2018年10月22日月曜日

英語の名前とか(17)

毎回無秩序に思いついたトリの名を並べるだけというのが実情となってはおりますが、「オウム(鸚鵡)」、 ‘Parrot’ ってのも思い出しちゃったので、今回はまずそれの話から。

意外なことに、これもまた渾名型であるよりは、人名が先という例が基本とのことなのでした。英語の人名としては、やはり11世紀のノルマン征服に伴ってもたらされた仏語の名前、 ‘Pierre’ から転じた ‘Peter’ という洗礼名、つまりは「ペテロ」が起源だというのですが、「小ピーター」とでもいった愛称が ‘Parrot’ だったんだとか。渾名とすれば、やはり「おしゃべり」ってことだったんでしょう。

鳥の名が ‘parrot’ になったのはだいぶ後からで、1520年代が初出とかいう話です。中世仏語の俚言 ‘perrot’ の派生形か、とも申しますが、それ自体、語源には諸説あって、結局明確なことはわからずじまい、というお馴染みの型。

いずれにしろ、鳥の名としては ‘popinjay’ が古形で、初出は13世紀末、それもやはり古仏語の ‘papegai’ (12世紀初出)から転じたものらしゅうございます。現代語における「しゃれ男」という語義は1520年代が初出とのことですけど、その原義とも言える「優雅な」といったほどの誉め言葉は、14世紀初めに用例が見られるとか。‘parrot’ のほうが元は人名で、鸚鵡の古形 ‘popinjay’ が、今は専ら人間について用いられている、ということになりましょうか。

またも蛇足ながら、ドイツの博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt)という御仁が、1800(寛政12)年に南米で出会ったごく長命の鸚鵡は、当時既に絶えていた現住民の言語、つまりとっくに死語となっていた筈の言語の最後の話者だった、とかいう話です。
 
                  

さて、 ‘Parrot’ という綴りから連想したわけでもなく、ラジオでたまたま XTC の曲聴いてたら、 ‘Partridge’ って名字も思い出しちゃったので、次はそれを。

実は私、30数年前の二十歳ちょっとの頃、複数の知人から、あのバンドの大将、 Andy Partridge に似てるって言われて、ちょっと意外だった思い出がありまして。似てるったって、そりゃ単に眼鏡と、あとはちょっと顎が四角いってとこだけじゃねえの? とは思いましたけど。

その XTC ってバンド、イギリス住んでたときにはテレビでよく見かけたんですが、なんか容赦のないテクノパンクって感じ。自分にとってはその後もそういう認識だったのが、いつの間にかビートルズの系譜に連なるパワーポップ扱いになっていたとはつゆ知らず。帰国後の80年代、ビートルズ好きなら XTC も好きでしょ、と当然のように言われてちょいとまごついたりして。

来月で六十五だというこの人、若い頃のあたしとは眼鏡と顎のあたりが似てたかも知れないけれど、近年は頭までおんなじ様相を呈している模様。真似るつもりなんざ金輪際なかったのに。
 

改めてよく見たら、頭は毛がないだけじゃなく形も似てるし、口の端と眉にもそこはかとない類似性が認められなくもないような。さっきまで考えたこともありませんでしたけど。
 
                  

一方、同じ「眼鏡のアンディ」でも、  Wishbone Ash の Andy Powell (奇しくもまた ‘AP’ だったりして)のほうには十代から私淑しておりまして、自分が禿げ始めた当座は、尊敬するギタリストであるそのパウエルに肖ったのだ、と言い張ってたりもしました。

ほんとはその後、またも ‘Andy’ Latimer っていう、あたしとはちょうど十歳離れた Camel のギタリストこそ自分にとっての一番ってことになるんですが、これもやっぱり「アンディ」じゃありませんか。尤も、その「キャメル」のドラマーもまた Andy で紛らわしかったからか、当のギタリストのほうはいつの間にか ‘Andrew’ という正式な名乗りに変ってましたけど。

ともあれ、ウィッシュボ(ー)ン・アッシュ(どっちかてえと[ウィシボウン]みてえな……)のアンディ・パウエルよ(これも[パ(ウ)ァル]とか……キリがねえや)。パートリッジよりゃちょっと年長で、再来年で七十だてえんですが(1つ上のラティマ―が属するキャメルは、当初ウィッシュボンの前座やってたとか)、いつの間にか殆どスキンヘッドになっちゃってて、もともと目つきには冷たい雰囲気もあり、結構なコワモテ風のジジイってのが方今の姿。

50年ほど前のウィッシュボンのデビュー時には、当然まだ髪も長く、メタルフレームの眼鏡とも相俟って、ちょいと気の弱い学生てな風情だったんですがね。その数年後、高校生のあたしが勝手に随一のギターヒーローと見做していた時分には、早くも相当に薄くなっていて、とりあえず周囲のロック小僧どもは無遠慮に「ハゲ」って呼んでました。今写真見ると、まだ結構生えてたんですけどねえ。って、そりゃ俺のほうがもっと容赦なく禿げちまったからそう思うだけか。

