まずは、例外的な ‘qu’ の発音として前回思いつきで言及したスペイン語由来の ‘mosquito’ から連想された話をひとくさり。西語からの外来語には ‘gu’ という字列が /gw/ となる例がままあるな、ってのに気づきまして。「クワ」とか「クヮ」という字音仮名遣いにとってはその有声(いわゆる濁音)版とでも呼ぶべき「グワ」「グヮ」に対応するが如き(しかし似て非なる)事例……って、こんな言い方じゃわけが知れねえじゃねえか。毎度すみません。
それ、日本では「グアム」と呼ばれる ‘Guam’ とか、「グアテマラ」ということになっている ‘Guatemala’ とかのことなんですけど、イラク戦争の捕虜絡みでちょいと騒ぎになってた「グアンタナモ」、 ‘Guantanamo’ ってのも同工。「ガム」「ガテマラ」「ガンタナモ」という、言わば二重の誤記、誤読はちょいと不快なれど、それもまあしょうがねえのか。そう言や ‘Guantanamera’ って歌もありました。長閑なようで微かに切なくもある曲調は昔から好きなんですが、「グアンタナモの娘」の意だそうで。米軍の非道のせいでそれも何だか物騒な印象になっちゃったような。
まあそれはそれとして、上に挙げた3つは安直に思いついて並べただけであり、決してこれ、地名その他の固有名詞に限った事象というわけではありません。果物の「グアバ」、 ‘guava’ もスペイン語(‘guaya’ < ‘guayaba’ ?)からの借用で、やはり /ˈgwɑːv ə/ だったりするんですが、上記3例の英語音をざっとカタカナにすれば「グワーム」「グワ(ー)ティマーラ」「グワ(ー)ンタ(ー)ナモウ」とでもいったところ。英音と米音とでかなり違ったりもするし、甚だスッキリしない表記とはなっちゃいましたが、いずれにしても「グア」ではなく「グワ」ってところは英語の勝手な了見ってわけでもなく、スペイン語自体の発音を模した結果ではありましょう。
しかしスペイン語でそうなるのは、どうやら ‘gu’ の後に ‘a’ の字が連なる場合だけのようで、それも語頭以外では /g/ がちょいと東京語のガ行鼻濁音のような振舞いを見せるらしい。どのみち西語なんざ知らないんですけど、英音に対する米音のように、中南米の一般的な発音には、スペイン本国の標準音とは明確に対立する音韻もある、とも仄聞致します。とりあえず ‘Nicaragua’ の原音は東京発音の[ニカラグワ]に結構近く、何より ‘g’ が鼻音化するってのが英語とは了見を異にするところ。「ニカラグア」ってのが日本語名なんでしょうけど、「ア」ってところだけがちと残念、って感じですかね。まあ「グア」が「グワ」でも、合拗音よろしく1音節として発するのは現代国語では厄介、ってよりそんな読み方はまず誰もしないでしょうけれど。
これ、英語だと英米で音が分れんですね。英音は[ニカラ(ー)ギュア]って感じで、 ‘gu’ と ‘a’ を切り離した「誤読」が標準的であるに対し、米音では「ちゃんと」 ‘gua’ を /gwə/ にして[ニカラーグワ]みたような発音。西語では [ni ka ˈɾa ɣwa] だから、[ラ]と言い、鼻濁音の[グ]と言い、母音の[ア]と言い、やっぱり標準的日本語のほうがよっぽど近い、ってところではあります。英語音って随分と日本語から遠かったのね、と今さらのように思い知りたる心地にて。
因みに英語の ‘r’ は [ɹ] というのが正体で、スペイン語ではそれも日本語のラ行音と同様の [ɾ] なのでした。知らなんだ。てえか、やっぱり西語なんざちっとも知りゃあしないんですが。
話をちょいと戻します。いずれにしろ、英語だと ‘guard’ や ‘guaranty’ といったように、 ‘gua...’ という綴りの ‘gu’、つまり ‘a’ の前のそれは /qw/ とはならないほうが普通だし、 ‘guest’ だの ‘guide’ だのは初めから /gw/ とは無縁、といった塩梅。 ‘qu’ とは違って、 ‘gu’ の後は殆ど母音字だけなんてこともありませんし。つまるところ、字音の「グワ」から想起されたこの英語音、大半は ‘a’ の字が続くスペイン語由来で、それが /gw/ となるのは原音を真似たもの、ということにはなりますようで。
中には、やはり西語からの移入語で、本来なら ‘gue’ と書いて /ge/、つまりただの「ゲ」と読むべき部分を、わざわざ /gwe/ と発音する例もあるとのことです。ちょいと早まった誤読が習慣化したもの、ってところでしょうか。 ‘guer(r)illa’ なんてのもスペイン語源ですが、通常は「ゲリラ」、ってよりは「ガリラ」……ったって、カタカナじゃほんとはどうしようもないんだけど、とりあえずこれは原語と同様、 /gwe-/ とはしないってことで。
