2018年5月6日日曜日

ハンター・デイビズの『ザ・ビートルズ』

ちょうど40年前の1978年、ロンドンの英語学校とは通りを挟んだ向いにあった本屋で偶然見つけ、迷わず買った ‘The Beatles’ っていう本がまた読みたくなり、部屋中を探してやっと見つけました。

そのさらに10年前の初版を改訂したというペーパーバックで、既にボロボロ、ページも相当に黄ばんでおりますが、それでも活字の使いようは今どきよりよほど正統的。たとえば ‘ff’ ‘fi’ ‘fl’ ‘ffi’ ‘ffl’ など、今じゃあウェブ上の表示と同様、全部1字ずつ並べるだけの本が普通になっててガッカリすることが多い中、全部 ‘ligature’、「合字」ってやつんなってんです。つまり2字あるいは3字が合わさって1つの活字になってるって寸法。

何のことかわかんないとしても、それは本場の欧米でも同じこと。堅気の衆なら日本人と変らんでしょうし、いったいそれに何の意味があるんだ、と思われるのもごく正常な反応ではあります。でもね、たとえば ‘f’ という活字と ‘i’ という別の活字を並べると、前者の右上に垂れ下がった丸い点(や横棒)と、後者のそれ(中学の英語教師は「アイ上の点を忘れるな」などと言ってやがったな)も当然並ぶことになり、しかも極めて近接、というよりくっついちゃったりして、甚だ見苦しい……なんて思うところからして一種の職業病の如きものなんでしょうけれど、作法どおりその合字を使うと、点は両方を兼ねた1つだけとなり、実にスッキリするってわけです。

でもそれ、書体の違いに大きく左右されるところでもあり、サンセリフ、日本で言うゴシック(ゴチック?)体だと、合字も結局1字ずつ並べたのと大して変らない一方、セリフ(髭)付きの、日本で言う明朝体の場合は、上述の如くかなりの差異が生じ、それがさらにイタリックだったりすると、どうしても合字にして貰わないと何とも落ち着かねえ……って思っちゃう自分の職業病がときに恨めしいほど。職業病ったって、そんな業界とはとっくに無縁の暮しではあり、日頃こうしてウェブ上に晒してる文章だって、当然そんなこと気にして書いちゃいません。気にしたところで、正統的な活字の作法なんざ、守ろうにもそのよすがとてなし、ってのが実際のところですし。

……と、いくら言葉を連ねたところで、ぜんたい何のことやらわかりませんでしょう。今の(と言うか自分の)パソコン環境では、その合字が使える書体は限られており、わけても‘ff’は殆ど無視されてる状態なんですが、なんとか違いが視認し得る例を示しときたいと思います。

まずは ‘Times New Roman’ という書体の ‘fi’ から。左が合字、右が1字ずつ並べたもので、下はそれぞれのイタリック体です。               
 
 
同じく‘fl’を。
 
  
‘ff’ の合字はこの書体では使えませず、残念ながら「明朝」には例示できるものがなかったので、まあ何とか違いのわかる ‘Candara’ とかいう書体(知らねえや)のやつを示しておきましょう。まあ、中途半端に使えるようにはなっているこうした合字も、一応あるにはある、ってだけのことで、わざわざそれをウェブ表示のための文章入力に使う人は滅多にいないんじゃないかと。自分だってそうだし。それはまあ、どうせ徹底できないのがわかってるから、っていう諦めの故でもあるんですがね。
 
 
てな塩梅で、 ‘ff’ には本来、さらに ‘i’ や ‘l’ が連なった3つ続きの合字もあるという寸法なんですが(それでも合字の例としてはごく一部)、こういう、かつての出版物では例外なく守られていた活字の作法が、昨今は平然と無視されるようになってるってわけです。それでも、禁則の大半がとっくに亡き者にされている和文の印刷物(画面表示が主体の時代とは言え、酸鼻を極める実状)よりはまだよっぽどマシかとも思われるものの、ウェブ上ではアポストロフィや引用符が「フット」や「インチ」、あるいは「分」や「秒」の記号に取って代られちゃってんですよね。そうでないと、日本を始め世界中のパソコンで正常な表示がなされず、全部文字化けってことになっちゃうような。それでもさすがに紙媒体ではまだちゃんとした活字が使われてはいるようです。今のところは、ってことかも知れないにはせよ。

そう言えば、和文の作法ですら碌に知らない「ベテラン」 DTP オペレーターってのが、十数年前には既に大威張りなんでした。当然欧文活字なんざ全然わからず、あるときそういうお人が、発注者から渡されたテキストファイルを組上げソフトで編集中、「この2文字、何度やっても一緒に選択されちゃう。バグだな、こりゃ」てなこと言ってやがるじゃありませんか。いや、あたしだって鬼じゃあるまいし、最低限の謙虚さを有する相手には丁寧に説明してやらねえこともねえんだけど、何せその台詞からも明らかなように、不可解な事態に遭遇するってえと、とりあえず自分が何か間違えてんじゃないか、などとは寸毫も思わず、果然他人に対する日頃の言動も随分と驕りがち、っていう手合だったもんですから。

