2018年7月28日土曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(10)

早速ですが、 ‘semi-modal’ としてもなかなかの曲者ではある ‘dare’ について。

意味は……何でしょうね、「敢えて~する」とか「~するのを恐れない」といったところ? 助動詞としてでなければ、子供どうしのやりとりとかで「~してみろよ」というふうに、「けしかける」てな意味の他動詞でもあったりして。
 
                  

とりあえずは ‘semi-modal’ すなわち ‘marginal modal’ としての能書きを垂れることに致します。これもまた前回述べた ‘need’ と同様、助動詞としては否定や疑問にしかまず用いられず、助動詞としてもフツーの動詞としても同じ意味で使われる、ってことなんですが、さらにそのいずれともつかぬ用法が頻繁に見られるところがより曲者、とでも申しましょうか。

一応申し添えておきますと、否定や疑問だけ、とは言い条、主に一人称主語の各種慣用句など、肯定形の用法ってのも結構あり、加えて、これも ‘need’ と同様、複文における従属節では、特に人称の制限なども受けずに肯定形のまま現れたりは致します。2011年に、例のハリポタ役者、 Daniel Radcliffe が、初演から50周年記念公演で主演したという古いブロードウェイミュージカル、‘How to Succeed in Business without Really Trying’ の一節にも ‘I wonder if he dare’ というのが出てくる、てな塩梅。

しかしこれ、ちょっとでも詳述しようとすると、この1語だけで相当な長談義になるは必至なれば、ほんとに眼目だけにしとこうとは思っとりまして。 ‘How dare you!’ だの ‘Just you dare!’ だの ‘I dare say (daresay) ...’ だの、 ‘dare I say ...’ だのという、結構重宝な多数の慣用句についても敢えて触れぬように致します。そろそろ自分の長話の恐るべきに自分でも呆れ始めておりますもので。

あ、でも ‘I dare say’ ってやつについてだけほんのちょっと。これ、結構昔から ‘daresay’ という具合に単語扱いするほうがむしろ普通なんですが、「たぶんね」とか「だろうね」とか「それはそうだろうけど」とか、文脈によって意味はいろいろ。‘say’ の目的語、つまり「何」を敢えて言おうってのかを示せば、「~じゃないかしらね」とか「~だとは思う」てなことになるわけですが、かつてはこれ、 ‘dare say’ と2語で表記すれば「そう確信している」って心を表し、‘daresay’ なら「そうではないか」てな気持ち……というふうに書き分ける向きもあったのだとか。しかし、いずれにしてもその流儀を共有する者にしか通用せず、何より口頭ではまったく区別がつかないわけで、結局は殆ど意味がなかったのだとも。

……などという与太話をしているとまた無駄に長くなり果てるは灼然なれば、やっぱりこの辺で思いとどまることには致します。
 
                  

さて、唐突に話の向きを変えるようでもありますが、英語の助動詞ってのは、悉くかつては普通の動詞だったものが、他の動詞に先行してそれに新たな意味を添える、あるいはその後続動詞と合して新たな意味を成すに至ったものであると同時に、今はその助動詞の特徴とされる‘NICE properties’ が、後から現れた助動詞とともに生じたのではなく、助動詞なんてもんがなかった時代における動詞一般のあり方を伝えるものである……ってことは前回も最初のほうでちょこっと言及しとりました。 ‘be’ なんぞは今でも疑問や否定が常に助動詞と変らぬ使われ方だし、 ‘have’ だって、完了の助動詞ではなく一般的な意味でも、つい百年前のイギリスではおんなじだったってことで。

‘have got’ という疑似完了相が多用されるようになったのは戦後になってからかとも思われるし(?)、今じゃそれも、かつてはアメリカ語法とされていた、普通の動詞と変らぬ ‘Do you have ...?’ だの ‘I don't have ...’ だのって言い方が、既にそのイギリスでも一般的になってたりもします(50年近く前の中1の英語ではそうとしか習わず、てっきりそれが唯一の言い方だと思い込んでました)。それについては以前、滞英中の思い出話をちょいと SNS に書き散らしとりましたんで、いずれそれをまた整理してこちらに再録しようかしら、などと今思ってるところだったり……もするんですが、それはまあさておき……

‘dare’ の話でした。今なんで助動詞の歴史(?)みたようなもんに言及したかと言うと、 ‘semi-modal’ と分類されるものの中でも特に曲者っぽいこの ‘dare’ が、まさにその助動詞と非助動詞の二足の草鞋を履くばかりでなく、そのいずれともつかぬ挙動を為すという、言わば英語動詞の変容過程を律儀に温存しているが如き事例だからなんでした(ほんとか?)。

ひとまずは、臨床例のようなもの(って譬喩も妙だとは承知)をいくつか挙げ、それで概説に代えようかと存じます(さすがに自分もだんだん横着な気分になって参りましたようで)。とりあえず助動詞用法としては、

 Dare she do ...?

とか

 I dare not do ....

という言い方がそれに該当します。いずれも、素朴な肯定平叙文で用いられないのは ‘need’ と同工。これに対し、

 Did she dare to do ...?

だの

 I won't dare to do ....

ってのが、助動詞とは対極にある堅気の動詞としての用法、といったところ。ここまでは ‘need’ と同じで、‘marginal modal’ だの ‘semi-modal’ だのってのは、本来こういう二足の草鞋ぶりを指す呼称ではあるのでした。しかるにこの ‘dare’ ってやつは、

 Did she dare do ...?

