2019年4月14日日曜日

‘QU’ が「ク」で ‘EEN’ が「イーン」かよ(1)

だいぶ間が間が空いちゃいましたけど、前回、『奥の細道』の冒頭に出てくる「過客」の字音として、しつこく「くわかく」という仮名が振られていることに、またしてもちょいと要らざる難癖をつけておりました。もうそんな発音するやつなんかいねえじゃねえか(たぶん)、ってことだったんですが、実はそれにつられて思い出した、さらに余計な話があったんです。でも、とりあえず当面の話題(ってのが何なんだか、既に曖昧ですけど)には関係ないか、ってんで言及は避けたのでした。

などと言ったところで、関係ないってんならどうせ全部そうなんだし、既に文章としてのまとまりなんざとうに捨て去ってんだから、今さら気にしたってしょうがねえや、との了見の下に、今回はその、余談のさらなる余談とでもいったものを開陳致す所存。毎回話があちこち迷走するのも、こういう、その都度想起された事柄につい足を取られちゃうから、ってのはとっくに承知ではありますが、もう悪足掻きはやめて居直っちまおう、との魂胆にて。

小学生相手の英語教授とローマ字の絡み合い、という当初の主旨(たぶん?)からは結局逸れどおしですが、そりゃもうしかたがねえ。とりあえずは、看板に偽りなきよう、いかにも姑息ながら、今回は表題も変えときました。
 
                  

さて、前回短めに書き込んだ与太話で思い出したのが、今般看板に掲げた ‘QUEEN’ の発音でして、これの日本語読み、またはそのカタカナ表記は、まさにカタカナ的誤読の所産で(ローマ字だと ‘kuîn’ とか ‘kuīn’ とかだけど、やっぱり読みづらいや。俺だけ?)、原音とは随分と隔たっており、実はこの英語音の頭部こそ、「過客」の「過」に付された「くわ」という仮名が本来表すべき音に類似、って話なのです。

古来の仮名遣いがいつの間にか実際の音韻からかなり離れてしまっていることはよほどの昔からわかっており(大半の人は今も昔も気にしない、あるいは気づかない?)、それならってんで(?)、表音文字としての整合性はさておいても、語源に遡って、古代の発音に従った書き方を用いるのが妥当なるべし、との心で、江戸期の国学者なんかがあれこれ考えたのが、後に歴史的仮名遣い(送り仮名の「い」はないのが本式?)と称される表記法の基盤、ってところなんじゃないでしょうかね。とっくに同音となっていたものに複数の仮名が当てられるのも、表音機能よりは語義や活用の仕組みなんかが看取し得るように、という工夫の表れ……なのかも。どうせ現実の音韻は今も昔も、土地により人により、まったく多様を極めているのだから、そのほうがよほど合理的、とは勝手に思ってたりもしまして。

それを、より発音に忠実であるなどとして、無理やり、しかも甚だ不完全、不統一に改変したのが、戦後の現代仮名遣い、新仮名ってやつなんじゃないかしらと。訓令式ローマ字ってのも、その「発音どおり」の仮名を並べた五十音図にはざっと対応するものの、その五十音自体がとっくに錯綜しており、現代国語で用いられる音韻を示すには到底不充分なのだから……というような話に戻っちゃうと、また止めどもなくなってしまうので、今日のところは当面の論題、おっと「余談」に専心することに……。
 
                  

えー、件の「くわかく」の「くわ」ですが、そう書いてあったら、どうしたって [ク]+[ワ]、 /ku.wa/ かと思っちゃうじゃごぜんせんか。でもこれ、現代表記の基準とは無縁の字音仮名遣いというやつで、「く」と「わ」の2音節ではなく、 /kwa/ ってなつもりなんですね。父音(子音は父音と母音が合して一体を成したもの、という原義を未だ捨て去れませず)が2つ連なっている、と見ることもできましょうが、肝心なのは、1つめの /k/ が母音を伴わずに発せられるという、国語音としては特殊な事例であるとともに、恐らく江戸後期(の江戸人?)の音韻からも既に衰退していたのではないかしらと。

大昔に中国語の音韻を模した字音(漢音だの呉音だの、移入時期による伝来元の地域差から複数の系統に分れるわけですが)に準拠した(つもり)ってことなんでしょうけど、実際にはこのような表記法、つまり字音仮名遣いなんてもんが捻り出されたのは江戸時代も後半、本居宣長の提唱によるものだとかいう話です。国学者のオタクぶりの表れみたようなもんかも。

ほんとはこれ、現代音では専らヤ行音的な要素を加味した(ってのもいいかげんな言いようだけど)、いわゆる拗音の一種で、ヤ行ではなくワ行音(ったって今はア段の[ワ]だけってことになってるけど)を父音=頭子音に添えた音、ってのが実情とのこと。亡父の昔語りによれば、戦前の青森にはまだ遺存していたらしい(字音専用?)。いずれにしろ、恐らく近代以前に田舎訛りへと転じていた音韻ではありましたろう。わかんないけど。
 
                  

で、今日拗音と呼ばれているのは、専ら上述のヤ行音が混ざったやつのことで、これは舌が口蓋に接近し、唇の開きは比較的大きめということから「開拗音」と称する由。対して、今では(ほぼ?)消失したワ行音版の拗音は、唇を閉じ気味にして、というより丸めて発する「合拗音」という寸法。

