2018年7月30日月曜日

‘Have you a cigarette?’(1)

‘tense’ 談義からの逸脱ネタ、 ‘modal’ についての駄論からも外れて、今回は急遽 ‘to have’ という動詞についての、ちょっとした昔語りの如きものを記したくなりました。以前 SNS に書き散らした内容に寄りかかりつつも、その後仕入れた知見や、改めて加えた考察なども盛り込んで、以下に述べて参ろうという魂胆。
 
                  

1971(昭和46)年、中学に入って初めて英語習ったとき、教科書には ‘Do you have a book?’ とか何とか、とにかくそういうのが載っていて、それに対する答えは ‘Yes, I do.’ とか ‘No, I don't.’ だってんですよね。

でもその後、洋楽ポップなんぞを聴くようになると、アメリカの歌の文句じゃあ、明らかに ‘I have’ の意味で ‘I've got’ あるいは単に ‘I got’ って言ってるじゃありませんか。否定は ‘ain't got’ とかさ。 ‘must’ と同義だって習った(ほんとはおんなじじゃないんだけど) ‘have to’ ってやつも、 ‘have’ なんか言わず ‘gotta’ (と書いて[ガーラ]とか)だったりするし。

だから、てっきりそれはアメリカ弁で、ビートルズの ‘You've Got to Hide Your Love Away’ (「悲しみはぶっとばせ」?)ってのも、イギリスのポップ英語の通例で、敢えてアメリカ的な言い方を真似てんのかと思ってたところ、実は逆だった(?)、ってオチ。
 
                  

一般動詞とされる、「所有」や「所持」を表す ‘have’ も、英国では元来助動詞と同様(何百年か前まで動詞は全部そうだったって話ですが)、疑問は ‘do’ なんて助動詞は使わず ‘Have you ...?’ だし、否定は ‘I have not ...’ となるのが、百年ほど前にはごく普通だったってんですよね。それを、 ‘get’ の現在完了と同じに、いちいち ‘I've got ...’ とか ‘I haven't got ...’ とか、 ‘Have you got ...?’ って言うようになったのは、1940年代だった、ってことを、70年代後半、ロンドンの英語学校で、たまたまいつもの担任の代りに1回だけ授業に来た年輩の教師(今の自分ぐらい?)から聞きまして、ああそうだったんだ、と思ったのでした。ちょいと懐しい。果然 ‘have to’ だって、口頭では通例 ‘You've got to do ...’ とか ‘Has it got to be ...?’とかにはなるという寸法。

でもこれ、飽くまで口語ではあり、‘have’ という「助動詞」も、そこを強調するのでもなければいちいち発音することは稀で、上記のとおり ‘You've got ...’ とか ‘She's got ...’ とするのがよっぽど普通。否定や疑問ではそうは行きませんけど。
 
                  

あたし、その年輩教師が言った ‘the forties’ って、何気なく戦時中のことなのかな、と思ったんですが、よく考えたら40年代も後半は丸ごと戦後なんですよね。ってことは、やっぱりこれもアメリカ的な物言いに毒された、おっと影響を受けた結果だったのかしら、とも思われ、何だか謎は深まる一方……のような。

‘have’ とだけ言っときゃいい、ってより、日本の学校じゃそうとしか習わなかったもんを、わざわざ ‘have got’ とか、いっそ ‘got’ だけとかってのが、アメリカの歌にゃしょっちゅう出てくるってことは、中学生だって知らずにはおられませず、たとえば、キャロル・キングの名作が ‘You've Got a Friend’ てえじゃござんせんか。まさにあたしが中学入った71年の作。まさかイギリス的な言い方がアメリカに逆輸入されたなんてこたあるめえ、と思ってたら、やっぱりアメリカだって昔っからそういう文句は普通で、コール・ポーターの ‘I've Got You under My Skin’ なんざ、1936(昭和11)年ですぜ。シナトラのカバーは戦後の56(昭和31)年だけど。

