2018年3月15日木曜日

バックビートがロック?(17)

唐突ながら、先般言及した ‘mods’ どもにとって英雄的存在であった、60~70年代の代表的ブリットロックバンド、the Whoの ‘Summertime Blues’ を初めて聴いたのは、既に高校生の時分、NHK・FMの渋谷陽一の番組ででした。その頃の自分にとっては既に大昔とも思われる1969(昭和44)年の録音で、翌年のライブアルバム収録曲、ってのは後から知ったことでしたが、とにかくあたし、これをフーのオリジナルだと思っちゃったんです。それほど50年代的な古臭さとは無縁の、むしろハードロックに類する強烈な音とノリ。キース・ムーンのドラムを始め、やっぱり全体的にとにかく激しゅうございましたもので。

やがてこれが、 ‘Johnny B. Goode’ や ‘Dizzy Miss Lizzy’ と同年の58(昭和33)年に発表されたエディ・コクラン(Eddie Cochran)のナツメロだということを知り、かなり驚いた記憶が。フーのアルバムと同年には、改名後の初アルバム中でT Rexもやってたんですねえ。寡聞にして殆ど72年以降の曲しか知らなかったもので、今になってYouTubeで聴いてみたら、例のちょいと気怠い雰囲気もあり、なかなか「現代的」な味付けではありました。素朴なナツメロも随分とお洒落になるのね、って感じ。現代だのナツメロだのったって、10年しか離れてはおらず、今じゃいずれも大昔ってところがちょいと可笑しくもあり寂しくもありってところですが。

いずれにしろ、あたしゃやっぱりごくヘビーなフー版のほうが好みですね。ギターの歪み具合や、途中何気なく一瞬挿入される現代(60年代)的なコードもさることながら、これもやはりバックビートだけじゃ容赦しないと言わんばかりの、4拍全部強勢ってところが最大の魅力……みたいな。T.レックスもその後ライブでは頻繁にやってたってことで、音源聴くと、まあ当然という気もしますが、上掲のリンク音源に比べてよりハードなアレンジになってますね。

日本国内のものも含め、もちろんこの曲のカバーが多数を極めるのはとっくに承知。でもやっぱり、最初に聴いた、ってより、この曲自体を知るきっかけとなったフーのやつは今でも一等好きなんじゃないかとか。実はオリジナルよりもずっと……ってのは本末転倒かも知れませんけれど。

                  

そのコクランの原曲ですが、生ギターの8分のコードが各小節の1拍め(downbeat)の裏拍(afterbeat)から始まり、3拍めの表拍(forebeat)で止るっていう変則的な手法。最初はラジオで途中から聴いたため、拍とか小節の区切りがわかんなくてまごついちゃいました。ドラムもかなりお洒落なことやってるからなんですが(これもアール・パーマーでした)、ベースは初めから8分均等でコードが変らない限り区切りがないし、手拍子が2拍めだけにダブルバックビートで、つまり8分2つで入れられてるってところも、出だしを聴きそびれると拍子が把握し難くなる要因だったりして。Larry Williamsの ‘Dizzy Miss Lizzy’ のピアノと同様、ベースが8分を刻んでるってことは、拍どうしの長短による「スウィング」的な要素はとりあえず関係ないでしょう。

                  

要するにこれ、オリジナルも単純素朴な古式ロックンロールとは趣きを異にする、かなり凝ったアレンジだったってことなんですが、それでもやっぱり、基本的にはバックビート、つまり強勢が偶数拍にあるってところがまだまだ50年代的……ってことなんでしょうかねえ。単純って言うならフーのやつこそよっぽどそうじゃないか、って気もして参りますが、どうしても2拍4拍だけでノってるよりは、ダウンビートからガツンと行くほうが自分にとってはよっぽどロック、とでも申しましょうか。

勝手な思い込みに過ぎぬかも知れぬとの自戒の念は有しつつ、やっぱり「ンロール」の有無には何か決定的なリズム上の相違が付随する、との観念はいよいよ捨て難く。初期のビートルズが、4拍全部に拍手とかカウベルとかを同じ「強さ」で入れてんのは、カバーだけではなくオリジナルでも常套手段だった、ってのを改めて再認識したりもしまして。そんなのどうでもいいじゃん、と言われればまったくそれまでなのは先刻承知ではございますれど。

