2018年8月15日水曜日

完了は受動から派生、とかいう話(2)

さて、「完了」の謎(なのか?)についてのお話。

‘have’ などという、本来は目的語が必須の他動詞に、別の動詞の ‘-en form’、いわゆる過去分詞が付されると、どうして「完了」なんてものになるかと言うと、ひとつには、それが前回言及した「自他」の混同から生じた誤用の慣用化、ってことだったりもするようで。

もともとは間違いなく他動詞として使われていたものが、その目的語を後回しにしちゃったために、その ‘have’ が、本来はその直後にあった目的語を後方から修飾する形容詞(過去分詞)とくっついちゃって、やがてその「ズレた」形が定着するに及び、こいつぁ動詞(の過去分詞、すなわち正体は形容詞)の直前に位置するのだから、さしずめ助動詞てえやつに違えあるめえ、というふうに強引に理屈を合せた……のではないかしらと。
 
                  

ぜんたいどういうことなのかと申しますに、たとえば、 ‘I have bought a book’ ってな現代文は紛う方なくありふれた現在完了の例ではあるものの(便宜上例文が野暮なのはご容赦)、元来はむしろ ‘I have a book (which is) bought’ だったってんですね。昔の言い方を現代語に置換するとそんな感じになるってことですが、つまりこれ、「買った本を持ってる」という意味であり、過去分詞の ‘bought’ は「買う」という行為がなされた結果(それがつまりは完了の意)を表す形容詞であって、 ‘have’ という動詞とは何ら一体をなさず、その目的語である ‘book’ をこそ修飾するものである、といったところなんです(毎度言いようが拙くて恐縮)。で、買ったのは自分でも、本に言わせりゃ「買われた」という受け身に違いなく、ってなところでして。

念のために括弧入りで挟んどいた ‘which is’ は、 ‘which was’ が穏当なのでは?と思う向きもござろうが、再三申し述べますとおり、過去分詞、すなわち形容詞の ‘bought’ は、原形 ‘buy’ の時制(現在に対する過去という素朴な時間区分を指す基本義としての)ではなく、それこそその行為が完了した後の状況を示すものですので、むしろ ‘have’ という現在時制(この文のこの主語なら、ってことで、文意を切り離した単なる語形としては「原形」)に対応する ‘is’ のほうが整合的、とでも言っときましょうかしらね。なんせ、最も齟齬のない ‘which has been bought’ なんていう言い方、つまりは現在完了自体がまだなかった時代だからこそこうはなる、という次第にて。

諄くて却ってわけわかんなくなってるとは承知。それはまあしかたもございませず。いずれにしろ、‘have’ と分詞が抱合せなんじゃなくて、ほんとはその目的語のほうにこそ分詞がくっついてる、という認識が肝要、とでもいったところでしょうか。 ‘have bought’ + ‘a book’ ではなく、 ‘have’ + ‘bought a book’ と見るのが妥当であり、それももともとは ‘a book bought’ だった、という理屈。
 
                  

でもこれ、その本来の語順だと、現代語では完了じゃなくて、まず「誰かに本を買って貰う」というように解釈されちゃいますね。辛うじて「現在時制」たる ‘have’ が、どっちかてえと日常的、習慣的な行為、または常態といったものを表すため、 ‘I had’ とか ‘I'll have’ とは違って、その種の用法、いわゆる「使役」のようには見えない、ってところはありますけれど。

いずれにせよ、そういう解釈の場合は、同じ ‘have +目的語+分詞’ という並びでも、構文的には異同が生じ、 ‘have’ は使役動詞ってよりただの不完全他動詞、ということにもなりましょう。つまり目的語たる ‘book’ だけでは意味が完結せず、それがどういうことんなってるのかを示す ‘bought’ の有無でまったく内容が変っちゃうってことで。……やっぱりよくわかんない言い方で申しわけございませんが。
 
                  