ついでにそっちのアンディの今昔も以下に。
 

……てなこたあまったくどうでもよかった。 ‘Partridge’ って名字の話なのでした。おりゃいったい何やってんだか。
 
                  

とにかく、国語では「ヤマウズラ」というらしいこの ‘partridge’ って鳥、やはりあちらでは古来身近な存在で、クリスマスに歌われる ‘The 12 Days of Christmas’ (クリスマスの12日間)という、同じ文句とメロディーを繰り返しながら、順次歌詞が継ぎ足されていくという、典型的な「つみあげうた」または「きりなしうた」の出だしも、

On the first day of Christmas my true love sent to me
a Partridge in a Pear Tree


てな文句なんでした。歌詞は18世紀の『マザーグース』から採ったとのことですが、これが12番まで繰り返されるので、結構辛いところもあったりして。まあ本邦における「ヤマウズラ」よりはよほど親しみのある鳥だということは、この歌からもよく知れる、とは申せましょう。

まあ、親しみとは言い条、小鳥などとは異なり、狩猟の対象にして食用にもされるのがこのパートリッジ。やはり、と言うべきか、名字としては、渾名系と同時に、第3区分の職業系に属する例が多いようではあります。アングロサクソン時代には既にそのパートリッジ猟が行われていたとのことで、その猟師に由来する、つまりは職業型名字というのが基本、ってなところかと。

この鳥の名前自体は12世紀末が初出だそうで、原形は古仏語の ‘pertis’、それ自体は ‘perdis’ の変形だとか何だとか。そのまた語源は「千鳥」類の鳥の名前を指すラテン語らしい、ともいうのですが、さらに遡れば、印欧祖語における、羽ばたきの擬声語ではないか、とも。

名字としての派生形には ‘Patrige’、 ‘Partrich’、 ‘Pettridge’ その他があり、ということです。
 
                  

どうも締らない例ではありましたが、 XTC の曲を聴いてつい Andy ‘Partridge’ って名前を思い出しちゃったために、その名字や鳥にまつわる与太話を書き散らしてしまったという仕儀。やっぱりどこまでも行当りばったりで恐縮の限りではございます。それでもまあ、懲りずに今1つだけ例を挙げて、ここ暫く無計画に書き綴って参りましたトリ由来の名字についてはひとまず切り上げようかと。

‘parrot’ の元の呼称が ‘popinjay だった、てなことをさっき言っとりましたが、‘Jay’ 「カケス(類)」ってのがそれなんです。渾名としてはこれ、その鮮やかな、あるいは派手な姿と、けたたましい鳴き声、それに動きのせわしなさから、「派手好き」とか「過度のおしゃべり」などを指し、その用例は1520年代が初出なる由。やがて「洒落男」に加え、「世間知らずのお人好し」「間抜けなカモ」との意も加わるようですが、より古く、中世には、「jay のようにご機嫌」というように、「陽気」とか「愉快」とかの譬喩でも用いられる一方、恋人を「jay のように美しい」と讃えた詩人もいたとも申します。

「邪悪」「有害」などとも見なされるとは申せ、渾名としてはやはり「うるさい」ってところから付けられた例が最も多かろう、とのこと。「危険横断」という意味の ‘jaywalking’ は、その落着きのなさ(人間の勝手な見方)による比喩に違いないでしょう。19世紀が初出という米国の隠語には形容詞用法もあり、「低級」とか「無益」といったところがその基本義。名詞では「大根役者」を指したりもするそうですが、そこはまあ、派手で喧しい鳥ということですから。

さて、鳥の名前としての ‘jay’ の初出は14世紀初めだというのですが、名字としてはそれ以前、既に12世紀末には見られるとのことで、いずれも語源は古ノルマン語の ‘gai’。古仏語の ‘jai’ に対応する語で、「カササギ」とか「カケス」といった意味だそうで。つまりこれ、またノルマン人がもたらした人名ということになるわけですが、イングランド征服以前に住んでいたノルマンジーの ‘De Gai’ という地名がその起源の由。どちらかと言うと第2区分の「土地型」名字に当るんですけど、その土地にまず鳥の名が付されていた、という結構込み入った由来なのでした。派生形には ‘Jaye’ とか ‘Jayes’ とか。

ところで、ビートルズの ‘Magical Mystery Tour’ の挿入曲、ジョージ・ハリスンの ‘Blue Jay Way’ は、ロサンジェルスにある実在の地名が題名になっているというのですが、その、1709(宝永6)年が初出という ‘blue jay’ ってのは北米原産の、実は ‘jay’ とは別種の鳥ながら、見た目の鮮やかさや鳴き声の喧しさは共通とのこと。‘blue-jay’、 ‘bluejay’ との表記も散見されます。
 
                  

……といった具合で、結局最後まで半端ではありましたが、これにてトリ系名字の話はおしまいとなります。次回は、「先祖の渾名」由来の名字について今少し申し添えたき事柄などを、相変らず漫ろに書き散らし、それでこの「英語の名前とか」っていう、索然を極めた長談義も何とか終幕に至るのではないかと。

それにしてもこの「とか」ってのは何なんだか。自分で付けた題目が今になってちょいと恨めしいような。しかたねえか。

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