                  

と言ったそばから何ですが、次は、より古い曲をより近年に(ったって結局何十年も前だったりするけど)カバーした事例を挙げることに致します。チャック・ベリーに続いて昨2017年に死去したファッツ・ドミノ(Fats Domino)による1955(昭和30)の名作 ‘Ain't That a Shame’ に対する、70年代以降の焼直しをいくつか。

まずはオリジナルですが、初めて聴いたのは高1の74(昭和49)年、前年にアメリカで当ったという、ジョージ・ルーカスの出世作にして、その10年ほど前の62年、つまりビートルズ出現前夜のカリフォルニアを背景にした青春ナツメロ映画、 ‘American Graffitti’ の「サントラ」アルバムによってでした。

日本ではこれ、格好のナツメロ、おっとオールディーズ集であったその2枚組LPのほうが先に売れ、映画自体の公開はもうちょっと後だった筈。レコードが売れたからその気になったってことなんでしょう。どのみちあたしが観たのはずっと後、テレビの吹替え版で、しかもほんの一部だけ。いずれにしろ、その映画では50年代のナツメロがふんだんに用いられており、それをまとめた豪儀なアルバムが、日本では映画より先に売れてた、ってことだったんじゃないかしらと。何せどれも短い曲ばかりなので、相当の曲数が入っていたと記憶します。

                  

でその ‘Ain't That a Shame’ なんですが、オリジナルとは言っても、その「サントラ」に入っていたのは、最初の発表時、55年の音源に女声コーラスを加えた63年の版だそうで、しかもその時点でもこの曲、題名は歌詞とは異なり ‘Ain't It a Shame’ だったんだとか。歌詞に合せて(?)‘That’と表記されるようになったのは65年の由。

いずれにしろ、その「増補」盤でさえ、映画制作時からは10年の昔。70年代の中高生にとっては、50年代なんざ自分が生れる前だったりもして、もはや歴史に属する大昔……だったわけですが、今じゃあその映画の時分から既に40数年。アルバムの収録曲を聴くだに、60年代以降、と言うより、60年代の特に後半におけるロック、ポップの急激かつ驚異的な進化には今なお感じ入ってしまいます。その後の50年における目覚ましい技術の向上に比し、生み出された音楽自体は果してそれに見合うだけの水準にあるのか……などと、またぞろエラそうなことを言いたくなったりして。とにかくまあ、50年も前のその急速なロックの進歩発展ってのも、やはりビートルズの出現がもたらした成果だったのでは……って、またしても俺が言うことでもねえけれど。

                  

てなあらずもがなの能書きは止しまして、眼目たる曲自体の話に入りましょう。ファッツ・ドミノの原曲(63年版もコーラス以外は55年版と同じ)は……まあ、曲を知ってる人には説明の必要もないし、知らない人には言葉で説明したって意味ないのは、既に何度となく痛感しているところでありますれば、余計なことはもう言わないことにしとう存じますリンク音源を聴かれたし〕。ちょっと一般的なロックのノリとは違い、いわゆるシャッフルてえやつで、どのみち記譜法の問題ではあるのですが、4拍子とすれば1拍が3分割され(8分の3連、 ‘triplet quaver’ てえことに)、その1つめと3つめだけを打つ形(3連中抜きなどと言いますな)。

これを、3連符ではなく、その1つずつを「堅気」の8分(straight quaver)として、12/8(または6/8?)拍子と見做すこともできましょうが、その場合は順に1、4、7、10拍が、4拍子における1、2、3、4拍に対応……と申したところで、今述べたとおり、それは表記の違いに過ぎません。眼目は飽くまで音であり、そいつぁ自分で聴いて把握するに如かず、ってことで。

