2018年3月25日日曜日

無声母音と歌メロ(1)

前回は、今からだともう1年数ヶ月前に半端なところで継続を遺棄し、そのまま途絶していた「伝統的東京語と歌メロの関係についての与太話」の、半端な中断部分で終っておりました。その話を約1年後に再開……したところから以下に再録して参ろうかと。

そもそも書き始めたのは2016年の秋だったものの、11月末には早速趣旨が逸れ、結局次々と逸脱を重ねたまま放棄したのが2017年春。下記は、同年12月、気紛れに書き始めたその続きという次第。そろそろやっとかないとそのまま有耶無耶になってしまうような気がしたもので。ほっといたからって誰が困るわけでもないのは承知ながら、結局自分が落ち着かなかったんでした。中途半端のままじゃ死んでも死に切れない、なんてこた金輪際ありませんけど。ひょっとすると無意識に遠からぬ死を予感してたりして。まあいいか。

とまれ、再開に当っては、どうにも間が空き過ぎちゃってて、そもそもどういう話だったのかすら判然とはしなくなっているだろうと、ひとまずその苦言てえか難癖の趣きを概括しといたんですが、結局は前回までの話と殆ど重複しとります。以下、「またそれかよ」ってことにもなりましょうから、辟易の度が甚だしい場合は、今回分のブログを看過して頂ければ。
 
                  

ハナはこれ、「赤とんぼ」の高低アクセントについて、本来の東京語では第一音節の[ア]だけが高い頭高(あたまだか)型、[ア‐↓カ‐ト‐ン‐ボ]であり、あっぱれ山田耕筰はちゃんとその歌詞に適合するようあの名曲(シューマンのパクリ?)を書いた、っていう手垢に塗れたつまらねえ逸話を盾に、不用意かつ高慢なるその山田(失礼……)の「見識」を、宛も自らの知見を誇るが如く受売りし、それこそこの語に限って、一時は古典落語においてさえ廃れていたそのあまりにも古臭い言いようを真似てみせる愚劣蒙昧のともがらよ(やっぱり失礼)、ってな言いがかりだったんですよね。思い出した。

で、それへの言及を発端に次々と益体もない難癖を思いついて長々と書き連ねるうち、いつしか話は町奉行の名称やその役屋敷の位置の変遷という、まったく見当違いの方向に流されっぱなしとなり、そっちの話があまりにも長くなり果てた末、眼目の筈だった「東京語の発音とメロディーを付された歌詞との間の問題」ってやつについては結局触れずじまいになってしまったという仕儀。それをまたこの期に及んでほじくりかえそうてえ要らざる魂胆にて。

どのみち話が長くなろうことは覚悟の上。まずはその発端(なのかしら?)、およびそこから派生的に想起された国語問題(なのかしら?)的なものについて、今少し申し述べておきたいと存じます。
 
                  

件の童謡『赤とんぼ』のメロディーが、この語の本来の東京アクセント、すなわち(かつての)「標準語」の高低を正しく反映したものであり、歌のメロディーというものは須くかくあるべし、ってな寝言のくっだらなさを周到に論証、じゃなくて執拗に論難しつつ、そんなことよりよっぽど東京語の大原則を踏みにじるが如き発音上の破格を、歌詞においては敢えて看過せねばならぬ場合が多いという、正統の東京語を信奉する者にとっては忸怩たる思いを禁じ得ざるべき由々しき問題(なのか?)が一顧だにもされぬとは何事ぞ、っていうような、くっだらなさでは決して敵(なのか?)に勝るとも劣らぬ不毛極まる批難に及ぶ予定だったのが、つい町奉行ネタなんぞに分け入ってしまったらそれっきり……ってなあらすじだったんですけど、これじゃやっぱり何のことやらとんとわかりませんな。

てことで、もうしかたがねえ、そういう一連の経緯をざっと詳述(これは故意の撞着表現)することに致します。ありようは、やっぱり自分が落ち着かないからってだけのことなんですがね。
 
                  

