2018年6月10日日曜日

‘finite’(定形?)

前回は ‘tense’、「時制」ってものについての存念を吐露せんとしながら、またぞろ殆ど関係ない話に終始してしまいました。ついでに ‘finite’ とか ‘marked’ とかいう言葉も思い出しちゃったので、主旨だった筈の ‘tense’ 談義はちょいと休み、今回はまず ‘finite’ てえやつのほうについてひとくさり。どっちの語も ‘tense’ と関係なくはないし。
 
                  

さて ‘finite’、これ、日本じゃ「定形(の)」とかって言ってんですけど、高校では専ら ‘finite verb’、「定動詞」(定形動詞?)の「定」としてしか知らなかったような。「定動詞」てえから、てっきり形が定まったやつなのかと思ったら、文中の役どころに応じてチョロチョロ形の変るやつなんでした。と言うより、むしろそのいろいろに変る個々の形についての用語ってのがほんとのところ。またしても動詞の語形の区分、ってことで。

でもこれを「定」って言うのは、原形のままどこにでも現れるやつを「不定詞」と呼ぶのにも似た(あるいは裏腹の)理不尽というものではないかしらと。例の「法」と同じように、うっかりしてるとつい誤解しちゃいそうな訳語には違いないでしょう。どうせまともに授業聞いてなかった俺が悪いんだけどさ。

いや、たぶん当時の自分の認識力や当時の教科書の記述からは、どのみち何だかよくわかんなかったんじゃないかとは思われます。「定」ってよりこれ、「限」ってほうがまだわかり易いようなもんで、一般義としてはそれこそ「有限の」って意味じゃありませんか。対義語の ‘infinite’、つまり「無限の」ってほうによほど馴染みがあったのは、たぶん歌の文句か何かでそっちを先に聞き知っていたからでしょう。発音は前者が /ˈfaɪ naɪt/、 後者が /ɪn ˈfɪn ɪt/ (または /ɪn ˈfɪn ət/) って感じ。

一般の語義ではなく、文法用語としての ‘finite’ の対義語は ‘non-finite’ で、これは「非定形(の)」とか「不定形(の)」って言うんでしょう。件の ‘infinitive’、「不定詞」は、 ‘non-finite verb (form)’、つまり「非定(形)動詞」または「不定(形)動詞」の一例ってことんなります。

で、下拙が思うにこれ、文法用語として言うときも、誤解を惹起し易い(あたしが勝手に勘違いした)「定」だの「非定」だの「不定」だのってよりは、せめてその「定」の前に「限」って字でも添えりゃ、それだけでよっぽどわけが知れるのではないかしらと。実際、 ‘finite verb’ は 「有限動詞」、 ‘non-finite verb’ のことは「無限動詞」と訳してたりもするし。
 
                  

……と、既にあれこれ書き散らしながら、そもそもその ‘finite’ とはぜんたい何者なのか、ってことについてはまだ言っとりませんでした。遅れ馳せながらその端的な定義を述べますと、「‘tense’ を有する」ってことでありまして、当然「‘tense’ を有さざる」が ‘non-finite’ という次第。それどころか、それぞれ ‘tensed’、 ‘non-tensed’ って言ったりもするぐらいで、「‘tense’ と関係なくはない」どころか、大ありでした。すみません。

さて、 ‘tense’ 云々てえからにはこれ、元来が動詞の区分に用いられる言葉には違いなく、助動詞を含む動詞全般を、と言うかその形態を大きく2種類に分かつのが、つまりはこの ‘finite’ だの ‘non-finite’ だのってことにはなろうかと。 ‘tense’ という形が成り立つのを ‘finite’、 その限りに非ざるものを ‘non-finite’ と称する、ってなところなんですが、依然これじゃ何だかわりませんな。

先般も触れたように、 ‘verb’ という語自体を単体の動詞に限って用いるか、1つ以上の助動詞との組合せをもそう呼ぶかは、その文法の流儀とか種類とか、あるいは論ずる対象事項とかによって違ったりもするわけですが、この ‘tense’ の有無っていう定義に関しては、ひとまず単語としての動詞の形についてのものだと思召されたく。どのみち ‘verb’ の定義が変れば、その ‘tense’ ってやつの定義も変るし……ってこともこないだ言っとりましたな。
 
                  

もうちょっと親切そうな言い方を試みます。決め手とされるその ‘tense’ に加え、3つの ‘mood’ の区別があるとともに、主語の人称や数によっても決るのが ‘finite verb (form)’ であるのに対し、主語の直後には現れないけれど、そうした要因には頓着なくどこにでも用いられるのが ‘non-finite verb (form)’、と言うこともできるかと。「定」「非(不)定」ではなく「有限」「無限」ってのも、そういった、言わば外的要因による制限のある形か、そんなもん知ったことじゃなく、どこでもそのままの姿でしゃしゃり出てくる形か、っていう違いとはなりましょう。

念のため括弧入りで ‘form’ という語を添えといたのは、これが飽くまで、動詞そのものの種類の違いではなく、助動詞を含む動詞全般の「形」の区分、ってところを明示しようかと思ったからなんですが……いちいち断ることでもないか。