実は  ‘causative’ を「使役」と呼ぶのも、ちょいと強引なんじゃないかとは思ってんですが、まあそれもさておき、後に完了表現に変じたという昔の同形文のほうについて申さば(たびたび恐縮。さっきからおんなじことを繰返してるって自覚はあるんですが、例によってまったく無計画に書き始めたもんで、そこはもう致し方もなく)、形の上では「本を持ってる」ってだけのごく単純な文、ってことになります。(日本の)学校で習った「SVO」、すなわち「主語・他動詞・目的語」という型に当るやつで、その「O」の後に添えられた ‘bought’ は ‘which is’ などというあらずもがなの文句を挿入したって構わないような、つまりは純然たる修飾語。構文上はあってもなくても何ら大勢に影響を及ぼさざる付け足しに過ぎぬ、ということで。

でもこういう文法説明って、学習者にとってはそのために却って肝心の文意が判然としなくなるっていう、言わば大きなお世話だったりもするんですね。この昔の言い方が、語順の入れ替えによって完了形てなもんに変じたのも、その完了という状態をより明確に示すための苦肉の策……だったかどうかは知らねど、形と中身は必ずしも合致せず、っていうありがちな状況を解消せんがための、元来は確信犯的な破格表現だった……りして。やっぱり何言ってんだかよくわかんないとは思いつつ(自分でもちょっと困ってたりします)。
 
                  

それより、さっきから「昔」と書いてはおりますけれど、それがいったいどのぐらい古い時代のことなのかは、知りません。この一連の話自体が、40年前に通ってた英語学校の授業で習った、ってことでもなくて、授業の合間に何気なく教師が語った「雑学」の類い。完了の助動詞と言えば ‘have’ だけど、実はそれ……って感じの、ごく軽い話しぶりではありつつ、当時の自分にとっては「そうだったのか!」っていう嬉しい驚きをもたらしてくれた、言わば啓示の如き余談。

惜しむらくは、まあ高校出たてだったんだからしかたないんですけど、その「昔」ってのがいつのことなのか、ってのと、それは英語自体に生じた変化なのか、あるいはラテン語その他における現象が英語にも伝播したということなのか、ってのを訊いとかなかったこと。どのみちそんな知恵はまだ一毫も持ち合せちゃいなかったし、その教師だってそこまで知ってかどうか。

その後もときたま気にはなっていたものの、昔イギリスで買い込んどいた文法書だの語法書もそれには触れちゃいないし、まあしかたがねえか、と半ば諦めておりましたところ、英米その他の物好きサイトを渉猟していてわかったこともあったりしまして。

完了自体は独語にも仏語にもある、ってより英語には仏語経由で伝わり、それが、基調はゲルマン語ながら(半端な)ラテン語的要素も目につく現代英語がドイツ語と違う要因……らしゅうございます(ドイツ語もフランス語も、もちろんラテン語もまったく知らないってことは、夙にたびたび自慢しておりますとおり)。
 
                  

件の ‘I have bought a book’ という形は ‘I have a book bought’ を無理やり(?)言い換えたものである、ってのが、いったいいつ頃から流行り出したものなのかは未だ判然とせぬのですが、まあラテン語ではとっくにそうはなっとったのでしょう。フランス語経由云々というのも、既に千年近く前の1066年、本朝の治暦(じりゃく)2年に、数世紀にわたってイングランドの主であったアングロサクソン族(the Anbglo-Saxons)が、フランス北西部のノルマンジー(ノーマンディ?)から攻め込んで来たノルマン人に征服されて以降(‘the Norman Conquest’ などと言いますね)、徐々に生じた混淆の一環、ってことにはなろうかと。

イングランドの語源である、今のドイツ北端、デンマーク国境近くのアンゲルン(鉤形?)半島が発祥地というアングル族(およびそれと混淆した、ザクセンと同語源のサクソン族だの、ユトランドに発するジュート族だの)と、遠い祖先は同じゲルマン人ながら、北欧方面から南下して北フランスを支配するに至った、いわゆるバイキングと呼ばれる一派と通ずるノルマン人(北方人)が、いよいよ大陸からイングランドにも侵攻し、数世紀前に先住のケルト系ブリトン人を駆逐して支配民族となっていたアングロサクソンも、ノルマンジーを本拠とするそのノルマン人に征服されてしまった、という仕儀。

