如き部分から、適宜修正を施しつつ以下に掲げて行くことに。
 
                  

まずは少しく説明など。

2016年秋、件の SNS に書き散らした拙の駄文に随分と好意的な返信を寄せてくださった奇特な方がいらっしゃいまして、これがまた、東北も最北端、青森生れの自分には憧憬の念もだし難き粋な江戸っ子の姐さん。

自分がじきに還暦ですから(2018年現在)、この姐さんもそれなりの年輩には違いないのですが、とにかくこのお人と、江戸弁および東京における関西弁問題(そんなのあるのか?)について交したやりとりに触発され、東京語の発音とアクセントについてかねがね抱いていた断片的な所感ををまとめてみようなどと、またも無益なことを思い立っっちまったという経緯なのでした。

どうせまた野放図に長い話と成り果てるは必定、ってこたあわかってたんですが、やり出したらそんな予想なんざ遥かに超越し、何と数ヶ月にわたってダラダラと迷走を重ねることになってしまったという恐るべき仕儀。

とりあえずは、発端となった2016年9月29日の拙文、「東京における関西方言の猖獗」(?)に対する苦言(難癖)といったものを以下に再録致します。件の長駄文を書き散らした、自分にとっては主たるほうとはまた別の SNS で見たニュースネタに対し、改めてその主たる SNS で愚痴ったんでした。しょうがありませんな。なにしろ恐縮至極。

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関西人が「東京に来て言われたムカつく発言」』という記事を見たんですが、関西出身、都内在住の20~50代男女200人によるアンケートへの回答結果とのことで、1位は〈関西人なのに話がおもしろくないよね)で53.5%の由。しかし中には「ムカつくってあぁた、どっちかてえとこっちが不愉快なんだけどねえ。まあムカつくとまでは言わねえけどさ」と言いたくなった例もあり、つい下記の如く「つぶやいて」しまったという次第。

《「いつまで関西弁しゃべってるの?」、「アホか!って、バカにしてるの?」とは思うことがある。思うだけで言わないが、言われたからといってムカつくというさらなる倨傲には驚く。東京ったって、俺は青森生れだし。》

その SNS の「つぶやき」には字数の制約があり、その字数ギリギリに収まるよう、わざわざ要らざる工夫にも興じてしまいました。新聞記者の苦労がよくわかる(ほんとか)。

ところで、これは弁解というわけでもないけれど、上記は決して西日本出身者の訛り、つまりアクセントとか発音とかを論うものではなく、単純に、自らの地元ではない他地域にいて、しかも多様な他地域出身者が(たとえ訛りがあろうと)皆共通語で話しているのを日々目の当りにしながら、いつまでも自分の勝手な話し方を押し通すごく一部の東京在住者に対する不快を表したものです。その傲然たる身勝手への(妥当な)苦言にムカつくってんじゃあ、もはや手の施しようもないわがまま、思い上がりというものではないかと。

「よう言わん」が「言えない」なんて意味になろうとは、こちとら子供の頃はまったく想像だにし得ず。大人になってからだって「いろたらあかん」だの「はよほかしとき」などと言われ、わけがわからずまごついてたら怒り出したバカ(おっとアホか)もいやがった。東京に限らず、そんなのがどうしてよその土地で通じると思い込めるんだか。やっぱり根本的な傲慢としか思われませず。

ならこっちだって津軽弁でまくし立ててやってもいいんだぜ。ひとことも理解できまいが。でもそれやるとムカつく前に笑われるだけでした。

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……てな次第にて。この勝手な独り言がちょっとした契機となり、件の江戸っ子姐さん相手にいろいろ書き散らしているうち、以前のブログでもちょいと言及しとりましたが、「赤とんぼ」のアクセント談義などに耽る仕儀とはなったのでした。次回より追々その話を掲げて参る所存です。多少居直りにも似た心地にて。