えー、まず、その赤とんぼのアクセント、およびそれに義理立てしたつもりの童謡のメロディーですが、ありゃ単純に、本郷(あっしの地元)生れの東京っ子ぶりを誇示せんがための山田の勝手な、しかも甚だ不徹底な拘りの所産であるばかりか、そもそも作曲時、つまり90年前、昭和2(1927)年の東京語では、既に現行の標準アクセント、すなわち起伏型の[ア‐↑カ‐ト‐↓ン‐ボ]が優勢であった筈だし、作詞者、と言うより、作曲の数年前に発表されたあの詩(童謡)の作者たる三木露風は西日本、兵庫県の生れで、当然その母語は東京語の音韻とは多くの局面で対立するようなものであるは明白。本人にとっちゃ時遅れの東京アクセントなんざ知ったことじゃなかったでしょうよ。いや、あたしこそほんとのところはまったく知っちゃあおりませんが。

『蛍の光』の出だしのフシが気に食わねえてんで、毎年紅白の最後でその歌の指揮をしていながら、てめえじゃあ決して歌わなかったとかいう、これまた日本橋生れの江戸っ子(の末裔……なのか?)が自慢の藤山一郎ともども、実に以て低劣で無意味で非合理に満ちた、おっと、極めて高邁なる、屋根屋の褌も斯くやとばかりの見上げた駄々っ子の態度(そこまでバカにしなくても……)。

ついでのことに、1年あまり前に記した蛇足を再び加えちゃうと、この大正末、昭和初期の時点では、旧来の頭高[ア↓カトンボ]は主に下町に遺存し、山の手は現行の起伏型が普通……だったってんですよね。山田の生地本郷は山の手、藤山が生れた日本橋は下町ってのが本来の括り。今では東京中がおかしなことんなっちゃってますけど。それだって幕末までは盤石であったろうけど、百年前だとどうだったんでしょうね。まさか今どきのように本郷を下町だなんていう頓痴気はいなかったとは思うけれど。

ともあれ、これはつまり、山の手出身の山田が「正しい東京アクセント」と言い張っていた(かどうかは知らねど)頭高型に則った『赤とんぼ』が、作曲時点では既に少数派であるとともに、主に下町に特有のアクセントだったということになります。その時点で四十代だった山田の幼少期、明治の中ほどだと、本郷を含む山の手でもまだ明治以前の江戸語のアクセントが生き残っていて、山田は昭和の御世にあってなお、因循にもそれ以外を非正統的東京語と見做していた、ってことなんでしょうかね。……ってことも一作年(2016年)書きましたが。
 
                  

まあそれを言うなら、今から50年前には既に劣勢だった頭高型の「電車」だの「映画」だのを未だに(死ぬまで)捨てずにいようてえこの俺も、そこは山田と同工か。違うのは、おりゃあ青森生れだし、別に自分の出自をトンチンカンに誇示しようなんて腹は微塵もねえてえところ(誇示する余地がなかったんだった)。むしろ非母語(って言うかな、今さら)なればこそ、客観的な(=よそ者の)視点から、「おりゃあこっちだな」って選択したってだけのこってす。文京区千石在住の十歳の頃、たまたま近所の年輩のオヤジ(今の自分よりは若かったんでしょう)がそういうアクセントで言ってんのを聞いて、そっちのほうがなんか「東京っぽい」って思っちゃったんでした。山田や藤山とは異なり、何ら自慢なんざしとりませんから……って、何また言いわけしてんだか。

生きていればとうに百歳を超えるとは言え、山の手生れの山田よりはだいぶ若輩であった下町っ子(日本橋だけど)の藤山は、果してこの「赤とんぼ」、どっちの言い方してたんでしょうね。やっぱりまだ頭高型だったのかしら。「蛍」じゃあ、そりゃ江戸の昔も今も変らず頭の[ホ]が高いわけではあるけれど、それがぜんたい何だてえんだか。どのみち高低2つの区別しかねえ発話のアクセントに、歌のメロディーも「一致」しなくちゃならねえなんて本気で思ってんなら、そもそもメロディーもすべて高低2つから成るたった1つの音程、あるいはその高低それぞれのユニゾンのみによる、全部同じ長さの音だけでできてなきゃ間尺に合うめえ。そんなもんがメロディーだなどと名乗れるかえ。名乗るのは勝手だけど。
 
                  

