初めはこれ、単に3人いるから ‘Dreams’ って複数形にしてんのかな、って思ってたんですが、それにしても ‘Dream Come True’ っていう普通の言い方(名詞句)のほうがスッキリしてていいじゃん、と思ってそう言ったら、あたしが英語使いだって知っているにもかかわらず、それを聞いた友人、「何言ってんの? それなら ‘come’ じゃなくて ‘comes’ になるじゃん」って呆れたように返しやがる。ふぅ。
それでこっちは初めて気づいたんですが、世間の方々は(ひょっとしてドリカム本人たちも?)、あれを名詞句ではなく「文」だと思ってんですね。そりゃ「サンタンゲンのエス」などと称して、ビートルズが ‘She don't care’ って歌ってんのを、労働階級出身で無学なため文法を知らないんだとか(本気かよ)、 ‘He hit her’ てな文を見て、 ‘hit’ は ‘hits’ の間違いでは? などとほざく頓痴気も多いのは先刻承知。そのサンタンゲンなる舐め切ったような略語も、単なる一続きのお題目かなんかに過ぎず、「ゲン」が「現」だってことすらわからんらしい。
「三」で「単」でも「現」ならぬ過去なら、不規則動詞 ‘hit’ はそのまま、てなこたあ、塾の中学生ならいざ知らず、英語について何か語ろうとする(語り得ると思い込んでいる)大人相手にいちいち言ってられるかい。そんな義理もねえし。ダルい。
そんなこたどうでもよかったんでした。ドリカムよ。
これ、 ‘A dream comes true.’ などという間の抜けた文の主語を複数形にした ‘Dreams come true.’ [いずれも「夢(というもの)は叶う(ものである)」?]などという、やっぱり間抜けな文なんかじゃありません。ひょっとするとあたしが勝手にそう(妥当に)解釈してだけなのかも知れないけれど、こりゃもう固定の名詞句とでも呼ぶべきものにて、この ‘come’ こそ、「風と共に去り『し』」という形容詞句、すなわち ‘A Civilization’ に連なる ‘gone with the wind’ の ‘gone’ と同工の、つまりは形容詞。
奇しくもその前には ‘a dream remembered’ って文句があったじゃござんせんか。つまり、その ‘remembered’ と同様、 ‘dream’ という名詞を後方から修飾する形容詞句 ‘come true’ の ‘come’ こそがドリカムの「カム」でしょうよ(てえか、英語としてはそうとしか受け取れませず)。いわゆる定動詞(‘finite verb’ の訳なれど、やっぱり気に入らねえ、って文句つけてたたのも既に懐かしく)ではないから、過去も現在もなく(つまり「時制」ではなく)、「完了」の意の過去分詞、すなわち形容詞たるは昭然、ってことなんです。
これを無理やり説明的に言い換えるなら、 ‘Dream that has come true’ とでもなりましょうか。これだって古くは ‘is come true’ ってほうが本筋だった……ってことを言うのがここんとこ書き散らしてる駄文の主旨だったような。忘れかけてたぜ。いずれにしろそんな諄い言い方じゃやっぱり間抜けなんで、まずそうは言わないような気も致しますが。
これが無冠詞(と言うか無決定詞)なのは、なんせこれ、グループ名ですから。なんにもかぶせないのが穏当、ってところなんです。てえか、実際のドリカム自体はハナから「ドリームズ」って複数形になってんだから、どのみちそんな気遣いは不要でした。叶った夢が1つだけじゃないってのは、ちょいと豪儀ではあるかも知れないけれど、実は個々の夢の価値がその分下落してたりして。大きなお世話か。
ドリカムはもういいでしょう。歌の文句には ‘You are my dream come true’ ってのがありましたね。ポール・アンカ? 六十近くのあたしでさえちょいと古過ぎてよくは知らない。なんせ自分が生れる前のヒットですし。
テンプテーションズには題名が ‘(You're My) Dream Come True’ って曲もありました。そっちはもうちょっと新しい。けどやっぱり自分が3つの頃で、知ったのはずっと後、80年代になってから。
てなこと考えてたら、自動詞の完了では、やっぱり助動詞は ‘have’ より ‘be’ のほうが、今の英語だってよほど自然なんじゃないか、って気がますますして参りました。
‘Gone with the Wind’ ってのも、これだけを切り取った文句ならどうでもいいわけですが、これを後置の形容詞句とする ‘A Civilization’ を主語として文に置換した場合、
The Civilization has gone with the wind.
ってよりは、
The Civilization is gone with the wind.
ってほうが、やっぱりずっと落ち着くような。‘has gone’ だと、いかにも「現在完了でござい」、とでも申しましょうか、何だかその「伝統」(とは普通訳さないんですが、この ‘civilization’、当該の社会、ってよりその土地における特有の文化、風俗その他……みたいな)が、「風と共に過ぎ去るという過程を終了」とでも言ってるような雰囲気?
一方 ‘is gone’ なら、「今や風と共に消え失せにけり」といった風情で、ちょいとした感慨、哀惜の念みたようなものが随伴する……かも。 ‘has now gone’ でも同様の情緒が添えられましょうか。
いずれにしろ、 ‘has’、と言うより ‘have’ が本来は他動詞であり、その目的語と、その目的語を後ろから修飾する形容詞(過去分詞)とを置き換えたために、形としてはその ‘have’ が、1つ前にしゃしゃり出てきた過去分詞にかかる助動詞(であるかのよう)に成り果てたてえだけで、それをうっかり目的語などない自動詞にも「誤用」してしまったのが、「have +自動詞の過去分詞」っていう完了表現の初口たるはほぼ確然、といったところでないかと。
どうやらそれ、ノルマン征服による(訛った)フランス語の流入によって、それに先行するラテン語風の物言いになびいちゃった結果がだった(らしい)、ということは先般より申し述べておりますとおり。ドイツ語その他、ゲルマン語に区分されるものの中では、やはり英語に顕著な形ではあり、もともとが無理やりっぽい言い方だから、未だに元来の ‘be’ を使ったほうが穏当な場合も少なからず、ってところでしょうかね。
そんなこた誰も気にしちゃいないとは先刻承知。
つい枝道に足を踏み入れてばかりで、主旨からは逸脱したままあれこれ書き散らして参りましたが、眼目はこれ、そもそも英語の完了っていう言い方がいつ頃どのように生ずるに至ったのか、ってことについて思うところを述べる、ってなもんだったんですね。結局は何ら確かなことはわからずじまい、というオチだったわけですけど、それでもまあ、かなりのところまでは知れたんで、自分としてはこんなもんで結構満足してはおります。
なにしろ長らくお邪魔致しました。いずれまた。
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