……てこたあ、今回は敢えて看板に偽りあるを承知の上で、東京語云々には触れずじまい、ってことんなるわけですが、まあそいつぁしかたがねえ。どうせあっしゃあそういう場当り的なやつですから。それにしちゃあ言うことがいちいち無駄に細かい、との指摘はしばしば受けますけれど、やっぱりどうにもしかたがねえ、ってことでどうか。
 
                  

……と思ったんだけど、なんかつまんないので、ちょいと今回の付録とでもいうが如く、上記の駄投稿に対する、その姐さんからの数次に及ぶ所感に応じた拙の返信を、ほぼそのまま以下に並べときます。まあ手抜きってこってすが、そこはどうぞ悪しからず。

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江戸弁、あこがれです。関西弁がこれほど猖獗を極めているのだから、何ら遠慮するには及ばないものと存じます。
 
ほんとはあたし、「まっすぐ」じゃなくて「まっつぐ」って言いたいところなんですが、江戸っ子でもない東北人の分際でそれは僭上であろうとの判断から自粛してる、って言ったところ、「言っちゃいなよ」とのありがたきお言葉を頂いたりして。でもどこで誰に言いましょう。やっぱりちょっと難しいかも。
 
……などと言うそばから何ですが、実は臆面もなく「~みたいな」の代りに「~みたような」は結構使ってます。口頭ではまず致しませんが、こういう投稿文などではしばしば利用。初めて見たのは(聞いたのではなく)、山本周五郎の、たぶん戦前の小説において。「へえ、そういう言い方もあるんだ」と思ったものですが、実は「~みたいだ」の形が定着したのは戦後だという情報も。
 
なんせ話し言葉なもんで、確たる記録もなく、戦前の時点で既に成人だった存命中の東京人に確かめようにも、「そんな昔のこたあ忘れちまったい」って感じでしょう。結局のところ判然とはしないものの、百年足らず前までは割と普通の言い方だったのは間違いないようで。
 
しかしこれも、さらに遡ると明治以降に使われ出した形だそうで、幕末の時点ではまだ「~を見たよう……」と、必ず助詞を付していたとかいなかったとか。いずれにしろ「~みたいな」は「~みたような」がつまったもので、存外新しい(と言っても前世紀前半からの)語法ではあるようです。
 
「まっつぐ」よりゃよほど通りが悪そうなのはわかっていながら、こういう言い方(書き方)は平気でするというこの私、やっぱり人格的に問題ありそうですが、なぁに、当の俺が気にしなきゃそれまでよ、ってことでひとつ。
 
さて、共通語と方言(厳密には俚言または地方語)の関わり、あるいはせめぎ合いについては、またぞろ述べたいことが少なからずございまして、余裕ができたらまた一文(たぶんまたとんでもない長文)をものしたいなどと思いついてしまいました。「迷惑」に乞うご期待。
 
               
 
駄目押しの蛇足:「標準語」というのは近代の国家的理念ではあったものの、現実には確立不能というのがバレて、戦後に採用された言い換えが「共通語」ということに。ただし、言語学的には、個々の単語についての、全国共通か局地的なものかという基準による区分だとも。
 
たとえば、東京では以前「学区」としか言わなかったのが、昨今は(またしても)西日本の地方語であった「校区」がいつの間にか普通になっちゃってるというのがありますね、この「学区」と「校区」がいずれも非共通語の例ということに。でも今じゃあ東京語(青森でもそうでしたが)の「学区」を「校区」が駆逐せんが如き勢いで、さながら共通語の地位を得たるが如き様相。それがどうしたと言われればそれまで。
 
なんか他にも「校下」という言い方もあるそうですが(聞いたことないけど)、紛う方なき共通語は「通学区域」だそうで。でもそれ、いかにもお役所言葉っぽくて、とりあえずあまり庶民的じゃありませんね。やっぱり余計なお世話だけど。
 
               
 
