つまり、自分で ‘have’ は元来助動詞ではなく、それ自体が述語たる他動詞であり、過去分詞は目的語を修飾する形容詞であった、てな能書きを垂れてたくせに、うっかりその助動詞 ‘have’ (hast, hath) で検索しただけだったんです。だから、その ‘have’ という「その後」定着した助動詞以外を用いた完了表現は一切引っ掛からなかった、というだけのことでして。
で、こんだ少し知恵をつけて、分詞のほうで探しゃ何か見つかるんじゃねえかと思い至り、専ら自動詞として使わるやつてえとまずはあれか、ってんで ‘gone’ で検索したところ、結構ザクザク出て参りましたる次第。
検索対象は戯曲だけでなく、詩の類いも含まれるんですが(そこは何ら的も絞りませず)、ごく一部だけ羅列しときます。遅れ馳せながら、ほんとは前回からそうだったんですけど、 ‘...’ は、その引用部分がその前や後、またはそのいずれをも省略した、元の文や節の一部のみであることを示すもの、ってことで。
You'll be gone ...
Is she gone to the king?
... my lord is gone ...
... they are gone a contrary way ...
... whither is he gone?
... thou art gone ...
... after I am gone ...
てな塩梅なんですが、これらに加え、 ‘he's gone’ というような表記も散見されます。それこそ ‘has’ だか ‘is’ だかわかんねえじゃねえか、っていう典型例。印象としてはその大半が ‘is’ のつもりであろう、とは思われるものの、両者の違いにも、 ‘got’ と ‘gotten’ に類する、意味、用法の区別があるのかも知れません。
‘be’ を用いた例の場合、多くは単に現状を述べているに過ぎず、過去分詞は完了と言うよりは素朴な形容詞、とも見えます。それに対し、多少ともそれまでの経緯、あるいは過去の「経験」といったものに言及するのが、本来は目的語を要すべき他動詞たる ‘have’ ……とか? わかんないけど。
わかんないまでも、こんだその ‘have gone’ で再検索。
‘would have gone’
という語列は結構見つかりましたが、これは主語の人称や数とも無関係なら、文全体の作りや意味も実に多様。つまりそれほど参考にはならないというのが実情。対して、その ‘would’ の付かないやつは
I have gone all night ...
... I have gone through for this piece ...
ぐらいしかとりあえず引っ掛かりませんでした。もちろん検索条件の粗さは否めませんけれど、まあ ‘have’ という「現代語」たる ‘finite verb’ 自体、戯曲や詩歌ではあまり出番がない、ってことだったのかも知れません。やっぱりわかんないけど。
かと思ったら、‘Sonnet CX’ (14行詩、110番)ってのに、
Alas, 'tis true I have gone here and there ...
ってのがあり、さらには同じ詩の続きに
Most true it is that I have look'd on truth
Askance and strangely ...
との文言も見られるのでした。 ‘look on’ は、それ自体を「他動詞句」の如く扱うのが今どきの辞書のやり方ではありましょうが、この ‘look'd’ はひとまず自動詞と見るべきでしょう。てえか、あたしゃそうしました。 ‘I have truth look'd on askance and strangely’ とは言わんのじゃないかと。わかんないけど。
あるいはこれ、執筆時期ごとの用法の違いってこともあるか、って気もしなくはないものの、結局この人(個人の作ではないというのが定説のようではありますが)、活動期間はせいぜい20年ほど。それほど劇的に世間の語法自体が変貌した、ってこともないでしょうから、そこはあんまり気にしなくてもいいか、とは判断致しましたる次第。やっぱりわかんないけど。
ともかく、とりあえずは ‘have’ で検索してはみたってわけですが、三人称単数主語の ‘hath gone’ ってやつでも探ってみたところ、
Thy slander hath gone through and through her heart ,,,
Sith every action that hath gone before ...
というのは見つかりました。 ‘sith’ は ‘since’ の古形とのことで。でも二人称の ‘thou hast gone’ は1つもないようです。代りに
... thou hast lived too long.
Thou hast been rightly honest ...
ってのはありました。いろんな動詞の過去分詞で検索すれば、結構いくらでも引っ掛ってきそうではあるけれど、そいつぁちょいと厄介に過ぎるので、まあこのぐらいでいいか、とは思い極めましたる次第。
ついでのことに ‘had’ でもやってみたら、
... it had gone well ...
... they had gone down ...
... I had gone barefoot to India.
など、これは結構ございました。いずれにしろ、 ‘have’ を助動詞とする完了、ってより、ごく全般的に「他動詞+目的語」から成る完了表現のほうが大半を占め、自動詞の場合は、意味の違いはあるにせよ、 ‘have’ ではなく ‘be’ を使った例が少なからず、との結論に達しましたる次第。
いや、結論なんぞという断定的なこたあ到底申し上げられるガラでもねえんですが、まあだいたいこんなもんか、ってことで、自分としてはとりあえず納得、ってことろではございます。
と言うかこれ、そもそもが、「完了の助動詞は ‘have’ であり、 ‘be’ を用いるのはよろしくない」っていう偏見または誤謬についての難癖なんだった。それが文字どおり見当外れの言いがかりに過ぎねえ、ってこたあ、なんせあの沙翁、シェイクスピアの用例により、もう充分明示し得たのではないか、とは自負したきところ、みたいな。
ところで、 Shakespeare という名前は、それ自体が本人の時分の発音は今とはだいぶ違っていたとは思われますものの、実はノルマン占領後の英語に入り込んだフランス語から変じたもので、ハナは ‘Jacques-Pierre’ だった、てな話が昔からあり、 ‘jacques’ は、フランス語の隠語で「民百姓」てほどの意味だから、庶民上がりの沙翁の先祖がそう呼ばれていたということも充分あり得る、とかいう筋書きなんですよね。つまりそれ、「百姓のピエール」っていう綽名が、名字として定着したもの、というご高説。
なお、‘Pierre’ は英語名の ‘Peter’ に対応する仏語名で、英語の名前にも ‘Piers’ という派生形があります。これも根はヘブライ語で、ペテロというのがそれ。原義は「石」で、化石だの石油だのも同語源なんでした。
でもこの話、よくある穿ち過ぎの民間語源説ってやつに過ぎない、ってのがほんとのところらしいですね。ほぼ一貫してウォリックシャーのストラトフォード、 Stratford(-upon-Avon) に特有の名字だそうですが、素直に、 ‘shake’ + ‘pear(e)’、つまり「槍を振るう」っていう、ちょっと侍っぽい(?)綽名が語源、と解釈するほうがよほど穏当であろう、とは思われます。知らないけど。
毎度余談ばかりで恐縮至極。さて、動詞ってより形容詞が本分たる「分詞」という形、今でも名詞を修飾するのが本来の職務にて、例の『風と共に去りぬ』、 ‘gone with the wind’ の ‘gone’ も実はそれだったりして。
今回、ほんとはその話をこそする腹づもりだったのに、沙翁ネタが結構おもしろかったもんで、ついその検索結果の報告に執心しちゃったというのが実情でして。それにとどまらず、うっかり英語の名字談義なんぞにも容喙しそうになったんですが、それはすんでのところで思いとどまりましたる次第にて。
とりあえずはまあ、切りもいいってことで、今日のところはここまでと致し、本題はまた次回ということに。
……講釈師よりひでえな。
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