2018年7月1日日曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(2)

前回の続きです。ひとまずは「現在」というものについての愚論から。

とにかく、現実には何を指して「今」だの「現在」だのと言っているのかと言えば、それはどうしたって、ちょっと(あるいはだいぶ)前とちょっと(あるいはやはりだいぶ)先をくっつけた時間の区切りのことであり、いつからいつまでがその「現在」なのかは、状況次第、あるいは人それぞれとしか言いようがない、ってのが実情……ではありましょう。

現在完了とか過去完了という言い方、ってより観念のない(?)日本語では、中学生あたりがその明確な意義を把握するのは厄介、ってのも無理のない話で、まず「現在」だの「過去」だのってのがほんとは何なのか、最初にそれをちゃんと言っといてくれないと、とは思ってたりもします。
 

                  

たとえば、「今日」って言ったら、24時間ほどを区切って「現在」扱いしてることになるし、それが「今週」だったら「現在」は1週間、「今月」なら1ヶ月、「今年」なら1年、「今世紀」に至っては百年もの長きにわたって「現在」の括りにはなるという次第。

同時に、「来年」と言ったら、場合によっては1年も先のことになるけれど(逆にわずか数秒後だったり)、「来月」「来週」「明日」は同じ「未来」でも順次「現在」に近くなるというわけで、それとは裏腹に、「昨日」も「百年前」も等しく「過去」の括りではありながら、「ここ数日」だとか「この百年」などと言えば、その期間が途端に「現在」に化けるという仕組み。

それどころか、夜半前に「今日」って言ったら、丸1日近く前までもが「現在」の括りに入るのに、「1分前」って言ったら、それはもう容赦なく「現在」と切り離された「過去」、ってな塩梅でして。
 
                  

さっきっから何言ってんのかと言えば、ことほど左様に現在も過去も未来も、いつからいつまでのことなのかなんて、到底客観的、絶対的な線引きなんかできっこないってことでして、現在完了だの過去完了だのも、客観的状況ってよりは、言ってる本人の意識が反映されたもの……とか?

たとえば、日本語なら、日付が変るまでは「今日朝食った?」って訊けるけど、英語では(英国では?)午前中、それも10時ぐらいまでだったら、まず ‘Have you had your breakfast?’ と言いそうなところ、昼近くともなれば ‘Did you have ...?’ に切り替り、午後になっちゃったらもうどうしようもなく過去でしかあり得ない、って感じはあります。つまり、朝食の話は、朝のうちなら現在完了、朝飯どきを過ぎれば自動的に過去、という寸法。

完了表現ってのはそういうもので、基準点を、発話がなされている「現在」ではなく、過去のある時点(1分前でも千年前でも)に置けば、その過去の時点が現在に取って代り、過去完了の出番とはなる、ってなところなんですが、中高生のみならず、結構大人の方も、この完了という言い方、あるいは観念がわからないまま、ときに妙な英文書いてたりはします。特に過去完了のほうがより問題で、とにもかくにも、まずは基準となる過去の時点が明示されるか、文脈から了解し得るのでなければ、一切使いようのない言い方だってのがわかんないようで。
 
                  

おっと、やっぱり「時制」よりは「完了」という「相」の話になっちゃってますけど、それもこれも、言語の基本的条件の違いってやつなのか、いずれも基本となる「現在」および「過去」「未来」という観念に対する認識が、どうも英語の母語話者に比べ、普通の日本人は何だかぼんやりしたままなんじゃないか、って気がしたもんで、ついまたあれこれくだくだしく蛇足を並べてはしまったのでした。

今さらのようではありますが、その「完了相」、 ‘perfect aspect’ または  ‘perfect phase’ という形を成すには、先般申しました ‘finite verb’ たる助動詞 ‘have’ がまず必須で、それが ‘has’ だの ‘had’ だのという、 ‘tense’ を有するからこそ ‘finite’ とは呼ばれるわけであり、それが、同じ「相」でも「進行」、 ‘progressive aspect’ だと、 ‘am’ だの ‘is’ だの ‘are’ だの ‘was’ だの ‘were’ だのという、やはり ‘finite verb’ たる助動詞、 ‘be’ がまず頭にあるという具合。

さらには、「未来時制」という動詞の形態はない、とは言い条、‘will’ とか ‘shall’ とかの ‘finite’ 助動詞に、 ‘non-finite’ たる ‘infinitive’、つまりは堅気の動詞の原形を付したものが、未来を表す ‘verb phrase’ の例、ってなもんで、ここでもまた先頭の助動詞は「現在」という ‘tense’ を有し、それがいわゆる間接話法では ‘would’ や ‘should’ といった過去の ‘tense’ に変ずる、という理屈。

改めてまとめようとすると、結構めんどくさかったのね。ってより、やっぱり何の話かよくわからぬような……。
 
                  

おっと、それどころじゃなかった。落語の枕かなんかで、文法のわけの知れなさを笑いにした「未来で完了で進行形とはこれ如何に」とかいうのがありましたけれど(未来じゃなく過去だったかも)、たとえば、 ‘You will have been working ...’ なんて場合、つまり「未来完了進行」てえやつでは、やはり最初の ‘will’ が、発話の時点である「現在」を示す ‘tense’ で、そりゃ紛う方もなく ‘finite verb’、その後の ‘have’, ‘been’、 ‘working’ は悉く ‘tense’ とは無縁の ‘non-finite verb’ ……ではあるんですが、これがちと厄介なのは、「完了」と「進行」がくっついてるところだったりして。