念のため、ってこともないけれど、作曲時の昭和初期には頭高の赤とんぼが既に劣勢にあったと見なされる根拠として、わずか十代の初めにその山田に弟子入りしたという、原宿で育った團伊玖磨の回想(70年代後半)ってのがありまして。ってより、そもそもこの山田の拘りが喧伝されるようになったのは、ほかならぬその團の発言(記述)が発端だったとも思われるのでした。

そのやりとり自体がいつのことなのかは判然としないのですが、日頃から歌詞のアクセントとメロディーとの合致に拘っていた山田に、赤とんぼの[ア]が[カ]より高いのはこれ如何に?と尋ねたところ、それが江戸時代からの正しいアクセントだ、との回答。それで團はますます師の高い眼識に感服し、以後自分もそれを見習ってせいぜい言葉を大切にするよう肝に銘じた、ってんですけど、近年、この「赤とんぼ」って言葉に限って、その亡霊の如き古形を用いる軽薄の徒が目に(耳に)つくようになったのは、実は当の山田より團のせいだったってことんなったりして。

そう言や、かの若大将、加山雄三の作曲家名「弾厚作」は、この師弟の名を言わば換骨奪胎したものだって話ですね。團伊玖磨の[ダン]に山田耕筰の[コーサク]を繋げたんだとか。ますますどうでもよござんした。

それより、後期高齢者に括られるようなよほどの古株ならいざ知らず、あたしよりずっと若い、それも大概地方出身の今どきの落語家が、やはりこの赤とんぼに限って古形たる頭高型を、まるで誇示するかのように使ってやがるのにはどうにも冷笑を禁じ得ず、って心地なんです。だってこの人ら、「高座」は「口座」と同じに、つまりは現代国語の標準アクセントのままで平気なんですぜ。志ん生だの文楽だのの録音を聴けば、それだってやっぱり頭高なんですけどねえ。どうでも江戸っ子風を気取ろうってんなら、赤とんぼだけ山田方式でやったってしょうがあるめえよ、ってなところ。

いずれにせよ、その團だって、山田よりは40歳ばかり(藤山より10数歳)若いとは申せ、我が亡父よりは1つ上。生きていればとっくに九十過ぎであり、『赤とんぼ』が作曲された年は満3歳の勘定となり、もう言葉(東京方言)を覚え始めてはおりましょう。それが、頭高のアカトンボなんざ知らなかったってんですから(下町育ちではないにしても、落語ぐらいは聞いたことねえのかな)、やはりこの作曲当時には既に現行どおりの起伏型のほうが当り前だったということは疑いようもなく。
 
                  

……てことで、山田の勝手な拘りが、東京語の現状はおろか、作曲当時でさえ既に一般の潮流から逸脱していたことは歴然……などと威張ったところで、このあっし自身が依然「電車」も「自転車」もとっくに古臭くなってる(?)頭高でやってんでした。まあ、だいぶ事情も意識も違うとは思いますが。問題はそれより、今になってこの頭高の[ア↓カトンボ]こそ正しいと言い張り、その正義を貫いた山田耕筰こそ作曲家の鑑、っていう単なるカラ知識に引きずられた「無学な衒学趣味」(一昨年、2016年に思いついた撞着語法)の侮り難き根強さよ、ってなところ。
 
                  

歌詞の高低アクセントと歌のメロディーは是非とも一致(は無理にしても合致ぐらいは?)すべきである、などという山田耕筰主義が絶対的正義ってことんなった日にゃ、赤とんぼという言葉の「標準」アクセントがこのとおりどうしようもなく変っちまってる以上、あのメロディー自体がもう用済みとなり果て、とっくに別の曲にすげ替えられておらねばなるまい、って思っちゃうんですよね。つまり、折角の名曲も身の置きどころがなくなっちまうって寸法。もとより俺の知ったことじゃねえけど。

おっと、それどころか、現実の日本語全体から見りゃ、東京方言なんてのは所詮ごく一部の地域に特有の言語現象に過ぎますまい。歌詞のアクセントとメロディーが一緒でなきゃならねえなんて言ってたら、時間的、歴史的変化以前に、同時期における空間的差異、要するに日本各地の俚言ごとに、無数のメロディーが考案されねばならぬということにもなり申そう、ってね。

ああそうか、飽くまで「標準語」であって、東京弁じゃねえのか。だから各地の「悪しき」方言を撲滅すべく(あれ? 東京弁もじゃん)、統一標準国語たる頭高型の赤とんぼをこそ広めねばならぬ、ってことだった……のかね? それならまたなおのこと、既に下町の因襲の如き存在に堕していた頭高の赤とんぼなんぞは論外ってことんなろうじゃねえかい。少なくとも戦後の東京語、つまりは共通語アクセントでは、現行の起伏型こそ標準であるは灼然。どうするよ。今からでもメロディー差し換えるかね?