ちっ、思わぬところで嫌な記憶が蘇っちまった。自業自得ってやつですな。
 
                  

あれ? そんな話じゃなかった。眼目はその Hunter Davies 著、ビートルズの伝記ものとしては決定版(かつては?)の如き ‘The Beatles’ の話なのでした。最初のほうだけ早速読み返してみたんですが、なるほど60年代にはまだ ‘Merseyside’ という自治体(ってんですかね?)がなく、その「州都」たる Liverpool は未だに Lancashire の一都市だったのね、ってのがわかったりして、50年ってのは何気なく相当な時間なんだな(当り前か)って、ちょいとした感慨に耽っております次第。

まあその改訂版からもさらに40年が経過し、68年から78年に至る世の激変ぶりに驚いてみせているその筆致も今となっては微笑ましかったりはします。何せ、まだジョン・レノンが存命で、何やら世を拗ね切っている、っていうのが一般の認識だったってのもよくわかったりしますし。

ともあれ、産業革命後百年ほどのリバプールは絶好調で、1830(文政13)年に、世界初の鉄道客車が運行されたのも、同年やはり世界初の列車事故が起きたのもリバプールだったんですと。でもそれまではずっとありふれた田舎町。二次大戦後にはランカシャーの綿産業の衰退の煽りでまたパッとしなくなり、執筆時の68年の人口は20世紀初年の1901(明治34)年とさして変らず、名物はサッカーと喧嘩とコメディアン……などということが、結構詳しく前書きに記されてんです。すっかり忘れてた。てえか、そんな部分にはさして興味なかったんでしょう、二十歳前の下拙には。

因みに、その有名なコメディアンってのについても、数名の名前が列記されてはいるんですが、あたしゃ1人も知りませず。飽くまで英国内限定の人気役者たち、ってことなんでした。 Rex Harrison もリバプール人で、国外では遥かに有名だけど、当人の雰囲気はリバプール気質とは無縁なんだとか。そりゃまあ、上流英語の使い手、ヒギンズ教授が当り役だったりしたわけだから、言われなきゃリバプール者だとは気づきません。

いずれにせよ、それらも既に悉く昔日の栄光。今日リバプールについて誰もが知っていることと言えば、そこがこの本の4人の主人公の出身地だということである、というのがその前書きの結びでした。
 
                  

おっと、その話でもなかった。その前書きに続く、ジョンの親父の話が結構おもしろくて、それはまあ最初に読んだときの記憶もだいぶ確かだったことが改めてわかったって感じでもあるんですが、今となっては若い頃の記憶力がちょいと惜しくなったりもしてます。そりゃしかたがねえ。その代りとでも申しますか、まだ英語が何とか難なく読めるようになって日が浅かった当時とは違い、いつの間にか文章表現のおもしろさみたようなものを味わうぐらいの余裕を身につけていたことがわかり、またもちょいとした感慨を覚えたりして。なるほど英語ではこういう言い方すりゃいいのか、ってところに今さらながら軽く驚喜といった塩梅。
 
                  

さてそのジョンの親父、 Alfred Lennon と母親の Julia Stanley との馴れ初めのくだりが、まあ親父の側の勝手な言い分なので、果してどこまで事実を伝えるものかは当時既に不明だったとは言え、なかなか笑えて、しかもちょいと切なくもある「美しい出会い」(当人の表現)なんですね。

そのまた親父の Jack Lennon はダブリンの生れ(アイルランドはまだ独立前だから、まあ「英国」ってことで)ながら、人生の大半をアメリカでプロ歌手として過し、引退後リバプールに帰って、そこでジョンの父であるアルフレッドが生れた、ということなんですけど、そのフレッド・レノン、9歳で父親が没して孤児となり、15歳まで孤児院暮し。

その孤児院を出て1週間後(ほんとかどうかはわかりません)、贈られた2着の新品の背広の1つを着込んだ上、そうすりゃもてるかと思って煙草のパイプと山高帽を買い込み、公園に座って仲間にナンパの指南を受けていると、1人の女の子が2人の目につき、それが後のジョン・レノンの母、ジュリアだったという次第。で、その彼女の脇を歩き過ぎようとすると「バカみたいよ」と言われ、すかさず「かわいいよ」と言って隣に腰掛けたんですと。

〈「隣に座るならそのバカみたいな帽子は脱いでくれなきゃ」ってその娘が言うんだよね。そうしたさ。湖に投げ込んだよ。その日から今日まで帽子は1つもかぶっちゃいない。)