完了を ‘phase’、進行を ‘aspect’ と言い分けたりするのも、本来「完」か「未完」かという2つの「相」のいずれかであるべきところ、たとえば「現在」でもあり「過去」でもある、なんて「時制」があり得ないように、「完了」でもあり「進行」でもあるってんじゃあ間尺に合わず、そりゃお互い別の枠に収まるべきものであろう、っていうご尤もな意見によるもの……らしい。それも前に言いましたかね。

あるいはまた、「進行」すなわち「未完」の状態を指すなら、現在でも過去でも何ら1つの「相」として括るのに問題はないけれど、「完了」については、どのみち既に過去のある時点で終っている状況に対する、その後の視点からの言い方ということになり、現在完了であれば、発話の時点と当該の過去の事象とを関連づけた「完」か「未完」かの ‘aspect’ を表すものであるのに対し、過去完了の場合は、いずれも過去の状況における前後関係を示すだけで、何ら ‘aspcet’ を成すものではない、と主張する向きもあるようで。
 
                  

……やっぱり何言ってんだかさっぱりわかりませんな。言い方が下手なんです。でもほかにどう言やあいいんだか。しょうがない。諦めました。

とにかく、上掲の ‘You will have been working here’ の ‘have’ は 「完了」という「相」を示す助動詞、 ‘been’ は「進行」という「相」の助動詞である……ってだけじゃこの話は半端で、 複数語から成る ‘VP’、 ‘verb phrase’ の末尾に位置する ‘non-finite verb’ が常に ‘full/lexical verb’ であるという作法のとおり、 ‘working’ がこの ‘VP’ 中、唯一それなりの意味を持つ動詞であると同時に、それはその前の ‘been’ とともに、いずれも旧来の言い方では ‘participle’、「分詞」と呼ばれるやつなんですね。

前者を「過去分詞」、後者を「現在分詞」とは呼びならわしてはいるけれど、まさに ‘tense’ がそうであるように、どちらもこれ、全然「過去」や「現在」を表してるわけじゃない、ってんで、今どきは ‘-ed/-en form’ だとか ‘-ing form’ っていうほうがお洒落、てなことも既に言ってましたっけね。繰り言ばかりですみません。寄る年波。

おっと、これのどこが厄介かと申しますと、 ‘perfect phase’ と ‘progressive aspect’ は別の括り、と言ったところで、「完了相」という観念が充当されるのは ‘have been working’ という文言ってことになろうし、するとそれは「進行相」を成す ‘been working’ を飲み込んじゃってんのね……ってところ。 ‘been’ は、その前の ‘have’ とつるんで「完了」を示す文句の一部であると同時に、その後の ‘working’ と合して「進行」を示してもいる、ってなもんで、じゃあこういう場合は ‘phase’ の中あるいは下に ‘aspect’ が位置し、 ‘been’ という「分詞」は、その両者の繋ぎ目ってことか……って、しまった、余計なことを言い出したために、ちょいと収拾がつかなくなっちまったような。

まあ、文法ってのは所詮そんなもんでしょう。どれだけ精密な分析を試みようと、次から次へとそれを嗤うかの如き現実が立ち塞がるだけ、みたいな。俺がわかってねえだけなんだろうけど。
 
                  

こないだから言おうとしてたのは、「時制」、ってより ‘tense’ とう動詞の形が今の英語ではどういう役割を果しているか、ってなことだったのに、またぞろ余計なことばっかり言ってるうちに肝心の話が閑却されたままになっちゃってました。でもまあ、どうせいつもどおり大した話じゃないし、ざっと概括して、この一連のダラダラした駄文にも可及的早期に引導を渡してやろう……とは思ってたのに、やっぱりまだそうあっさりとはまとめられそうにありません。

その上、よせばいいのにウェブで最近の文法理論なんかを見かけちゃうと、そのネタもやっぱり無視し難くなっちゃったりするんで、甚だ索然たる(てえかとんと要領を得ない)状態のまま恐縮ではございますが、今回もここまでと致し、残りはまた改めてということに。毎回そればっかり。ほんと、すみません。

実は、ここ十数年の貧乏暮しで、と言ってもその前だって裕福だったことは一度もないんですけど、とりあえず以前はちょくちょく購入していた英語の文法書(なぜかイギリスのばっかり)ともすっかり無沙汰の限り。21世紀以降の進展は、ときたま電子図書の見本ページを覗いたり(大抵いいところで「先を読みたけりゃ買え」みたいな)、素人学者(?)のページなんかから中途半端に仕入れる程度なのでした。なかなか体系的な情報は得られませず。

それに加え、以前は神田の本屋街に行けば、三省堂を始めほうぼうで最新の文法書が買えたのに、いつの間にかいわゆる洋書全体が激減しちゃって、それも文法だの語法だの音声学だの音韻論だのという、明らかに一部の物好きにしか需要はあるめえ、ってやつは殆ど見かけなくなっちゃってんです。ネット通販でしか入手できず、それも国外の業者しか扱ってなかったり。

ま、どうせ金はないし、ハナから買うつもりもないんですがね。とにかく、多少半端な接触ではあるかも知れないとは言え、やはり日本語のサイトにあるような、書いてる人がちゃんとわかってるとも思えない「解説」よりは、よほど理路整然たる英語サイトからの知見なども適宜参考にしつつ、当初言おうとしていた(ような気がする) ‘tense’ 談義を何とかまとめようとは思っとる次第ではございます。次回は何とか……。

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