おっと、もうお上のお仕着せたる標準語なんてものはないんだから(所詮非現実的な理念、ってより夢想に過ぎなかった?)、とっくにその必要もねえわけか。だいいち、あの歌聞いて「[ア‐↓カ‐ト‐ン‐ボ]っていったい何だろう。[ア‐↑カ‐ト‐↓ン‐ボ]なら知ってるけど」なんて訝る日本人がどこにいるかってのよ、バカバカしい。

しゃべるときの高低と歌詞のメロディー(以後、端折って「歌メロ」と表記します。ちょいとくたびれる)が「一致」しなきゃらなねえ(どだい無理)なんてのが愚劣な寝言に過ぎねえてえあたしの言い分も、これで少しはおわかり頂けましょうや。

その寝言ぶりについては、当の山田によるこの曲の残りを聴きゃあ明々白々、てこともやはり既に書き散らかしてはおりますが、それもまた以下に再説。なんかいよいよ無駄に調子づいてきちまって。
 
                  

まず、〈赤とんぼ〉っていう歌詞の前に〈夕やけ小やけの〉って言ってますよね、この歌。そんで、平板型の[ユーヤケ]の最初の2音節[ユー]が、型どおり[低→高]となっているのはいいとして、最終音節[ケ]はその手前の[ヤ]よりさらに高くなっており、その[ヤ]がまた随分と間延びしてんじゃありませんか(前後の音の3倍の長さ)。続く[コヤケ]の[ケ]もまた間延び(2倍)しつつ、やはり直前の[ヤ]より、それも今度はまた随分と高くなったものよのう、と思ってるとそれだけでは飽き足らず、間延びした尻尾の部分では抜け目なく少し下がり、そうこうするうち、次に控える[ノ]でまたさらに下がって、結果的にはそこで漸く[ヤ]と同じ高さに戻るという、なかなかに込み入った筋書き。

もちろんこれ、まったくの悪意の下に書いてますんで、そこはどうぞお汲み取りくだされたく。でも、アクセントとメロディーは一緒でなきゃならねえ、なんて言ってんのはあっちですから。

長さも高さも、それこそメロディー、すなわち言語である前にまず音楽であれば、その組合せ、順列をこそ巧みに按排するのが、つまりは作曲家の腕の見せどころたるは言を俟たざるところ、なんてこたあこっちこそ先刻承知之助。それを、飽くまで「言葉を大切にした」メロディー付けをすべしってんだから、〈小やけの〉の「け」は前後の「や」だの「の」だのと同じ高さ(ほんとは長さも)でなくちゃ、到底平板型アクセントでございたあ名乗れねめえ、と言いたくもなろうじゃござんせんか。そりゃ俺だけか。

ともあれ、その後に漸くお待ちかねの〈赤とんぼ〉が御出座の仕儀とは相成り、なるほど、アナクロの極みとは言い条、確かに語頭の2音節の高低だけは、(旧式)東京アクセントたる頭高型への義理を果したものとなってはおります。でもね、残りの3音節はてえと、話し言葉としては論外の(ふざけてんのかって言われそうな)間延びっぷりじゃござんせんか。〈夕やけ小やけの〉より念入り。それかあらぬか、その間延びした3音の2番目と3番目である[ン]と[ボ]は、ご丁寧にも順次ピッチが上がってくっていう、心憎くも限外の演出(?)。これで言葉を大切にしているとは笑止千万。同時に、所詮メロディーなんだから、そりゃあまりにも当然ではないか、とも思量致します次第にて。

すみません、どうせこれ、全部悪意を込めて敢えて書いてることですので。理不尽な言説には理不尽な誹議で応ずるこそ順道なれ、てな居直り?
 
