2018年3月22日木曜日

東京語の音韻その他について(3)

本旨に立ち戻りまして(本旨たって、それ自体が枝葉だったような……)、「方言」と「俚言」の違いは何かと言えば、前者のほうがより広い括りでの地域言語を指すのに対し(関西とか関東とか、あるいは大阪とか東京とか)、後者はその細目とでもいうような、もっと細かい区分に当てられる傾向があるようです。でもそれよりは、方言がその地方・地域に固有の言語現象全般を指すのに対し、俚言は個々の具体的な語彙や表現に用いられることが多い……と言うよりは、もともと言語体系全体ではなく、個別の語句について使われるのが俚言なのだとも。同義語とされる「俚語」にはさらにその用例が多いとのことですが、いずれにせよ、厳密には特定の言い方を称して「方言」というのは穏当ではなく、「まっつぐ」は江戸の俚語(俚言)というのが正しいようで。

まあそれを言うなら「共通語」も、それどころか「標準語」だって、個々の「語」について用いるのが本当かも知れないということになりそうですが、だからと言って区別のために「共通言」だの「標準言」だのとは言いませんよね。してみると、「俚言」ってのは随分とどっちつかずの、鳥とも蝙蝠ともつかねえ曖昧な野郎だったてえことに。いずれも、本邦よりはよほど研究の進んだ西洋言語学の用語の訳にとりあえず当てた漢語が、もともと持っていた大雑把な語義と未分化のまま今日に至る、ってところでしょうかね。どうでもいいか。

                  

さて、さらに本題に立ち返り、個々の事例を指すのではない「共通語」の話。かつての標準語を継承する存在ということになるのでしょうが、その標準語はと言えば、地域間の言語的齟齬に起因する意思疎通の不全解消のために策定されたのもので(また勝手にまとめました)、放送によってそれが流布された結果、日本中の住人が他地域の者とも容易に話を通じ合わせることが可能になった、ってところなんじゃないかと。そのラジオ放送発足に当って、放送要員のために充当されたのがいわゆる標準語であり、その標準語に擬せられていたのが、江戸後期に知識層の実質的共通言語となっていた江戸の上層武士階級の方言(の特徴を伝える)、「山の手言葉」というやつ(参勤交代で全国から集う大名はほぼ悉く江戸生れ江戸育ち)。

山の手で思い出しちゃった。ずっと前に、「へえ、本郷に住んでんだ。いいね、下町って」と言われてちょいとムカついたことが。そりゃあ俺だって、今どきは世田谷辺りにとどまらず、つい数十年前まではまったくの田園地帯だった都下の新興住宅地までが山の手を名乗って(いつの間にかそう呼ばれて)るのは知ってるよ。鬼じゃあるまいし、それがけしからねえとまでは言わねえが、元祖山の手・お屋敷町たる本郷が下町たあ恐れ入谷の何とやら。とっくにその風情は失われ果ててはおりますけれど。てえか、またぞろ俺のようなよそ者が威張って言うことでもねえけどさ。
 
                  

気を取り直しまして、そのNHK(の前身……の一部、東京放送局)が、百年足らず前の1924(大正13)年にラジオ放送を始めるに当って、アナウンサーは須く完璧な標準語の話者たるべきこと、ってんで、少なくとも3代に及ぶ山の手出身者がふさわしい、などと言ってはみたものの、現実にはもうそんなやつぁほぼ皆無だったため、選考基準を緩めざるを得なかった、とかいう話です。幕末の参勤交代廃止(それどころか将軍本人が上方行ったきり)、続く御一新騒ぎ(江戸者にとっては「瓦解」)で山の手の殿様やその家来は雲散、その後には薩長の芋侍どもが住み着くといった具合で、純粋な山の手殿様言葉の使い手なんざ、とっくに絶滅していたってオチ。

因みに「殿様言葉」ったって、「余は満足じゃ」だの「苦しゅうない、近う寄れ」だのってんじゃなくて、幕末の江戸庶民にとっては、どうもその後の普通の東京弁、あるいは明治頃の書生言葉みたいなのがそれだったようですよ。度重なる蛇足、ご海容のほどを。
 
                  