当時の中高生なら(今でも?)うっかり普通の「現在完了」かと思っちゃいそうだけど、アメリカじゃあ ‘get’ の過去分詞は ‘gotten’ という、イギリスでは300年も前に廃れたっていう古語の類い。今どきじゃよほどの田舎の俚言ならいざ知らず、とっくに現役ではなくなってます。アメリカっぽさを狙って、イギリスの歌でもわざとそういう歌詞でやってる例は昔からありますが。

……と思ってたら、恐るべきことに、ってこともないけど、この10年ほどの間に、若年層でその「米語」を多用する者が急増中なんだとか。う~む。
 
                  

因みに ‘under my skin’ ってのがわかっていない「訳詞」が未だに散見され、「あなたはしっかり私のもの」だの「君はしっかり僕のもの」だのって邦題になってたりもするんだけど、歌われている状況はまったく逆。一方的に入れ上げちゃってる憐れなやつの歌であるは歴然、って感じです。

この ‘get someone or something under one's skin’ の ‘under one's skin’ってのは、文字どおり「皮下」の意で、小っちゃい虫かなんかが皮膚の下に入っちゃったら相当イライラするように、何かの存在とか誰かの言動とかがいちいち気に障る、ってのがこの慣用句の第一義。でもそれよりは、その「皮の下に入り込んだ」何者かに取りつかれちゃってる状態を指すことが多いかも。それが惚れた相手だったら、つまりはすっかりメロメロってことで。

ビートルズの ‘Hey Jude’ には、 ‘you let her under your skin’ って文言が出てきますけど、虫なんぞとは裏腹に、皮下に潜り込まれたって惚れ込んじまった相手ならちっとも気にならない、とでもいう心でしょうかね。

とにかく、このように何だかわかんないまま半端な解釈で世に流布する例は少なからず、やはりポーターの作 ‘You'd Be So Nice to Come Home to’ に対する『帰ってくれたらうれしいわ』という間抜けな邦題ってのもありました。これだけ容易に世界中の情報が得られるようになってんのに、なんでいつまでもこういうのばっかりなのよ、と思わざるを得ない事例が多過ぎます。しかたねえけど。てえか、俺にゃどうすることもできねえけど。
 
                  

閑話休題。いずれにしろこの ‘(have) got’、アメリカだって歌の文句では昔から普通だったのは明白で、むしろイギリス風の口語として一般化したのが後からだったのかなあ、とまで思ったりもしてたんです。でも、やっぱり中学の教科書にあるとおり、アメリカの普段の発話では、(戦後の?)イギリスとは異なり、「所有」「所持」の ‘have’ は一般の動詞として、つまり余計な ‘got’ なんかくっつけず、疑問や否定には ‘do’ だの ‘does’ だのってのを使うほうがよっぽど普通……ではあるんですよね。

‘have got’ という、意味不明の英国風疑似完了表現ってだけでも普通じゃないのに、アメリカの(あるいはアメリカ風を装ったイギリスの)歌ではしばしばその(肝心な?)「助動詞」部分をすっとばして、単なる ‘get’ の過去たる ‘got’ が ‘have’ と同義になっちゃってたりすることは先述のとおり。ディランの歌にも ‘(When you ain't got nothing,) you got nothing to lose’ ってのが出てくるし(‘ain't got nothing’ っていう非合理な二重否定がまたいかにも歌の文句っぽくていいやね。この ‘ain't’ は ‘haven't’ に対応するんでしょうけど)、ビートルズ初期の名演カバーにも ‘You Really Got a Hold on Me’ ってのがありますし。でもこの曲、なぜかオリジナルのミラクルズのほうの題目が ‘You've Really Got ...’ になってんですね。

それが、ビートルズのセカンドアルバムに入ってるのを聴くと、ジョンが明らかに ‘You've really ...’ って発音してるところがあるかと思えば、ミラクルズのほうは常に(?) ‘You really ...’ って歌ってたりして、ちょいとした錯綜はございます。いずれもウェブ上には ‘You've Really ...’ と ‘You Really ...’ の両方の表記が見られますが、レコードや CD の「ジャケット」(これも日本固有の誤用だったりして)の表記では、やはりビートルズが ‘You Really ...’ で、ミラクルズのほうが ‘You've Really ...’ とはなってんですねえ。まあいいか。