                  

つまるところ、山田が拘り、團が称揚するその「言葉を大切にしたメロディー付け」、単に各語の最初の2音節の高低のみに気を取られただけの、甚だ独善的、でなくとも極めて気分的なものに過ぎぬは明白、ってことで。それだって、最初の2音節には必ず高低の移動が付随する、っていう東京風アクセントの特殊性とは無縁の各地の俚言(全部立派な日本語じゃん)には通用するまいし、その明快素朴な東京アクセントの歌詞でさえ、メロディーの最初の2音は必ず高さが違わなくちゃならねえってことんなるんですぜ。やってられるかよ、まともな作曲家なら……とも思わざる能わず、みたいな。

その後の〈負われて〉を見て(聞いて)みなせえな。これもまた最初の2音節、[オ]と[ワ]の高低関係だけは「言葉を大切に」したものになっていると言い張ることもできましょうが(高低差の過剰は看過するとして)、その直後の[レ]で無遠慮にも下がったかと思うと(もう間延び問題は問いません。めんどくせえや)、そのまた後の[テ]では再び上昇するという、発話時の「平板型」を真っ向から裏切る、東京語にはあるまじきピッチの乱高下。何型であろうとも、単語内では、活用形を含み、一旦下がった拍が再び上がることはあり得ませんので、これもまた「正しいアクセントに合致」などしていないのは明白の極み。結局どれも最初の2つだけなんじゃねえか。だらしがねえ。

なお、蛇足ついでに申し添えれば、これ、「負う」が「追う」と同様の平板型だから[レ]で下がらないってことであって、頭高型で[オ‐↓ウ]と発音するなら、「負われて」は起伏型に変じ、[オ‐↑ワ‐↓レテ]とはなるものの(そう言う人もいますよね)、その場合でも一旦下がった[レ]の後[テ]が上がるなんてこた金輪際ござんせん。それをやっちまっちゃあ、そりゃもう江戸弁でも東京弁でも標準語でも共通語でもねえってことに。だからって正しい日本語ではない、なんて思い上がったこたあ、おりゃあ生涯言わねえけどね。そういう言葉の「フシ」はあまり好きじゃねえけど、そりゃもとよりこっちの勝手。

話を戻しまして、そのさらに後の〈見たのはいつの日か〉を見るってえと、それもまったく同様で、「見た」「いつ」の高低だけはまあ正しくメロディーに反映されてはいるものの……(キリがないので以下略)ってな塩梅なんでさあ。しかしこれ、末尾の〈日か〉については、アクセントではなく[ヒ]の「発音」のほうに問題があり、実はそれこそがこの駄文全体の主眼(の筈)ではあるのですが、ひとまずはこの、アクセントへの不毛な拘りという山田團主義(マルクスレーニンでもあるまいが)への不毛な言いがかりをやっつけちゃいます。
 
                  

さてと。斯様な塩梅にて、その山田團主義の杜撰さに対する悪意に満ちた論難(難癖)を書き散らして参ったわけですが、実を申さばここまではほんの序の口。続く二番以降の歌詞を概観するだに、痛ましいほどの粗放ぶりが一目瞭然、といった風情でして。

〈小籠に摘んだはまぼろしか〉の「小籠」が、早速平板型の[コ‐↑カ‐ゴ]をあっさり裏切って[コ‐↑カ‐↓ゴ]になってやがるじゃござんせんか。これもまた語頭の2音節だけ「言葉を大切に」したつもりでも、3拍めで東京語には今も昔もあり得べからざる突然の下降。続く〈摘んだ〉〈まぼろし〉なんざどうしましょ。[ツ‐↓ン‐ダ]はまだどっかの訛りにはありそうだけど、[マ‐↓ボ‐ロ‐↑オ‐↓シ]なんて言ってる土地なんかあるんですかね。日本も広いから結構あるのかも知れないけれど、正しい東京語として笑止なるは言うに及ばず、ってところでしょうよ。

三番に入るとこれがさらに猛威を増し、〈十五で姐やは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた〉なんざ、ほぼ壊滅状態。「十五」も「姐や」も「嫁」も「絶え」も、宛もそれが狙いであるかのように、悉くアクセントとメロディーが逆転してるじゃありませんか。「お里」だってさっきの「小籠」と同様、平板ではなく起伏型の如きメロディー。いくら[アカトンボ](だけ)を、わざわざ実際の標準に背いてまで江戸時代以来の正統アクセントとやらに合せたと威張ったところで(山田自身は江戸時代なんて知るまいに)、これじゃ全部台なしじゃねえかい。