バイキングと言えば、既にその数世紀前、北欧方面から頻繁にイングランドに来襲し、一時はアングロサクソンの優位に立ったりもしていたのでした。先祖を同じうするゲルマン民族間の興亡(だからその経緯に伴う混淆も敢えて混血と呼ぶには当らず?)が、中世以降の英国史ってことになるかも。

いずれにせよ、そのノルマン征服により、それまでは素朴なゲルマン語ぶりを見せていた「古英語」こと ‘Old English (OE)’ (別名 ‘Anglo-Saxon’)も、一朝にして被支配民たる下々の言葉に転落。新たな王侯貴族の日常語は、本拠地たるノルマンジーの「フランス語」のままだったのですが、数から言ったらどうしたってその「下々」のほうが「支配的」なるは言を俟たず、その後も長らくイングランド人の大半が旧来のゲルマン系古代イングランド語を話していた一方、支配者側だって、もともとがゲルマンの子孫を母体とする連中であり、実はその「フランス語」も、パリ辺りのお洒落な(?)おフランス語たあ程遠い、かなりのゲルマン臭を含む田舎の訛りではあった、とは申します。それでも、負けたアングロサクソンの言語よりゃよほどラテン語的要素が濃厚ではありましたろう。

文語については、どのみち既に死語となっていたラテン語が正式とされ続けたとは言え、口語に関しては、大半を占める庶民層にも、かつてのラテン語の作法を汲むフランス語的物言いが浸透して言ったのとは裏腹に、やがて元来の本拠であったノルマンジーを失ってイングランド一国を領するのみとなった王族その他の支配層も、よんどころなく下々の言葉であった筈の「英語」に傾いて行き、14世紀には英語しか話せない王様も出てくるという塩梅。

因みに、その後もたびたび英仏間で縄張り争いがあったのも、もともとの英国王がフランスから来たやつらの子孫だったから、ってところもあるんです。こっちの知ったことじゃねえけど。
 
                  

とにかく、そのノルマン征服の暫く後から数世紀の間は、古代の伝統的イングランド語とはかなり様相を異にする、 ‘Middle English (ME)’、「中英語」の時代という区分になってまして、王侯貴族は以前のように気取ったおフランス語(の俚言)だけでしゃべっちゃいられなくなると同時に、下々も上流を真似た「なんちゃっておフランス風英語」なんかやり出すもんだから、結果的に英語ってのがゲルマン系言語としてはかなり半端なもんに変じたのも理の当然、と申しましょうか。語彙だけではなく、音韻にもかなりの変容を来し、肝心の(?)「ゲルマン」が「ジャーマン」なんてことになったのもその一例。

さらにその後、15世紀に出現した印刷技術の普及などもあって、正式な文書にもラテン語やフランス語に代って英語が用いられるようになるとともに、文法や語法、発音などにもより一層の変化が生じ、それがほぼ現行の、いかにも英語という形に落ち着いた結果が、要するに ‘Modern English (ModE, MnE)’、「現代英語」ということにはなります。16世紀末から17世紀初めのシェイクスピアが書いてんのもそれ、ってことにはなるけれど、本格的に現代語然としてくるのは17世紀も半ばの模様。厳密にはまだ ‘Early Modern English’、「初期現代英語」とはなるということで。対比上、その後の英語は ‘Late(r) Modern English’ と称されるも、その起点がいつなのかは、結構意見の分れるところだったりもします。
 
                  

さて、活字の普及に伴い、それまでは世俗の話し言葉でしかなかった英語にも、正書法という観念が生ずるわけですが、何せ未だ標準のようなものはなく、土地による語彙や発音の容赦ない差異に加え、それを表記する方法も多種多様であったのを、結構強引にまとめたのが15世紀、最初に英語の本を印刷出版したという William Caxton の骨折りの所産。俚言の違いに過ぎなかった ‘kirk’ と ‘church’ (いずれも綴りはさまざま)のうち、南部で用いられていた後者を言わば共通語として採用したのもこの人だったとか(前者は今日、固有名詞でなければ古語か俚語という感じ)。本人の勝手な判断というよりは、概ねお上の公文書の基準に沿ったもののようではありますが、まあ偉業には違いないのでしょう。