とか

 I won't dare do ...

などという、堅気動詞と助動詞の形態を同時に示す場合も少なからず、ってことなんです。ま、それは他にもよく見られる経時的な省略表現の結果なのではありましょうけれど。
 
                  

上記はごく単純に例示したものに過ぎず、実際には添えられる動詞の意味や性質、主語の人称なんかにより、いずれの言い方が最も自然か、ってのが分れるところでもあるんですが、とりあえず疑問と否定における極めて素朴な例を挙げるだけでも、これだけの言い方が併存し得るということでして。

しかしさらに厄介なのは、肯定形の過去でして、 ‘durst’ てな古形(‘dorste’ から変化)もあるけれど、それ、現代語としては北イングランドの俚言に遺存するのみ……らしゅうございます。 ‘dared’ って過去時制は普通に使われますが、否定はその後に ‘not’ を付して表すので、その点ではこれも助動詞と見なすべきかとは思えど、やっぱりその後の ‘full verb’、不定詞の前には ‘to’ が挿入されたりされなかったり。

つまりここでもまた、いったい助動詞なんだかそうじゃねえんだか、鳥とも蝙蝠ともつかねえ野郎だな、ってことんなるんですが(いずれに区分するかもまた論者によって分れるところ)、それより、その ‘dared not’ の縮約形が、 現在時制(とりあえずそう言っときます)たる ‘dare not’ と同じ、 ‘daren't’ ってのがまたいかにも曲者でげしょ?

尤もこれ、本来はやはり ‘daredn't’ とすべきである、と唱える向きもおりますようで、いつの間にかすっかり権威的に成り果てた(ってバカにすることもないけど)大修館の『ジーニアス英和辞典』の現行第5版では、 ‘daredn't’ としとくのが無難、と言ってたりもします。でも実際にはその表記、とんと見かけませんし(Oxford や Longman の辞書や文法書、語法書では一切無視)、どのみち飽くまで口語の表記法ではあり、発音はいずれも /deənt/ とのことでもありますれば(そこは前回述べた ‘usedn't’ と同工)、あんまり意味のある書き方とも思われませず。
 
                  

ざっとウェブ検索してみたら、どうもこの ‘daredn't’、 Wiktionary その他、「辞書」を名乗る「私的」なページには散見されるものの、正統的出版社の辞書サイトには記載がありません。どのみちどれも「‘dared not’ の略」というわかり切ったことを記しているだけで、まったく意味ないし。

これをどう発音するか、との質問に答えた音声ファイルを羅列したサイトもありまして、そこでは英米その他の母語話者が皆 /d/ を無音にしてるんですが、それも単に、この表記をどう発音するか、という質問に答えているだけの話であって、その人たちが実際にこの表記を用いているかどうかと言えば、ひょっとすると回答者の誰一人そういう書き方はしちゃいないんじゃないか、とも思われます。 ‘dare’ を助動詞として使うこと自体が基本的に英国流だてえし、回答したアメリカ人は、そもそも ‘daren't’ すら普段は使わないんじゃないかと。わかんないけど。

一方、既に十年以上前のものですが、ある英語関係のフォーラムサイトで、この ‘dare’ における多数の用法を並べ、そのいちいちについて正否を尋ねているフランス人ってのがおりました。その質問事項の1つが、まさにこの ‘daredn't’ という言い方(書き方)についての当否だったのに、母語話者は誰一人その疑問には答えておりません。当人の弁(英文はごく達者)では、「どっかのメッセージボードで確かにその表記を見たことはあるんだけど、ネットにあるものが必ずしも信用できないのはわかってるし、だから訊いて確かめようと思ったのよね」みたようなことを書いとりました。結局当人にとっては未解決のままだったようで。
 
                  

でも実はこの表記、文学作品には散見されるんですね。と言っても、George Eliot(本名 Mary Anne Evans という女流作家の筆名。日本だと文政2年の生れ) とか Edward Charles Booth とか、いずれも19世紀から20世紀初頭の、つまり相当に昔のやつにしか見当りません。両人ともイギリスの作家です。

私見としては、『ジーニアス』の編者の主張とは裏腹に、現今の英国の文法書その他が説いているとおり、‘daren't’ は ‘dare not’ と ‘dared not’ 両者の縮約形を兼ねる、あるいは、かつては誤用とされていた ‘dare’ を現在のみならず過去にも充当するのがとっくに慣用化し許容されているのだから、過去の否定でも結局 ‘daren't’ で何ら苦しからず、というところです。

重ねて申しますが、いずれにしても口頭の表現を文字表記しただけのことではあり、以前は普通に用いられていたらしい ‘daredn't’ なる表記も、発音は ‘daren't’ と変らぬことは既述の如し。辻褄合せとも思しき(?)、 ‘daren't have done’ といった言い方もあるにはあるものの、結局のところ、助動詞ではなく、 ‘didn't dare (to) do’ としとくのが最も穏当ではあるようで。
 
                  

……と、またぞろ締らねえ話にはなっちまって毎度恐縮。でもまあ、これでとりあえずのは、おまけのような ‘semi-modals’ についての御託もおしまいということに。次回はいよいよ9つある ‘main modals’ を出汁に、本来の主旨、現在と過去という2つの ‘tense’ に着手……とも思ったんだけど、さっきちょっと触れた ‘have’ と ‘have got’ にまつわる与太話を先にやっつけとこうかという気にもなってたりして。

趣旨の動揺はいつものこと。自分じゃもう諦めてます。

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