2018年5月7日月曜日

欧文電算写植の思い出

若い頃、会社で電話に出たら、「いる?」って言うので「いらない」って切ったことが。
 
                  

その、従業員10人にも満たない小っちゃな会社でやっていた欧文電植(電算写真植字)の仕事は、その後に普及したDTPとは異なり、相当に専門的な知識と技術を要するもので、当然顧客もその分野に詳しい人たちばかり。ときどき必要に迫られた素人の客からも依頼はありましたけど、大抵は自分が素人だという自覚がちゃんとあり、遠慮がちに初歩的な質問をしてきます。こちらもそういう相手には丁寧に説明した上で仕事を受けるので、常連客よりよほど感謝してくれたものです。

ところが、いつでもどこでもトンチンカンに威張ったバカってのはいるもので、一度こんなことがあったんです。普段は和文しか扱っていないどっかの印刷会社の営業ってのが突然うちの会社を訪ねて来て、欧文の組版作法を一切無視した、殆ど物理的に無理な注文を押し通そうとする。いくら説明してやっても理解せず、挙句の果てに「客の言うことが聞けんのか」などとほざきやがる。手の施しようがありません。だから遠慮なく概ね次のように言ってやりました。

「お前は客じゃない。客かどうかを決めるのはこっちだ。どんな商売でも客とは利益をもたらす者のことを指す。お前の行為は威力業務妨害にほかならない。これだけの時間と手間を業務に充当すれば確実にそれだけの利益が上げられるし、顧客にとっても迷惑であるは明白。とっとと出て行かないと通報する」

すると、「写植屋はお前んとこだけじゃないんだ」とか何とか、型どおりの悪態をつきながら立ち去ったものの、どっこい欧文の分野では、ソフトでもハードでもノウハウでも、超末端の零細企業であるうちの会社に敵うところなんか、東京どころか日本全体でも、実は当時どこにもなかったんですね。宣伝なんか一切していないのに、日本中から依頼がありましたから。だいたい欧文専門ってところからして普通じゃないし(それが後に最大の弱点とはなるんですが)。

あるときたまたま電話に出たら、私が前に文章を組んだ英語の本を見たっていう大阪在住のドイツ人からで、「お宅の会社が文字組みをやったって聞いたんだけど、是非その担当者にやって貰いたいものがある」と言う。「あ、それあたしです」って感じなんですが、うちの会社の名前なんか本のどこにも書かれちゃいません。わざわざ調べたんでしょうけど、そういう拘りは西洋人なればこそ。欧文は和文と違って、文字間も語間も改行位置も、すべて調整の余地があり、それを丹念にやるのがこっちの仕事(てえか勝手な腕の見せどころ)。でも、どれだけの作業をしているかわかっている人はその当時だって殆どいやしません。ましてや今どきのDTPオペレーターなんかには、欧米でもそんな手間をかける物好きはもういないでしょう。日本じゃ欧文の仕事自体がなくなっちゃったし。
 
                  

ああ、「オペレータ(ー)」ってのを、外科手術の ‘operation’ からの連想なのか、何やら専門技術を駆使した高度な作業を為す者、とでもいうつもりで、自ら自慢げにそう名乗るやつにも何人か会ったけど(いちいち自分のやってる仕事を「オペレーション」などと称したりして)、そりゃまったくの勘違い。道具だの機械だのの「操作係」ってだけのことですぜ。電植でもDTPでも、要するに写植機やパソコンを動かすやつがそのオペレーター。偉くも何ともねえ。だからおりゃあ「電植技師」と名乗りたかったんだけど、ばんたびすぐに訂正されちゃってました。しょうがねえか。
 
                  

さて、それはともかくそのバカ営業、2日後にまたやって来やがったんですよ。なるほど「写植屋」ならその頃の東京には無数にあった筈ですが、そもそもなんで自分がそれまでまったく取引のないうちのような末端企業を訪ねて来なければならなかったか、ちょっと考えりゃすぐわかったろうに。

発注元の依頼に応えられるだけの設備も技術も他の会社にはなかったからであり、やっと話を聞きつけてうちにたどり着いたんだってことぐらい、こっちは先刻お見通し。だから大威張りで追い返したんだし、そういうドシロートの会社が同じくドシロートの取引先から受けた仕事なんて、日頃やってる書籍や雑誌に比べれば余りにも分量が少なく、こっちとしては実に効率が悪い。常連客なら「こんなケチな注文が来ちゃったんだけど、断れなくて」と謝りながら依頼してくるようなもんでしたのよ。

それでも俺だって鬼じゃねえ。そいつが形だけでも詫びを入れるなら引き受けてやらねえこともなかったのに、いつも下請に威張り散らしてばかりいるもんだから、他人にものを頼む態度が欠落しているらしい。よんどころなくオメオメとうちの会社に舞い戻って来たくせに、「客に対してああいう態度はないだろう」と、まだ威張れると思ってる。今度こそキッパリ断りました。

「客って君のこと? 一昨日はっきり言ったでしょ。客かどうかはこっちが決めるのよ。たとえこの仕事を受けたとしたって、客はお宅の会社であってあんたじゃないし。何せ専門的な仕事なんでねえ、うちは客もみんな専門家なのよ。あぁたのような勘違いだらけのドシロートを相手にしてたんじゃ、とても商売にゃならんのですわ。わかったらさっさと帰って」

って感じ。前回同様、もちろん実際の言葉はもっと常識的範囲内ではありましたが。

さすがに今度は悪態をつく元気もなかったようで、悄然と去って行きましたけど、どれほど困ろうが元よりこっちの知ったことじゃありません。立場によって日常的に威張ったり卑屈になったりしてるやつって、立場を読み違えると取り返しのつかないことになる、っていう当り前のことがわかってないんですね。だから、とりあえずよく知りもしない相手にいきなり威張るのは愚の骨頂。それが有効な処世術だとでも思っていそうな愚者は結構いるようですけど。
 
                  

尤も、相手の正体がわかったからと言って、容赦なく追い詰めてしまうあたしのような性格も相当に困りものではありましょう。まあ、困るとしてもそれは自分自身だし、最低限の道理も通じないような相手なら、多少困ったって我慢し続けるよりゃよほどマシ……って言ってるうちに自分が追い詰められてたりして。

ま、それもやっぱりしかたがねえ。てより、もうとっくに手遅れ。

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