何が不用意かてえと、小さい仮名が混ざってたら普通は拗音か促音の印、ってことんなるじゃねえか、ってところでして。促音は小っちゃい「ッ」だけだから、「クィ」だの「グァ」だのって書いてあったら、そりゃさしずめ拗音に類するもんに相違あるめえ、と思ったとしても、あながち下拙のトンチンカンってことにはなりますまい。つまり、「グワム」たるべきものを、「グアム」ってんならまだしも、「グァム」なんぞと書かれた日にゃ、その「グァ」ってところを、「キャ」だの「チャ」だのと同様、1音節、おっと1拍か、とにかく2文字で1つ分の音を表すものならむ、と解釈しても無理からぬところ、ってな感じ。かくして、「ガム」だの「ガテマラ」などという、少々無様な読み方も一部では流行るに至った……とかね。わかんないけど。
でもそれにしちゃあ、「クィーン」と書いてあってもそれを[キーン]なんて読む人がいないのはどうしたことか。「クェスチョン」だって[ケスチョン]たあ言わねえし。まあ、肝心の英語だと ‘questionnaire’ を /kwes-/ ではなく /kes-/ 式に発音する人だって(だいぶ減りはしたけど)いなくははい、ってことは前々回言ってましたし、 ‘quarter’ なんぞは、 /ˈkwɔːt ə/ の代りに /w/ 抜きの /ˈkɔːt ə/ だけで済ますってのも結構普通だったりはするんですがね。英和辞典ではこれをしばしばイギリス式の副次的発音と記載しておりますが、どうやらアメリカでも3割ほどの人が /w/ 抜きで発音している模様。
ただしこの言い方は、単語としての、あるいは上接語としての発音に限るようで、「コーターバック」(quarterback)はいいとしても「ヘッドコーター」(headquarters)は頂けない、ってこともあります。まあこれについては、 spelling pronunciation 流行りの煽りで /kw/ 派一辺倒になりつつある、なんて傾向も見られないようで。やっぱりわかんないけど。
あ、でも昔は、 Steve McQueen (今どきはグレナダ系英人映画監督のことだったり)のことを決然と「マッキーン」って呼ぶ手合もおりました。「マクウィーン」と書いたからって到底英語音を表したことにはならないにしろ、「マックイーン」が「マックィーン」と書かれたりもするもんだから、「ガム島」なんてのと同様、それは[マッキーン]とするのが「正しい」発音に違いない、とでも思い込んだものやら。でもやっぱり ‘Queen’ を「クィーン」って書いたからって[キーン]なんて読むやつぁいませんぜ。たぶん。
つまりこの「カルテット」、英語のカタカナ表記としては「ヘッドコーター」だの「マッキーン」だのってよりよほど念の入った誤記および誤読という次第。上述の如く、音楽用語とてイタリア語に倣ったのだ、てな言いわけも通りませんし。伊語の模倣にしろ、 ‘quar...’ はどうしたって「クワル……」でなくちゃ。これが「カルテット」だてえなら、1人増えた ‘quintet(te)’ や ‘quintetto’ も、「クウィンテット」ならぬ「クインテット」「クィンテット」どころか、「キンテット」とせねば間尺に合うまい……てね。
やっぱりこれ、「ィ」っていう拗音的な表記から誘発された誤解なのでしょうか。それでも「クイーン」が「クィーン」と表記されたって「キーン」たあ読まねえんだから、どこまで行っても一貫性、論理的基盤の欠落は覆うべくもなく……ってのも随分大げさ、ってよりエラそうだけど、そいつぁまあ毎度のことで。
さてこの ‘qt(.)’ と略記される ‘quart’(終止符なしの縮約が英国流の通例)ですが、基本的には液体の計量単位で、1ギャロン、おっとガロン(gallon)の4分の1ってことではあるものの、英米で全般的な基準が異なる上、米では穀物などの乾量と液量とでもまた分れるとのことです。液体に用いられる場合は量が少なめで、1リットルに満たないのに対し、英式の1クオートは1リットルをかなり超え、米式では乾量クオートもそれよりちょっと少ない、ということになってます。
これの半分が1パイント(pint)なんですが、イギリスのスーパーで売ってた2パイント入り牛乳パックは、日本の1リットル入りに比べると上部が妙に平らで、つまりその分中身が多くパンパンって感じでした。ちょっと開け辛かったかも。牛乳瓶1本は半分の1パイントだから、もともと日本のよりは随分大きいんですが、1パイントってのはそのままビール1杯の意ともなり、 ‘All I need is a pint a day’ っていう歌の文句が想起されたりして。でもパブ行って1パイントだけでやめとくのは至難のような……。それでもアメリカのパイントよりゃ多めなのか。
ときどき、「ワ」だの「イ」だの「エ」だのではなく、その前の「ク」や「グ」を小っちゃくしたほうがまだましなんじゃないか、と思うこともありますけれど、字の大きさがそれとなく示し得るのは発音の強さぐらいでしょうね。小さく書いたからって /ku/ や /gu/ の /u/ を除いた /k/ だけを表す、なんて都合のいいことにならぬは先刻承知。やっぱりどう足掻いても和文の文字では父音だけを切り離して表記するのは無理なんですね。そういう発音(てえか音素)自体がないんだから当然か。
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