しかし、その表記統一の基準は必ずしも一貫したものではなく、外国語由来の文言には単純な誤記も見られるとのことで、今日の悪名高き英語表記の滅裂ぶりも、畢竟この Caxton に負うところ小さからず、という見方もありますようで。と言うより、活字の普及ったって、大半の人間にとってはその後も手書きによる読み書きこそ普通。実効ある統一表記はやはり17世紀以降のもので、それさえ、19世紀には英米間での対立的不統一が顕在化するという具合。双方とも、既に数世紀来、音韻と表記の乖離は既成事実と化していた、いうのが実情。

悪名高き滅裂ぶり、などと申しましたが、文字による正確な音声の表示などは初めから諦めてるような英文の表記って、数ある欧文の中でもアクセント記号などは一切用いない、まったく素朴なラテン文字の組合せだけで、実にスッキリとはしてるんですよね。実際には音韻と綴りの間にもかなりの法則性はあるわけだし、まあ書くには随分楽な言語であるには違いなく。実はそれ、若い時分にやってた欧文電植の仕事で痛感したんでした。
 
                  

独仏西伊の各言語のうち、典型的なラテン系である後2者(葡の仕事はなかったような)でさえ、入力料金は英文の2割増(こっちの賃金には関係ないけど)、前2者はもうちょっと高めでした。それでもまだ、単語を無制限に繋げていくらでも長くする(?)蘭語とか(左右が短いと1単語が1行に収まらなかったり)、得体の知れない(失礼)文字が頻出する北欧語なんかに比べれば、まあどうってことなかったとも言えますが。今どきのドイツ語用ソフトだと完全自動処理になってそうですけど、 ‘ß’ (エスツェット)って、よんどころなくそこで分綴ってことんなった場合、いちいち手作業で行末側を ‘s-’ 、次の行頭を ‘s’という具合に、2文字に分けなくちゃならないし、原稿に変更が入ってまた改行位置が変ると、忘れずにまた ‘ß’ に戻しとかなきゃならなかったりして、しかも校正者はまずそういう指定はしてこないから、何かこっちばっかり損してるような気分ではありました。

英語では何十年も前からなんですけど、書籍や新聞以外、つまり雑誌なんかの記事では、 ‘justified’ すなわち「左右揃え」にはせず、 改行はすべて単語の切れ目で行い、分綴は一切なしという ‘flush left, ragged right’、つまり各行頭たる左のみを揃え、行末の右側はギザギザ、っていうのがよっぽど普通。その様式だと、独文の ‘ß’ だって全部そのままにしときゃいい、ってことになりそうですが、当の英語も含め、実際にやらされていた日本企業の海外向け定期広報誌なんぞでは、どうしたことか旧弊極まる左右揃えばっかし。そういう刷り物は概ね新聞と同じで左右幅自体が短いため、毎回余計な手間を食わされてたじゃねえかい、と、またしても昔の恨みがぶり返してきちゃったりして。

ドイツ語にはあと、引用符の向きや上下の位置が、日本じゃとんと見かけない妙な形になってる、って特徴もありまして、 „Guten Tag!“ とかって感じなんですけど、既にこれ、閉じのほうだけは「全角」にするしかないようですな。てえか、表示フォントによっては全然意味わかんないのかも。まあいいか。これなんぞは、禄にものを知らねえ校正者(実は各言語に通じてるわけでもない)が、「ちゃんとした文字でお願いします」などと頓珍漢な指示をしてきたりしまして……って、いけねえ、やっぱり恨み言ばかりになっちまう。不平だけが我が人生か。

どのみち今どきは、英米の出版物でさえ、ウェブの普及で拡散した間違った引用符やアポストロフィが平然と印刷されてたりするんだから、この日本でそんな独文の作法なんぞを云々したところで無益の極みとは先刻承知。なんか寂しいけど。
 
                  