それにしてもリンゴのハードなリムショット、いつ聴いてもカッコいいや。こないだ78歳になったんでしたね。
 
                  

休題閑話。他にも、キンクスの名作、後にはヴァン・ヘイレンも流行らしたやつに、‘You Really Got Me’ ってのがありますし(モット・ザ・フープルのデビューアルバムの1曲めも何気なくそれだったり)、ストーンズにも ‘You Gotta Move’ って曲がありますものの、イギリスじゃあ普段はまず ‘(ha)'ve’ だの ‘(ha)'s’ なしの ‘got’ だけってこたなさそう。そりゃやっぱりちょいとガラが悪いような。

あ、そう言やあ、30年は前だと思いますが、吉川晃司の歌で「You Gotta Chance」っていう題目のやつがありまして、「あぁた、それ言うなら ‘You Got a Chance’ だろうに」って思ったことではありました。音は同じでも、むしろ表記によって意味を使い分けている事例なるに、それを真っ向から台無しにしちゃってるという、我が国が誇る伝統芸の如き勘違い。 ‘gotta’ は飽くまで ‘got to’ の世俗的米音を示す表記であり、それは ‘going to’ を ‘gonna’、 ‘want to’ を ‘wanna’ と書くのと同工。そんなこたあ、こっちゃあ中学の頃から知ってたってのに、何なんだよ、今どきの「業界」の大人どもは、って感じ。

ま、どうせここは日本なんだから、所詮そんなもんだろうとは先刻お見通しではあるんですがね。それでもやっぱり多少恥ずかしいような。チッ、なんでこの俺が恥ずかしがらなきゃならねえんだか、とも思ったりして。今となってはちょいと懐かしい。
 
                  

またぞろズレたことを……。

いずれにしろこの ‘(have) got’ が ‘have’ の意であり、これを ‘You've really gotten a hold on me.’ と言ったのでは、それは紛う方なく ‘You really get a hold on me.’ の現在完了、ということにはなりましょう。つまり、アメリカでも ‘(have) got’ という完了的な形態が ‘have’ と同義に用いられる例は珍しからず、それが歌詞には結構頻出するものの、基本的には(少なくとも現代語としては?) ‘got’ を添えるのはイギリス的な言いようではある、ってことにはなりますようで。

‘got’ だけで ‘have’ の代用になる、っていうアメリカの非標準用法がいつからなのかは知りませんけど、基本的にはイギリスより古形を温存していることの多い彼の地では、 ‘get’ の過去分詞は ‘gotten’ だってことは先ほど申しました。日本でも地方の俚言ほどかつての中央の古語を残しているのと同工ってとこですかね(実はそんな単純な話じゃなかった、ってことがやがて判明)。

イギリスでは完全に古語、あるいは大時代な文学表現、でなければ田舎の訛り(?)になっているその過去分詞、どういうわけか件の ‘have’ と同義の ‘(have) got’ のときだけ、現代英国式と同じに、 ‘gotten’ じゃなくて ‘got’ とはなるということなんですが、あるいはそれ、 ‘have’ という「助動詞」の後に ‘gotten’ という本来の(?)過去分詞ならざる ‘got’ を連ねた「完了」表現がいかにも落ち着かないから、いっそのこと ‘have’ はとっちゃって ‘got’ という単純な過去、というより「現在形」を多用するようになった……とか? そんなこたないか。やっぱりわかんないけど。

ま、いずれにしろその ‘have’ の代りの ‘got’、歌の文句だの映画の台詞とかででもなければ、たぶんアメリカでも多少無作法な物言いってことにはなるんじゃないでしょうかね。アメリカ行ったことないし、日本で会ったアメリカ人は結構みんなちゃんとした話し方だったから(親しい友達ってわけでもないから当然か)、‘got’ だけで ‘have’ に代えてるやつぁいませんでした。いちいち ‘have got’ って言うアメリカ人にも会ったことないけれど。てこたあ、アメリカ語のそれ、殆ど歌の文句でしか聞いたことがなかったってことか。