というような、なかなか愛すべき男ではあったようで、十年ほどの付合いの後、「ノリ」で結婚しちゃうんですが、式だの披露宴だのはまったくなし。親は1人も随伴せぬまま役所に届け出るだけで(息子のジョンもそこは共通)、ハネムーンはジュリアが入り浸っていた映画館。その後2人ともそれぞれの自宅に帰り、翌日(3日後という説も)新郎の筈のフレッドは客船の給仕(貨物船の乗組員との説も)として3ヶ月西インド諸島へ行ったきり。ジュリアはその後も両親とともに実家で暮し、航海から戻っている間はフレッドもそこに同居するという、ちょっと不思議な、と言うかテキトーな夫婦ではあったのでした。
 
                  

2年ほど後にジョンが生れたときも、大戦中とは言え父親のフレッド・レノンがどこにいるのか誰にもわからず、そのうち国外からの送金も途絶え、まともな結婚生活は一度も送らぬまま離婚に至る、ってことなんでした。でもジョン自身は母方でそれなりに恵まれた幼少期を送ったようではあります。実は何気なく他の3人より経済的には余裕のある家庭環境ではあったようで。

母親の再婚に際し、その姉、つまりジョンの伯母で、誕生時に John という名を選んだ当人でもあるという Mimi Smith という婦人の家に引き取られ……というような話など、ビートルズファンの多くには夙に知られるところではあるのでしょうけれど、数十年ぶりに改めて読み直すと、知ってはいてもやはりおもしろい、って感じです。著者自身が後に訂正せざるを得なかった誤記も少なからず、ってことなんですが、それは主に、当事者であるビートルズ自身の記憶違いによるものだった模様。60年代後半、五十代だった父親の回想も、何せ母のジュリアがとっくに事故死しており、どこまで信憑性があるかは誰にも担保し得ず、ってことも著者自身が初めから言ってますし。
 
                  

その親父の回想でちょっとおもしろかったのが、母親の再婚後に引き取られていたミミ伯母さんのところに電話し、5歳ほどになっていたジョンと話したとき、ごくきれいな英語でしゃべっていたので、後年のリバプール訛りはウケ狙いに違いないと思ったってこと。ヨーコとアメリカ行った後もしゃべり方は変わんなかったから、わざと訛ってたとも思えませんけれど。

で、その5歳のジョンとの再会が、父親のフレッドにとっては息子のことを見たり聞いたりした最後となった……と思っていたら、何とビートルズの1人になっていたとは、ってことなんですよね。

実はその折、ミミに断った上でブラックプールの友達のところに親子2人で数週間滞在し、ミミには黙ったまま、その友達と一緒にジョンを連れてニュージーランドへの移住を目論んでたってんです。戦後のドサクサの中、闇の商売でかなり儲けてはいたし、準備も万端整っていざってところに、ジュリアが訪ねて来たんですと。

ジョンを返せ、いや渡さない、と口論になり、それじゃ本人に決めさせよう、ってんで名前を呼ぶと、父親の自分の膝に飛び乗り、しがみつきながらも、ジュリアは戻って来るかと尋ねます。母親を慕っているのは明らか。彼女は来ないと答え、自分といっしょにいるか、母について行くか、決めるしかない、と言うと、ジョンは父である自分を選びます。ジュリアが再度尋ねるもやはり答えは変らず。

しかし、ジュリアが部屋を出て、通りを過ぎ去ろうとする寸前、その後を追いかけてってそれっきり。後にビートルズの1人だって聞かされるまで、倅の消息はついぞ知らぬままま、ってことなんでした。

まあ、当人の記憶(言い分)ではそういう話になってるってことですが、父にとっても母にとっても、息子である本人にとっても結構な修羅場ではあったようで。ミミ伯母さんの夫と同様、実母の再婚相手との間もごく友好的であり、異父妹たちとも仲はよかったというのですが、結局その後も母とは一緒に暮らさず、伯母の家で育つことにはなるという次第。

何かと愛情過多で過干渉気味な育ての母たるミミよりは、むしろ当人とは血縁のないその夫のほうが、当の伯母と対立したときには必ず味方してくれた、てなことも読んだ記憶があるんですが、今回はまだそのくだりまでは行ってません。
 
                  

と言うか、こんなこと書いてたらキリがなくなりますね。このへんでやめときます。毎度諄くてすみません。

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〔追記〕記憶違いでした。何のことかと言うと、上述のミミ伯母さんの旦那の話。その部分も結構すぐ後に出て来まして、40年ぶりに読んだところ、まだ幼かった時分のジョンが、しつけにうるさい伯母さんとは対照的に、義理の伯父にはよく甘やかせて貰った、ってことなのでした。とりあえずちょいと訂正。では。

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