……ったって、何度も言うように、あたし自身はそんな山田團(藤山もおまけしとこうかしら)主義なんざ知ったことじゃねえ、って立場なんですがね。
 
                  

おっと、この「お里」ってのを、その姐やの名前だと解釈すれば起伏型も苦しからず、ってな寝ぼけたこと言ってる向きもいるんですが、そうは行くかよ。〈姐やは〉の「は」は係助詞にして、すなわちこれ、どう足掻いたって「姐や(はどうしたかと言うとそれ)は」とか「(他者はさておき)姐や(に限って)は」ってな意味んなっちゃうんだから、その直後の「お里の」がその「姐やの」ってことにはなり得ぬが道理。

……ってことをネタに、「おばあさんは川へ洗濯に行き、おじいさんは山へ柴刈りに行きました」ってのを、「その婆さんの名前が『おじい』で、洗濯の後で山へ行ったのね」なんて解釈するやつがどこにいるか、だとか、「妻は出て行き、メールも不通となった」てえなら、そのメールってのがカミさんからのもんだってのは誰にでもわかろうが、後段がたとえば「洋子からのメールも……」だった場合、その「洋子」が「妻」の名前であり、両者は同一人物のことである、なんて思う人がどこにおりましょう、などという実にくっだらねえ例さえ挙げとりましたな。我ながらそのくだらなさには感動さえ覚えたりして。
 
                  

さて、この歌の終盤、四番の歌詞はほぼ一番の繰返しなんですが、末尾の一句が〈とまっているよ、棹の先〉なんですね。結局最後の最後まで「言葉を大切にして正しいアクセントを守ったメロディー」なんかにゃなってねえ、っていうオチだったのでした。

今さら言うのもダルいけど、東京語の「棹」は今も昔も尾高(おだか)型。[低→高]ってところは平板型と同じですが、違うのは下接の助詞が下がるところ。ただし単音節語を除き(「木」と「気」とか)、「の」という助詞だけは下がらずそのまま、つまり平板型となるのが通則で、この「棹の」もまさにその例。それがご丁寧にも[サ‐↓オ]と頭高になっているばかりか、下接語たる「の」がまた間延びしつつも後半上昇し、結果[サ‐↓オ‐ノ‐↑オ]という、発話のアクセントなど蹂躙し切った狼藉の極み。それでもまだ暴れ足りないとでも言うが如く、末尾の一語「先」が、これまた呑気に間延びしつつ、平板型の筈が頭高の如き歌メロっていう、まったく要らざる駄目押し。いや要らないどころか、メロディーという音楽本意の観点からは、むしろこれれこそ正当至極なる模範的処理とも思われますがね(多分にシューマンのパクリっていうこの曲の出自はさておき)。

……てな具合で、ほんと、くだらなくて自分でも笑える。とにかく、これで山田團主義の疎漏ぶりも白日の下ってやつなんじゃねえかしらと。まあ山田本人がどこまで本気で拘ってたかなんて、こっちにゃあ知る由もなけりゃ、知ったことでもありませんがね。
 
                  

以上、長々と書き連ねて参りました高低アクセントに関わる言いがかり、実は本旨たる「無声母音の欠落」という、あたしとしてはより深刻な東京語問題についての論考に対する「枕」なのでありました(長えよ)。結局は、半ば予想していたとおり、二次にわたる駄長文とはなってしまいましたが、これにて漸く規格外のマクラは脱し、次回、本来の主旨であったその無声母音の欠落、より精確には「狭母音の無声化」という法則の無視、ってやつについて記す所存。それ書いてたら、田村正和だの石倉三郎への難癖からやがて町奉行その他の歴史ネタに流されてそれっきり、っていう仕儀だったのでした。

……いやはや、どうにも話が諄くてしょうがねえ。こっちはいいけど聞かされるほうはたまったものではありますまい。文章なら読まなきゃいいだけのことなので、その点ではまだ害も軽微、こちらも気が楽、ってところですが。

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