ええと、ひとまず重ねて言いわけしときますが、東京に住む関西人の大半は、他の地方出身者と同様、普段は普通に東京語で話していることは当然承知しており、ごく一部の人たちだけが随分と傲慢だっていうのが先般の投稿の趣旨でした(こんなこと言われたらまたムカつくんでしょうけど)。
 
自分の訛りや俚言に無自覚な他地方出身者にだってときに会いますが(たまたま知ってる数が多いだけかも知れませんが、結構九州出身者、それも訛りの強烈な筈の薩摩人より、福岡、佐賀、長崎あたりの人に多いような。偏見かしら)、一部の関西弁普遍主義者(今勝手に作りました)と決定的に異なるのは、決して自分の生れ在所の地言葉をそのまましゃべってるわけではなく(そのつもりはなく)、飽くまでほんのちょっとだけ(あるいはかなり)非東京的発音や非共通語がうっかり混ざってるだけなんですよね。
 
だから「いってえ何言ってやんでえ」ということにはならないわけですが、関西弁・上方訛りの場合は、無理が通れば何とやら、テレビその他でさんざん垂れ流された結果(ムカつくならどうぞご随意に、と居直る気分にて)、本来は完全な地方語に過ぎない筈が、今や東京語を大きく侵食し、少なからぬ語彙が宛も共通語の如く罷り通るように成りおおせているという情勢。江戸っ子でもねえおいらがエラそうに言うことでもねえけどよ。
 
少し前にも、あたしが「酒の肴」って言ったら、「それってアテのことですか?」って若い女性に訊き返され、軽くギョッとしたことが。それ、初めて聞いたのはせいぜい20年ほど前でしょうか、やはりテレビの関西芸人の発言でした。「そいつぁ『さかな』とか『つまみ』とかのことかえ? なんで普通にそう言わねえ」と、それこそちょいとムカついたりして。
 
まあ「せいぜい20年前」と言ったところで、若い世代にとっては幼い頃からそれが普通だったことになり、何ら驚くには当らないんですよね。しかしその女性、東京生れの東京育ちだってのがいささか悲しいところ。これもまた青森生れの下拙如きが嘆くべきこととも思われませぬが。
 
類似例は他にも多数あるので、これ以上はいちいち言挙げしないことに致しましょう。と言うより、こんな話をするつもりじゃなかったのに、話を始めると同時に、どんどん枝道へ入り込んで行くのが拙者の必殺技。犠牲者は自分自身か。
 
てことで、本題はまた後日改めて。
 
               
 
生れつきの性格もあるのでしょうが、恐らく青森という掛け値なしのど田舎(今はともかく自分の幼児期は)の生れながら、10歳で偶然東京で暮すことになったことが、言葉というものに対する関心を(異常に?)深めるに至った原因かも、とは思われます。
 
1969(昭和44)年、初めて東京に来て(最初に降りた駅は飯田橋。それは青森県庁職員だった親父の事情)、最も感動したのが、東京の大都会ぶりではなく、それまでテレビやラジオでしか聞いたことのなかった東京弁をその辺のみんながしゃべってるってところ。まあ、子供でしたから。
 
でもその後3ヶ月は埼玉の浦和(現さいたま市)で過し、改めて東京に越してきたのは6月末。結局2年足らずでまた田舎に帰るんですが、10~12歳の子供にとっては充分に長い歳月。英国暮しを挟んで10年足らず後にまた東京の住人となり(文京区内だけで何度か転居)、以来40年近く、っていう感じなんですが、外国語の音韻を学んだことと、一旦東京を離れたことが、ずっと東京で暮らし続けている人が大抵いつの間にか忘れているかつての東京語の姿に対する(執拗な)思いに繋がっているのかも知れません。
 
音楽と英語に加え、実は子供の頃から時代考証にも関心が強く、それで江戸語にも普通の人よりはちょいと詳しい、ってところもあったりして。僭越のようではありますが、かつての東京弁に対する懐古趣味は、真正の東京人一般より明らかに激しいですね。
 