それにしても「拗ねた音」とはまた情緒的な言い方だこと。拗音ならざるものは素直な音ってんで「直音」なんですと。まあいいけど。

ともかく、ヤ行音が母音の[イ]に近く、それよりはちょいと舌が高い、といったところであるのに対し、ワ行音は[ウ]に近似、ということにはなっているのですが、そのワ行音、今でも(あるいは今だからこそ?)地方によりかなりの差異があるようで、とりあえず東北生れにして子供の頃埼玉や東京にも住んでいた自分は、西日本では標準的だともいう「円唇」は伴わずに[ワ](だの[ウィ]だの[ウェ]だの)を発音します。代りに、ってこともないけれど、まず下唇が一瞬上の前歯にちょっと触れるんですが、実はこれ、古いロンドン下町訛りの英語、伝統的コクニーにおける ‘r’ の発音にちょっと似てたりもして。そりゃ関係ないか。

一時は、こいつぁひょっとして俺だけの勝手な訛りなんじゃないか、と心配になり、東京育ち(目黒区生れ)の友人に電話で確かめてみたところ、まったく同じ発音だったので安心した、ってこともありました。当然ながら本人はそれまで一切気にしたことなどなく、こっちがわざわざ頼んでやって貰うまではまったく自覚がなかった、とのことではありました。それが普通でしょうね。
 
                  

話がまた枝道に迷い込みつつありますが、どうぞ悪しからず。とにかくも、キャ行だのシャ行だのという現代国語の拗音、すなわち開拗音に対し、かつてはワ行的要素を有する合拗音というのも結構普通に使われた時代もあった(らしい)、という話ではあります。いずれも古代に移入された各種中国語音の模倣により流布した国語音、とのことで、専ら漢語、というか字音語に充当された音韻であった、とはなりますようで。促音、撥音、長音(ったって、母音を1音節分延ばしたやつだけど)も、やはり漢字音(の模倣)から派生したものだとは申します。
 
                  

おっと、ここでまたも余計なことを思い出しちゃいました。これまでもたびたび「音節」という語を用いて参りましたが、他の(あらゆる?)語句に違わず、これもまた唯一絶対の定義など成立し得ません(たぶん)。とりあえず英語と国語とでは指すものがかなり(全然?)違うんですが、それはいいとして、以前古い友人から、これの語義、用法の誤りを指摘されまして……。実はそれ、自分でもとっくに承知。多少は気になっちゃいたんだけど、要するに、「拍」とか、それに対応する音の単位とでもいった「モーラ」(なる得体の知れないようなもん)の意で「音節」を用いるのは不適当、ってことなんでした。

でも、「拍」ってえとあたしゃどうしても英語の ‘beat’ に相当するものとしか感じられず、それは下拙にとってはまず専ら音楽の言葉、でなくとも、英語では主に詩文についての用語だし、 ‘mora’ に至ってはもっと容赦なく古臭い(失礼)韻律絡みの術語だし……ってなこと言い出すと、またも話が長くなるは必定なれば、それもまた改めて後日と致し(たぶん)、今日のところはひとまず、あたしゃ相変らず「音節」を「拍」または「モーラ」(なんでこれだけいつまでも漢字に訳さねえんだか)と同義で使ってる、というご挨拶だけということに。

つまりそれ、「アンタモニンジャ」も「ワタシモニンジャ」も、拙の流儀ではともに7音節という寸法なんですが、音韻論的には前者が5音節、後者が6音節という勘定になり、7音節ではなく7拍、あるいは7モーラとでも言えってことなんでしょう。「アン」と「ニン」はそれぞれが1音節ってことで。

しかし何を「音の節(ふし)」と見なすかは人それぞれじゃん、ってのがあたしの言い分。などと言うと、随分と身勝手な野郎だとも思われましょうが、だって昔から少なからぬ結構著名な文筆家が「1拍」も「1音節」も同義語としてものを書いてるし、一般の国語辞典にだって、仮名は1音節を1字で表す音節文字、ってなこと書いてあるし(拗音は2字で1音節だけど、それぞれの仮名文字はもともと1音節を表すもん……っていちいち断るのもしゃらくせえや)、決してこれ、あたしが勝手に言い張ってることでもありませんので、そこはどうかひとつ、てなもんで。
 
                  

弁解終り。無理やり話を戻すと致します。

……と思ったんだけど、戻すったって、結局今回の題目にある ‘QUEEN’ だの「クイーン」だのの話にはまだ当分至らず。ついまた余計な逸脱に耽り、今やっとその本題(実は余談)の「枕」に立ち戻らんとしているという体たらく。自分で話の腰を折っちゃったわけですが、何やら筆勢の如きものが殺がれちまったようでもあり、甚だ唐突かつ恣意的とは存じつつ、今回はここでやめとくことに致します。

ほんとはせいぜいこのぐらいの長さに抑えとくのがいいか、とはずっと思ってたんですが、毎回書いてるうちに当初の腹積りを遥かに超える長大さとなってしまうもので。どうせ1回に収まらないなら、随時適当なところで切ってきゃいいか、などと、遅れ馳せながらも思い至りましたる次第。

ということで、続きはまた次回。

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