実は英語だとゲリラとゴリラは何気なく同音異義語だったりするんですが、前者の頭を通常の /gə/ ではなく /ge/ と発音する場合も、別に原音への義理立てってわけじゃなく、単純に後者の ‘gorilla’ との混同を避けるため……らしゅうございます。
あ、でも ‘segue’ は[セグウェイ]とか[セイグウェイ]とか、あるいは[セ(イ)グウィ]とか……って、やっぱりカタカナじゃいかにも間抜けではありますが、この場合は英語的な誤読ではなく、原語たるイタリア語がそもそも[セーグウェ]って感じなのでした。つまりこれ、 ‘qu’ という字列における英語音の習慣と ‘gu’ とはハナから別儀ってことで、字音仮名遣いの「クワ」と「グワ」から勝手に連想して言及してしまっただけってのが実情。重ねてすみません。
などと言っても、毎度申しますとおり、無益な書込みであることについては残らず全部そうなんだから、何を今さら、とも思っとりまして、ついでだから今少しどうでもいい与太話を加えとくことに致します。
敢えて無視してたってわけでもないんですが、拗音や促音に小さな仮名を用いるという戦後の表記法が、件の「クイーン」を始め、「グアム」だの「グアバ」だのにも当てられる例が散見されるのはご承知のとおり。そういう、他より小さい活字を印刷業界では「捨て仮名」と称する、ともいうんですが、占めて十数年印刷関連の仕事に従事していた自分はそれ聞いたことありませんでした。まあ40年近く前に成行きで図らずもその職に就いたときは欧文専門でしたし、後に和文の組版(くみはん)をやらされるようになったときには世の中すっかり DTP になってたし、つまり活版の時代は知らずじまいということで。
いずれにしろ「捨て仮名」って言ったら、まずは漢文の添え仮名、すなわち読下しの補助用に小さく書き込まれたやつ、でなければ、漢文以外でもやはり小さく添えられた送り仮名のことであり、いずれも基本は片仮名ばかり、っていう認識でした。それが、印刷用語では拗音だの促音だのに使われる小形の仮名活字……だってんですね。
小さい字と言えば、いわゆる「ルビ」ってのもそうでした。前回も少し触れたから話は重複気味となりますが、ちょいと端折った気分でもあったので、敢えてまた言っとくことにします。「いろいろ能書きを並べたきところ、またいずれ改めて」ってなことも言ってましたし。
件の教科書にあった『奥の細道』序文の「く」も「わ」も同じ大きさだったのは、古典の雰囲気を重んじて現代表記の「くゎ」とはしなかった、ってわけではなく、単に振り仮名の作法によるものではあったのでしょう。「ルビ」の語源は、書体と大きさを同じくする欧文活字の一揃い(それが ‘fo(u)nt’ の原義)に、それぞれ宝石名を付した英国の古い印刷屋の符丁のうち、5.5ポイント(2mm 弱)というごく小さな活字を指した ‘ruby’ なる由。それが日本では振り仮名の意に転じた、ってことでして。
要するに、ルビならそれ以上小さくするこたない、ってのが日本の印刷業界では旧来の作法、ということなのでした。今どきのデジタル環境ではもう関係ないんですけど、拘りの和文組版作業員などは、今でもわざわざ、ソフトの自動処理で言わば二重に縮小された振り仮名の促音だの拗音だのを、いちいち他のルビに合せて改めて大きくしてたりなんかして。20年前には自分もそれやってましたけど、何も手間をかけて誤読を誘発するような真似をしなくてもなあ、と思うこともあったのでした。
あ、でもそれを言ったら、拗音や促音の「捨て仮名」だって、しばしば腐してる戦後の新仮名なればこそか。一貫性の欠如ってやつですね。まあいいでしょう。
拗音や促音を表すその捨て仮名、「公的」には昭和末まで片仮名に限られていた、という話も前回致しましたが、本来の捨て仮名は、一部の文字だけではなく、全体を本文より小さく書き加えたものを指したんじゃありませんかね。「捨て仮名とは小書き文字のこと」ってな記述も見かけますけど、「小書き」ってのは、それこそ本文に対して小さな文字で書き込んだ注釈類のことだったのでは……って気も致しまして。それもまあいいか。
外来語などの表記では戦前から部分的に小さい片仮名も用いられていたようではありますが、それは、件の字音仮名遣いを含めて戦後に普及した一回り小さい仮名文字の用法とは別で、近代以前から補助的表記法として用いられた(本来の?)捨て仮名の習慣を踏襲したものだった……のかも。わかんないけど。
……と、さんざん書き散らしといて何ですが、そんなことより、当面の眼目は「クイーン」その他の片仮名表記についての勝手な苦言なのでした。油断してるうちにまた長くなってきちゃったので、聊爾ながら続きは次回ということに。毎度すみません。
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