2019年8月10日土曜日

一所懸命?

最終投稿から既に3ヶ月あまりが経ちました。最後は「クイーン」にかこつけた言語音ネタを無秩序に連ねてそれっきり、って感じでしたが、本来なら、その前に試みて頓挫した、訓令式ローマ字至上主義者の、甚だ一貫性を欠いたエッラそうな言説に対する論難を再開すべきか、とも思ってはいたのでした。いつの間にか、なかなかそれどころではなくなってしまい、このブログ自体が放置状態になっていたという仕儀。

訓令主義者については、その一見論理的なふりをしつつ、実は相当に滅裂を極めた強引な理屈に、未だ多少の憤りを抱いてはおります。さまざまな知見から、自らに都合のいい部分だけを抜き取って並べたようなものなんだから、早晩破綻するのも当然……ではあるんだけど、当人たちだけではなく、その信奉者もまたさる者にて、ってところでしょうか。

その話柄に限らず、その後もいろいろな事象に対するいろいろな存念もありながら、一旦勢いが殺がれると、かつての如く連日のように投稿するのは至難、ということを痛感しているというのが実情ではございまして。

でもそれじゃ何となくつまんない、ってことで、その後もほぼ毎日覗いている SNS に書き散らしたくだらねえ投稿文から、ちょっとは面白いのではないか、と思われる(勝手に思ってる)駄文を、横着ながら随時ここに再録してこうか、と思い立っちゃいました。まずは1つ、つい先刻(2019年8月10日未明)の投稿をこちらに:

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どのみちつまらねえ話だとは重々承知の上で、ちょいとまた勝手な愚痴を敢えて記したくなりました。言葉の使いようが知らぬ間に変ってしまっているという、まあ止め処もないありがちな状況に対する、毎度詮方なきぼやき、ってことで。

50年前の、いわゆる HNK 大河ドラマは、海音寺潮五郎原作の「天と地と」で、当時、小学校の教師の中には1人ならず、この番組を話題にしながらも毎回「天と地」って言ってるのがいて、それじゃまるで「雲泥の差(なんて言葉は知らなかったけど)って言ってるようじゃないか、と不満だったんですけど、その話じゃなかった。

9歳、小4の冬休み中に観たその1回めのナレーションで、「一所懸命」という語について説いていて、「なるほど」と思った自分は、同年の転校後、5年のときの作文にそう書いたら、あっさり「一生懸命」と訂正されたんでした。そりゃ「いっしょうけんめい」ではあっても「いっしょけんめい」じゃないんだから、やっぱり昔の言い方じゃダメなのね、と素直に納得。

それが、世の中次々と妙なことになっちまって、いつの頃からか、現代国語としては唯一正しかるべき「一生懸命」を、いちいちその「語源」ではあろう「一所懸命」(本来ならそれ、高低アクセントも頭高型では?)と直されることが少なくないんです。落ち着かねえこと、まことに甚だしく。
 
                  
 
かと思えば、いつぞやも「戦災孤児」って言ったら「戦争孤児のこと?」なんて言われるし。いや、これもいつの間にかそういう言い方のほうが流行ってんのは知っちゃいたけど、昔は逆で、さっきの「一所懸命」と同じ年、1969(昭和44)年に読んだ(親が買って来て読めと言った)山中恒の本にも、主人公の男の子が「戦争孤児」って言ったら「戦災孤児」だと訂正され、どうにも納得し兼ねる、ってくだりがあったような。なんせ50年も前に一度読んだきりだから、またもうろ覚えではあるんですが、「そうか、戦争孤児じゃなくて戦災孤児ってえのね」と思ったのは間違いなく。数年後、NHKの少年ドラマシリーズだかなんだかでその話やってましたけど。

それにしても、うかうかしてるとどんどん言葉の意味、用法が変じ果てていて、単純に話が通じないってことがますます増えつつある今日この頃。まあ自分にとっての「本来」だって、百年も遡れば「何言ってやがる」ってことにはなるんでしょうけれど。

それでも、「意を用いず」、つまり「うっかり」ってほどの意味で「不用意に」って言うと、子供でもあるまいに、それを「事前の準備なく」って意味にしか解釈できない人が多いのには軽く吃驚。どうも話が通じないと思ったら、つまりはそういうことなんでした。気づくの遅過ぎ?

それにつけても毎度痛感するのが、勘違いしてる側のほうが大威張りでこちらの「誤用」を正してくださるという、ありがたくも尊大なるご親切。相手が、自分の(どう考えたって根拠薄弱なる勝手な)思い込みに過ぎぬものと食い違う言葉の使い方をしてたら、ひょっとすると自分のほうが間違えてんじゃねえかしら、ぐらい思わねえもんかしらね。

おりゃあ幼い頃しばしばそう思うことがあったからこそ、とりあえず本来の語義ってもんを確かめてから使おうって癖がついたんだけど、折角勘違いを正す機会に恵まれながら、それを活用するどころか、飽くまで自分の勝手な、一度も確かめたこともない誤用に固執するなんざ、軽く恐ろしくさえある倨傲の表れではあるまいか……なんちゃってね。

毎度くだらねえことを、相済みませず。

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……といった塩梅なんですが、以後も、より古い愚文に遡ったりもして、ここに晒していこうか……とは思ったんですが、果してどうなるかは自分でも判然とは致しませず。ま、とりあえず1つだけ掲げてはみた、ってことでひとつ。

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