2018年8月25日土曜日

「イギリス」だの「アイルランド」だのってどこのことよ?(1)

アイルランドって言うと、日本ではどうも「アイルランド共和国」という国のことだと思ってる人が多くて、ときどきかなりの齟齬に直面します。英語で ‘Ireland’ とか ‘Irish’ って言ったら、公式にはどうあれ、普通は政治的な要因とはまったく無関係に、「国」ではなくあの「島」全体のことですから……って、いくら言ってもわからないばかりか、「北アイルランド」はイギリスであってアイルランドではないってな、相当に滅茶苦茶なことを居丈高に言い募り(「アルスター」なんて言っても通じないし)、こちらが、北アイルランドは飽くまでアイルランドの一部なんだけど……って言おうものなら、あからさまに「無知」を見下したような顔する人も少なからず。

スコッチの瓶に「原産国 スコットランド」って書いてあったのにいちいちケチをつけて、「スコットランドは国じゃない。それを言うならイギリスのスコットランド地方だろう」とか言ってた人もいて、「いや、建前はスコットランド王国ってことで、ここ300年ほどは王様がイングランド王による二足の草鞋状態になっちゃってんのよね」なんて言っても、どうやらまったくその意味が理解できない模様。どこまでも、「イギリス」という国が「イングランド地方」とか「スコットランド地方」、ついてに「北アイルランド(地方?)」に細分されているのだ、と言い張ります。

だからそれ、今でも一応複数の「国」が連合した図だってのこそほんとじゃん、ってとこなのに、恐るべきことに、金輪際それのわからねえお人が多くてしばしば面食らっちゃんです。いや、別に何ら恐るるには及ばざれど、その「イギリス」自体が、原義からすれば徹頭徹尾「イングランド地方(の)」ってことじゃござんせんか。
 
                  

スコットランドってのは、飽くまでその「連合」を成す国の1つであって、その連合王国の元首たるエリザベス二世も、どうせイングランド国王じゃん、ってんで、スコットランド銀行発行の紙幣にはその姿は刷られちゃいません。昔たまたまロンドンの店で手渡された釣りがスコットランドの札で、それには女王の顔はなく、ロバート・バーンズの肖像だけだったってので知りました。

とは言い条、スコットランド銀行券は UK、 連合王国の法定通貨ではない、とのことなんですが、法的に無効とされているわけでもなく、それに関しては北アイルランドの通貨も同様。イングランドやウェールズの店で受取りを断れらたとしても(ウェールズにも独自の硬貨があるような)、それは通貨としての法的有効性の問題ではなく、単純に店側に認められた権利の行使だそうで、純然たる法貨のイングランド銀行券だろうと、傷み過ぎてて気に入らん、と見なされれば、受領を拒否されるのと同じことなんだとか。

客のほうが釣りとして受け取るのを拒むことはできるんですかね。あたしゃ珍しかったから却って嬉しかったけど。スコットランドにゃ行ったこともないし。

いずれは現ナマ自体がこの世から消え失せる、てな話も(昔から)あるわけで、UK 各国の紙幣、貨幣の互換性などという、日本では思いもよらないお金絡みの厄介さも、遠からず消滅するのでは、って言ってる英国人もいる模様。あちらの国ではそれも存外早いのかも知れませんね。40年前でも、現金をまったく持たず、どんな小さな買い物にもいちいち小切手を切って払ってる人ってのをときどき見ましたから。口座を開くと通帳ではなく小切手帳を渡されるんですが、自分は専ら窓口で現金を引き出すのにしか使いませんでした。なんせ昭和生れの日本人なもんで。
 
                  