それにしても、しつこいけど「定形」とは言いながら、いつでも「定まった形」ってんじゃなく、むしろ当該の条件に応じてその都度臨機応変に「定められる形」が ‘finite form’ であり、「非定形」だの「不定形」だのったって、形が定まっていないどころか、いつでもおんなじ形で使われるのが ‘non-finite form’ なんですよね。とにかく「定」ってのが気に食わねえ、っていうあたしの存念も多少はお汲み取り頂けましょうや。どう考えたって、尋常一般の「定形」だの「不定形」だのという言葉とは全然意味違うじゃん、との思いは、今も中高の時分と何ら変りませず。ま、普段はもうそんなこと考えてもいませんけれど。

そんなことはさておきまして、もうちょっと実際的な説明に努めると致しましょう。主語に対して単体で述語となる形、あるいは複数の語の連なりによって述語となる語句のうち最も主語に近いもの(助動詞)が ‘finite verb’、それ以外のもの、あるいは主語なしで用いられるものが ‘non-finite verb’……とでも申しましょうか。しまった、結局あんまり実際的でもないか。でもまあ、ついでに言っときますと、1つ以上の助動詞を含む複数語の述語の場合、2番め以下の ‘non-finite verb’ のうち、常に末尾が ‘full (or lexical) verb’、いわゆる「本動詞」ということになります。
 
                  

具体例を挙げましょう。さっさとそうすりゃよかったか。とにかく、たとえば ‘to act’ なる動詞を例にとれば、ざっと下記の如き語形(語尾変化)がございますね。

 act
 acts
 acted
 acting

このうち常に ‘finite’ となるのは2番めの ‘acts’ のみで、常に ‘non-finite’ であるのは4番めの ‘acting’ だけ。残りの2つがいずれに該当するかは、文中での役割による、ってところです。つまり、

 He/She/It acts.

なら、主語の人称と数によって限定された形であると同時に、いわゆる直説法の現在時制ってやつで、紛う方なく ‘finite’。これに対し、通常は

 I/We/You/He/She/It/They acting.

とはならず、 ‘acting’ の前にはとりあえず ‘am’ とか ‘are’ とか ‘is’ とか、何か助動詞でもねえことにはどうにも落ち着かねえ、ってことなんです。あるいは、‘like(s)’ みてえな他動詞を挿入して、この ‘acting’ をその目的語たる「名詞」にするとか。

でもその代り、ってこともないけれど、この ‘acting’ って語形は、たとえば

 You must've been acting intentionally.
 お前、わざとそうしてたんだろう。

 He is always seen acting like a child.
 やつの態度はいつも子供っぽいと思われてる。
 
 When acting as CEO, she received $500,000 a year.
 社長代理の当時、彼女の年俸は50万ドルであった。

というように、いろいろなところにいろいろな使われ方でそのまま現れます。「不定」ってよりは「無限」ってほうがまだましじゃん、ってのは、この「どこでもおかまいなし」っていう融通無碍、あるいは無遠慮なところ故……とは誰も言っちゃいないでしょうけれど。だいいち「どこでも」ったって、主語の直後には行けないし、述語にも生涯なれない形ではあるのでした。

因みに、1番めの例では ‘You’ の直後にある ‘must’ が ‘finite’、それに連なる ‘have’、 ‘been’、 ‘acting’ は悉く ‘non-finite’ とは相なり、2番めの例では ‘is’ が、3番めだと ‘received’ がそれぞれの文における唯一の ‘finite verb’ という塩梅。辻褄合せの例として呈示した ‘... like(s) acting’ ってな場合も、 ‘like(s)’ が ‘finite’ で ’acting’ は ‘non-finite’ でしかあり得ず、ってなところではございます。ついでに、それぞれの例における ‘full verb’ は、順に ‘acting’、 ‘seen’、 ‘received’ という塩梅。

で、残る2つの語形、 ‘act’ と ‘acted’ について申しますと、

 I/We/You/They act.

および

 I/We/You/He/She/It/They acted.

といった例では、さっき挙げた ‘acts’ と同様、いずれも人称だの数だの、それに現在か過去かという時間的条件による「有限」の形、すなわち間違いなく ‘finite form’ ではあるということになるという次第です。いずれも主語のすぐ後にくっついて、単体で述語になっている事例ですが、

 Act!

という命令法なら、1語だけで命令文を成すわけで、それもまた ‘finite’ には違いなく。さらにまた、

 It was important that I/we/you/he/she/it/they act properly.

というような、例の ‘subjunctive’、 「仮定法」ってのも、 ‘finite’ に区分されるのでした。 ‘tense’、「時制」はもう関係ないじゃん、って雰囲気もありますけれど、そこがまた ‘tense’ という言葉の厄介なところで、ほんとはそういう話をこそ書こうとしてたんだ、ってことも依然決して忘れてはおりませず。

一方、この ‘act’ という「原形」が、時制を持たぬ ‘non-finite’となる例もあるわけで、それはつまり ‘infinitive’、「不定詞」として用いられた場合。

 I won't act.