またも余談でした。いずれにしろ、現実には土地によって相当の差異が見られる音韻の多様性は統一表記には反映し得ず、そこが既に専ら文語と化していた「死語」たるラテン語との最大の違い。他の欧語も基本的に条件は同じような気もするんですが、何せ英語以外まったく知りませんから、それについては何とも。

その前に、ラテン文字のみによる現代英語の表記法ってのは、印刷物の普及につれて定着していったものであり、手書きしかあり得なかった古英語の時代はおろか、11世紀以後の中英語の時代でも、文字自体が今とは全然異なり、そうした昔の文字もとっくに活字化されてはおりますものの、その活字で示されたものでさえ、殆どが得体の知れない不思議な文字なんですよね。そういう大昔の英文も、書籍などでは大抵現代表記に改められてはいるんですが、そこは国語の古文も同じこってしょう。だって、単純に全然読めないんだもん、そのままじゃ。よほどの物好き、おっと識者ででもなければ。
 
                  

とにかく、英語の発音と綴りが一見支離滅裂っていうこの現状は、15世紀に始まる「現代」英語ならではの副産物、ということで、実は沙翁の時分のロンドン辺りでも、‘right’ の発音は今とはまったく違い、まだ字面に忠実な、つまりかなりドイツ語的音韻だったとかって話も聞きました。とりあえずカタカナにすると[リヒト]みたような。

つまりそれ、今どきのシェイクスピア役者の台詞回しなんか、当時の英語とは似ても似つかぬ発音ってことで、そんなこたイギリスの役者はみんな先刻承知。仮に昔の音韻を再現し得たところで、観劇する側が何だかわからねえ、ってところは日本の時代劇だってまったく同じ。そりゃまたどうでもいいことですが。

それでまた思い出しちゃったんですけど、ウェブで拾ったシェイクスピアの戯曲の表記も、実はいろいろで、 ‘Queene’ が ‘Queen’ になってんのは、まあ現代表記に改めたってことなんでしょうけど、たぶん発表当時の字体では ‘Qveene’って感じだったんじゃないかと。ことほど左様に、活字の時代になっても、時期により表記は揺れてたってことでして。
 
                  

さて、以上のような話は、イギリスじゃあみんな学校で習うのか、結構普段の雑談で教えてくれる人も少なくありませんでした。あるいは、こっちが日本人の若造にしちゃ妙にそういう「考証」的な話柄に興味を持ってることに気づいた、イギリス人でも特別そういうのが好きな連中が、やはり類は友を何とやらってんで、いろいろ話してくれたのかも。後に書物から得た知識よりも、むしろそういうものを読むきっかけとなった、その種の何気ない現地人の雑話や余話の類いが、実は未だに忘じ難きところ。

英語学校の教師や義兄を始め、現地の知人(遠い親戚に当る者も)からも結構さまざまな話を聞いたんですが、中には、たまたまパブで隣り合せた、まったくの他人ってのもおりました。かつ飲みかつ語るうちに、何のきっかけからか英語史の話になって、そういうのは大抵の場合、アメリカ訛りの悪口から、でもほんとはあっちのほうが昔の発音に近いんだよね、っていう「意外な事実の暴露」(実は先刻承知)に繋がり、こっちがそれまでに仕入れたカラ知識などを吐露すると、おもしろがってさらに「意外な」話をしてくれる、という寸法なのでした。

帰国に際し、自分への土産として買い込んだ本にも、英語史的なネタはいろいろ書かれており、流れの概要は把握してはいるんですが、さてこの「完了」、 ‘perfect phase’ てえやつの沿革となると、ウェブの渉猟によっても、やはりしかとはわからずじまい、というのが未だ実情ではございまして。
 
                  

……てえか、またぞろいい間のふりで、おっと、いい気になって無用の余談ばかり書き連ねてるうちに、かくも長くはなりにけり、みたような塩梅で、まことにどうも。どうせ無益な言いがかりの類いに過ぎざるは言うを俟たず、またしても甚だ中途半端ではございますが、今日のところはここまでと致し、続きはやはり次回ということでひとつ。

すっかり講談式になっちゃってもう。

0 件のコメント:

コメントを投稿