とにかくまあ、そこが、もともと助動詞的な用法、つまりそれ自体には ‘do’ だの ‘don't’ だのっていう助動詞を添えないのが基本だったかつての英国流一般動詞 ‘have’ との違いとは申せましょうか。イギリスでは、特に意味はないとは言え、とりあえず形の上での完了、 ‘have got’ という言い方に何の齟齬も違和も初めからないってことで。
 
                  

形の上、とは言っても、どうしたってこれ、現在完了ではあるんですよね。40年前、件の英国人年輩教師は「40年代から」って言っちゃあいたけど、それは単に、その本来余計な ‘got’ を誰もが挿入するようになったのがその頃ってことで、ほんとはそのずっと前から普通の「英国風」だったというのが実情らしい、ってことも追々わかっては参りまして。

なぜそうなったのかと言うと、この ‘have’ (とか ‘has’ とか ‘had’ とか)って、完了の助動詞でなければ通常は常に強勢で発音されるところ、それはときに面倒だったりするので、しばしば ‘I've this ...’ だの ‘You've that ...’ だのという横着な言い方がなされ、それによって不可避的に生ずる曖昧さ、または非合理、つまり ‘He has it.’ を ‘He's it.’ ってんじゃわけが知れねえ、っていう問題を回避せんがため、 ‘got’ を添えて辻褄を合せようとした、ってのが発端なんじゃないか、って話です。

東京語に対する関西方言のように、アメリカ発音の特徴として、母音あるいは有声音が概してイギリス式より強め、ってところがあるから、 ‘have’ の発音に関するそうした経緯がアメリカ弁にも妥当するのかどうかはまったく知りませんが、とにかく日常 ‘have’ だけでいいものをわざわざ ‘have got’ とするのが極めてイギリス的な物言いであるのは確かで、40年前のロンドンの学校でも、担任(二十代後半だったから、今では七十近く)は授業中よく ‘Have you got ...?’ とか ‘I haven't got ...’ ってな言い方しかしてませんでした。

と言うか、とにかく誰もが普段はそうとしか言ってなくて、 ‘Do you have ... ?’ だとか ‘I don't have ...’ ってのは「アメリカ語」だってのがごく普通の認識だったんです。まして ‘gotten’ なんてのは、歌の中だけの「なんちゃってアメリカ弁」でしかなかったような。
 
                  

でも本来その ‘got’ が余計なのは明白であり、元来は助動詞と同様、 ‘Have you a pen?’ だの ‘I haven't a penny.’ だった……ってことを言われても、だって誰もそう言ってねえじゃねえか、としか思われませず。

それがある日、地下鉄の駅を出たところで、向うからやって来たちょいとくたびれた年輩のオヤジ(今のあたしよりゃ若かった?)に、 ‘Have you a cigarette?’ と訊かれ、ああ、ほんとにこう言うんだ、と、ちょっと感動さえ覚えたことがあったのでした。

当時も今も喫煙の習慣はないので、反射的に ‘Sorry, I haven't. I don't smoke.’ とは答えたものの、そう言った瞬間に、今自分の言った ‘haven't’ は、果して一般動詞としての ‘have’ の否定形なのか、 ‘have got’ という皮相的な完了形の助動詞の否定なのか、こいつぁちょいとわからねえじゃねえか、とは思ったる次第。40年を経た今も憶えてるってことは、そのくたびれオヤジの台詞が既にかなり意外だったってことで。

それとはまったく裏腹に、どっちが先だったかは失念しましたが、やはり地下鉄の駅で、ホームのベンチに腰掛けて電車を待ってると、隣に座ってた2人連れの小学生の男の子の一方がもう一方に ‘Do you have ...?’ って訊き、相手が ‘Sorry, I don't.’ って答えてたのが耳に入り、あれ? 今の子供はこう言うんだ、って思ったことも未だ忘じ難く。それってアメリカ語だったんじゃないの? みたいな。
 
                  