とか

 You need to act.
 
の ‘act’ がそれです。

「不定詞」で思い出しました。英語では昔からしばしば ‘base (form)’ の同義語として使われている ‘infinitive’ の訳がこの「不定詞」ではあるのですが、やっぱりちゃんと話を聞いていなかった中学時分には、「形の定まらないやつか」などと早とちりしたところ、実は全然逆。既述の如く、遠慮会釈なくいろんなところに原形のまま顔を出すのがそれなんでした。

当時も今も、日本では原形に ‘to’ を冠したものを単に「不定詞」と呼ぶ例が多いんですけど、どっちかってえと「原形不定詞」だの「裸不定詞」だのってほうがよっぽどただの ‘infinitive’。区別をつけるためにわざわざ ‘bare infinitive’、‘to-infinitive’ などと言ったりもするけれど、基本的には ‘infinitive’ とだけ言ったら圧倒的に前者のほうではあります。

英語の ‘infinitive’ は動詞の原形そのものの意、ってのが結構普通ってことなんですが、やはり厳密には峻別されるべきものではありましょう。ただの語形を指すのが ‘base (form)’ だとすると、飽くまで文中における用法に応じた呼称が ‘infinitive’、ってことで。

そう言えば、上の1例めのように、助動詞の後に置かれた ‘base (form)’ も当然 ‘(bare) infinitive’ なんですが、日本ではそういう場合、どうも「原形」としか言わないしきたりのようで(?)、 ‘infinitive’ と 「不定詞」の間にもちょいと齟齬がある模様。よくわかんねえや。

おっと、忘れてました。 ‘acted’ については、前に助動詞があれば否応なく ‘non-finite’ となりますね。

 She has acted well.

とか

 The play is acted well.  

といった場合です。つまり、完了や受動を表す過去分詞である場合、ってことで。
 
                  

さて、以上をちょいとまとめますと(手短にまとめるのがヘタクソでまことに恐縮)、 ‘finite verb (form)’ に分類されるのは(単体の動詞について言えば)、

‘base (form)’ =「原形」が、三人称単数以外の主語に対応する現在時制として用いられたもの

および

‘past tense’ =「過去時制」

ということになり、一方の ‘non-finite’ はてえと、

‘base (form)’ =「原形」が ‘infinitive’ =「不定詞」として用いられたもの

および

‘-ing form’ (旧来の「現在分詞」と「動名詞」)

それと

‘past participle’ =「過去分詞」(‘-en form’)

てなところかと。

少しく説明致しますと、今どきは ‘present participle’、すなわち「現在分詞」の「現在」というところが現実の用法を反映するものではない上、 ‘gerund’、「動名詞」と呼び慣わされるものだって、名詞とも動詞とも判じ難いような事例が多いため、それらをひっくるめて ‘-ing form’ という語が多用されるようにはなっているという次第。

動詞の形容詞形が ‘participle’、「分詞」で、名詞形が ‘gerund’、「動名詞」という区分ではあるのですが、「不定詞」については「名詞用法」「形容詞用法」「副詞用法」などと言ってるんだから、「動名詞」なんざやめて「現在分詞の名詞用法」とでも言っときゃいいじゃねえか、との意見は昔からありましたし、「分詞」だの「動名詞」だのと呼ばれるものが副詞的に用いられることもあるし、ってなもんで、下拙も今どきの英語圏の用語のほうが穏当であるとは思量致すものにて。

と言いながら、これについては、ってより、これについてもまた、日本語で云々すること自体が厄介ではあり、普段は旧来どおり「現在分詞」とも「動名詞」とも言ってはおります。ま、日本語だからしかたがねえか、ってところもあるし、「過去分詞」、 ‘past participle’ に関しては、英語でも未だに結構現役だったりしますし。

これも「現在分詞」の理屈と同じで、別に「過去」の話に特化したもんじゃないんだからってんで、 ‘-en form’ (過去分詞)だの ‘-ed form’ (過去および過去分詞)だのとする例も少なくはないんですが、それだと今度は、不規則動詞の形を網羅することは所詮不可能だし、そもそも不規則動詞(の一部)を除けば、英語の過去と過去分詞ってのは同形なんだから、 ‘form’ という言い方を充当するには無理がある、ってことなんでしょう。それで、まあ ‘past form’ だの ‘past participle’ だのでもいいか、って感じだったりして。わかんないけど。
 
                  

おっと、またも余談が過ぎました。結局「まとめ」って風情には乏しく、自分でもあんまり明快な説明になったとは思えんのですが、 ‘finite verb (form)’ と ‘non-finite verb (form)’ の対比についてはこんなところでしょうか。基本的に単体の ‘verb’、「動詞」の形態に対する二分法、って感じ?
 
                  

さて、ここに至って、今さらながらとは承知しつつ、 ‘verb’ という語の定義について改めて明確にしとかなくちゃなるまい、って気がしてきちゃいました。以下にそれを……と思ったけど、うっかりまた長くなっちゃったんで、それはまたも次に持越しってことで、本日はこれまでと致しとう存じます。

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