2021年8月15日日曜日

相も変らぬ無益な所感(2)

【SNS への投稿からもう1つ】

先日、ケチな仕事絡みの調べ物でちょいとウェブ検索してたら、‘Your words, not mine.’ という慣用句について教えてくれてる日本語の記事が目に入っちゃいまして。

何でもそれ、明言を避けるための逃げ口上だってんですが、そいつぁどうですかね。

今さらながら英語のサイトをいくつか覗いてみたところ、結構いろんな人がいろんなこと言ってまして、そりゃまあ、どういうつもりの台詞かなんてのは、当然そのときどきの状況とか文脈とかで変るもんではありますが、「俺はそうは思わない(あるいは思っても黙ってる)けどね」みたような意味だって人もいれば、「その指摘は当らない」(なんか去年あたりよく耳にしたような)とか「その発言は不当である」ってことだと言い張る人もいる、ってな具合。

ふうん……。

でもそれ、単純に「そっちがそう言ってるだけ」ってのが、いわゆる普遍妥当的な解釈ってもんなんじゃねえの? って気は致します。
 
                  
 
実はこの文句、最初に耳にしたのは、40数年前、高校出て間もなく英国に渡り、姉夫婦のところに居候し始めた頃でした。ちょうどテレビでアンドルー・ロイド・ウェバーの当り狂言「ジーザス・クライスト・スーパースター」の映画版ってのをやってまして(ウェバー本人はそれ気に食わなかったとか)、当然まだ英語なんかいくら聞いたってちっともわかんなかったものの、ほかならぬジーザス(てえかイエス)によるその ‘Your words, not mine’ って台詞だけは難なく聴解できたのでした。

「上手いこと言うもんだね」とは思ったのですが、ロックオペラってだけあって、台詞も概ね歌になっている中、その部分は普通の喋りになってた……んじゃないかと。とにかくあたしゃそれ、「そっちの言い草。俺んじゃない」ってな意味だろうとは思ったんです。

ユダヤ教の幹部から異端的言動を告発され、現地を占領していたローマ帝国の総督ピラトの尋問を受けることになり、「ユダヤの王だというのは本当か」と訊かれたのに対する答えがその台詞だったんですが、新約聖書の「ルカによる福音書」とやらに出てくるそのくだり(23章3節)をまたぞろ検索してみましたら、どっちかてえと正反対の訳になってる例が多い、ってより、以前はどうもそれしかなかったようで、軽く驚いております次第。

因みにそのピラトって人のことは、ストーンズの歌の文句で知ったんですけど、英語だと ‘Pilate’ となり、[パイラット]って感じ……てえか、‘pilot’ とまったくの同音ですね。
 
                  
 
……てなことはさておき、またちょいと探ったところ、

〈そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。〉

としている教会(プロテスタント)のサイトもあり、それなら件のロックオペラの文句とも間尺は合うわけですが、やはりそういう解釈を採っているのは少数派の模様。

頭の「そこで、」がなかったり、「総督がイエスに、」となっていたりと、他にも類似の訳を掲げているページはありましたが、いずれもその後のやりとりは句読法も含めまったく同じ。ってことは、元ネタは同じ訳文なんでしょう。

いずれにしろ、どうやら昔からこれ、「あなたの言うとおりです」、つまり「いかにも俺がユダヤの王だ」って答えてることになってんのが基本形のようではあります。
 
                  
 
明治以降の和訳聖書は英米(主に米?)の、つまりは英語訳からのいわゆる重訳が基本で、言うならば重層的な伝言ゲームの所産……とは誰も言わねえだろうけど、まあそうしたところも否み難いのではないか、とは勝手に思っとりまして。

それでもまあ、底本とされた近代や現代の英訳版自体は、いずれも1611(慶長16)年成立というジェイムズ1世(スコットランド王としてはジェイムズ6世)の欽定訳ってやつに準拠したものではあるらしく、中世初期の古英語の時代にラテン語から訳されたものなどよりはかなりオリジナルに近いギリシャ語からの訳が基礎ってことにはなっており(ほんとはそうとも限らないようだけど)、ヘブライ語から直接ってわけではなくても、まあかなり原典に近いものではあろうとのこと(どうせこっちにゃわかんないし)。

とは言え、やはり重訳ってやつの宿命で、もともとは誰が何をどういうつもりで言ってたかなんてのは、日本語になるずっと前からほんとはよくわかんなくなってた、ってのが実情なのではないかしらと(やっぱりわかんないけど)。
 
                  
 
さてその「そっちがそう言ってるだけ」っていうキリストの台詞、従来の日本語訳では大概「そちらの言うとおり」って解釈になってんですよね。で、それは誤訳ってわけでもなく、誤りだとすれば、元の英文が既にそうだった、ってのがわかったってことなんでした。
日本語版の代表例(らしいやつの)を新旧並べて示しますと、

大正改訳新約聖書〔1917(大正6)年;1950(昭和25)年、日本聖書協会『大正改訳聖書 [文語]』より〕ピラト、イエスに問ひて言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』答へて言ひ給ふ『なんぢの言ふが如し』

口語新約聖書〔1954(昭和29)年、日本聖書協会;「旧約」は翌1955(昭和30)年出版の由〕
ピラトはイエスに尋ねた、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」とお答えになった。

……ってな感じなんですが、いずれにしろ「あんたの言葉」が、「俺んじゃない」ってんじゃなくて、「あんたの言うとおり」にはなってるてえ寸法。
 
                  
 
日本語の聖書もいろいろあるとは言え、英語版はほんとに無数で、そのかなりの例を実際に見ることができるのは、まあネット時代の効用ってところではありますが、こちらも新旧の基本形のようなものを以下に。新旧ったって、既に相当に古くからいろいろな訳が存在する中、いずれも元ネタは17世紀の「欽定訳」ってことにはなりますが。

King James Bible (1611?):
And Pilate asked him, saying, Art thou the King of the Jews? And he answered him and said, Thou sayest it.

New King James Version (1982):
Then Pilate asked Him, saying, “Are You the King of the Jews?” He answered him and said, “It is as you say.”

まあ、いずれも ‘not mine’ とは言ってないんですね。

ウェバーのロックオペラの台詞に通ずる例としては、わずかに

The Message (1993, 2002, 2018 by Eugene H. Peterson):
Pilate asked him, “Is this true that you're ‘King of the Jews’?” “Those are your words, not mine,” Jesus replied.

ってのが見られるんですけど、てことはこの、「それはあなたの言うこと。私ではなく」って言いようは、1971年のウェバー、ってより作詞、脚本のティム・ライス(Sir Timothy Miles Bindon Rice, KBE)のオリジナル……ではなく、73年の映画(Screenplay by Melvyn Bragg and Norman Jewison ……だそうで)が言い出しっぺだった、ってことになるんですかね。
 
                  
 
米人 E. H. ピーターソン(2018年歿)がギリシャ語から訳して逐次発表したというこの「メッセージ」と題する現代語版は、何気なく英訳聖書の最新鋭って雰囲気ではありますが、肝心の部分については、ウェブ検索で和訳が見つかりませんでした。

果してどういうつもりの発言なのか、何せ二千年来の伝言ゲームみたようなもんだから、もう誰にもわかんないってのがほんとのところではありましょうけれど。

初めに気に入っちゃったもんで、あたしゃどうしても「そのとおり」ってよりは「そっちが言ってること。こっちじゃない」ってほうが好きなんですけどね。

というか、またしてもまったくどうでもいい話でした。どうしてあたしゃこうもどうでもいいことに引っかかっちゃうんだか。前世の罪障ってやつか。

まあいいか。 

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