それから早40年、これに限らず、戦後一貫してアメリカ的な語法や発音・アクセントの影響(侵攻?)を受け続けてきた、英語の本家たるイギリスの言葉が、さらに容赦なくアメリカ的に変じていることは、日本にいながらにして痛感せざるを得ないところではあります。宛もかつての東京語が衰退し、次々と西日本の語法に浸食されているのと同工の寂しさだったりして(青森生れなんですけどね)。これが加齢というものか、ってところもありますが。

自分がまだ二十歳前後だったんだから当然のようでもありますが、40年前のその当時、年輩者が「嘆かわしい」と言っていた英国的な言い方の変容の一例が、 ‘kilometre’.つまり「キロメートル」の発音でして、アメリカではこれ、第2音節の「ロ」が強く、てえか高くなるのに対し、それは ‘metre’ すなわち「メートル」ではなく ‘meter’、つまり計測器の「メーター」に限った言い方(‘thermometer’「温度計」とか)ってのが英国流だったのを、「今どきの若い連中」が、どちらも ‘meter’ と書くアメリカ式に発音するのは怪しからん、ってな感じだったんですよね。まあ、容赦ない北米訛りを無理やりカタカナにすれば、[キ↑ロ↓ミタ]どころか[カ↑ラー↓マラ]みたようなもんですが。昔のイギリス人は[キ↓ラミータ]としか言わなかった、ってことで。

ところがそれ、自分より若いとは申せ、既に五十を過ぎている Guy Perryman という InterFM の DJ、今どきでは珍しいほどの「格調高い」標準英国発音でありながら、(かつての)アメリカ的なアクセントで、常に「ロ」を高く言ってんです。40年前だとまだ子供だったわけで、その頃「今どきの若いやつらは……」って言われてた世代(あたしの世代)よりはよっぽど下なんでした。今じゃ立派な中高年とは言え、そりゃ無理もないか、ってのを今さらながら思い知らされる心地にて。

一方、自分よりゃ年長ではあるけれど、同じく InterFM で毎週番組やってる Peter Barakan は、その Perryman って人より口調が軟らかく(もともと DJ が本職ってわけでもないし)、NHK FM の番組における日本語の語り口と同様、言わばより「知的」な風情でもあるのですが、(恐らくその ‘kilometre’ も含め)概ね旧来の英国発音のままなのは、世代の違いってより、ひょっとすると既に数十年の日本暮しで、故国における言語的変容とは日常的な接触がなかったから……だったりして。わかんないけど。
 
                  

あ、英国に対する米語の侵略ぶりで、今一つ思い出したことがございました。既に30年ほど前ですが、久しぶりにイギリスの姉のうちに遊びに行ったとき、自分とも遠い親戚ということになる、義兄の叔父夫婦が訪ねて来て、一緒に昼食をとることになりまして。

そのときに、その義理の叔父さんが何気なく缶詰のことを ‘tin’ って言ったら、当時10歳ぐらいだった姪が、「え? ‘tin’ って何? ‘can’ でしょ?」って言ったんです。叔父さん、笑って「だから ‘tin’ (錫の) ‘can’ (缶)さ」って言ってたけど、自分としては軽く衝撃ではあったのでした。英和辞典にだってよく載ってたけど、イギリスでは缶詰のことは ‘tin’ ってのが普通で、 ‘can’ はアメリカニズム、って認識だったから、我が係累ながら、「やっぱり今どきのイギリスの子供はアメリカ弁しか知らねえんだ」って感じ。

その姪も今じゃもう四十近く。学生時分は文学専攻で、シェイクスピアは読破したってほどですので、伝統的英語には相当に通じている筈。当人が「今どきの若い連中は」って思ってそうなぐらい、もっと容赦なく米語化は進んでんじゃないかと。
 
                  

ふぅ、またもどうでもいい話を長々と。大概しょうがねえよな、俺も。すみません。

ひとまず次回は再び ‘modals’ の話を……と思ったんだけど、実はつい気になって、その後もさらに、昔買い込んどいた古い語法辞典を読み返したり、ウェブで諸々検索しとりましたら、この ‘got’ 対 ‘gotten’ について予想外にいろいろなことが知れまして、どうせならそれらを整理してまたご報告致そうかと。

すみませんねえ、どうも。

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