閑話休題。スコットランドは国じゃないなどという、ある種の勘違いまたは誤認をもたらしたのは、恐らく300年ほど前にその Scotland が England と連合した結果によるものではあるのでしょう。1707年、すなわち我が宝永4年、犬公方綱吉時代も終盤って時分のことで、奇しくも常盤橋の北町奉行役屋敷が数寄屋橋門内に移転し、北から順に中・南・北という混乱状態に陥った、などと一部の研究者が夙に言い張る状況が出来した年。てなこたとりあえず関係ないけれど、とにかく、とっくに鎖国状態だった当時の日本の民、あるいは為政者にとっては、イングランド王国だけがかつての取引相手として認識されていたためか、それが大ブリテン島およびブリテン王国(イングランド+スコットランド)の一部に過ぎない、っていうのがわからないまま、その後数世紀を経た今日も何ら変らず、ってところなんじゃないかと。

自分だって日本人だし、イギリス住むまではよくわかっちゃいなかった、ってより、考えてもいなかったのが実情ではあるんですがね。どうせあんまり関係ねえし。

そう言や、「大英帝国」の「大」って、単にその ‘Great Britain’ の ‘Great’ を逐語訳したものに過ぎないんですね。「大日本帝国」なんていうカラ威張りは、それの猿真似のつもりだったんだろうけど、あっちは別に「偉大な」なんて威張ってるわけじゃなく、単純に一番でかい島だから、ってだけのこと。日本で言う「本州」の「本」みたようなもんで。……って今さら言うべきこととも思われませぬが。
 
                  

まあいいや。因みに、既に20年以上前の93(平成5)年のことなんですけど、イギリスから来て新聞配達やりながら渋谷の日本語学校通ってた友人を英国大使館に連れてった折、置いてあった日本向けのパンフレットを見ると、日本では普通に用いられる「イギリス」という言い方には何かと問題があるので、連合王国全体を指すときには「英国」という表記で当方は統一している、てなことが書いてありました。

‘English’ に相当するというポルトガル語 ‘Inglez’ を仮名表記したのが「イギリス」だてんだから、厳密にはどこまで行ってもイングランド一国にしか言及し得ず、当のイングランド人を含め、そりゃどうにも落ち着かない「国名」ではありましょう。でも「英国」ってのだって、所詮はその ‘England’ の音訳に過ぎない「英吉利」の頭文字を採っただけでしょうに、とは思いましたけど。

早い時期に、漢字表記はさておき「ブリテン」と言い換えときゃ、いつまでもこんなどうにも落ち着かねえままってことにゃならなかったろうに、とは思えど、そんなことをおいら如きがいくら言ったってなあ、とは百も承知。
 
                  

とにかくまあ、アイルランド王国(ったって、とっくにイングランドの属領で、「王」ってのもイングランド王のことんなって久しく)も仲間に入れて「連合王国」ってことにしたのは漸く19世紀幕開けの1801(享和元)年。融和策ってやつ?

現行の「ユニオン・ジャック」(ユニオン・フラッグ)はそれ以降のもので、3国それぞれの守護聖人の旗印を混ぜ合せた、結果的にはかなりお洒落なデザインとはなっている例の旗です。その前は、イングランドの聖ジョージ、スコットランドの聖アンドルーの2つを重ねただけの、青地に赤十字と白バッテンだけっていう割とスッキリした意匠。それにアイルランドの聖パトリックの旗を交ぜたのが今のやつ、ってことにはなるてえ仕儀。

でも、単に「連合」ってんなら、ハナは1603年、家康将軍宣下の慶長8年に、エリザベス一世の死去に伴い空位となったイングランド国王、およびその属国たるアイルランド国王を、スコットランド国王が兼ねることになって3年後の1606年、そのスコットランド王ジェイムズ六世ことイングランド(その他の)王ジェイムズ一世が、「個人的」な船籍表示のための旗印として、スコットランドとイングランドの守護聖人の旗を一緒くたにした、ってのがユニオン旗の発端とのことで。

それがやがていわゆる「国旗」のような存在となり、200年ほどを経て、アイルランドも加えた現今の連合王国旗とはなった、ってんですが、そもそもこの話、なんで今する気になったかてえと、その「英国旗」について、日本人にはありがちなことながら、勘違いしたままエラそうにもこちらの「無知」を見下すようなこと言ってた人に会っちゃって、という、相変らずの恨み言ってのがほんとのところなのでした。【つづく(唐突に!)】

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