いずれにせよ、あの特徴的な導入部はともかく、これもまた典型的な50年代風バックビート、すなわち偶数拍(だけ)に強勢の置かれた古風なノリってところは間違いなく(4拍子扱いならってこってすが)。ヘタすっと、ってこともないけれど、実はこれ、拍どうしの時間的差異によってもたらされる(らしい)、スウィング感とも呼べるノリだったりして。相変らずわかんないけどね。どのみちキックは殆ど聴こえませんし。

でまあ、この念の入った強勢弱拍(既述の如く、こんな言い方はたぶんあたしが勝手にやってるだけですが、要するに弱拍たる偶数拍が強調されたノリ、つまりはバックビートってこってす)のオリジナルに対し、「現代」もののカバーとして最初に聴いたのは(それだってまたも40年以上前だけど)、隠居前のジョン・レノンが、もともとはチャック・ベリー関係者から盗作を言い立てられていた ‘Come Together問題(オマージュってやつ?)の和解策として発表したという、その名も ‘Rock 'n' Roll’ というアルバムに収録されていたやつなんでした(‘rock’ と ‘rock 'n' roll’ の使い分けがなされた「業界的」事例)。

盗作騒動ではジョージ・ハリスンも同じ目に遭った……どころか、やはり「業者」に訴えられ、結局敗訴になってましたねえ。つまるところ、結局は厚顔無恥の勝利、みたいな。

                  

それはさておき、ジョンのこのアルバム、プロデューサーだったフィル・スペクターとのゴタゴタから、発売は企画後1年以上を経た1975年。先述の ‘American Graffitti’ からさほど時期は離れていなかったわけですが、ジョンが歌うこの曲を聴いたのはもうちょっと後でした。シングルカットされた ‘Stand by Me’ はしょっちゅうラジオで聴いてたけど、それ以外はあまり聞こえて参りませず(ついでに原曲もリンク)。まあ、その頃は50年代の音楽自体あまり好きではなかった、ってのが最大の要因ではありましょうが。

でまあ、とにかくそのレノン版ドミノ版との聴き比べ。違いは、案の定と言うべきか、強勢のありよう、つまりビート(ノリ?)の違いですね、明らかに(飽くまで自分にとって)。テンポもかなり速めだけど、そりゃオリジナルが相当にゆったりした曲だから、70年代的には当然とも思われるものの、実のところ、最大の違いはまず拍子にあったのでした。聴き直すまで気づかなかった、ってより、気にもしてなかったから憶えちゃいなかったというの実情なんですけどね。

「最大の違い」たあまた大仰な言いようですが、実は他愛もないことでして、原曲が4拍子のシャッフル(または12/8拍子とか)であるのに対し、レノンはよりロックっぽく(?)「単純な」 ‘quaver groove’、 日本で言う「エイトビート」でやってんです。どっちも40年前にはもう聴いていた筈なのに、敢えて比べてみようなんて思ったことがなかったから(当時は50年代の曲に興味なかったし)、迂闊にも今まで気づかなかったてえ次第。

もちろん、エイトビートのレノン版は、拍子も違うけど、やはり強勢の違いが顕在。オリジナルにはない、レノン的(?)なピアノ主体のイントロが冒頭に付されてるんですが、それがまた見事にキック4つ打ちで始まり、ピアノのメロ部分は1拍めの裏から……ったって、聴かなきゃわかりませんねえ、どのみち。キック(やベース)は暫く2拍めの表を通り越して裏だけっていう、つまり弾んだ感じだったりもするんですけど、基調は8分の刻み……って、やっぱり言葉で表そうったって無駄でした。ふ~む〔そんでYouTubeの音源、先述の「レノン版」をリンクしたてえ次第にて〕

まあとにかく、どう足掻いたところで4拍全強のノリであるは覆いようもなく。ジム・ケルトナーによる「弾んだ」ドラムだって、強拍、弱拍ともに強勢というビート感は何ら減ぜず……って、これもやっぱり実物を聴きゃあわかるし、こうして文字を連ねたところで何だかわかりゃするめえ、とは先刻お見通し〔やっぱりリンクしたやつを聴いてくだされたく〕

                  

ともあれ、ひとまずこれにて一区切りと致し、今回もおとなしくここでやめときますが、この曲のカバーについてはもう1つ述べておきたい事例がございますので、次回はそれを。

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