2018年2月14日水曜日

キング牧師の名言が裏返し(3)

【承前】

〔一連のこの投稿、異様に長いので自分でも忘れそうになりますが、2年ほど前友人に宛てて書いた文章に修正を加えたものなのでした。多少とも時事に言及した箇所は2016年現在の状況に対応します……ってことを一応断っとかなくちゃ、って今気づいたりして。〕

ええと、この拙文の主旨は、 ‘cannot be too ...’ が「~過ぎるということはない」なのか「~になり過ぎてはいけない」なのか、ってことだったんでした。そんで、自分としては前者しかないと思い、いろいろ検索もして改めて考えてみるに、やっぱり後者はないだろう、という結論を得るに至った……って話をするつもりが、例によってかくも長き結果とはなっちまったてえ次第。どうせ確信犯(信念による行為?)ですので、そこはひとつ。

駄目押しってわけでもないけれど、最後に今1つ、検索によって見つけたネタをご紹介。これも、「radical過ぎってことはあり得ない」という解釈を掩護する傍証のようなものです。それも、 ‘conservative’ を標榜しながら‘radical’さも誇示しようとしてキング牧師のこの言葉を引用するも、自家撞着に陥りそうなので後半を端折った、っていう絶妙の事例。2009年の英 ‘Sunday Telegraph’ 紙の記事で、その年の保守党大会を控えた党首のデイビッド・キャメロン(この駄文執筆当時は首相)がこの新聞に書いた文章を、同紙の記者がちょいと揶揄したものなんです。でもその記者(副編集長だったらしい)、なんと強姦罪で去年(2014年)つかまったそうな……。

何はともあれ、「キング牧師とキャメロン氏はどちらがより反保守?」と題するその記事によると、キャメロン党首は「今回、保守党は冒険を恐れず、radicalな議案を示す予定……キング牧師曰く、『正しければradicalに過ぎるということはない』」てなことを書いてるってんですが、 ‘Conservative’ の暖簾に背くが如く ‘radical’ たるところを自慢してるんだから、どうしたって「radical過ぎになってはいけない」なんて意味で引き合いに出してるわきゃありませんよね。その ‘radical’ にしたって、自らを「過激」だなんて言う筈もなく、せいぜい「大胆な」とでもしとくのが穏当な訳でしょう。それは取りも直さず、キング牧師の言ってる ‘radical’ もそうだってことで、でなきゃ引用の意味がない。

後半を省略したのは、 ‘Conservative’ を名乗る立場上、「間違った者にconservative過ぎということはあり得ない」、すなわち「保守=誤り」ってことになっちゃうからでしょうけど(「間違ってたらconservative過ぎになるな」だと単なる自戒、ってより居直り?)、「キャメロン一派はこの少々残念なことになってしまう格言をうっかり選んでしまったのか、それとも保守党の古い心象をまた幹部連中が何気なく修整しようとしているのか」ってのが記事の結び。

一応その原文を以下に(残念ながら、ってほどのもんでもないけど、この記事はとっくに削除された模様):
 
              
Whoʼs more anti-conservative, Martin Luther King or David Cameron?
By Ben Leapman_Politics_Last updated: October 4th, 2009
  David Cameron quotes Martin Luther King in his article for The Sunday Telegraph. The Tory leader writes: “This week in Manchester you will see that far from playing it safe, the Conservative Party has a radical agenda … In the words of Martin Luther King, ‘When youʼre right, you canʼt be too radical.’”(口語調になってますね。)
  But Cameron has cut off the quotation half way through. In fact, MLK said: “When you are right, you cannot be too radical; when you are wrong, you cannot be too conservative.”
  Were Cameron and his team not aware of this slightly unfortunate message when they selected the quotation? Or is it another subtle attempt by the leadership to tweak the tail of traditional Conservatives?
              
 
しかしまあ、その翌年には何とか政権奪回を遂げてるわけだし、「革新的保守党」っていう逆説的な洒落も、逆風を招来するには至らなかったようで……。労働党の凋落が最大の勝因ではありましょうが。

何にしても、この ‘cannot be’ が「あり得ない」という意味で使われていることはまず間違いない、ってことでひとつ。

おつかれさま。

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〔と、ここで漸くその駄長文も一旦擱筆となった後、また追い討ちの駄文をその盟友に送り付けたのでした。〕

おっと、またもお邪魔。この2つの訳文、改めてググってみたところ、コピペで拡散しているのでしょうけど、[2](誤)のほうが[1](正)より多いのに驚愕。どうにも腹に据え兼ねます。

中には、正しいほうの訳を記している人(どうも[1]の訳文を最初に掲げた人のようです)に、〈youが主語なので「ありえない」と言う訳にはならない〉などという「文法知識」を振りかざしている例もありました。ご丁寧にも、

〈正しいと思ったら押し通しなさい、間違っていると思ったら引っ込んでなさい、なんて言葉が、良い言葉だと思いますか? キング牧師の言葉について他のサイト等で調べるか、少し英文法を理解すればわかると思いますよ。〉

というありがたいお説教つき。

「正しい(と思った)ときは出過ぎないように」という誤解釈を盲信しているにしては、また随分と高飛車ですこと。まさか自分が間違ってると思ったから控えめになり過ぎないよう努力した、ってわけでもないでしょうに。これこそ ‘radically wrong’ ってやつですかね。自らの誤った信念については見事に ‘too conservative’ であると言うべきか。