さて、そうとは言い条、正真、純正の山の手言葉ではないにしろ、誰もが模範的と認める上質な東京語の話者なら少なからずいたわけで、そういう人たちの使う言葉がつまりは標準語と見なされたってところでしょうか。で、NHKもそういう人たちの話し方をラジオ放送の基準に据え、それによって「正しい日本語」が全国に流れて、お国の標準語政策にも大いに資することとはなりました、みたいな話かと。

それ自体はたいへん結構なこととは存じますものの、やはりお上のお仕着せ的な当時の標準語ってのは、言うなれば国民に対する支配、統制の一環でもあったわけで、その弊害も少なからず。日常的にその標準語でしゃべってる人間なんざ、東京にだってそうはおらぬが道理。なんせ昔の殿様言葉もどきなんですぜ。むしろ由緒正しき東京方言、江戸弁を伝える下町言葉などは、完全に非標準語という括りに。標準語の普及こそが富国強兵、国威発揚の要諦、てなことを言ってたかどうかは知りませんけど、標準語教育が方言追放論に繋がり、全国各地の学校でその土地の伝統的方言が迫害されるなどという笑えぬ喜劇が展開されたとは申します。その犠牲者には紛う方なき東京人である江戸っ子(の子や孫)もいたってこってす。

今の近畿人(の一部)が東京語を敵視(?)しているのも、その頃の恨みから……なんてことがあるのかどうかは知りませんけど、上記のとおり、恨むべきは飽くまで戦前の「標準語」であって、戦後の「共通語」でもなければ、まして東京弁なんかじゃないのは明白。関西における標準語教育がどんな塩梅だったのかは知りませんが、東北弁なんぞは蛮族の未開言語扱い。江戸弁も標準語幻想の毒牙は免れ得ず、結局のところ、日本人の大半が迷惑を被ったということに。

尤も、当然各地の教師や役人だって、書き言葉ならともかく、山の手言葉で話せるやつなんざ実際にはまずいなかったでしょう。これだけ伝達、報道の手段が充実した今日でさえ、地方ではいちいち気どった「共通語」なんかでしゃべってたら相当に気障。標準語教育の名の下に、方言を使った生徒は廊下に立たせるなどという蛮行にも何ら逡巡することのなかった当時の田舎教師とて、実は山の手言葉などまったく話せはしなかったものと思量致します。

対して現代は、授業も地元の話し方で行うのがむしろ自然でありながら、教師も生徒も相手によっては簡単に東京風の共通語で話せるのが普通の時代(かつては最も訛ってることになってた東北は、今や全般にその傾向にあるような)。「標準」という強制ではなく「共通」という便益の勝利……ったって、単純に戦後のラジオの普及、それどころかテレビなんてものの流行がその最大の要因であったとは思いますけどね。てこたあ、NHKのみならず、民放各社の功名でもあるわけだ。
 
                  

……あれ? どうも話が当初の狙いとは逆方向に流されてますな。ほんとはあたし、昨今のNHKに見られる八方美人的な不定見を鑑みるに、より厳格な標準語意識の下にその普及を唱導した戦前の日本放送協会などは、たとえ国権への阿附を謗られようとも(俺が無理やりそう言ってるだけか)、まあなかなか立派なものだったではないか、って話をするつもりだったのに。

いや、そうじゃなかった。NHKが偉いかどうかなんざもとより知ったこっちゃねえや。「正しい日本語」などという傲然たる観念は鼻持ちならねえにしろ、それだってNHKの勝手な了見だったわけじゃなく、山の手言葉に基づく飽くまで客観的な(少なくともNHK自身にとっては)標準的日本語を普及せんとの真摯なる姿勢。それにに比べれば、てめえんとこの従業員どもの勝手な言い分で全国放送のしゃべり方を変えようなんていう現NHKの傲岸不遜はあまりに甚だしく、一部東京在住関西人のそれにも迫る勢い……てなことが言いたかった……のか?

いや、ほんとはそんな話もやはり本題からは離れてたんでした。飽くまで東京語≒共通語の、主に音韻上の問題を臨床的に語るのが先日来の目論みだったのに……。いきなり枝葉末節にあちこち深入りしてばかり。やっぱダメだね、おりゃあ。

てことで、まだ続きます。それにしても長えな。

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