今でも家族(4人の姉妹だけですが)と話すときは、お互い自動的に青森アクセントになりますが、発音の訛りはなく、字にすれば東京語と何ら変りません。切り換えは自由自在。東京の小学生だった時分は、友達を家に呼んだとき、母親と話すのに困ったのが思い出されます。友達に青森アクセントを聞かれるのは恥ずかしく、かと言って母親相手に東京弁を使うなどはさらに照れくさく、毎回窮地に追い込まれてました。
 
それもやっぱり子供だったからで、今なら人前でも身内とは平気で青森式に話せます。相手によって言い方を変えるのはむしろ礼儀に適っていようし、簡単にしゃべりを切り換えられるってのも、ちょっとした特殊技能では?なんて自負してたりして。英国に住んでいれば、相手によって英語と日本語を行ったり来たりってのは当り前で、それに比べれば、同じ日本語なのにアクセントの違い如きを気にするなど笑止、ってところですね。
 
               
 
〔「ら抜き言葉」への言及に応じて〕途切れ途切れですみません。
 
嘆かわしくも、もはやそのようですね。まあ、自分だけは死ぬまで「ら」は抜かねえぜ!って覚悟ですが。
 
でもこれ、助動詞の「られる」から「ら」を「抜いた」のではなく、例えば五(四)段活用の動詞「行く」の未然形に助動詞を付した「行かれる」に対応する、それとは別の下二段活用の可能動詞「行ける」といった例に類する言い方を、本来存在しなかった五段以外の動詞にも流用してしまった誤用、ってのがほんとのところかと。つまり抜いてるんじゃなくてハナからあるべきものが欠落した舌っ足らずってことで。
 
二段活用、すなわち「着る」だの「寝る」だのについては今でも反発する人が少なくないとは言え(「切る」、「練る」は五段なので、「切られない」、「練られない」とともに、「切れない」、「練れない」も苦しからず。ただし近世以降。今はそのほうが普通)、実はカ変(カ行変格)活用の「来る」に対しては、相当古くから「来れる」って言い方が普通になってんですよね。あたしも子供の頃はそう言ってました。西の出身ではありますが、ノーベル賞作家の川端康成も堂々と自作に書いてますし。何の小説だったか忘れちゃったのは、大しておもしろくなかったからでしょう(失礼な)。
 
実は私、もう手遅れとなった「ら抜き」より「さ入れ」のほうがよほど気障りでして。でもそういうのって、決して若い世代だけのせいではなく、自分と同世代の森昌子が離婚後歌手活動を再開するに当って、「また歌わさして頂きます」みたいなこと言ってたのにガッカリした記憶が。本人だって、十代、二十代の頃には絶対にそうは言ってなかった筈。意識を保っていないと、簡単に周囲に流されちゃうってことですね。「若者の言葉の乱れ」なんて言う前に、果して自分はどうだろう、って少しは考えたほうがいいかも知れません。
 
斯く申すわたくしも、以前「うまくもねえ酒を……」ってのを、つい今風のアクセントに引き寄せられ、起伏型(「う」を低く、「ま」を高く、「く」でまた低く)で言ってしまい、瞬間的に「あれ、何か変」って思ったことがあります。本来の東京アクセントでは、頭高型で、「う」が高く「ま」以降は低いままなんですよね(その前に「う」じゃなく「ん」が最初の音節だったりもしましたが)。病的な拘泥体質であるこのあたしでさえこうなんだから、普通の(まともな、とも言います)人が知らず知らずのうちに言い方が変ってても何の不思議もないわけで、そうなるといよいよ「ら抜きはけしからん」って言っても詮無いような。
 
う~む、と唸っときます。
 
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……というような塩梅にて、次回からもまたこれに続く過去の拙文を掲げて行く予定です。上に並べたような返信文ではなく、最初に掲げたような投稿の本体、ってことですが。

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