それじゃあ、ってんで、そいつらに向けて以下に私感をまとめてみました。まあこれがすんなり読めるくらいなら、キング牧師の台詞だって初めから誤読するわけないのはお見通し。「そんなに英語がわかるならこいつぁどうだ」みたいな、実に子供じみた悪足掻きよ。最初の段落なんざ全体で1つの文。威張りくさったトーシロにゃ読解困難(たぶん無理)となるよう、わざと切らずに長ったらしくしてやったぜ(バカか)。

それにしても、ほんとならたったこれだけの文章でこと足りる話だったとは……。

《The phrase in the MLK quote ‘you cannot be too radical’ CANNOT possibly mean anything like ‘you must try not to be excessively radical’ any more than the common phrase ‘you cannot be too careful’ can ever mean ‘you ought to be moderately careful’, which in turn invalidates the interpretation of the protasis ‘when you are right’ as ‘when you assume that you are right’ as against ‘provided that you are right’ ... quite naturally, I should say.

It also appears to be obvious that the adjective ‘radical’ here denotes something like ‘bold and thoroughgoing’, if ‘extreme’, but implies no violence or aggression.

Likewise, ‘you cannot be too conservative’ must be supposed to mean that it is impossible to be more cautious or moderate than enough — when you are wrong, that is.

How could anyone tell if they are objectively right or wrong themselves anyway?》

一応和訳も以下に。自分で書き散らした文章なのに、母語に書き換えるほうがよっぽど厄介で何倍も時間がかかってしまった。最初の文だって結局思ったほど長ったらしく(嫌味ったらしく)はできなかったし。無理すると和文としての可読性が保障し得なくなる、って感じ。

それで改めて思ったんだけど、英語は統語則上、言わずと知れた語句も示さないと構文自体が困難となるのに対し、我が日本語ではむしろ逆。主語だの述語だのと、出番でもないときにまでいちいちみんな並べてたら、船頭多くして何とやら、却って何言ってんだかわかんなくなることだって珍しかありません。……てなこともこっちゃあとっくに了知済み。わかってない(のに威張ってる)英語教師、国語教師が多過ぎるのよん。なんてね。

ともあれ、下記がその自作自演英文和訳。元の英文は自分で書いたものながら、あまりにもわざとらしく、文章読本なんかだと悪文の見本とされるような代物。残念ながら訳文ではそのくだらなさが随分減じておりますが、それはむしろ内容に起因するところにて。英語にとっては言うまでもないわかり切ったことをくだくだしく英語で書いたのだから、和訳しちゃったらそのバカバカしさが薄れる、てえより、実際そのわかり切ったことがまるでわかってない日本人が無数にいるわけだから、どうしてもなんか意味を持っちゃうのよね。ほんとは実にくだらねえ文章の筈なのに。

ま、しかたがねえ。てことで――

《キング牧師の名言にある「radicalに過ぎるということはあり得ない」という一節が、「radical過ぎないようにしなければならない」というような意味になどなり『得ない』のは、「用心に越したことはない」という常套句が、「用心はほどほどにしなければならない」という意味になり得ないのとまったく同じであり、前提である「正しければ」が意味するのも、「正しいとすれば」であって、「自分が正しいと思うなら」などではない……というのはごく当り前のことだと思うのですが。

‘radical’という形容詞の語義も、ここでは明らかに「大胆で徹底的」とでもすべきものであり、「先鋭的」とは言えても、決して暴力や敵意を示唆するものではない、と思われます。

同様に、「conservativeに過ぎるということはあり得ない」も、思慮や節度が度を越すなどということは断じてない、と解されるべきものに違いないでしょう――間違っていれば、ということですが。

そもそも、自分が客観的に正しいか否かを自分自身で判断できる人などいるのでしょうか。》

……といった塩梅にて。今度こそおつかれさま。

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……というのが、2016年の初めにその友人に送った文章のほぼ全容。話が長過ぎるのは重々承知しとります。すみません。

訳[1]を掲げたサイト、およびそれに対する傲然かつ愚劣な反応は既にその数年前のものであり、今さら直接文句を言うわけにも行かないわけですが、リアルタイムで反応できていたらこう言ってやりたかったという文言を以下に記すことに致します。どこまでもヤな性格、とは先刻承知。

《You can't be serious! おっと、それだと「本気になっちゃいけない」ってことになるんですかね、「少し英文法を理解すれば」。高校で習った ‘cannot be too careful’ という慣用句も、「注意し過ぎてはならない」という意味でしたか。英文の翻訳などを仕事として参りましたが、今の今まで気づきませなんだ。しかしそうなると、OxfordやLongmanなどの辞書や語法書の記述も、悉く英文法を理解していないが故の誤謬ということになりましょうや。

いったいあんたの言う英文法って何? で、あんたはそれをどう理解したっての?》

……などというしょうもない文句を思いついちゃうからいつまでも救われないんですよね、あたしは。わかっちゃいるけど、もう手遅れ。

それでも、こういう頓痴気はやっぱりどうにも許し難うございまして。 ‘I couldn't care less.’ =「知るもんか(これ以上気にならないなんてあり得ないぐらい関心がない)」などという、英語表現としてはごく初歩的部類も、この手のバカには生涯わからず、「もっと少なく心配してはいけなかった」……ってんじゃ全然わけわかんないにしても、「もっと気にすべきだったかも(冷淡さが許容の限界であった?)」とでもいう意味だって言い張るんでしょうかね。

……と言うか、毎度恐縮の極みとは存じおります。まことにどうも……。

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