2018年8月28日火曜日

「イギリス」だの「アイルランド」だのってどこのことよ?(2)

【承前】だいぶ前なんですけど、地元の安バーで隣り合せ、飲みながらいろいろ話をしていた相手のお人が、まさにそのユニオンジャック柄の小物入れか何かをテーブルに置いてたんで、ついそのデザインについて知ったかぶりがしたくなり、自分としては、白と赤のバッテンが左右で上下が逆になってることについてあらずもがなの講釈を垂れようとしたところ、こちらの発言を遮って、「これはイングランドとスコットランドとアイルランドの旗を混ぜ合せたものだ」って教えてくれんですよ。

そりゃ現状では、あの赤バッテン(英語では ‘saltire’ てんですが、日本語じゃなんて言やいいんだか。「斜め十字」?)が代表するのは、アイルランドの北端部だけではありましょうし、今どき単独でその白地に赤バッテン旗が使われるのも、やはり北アイルランド(という地域? 国?)のみに対してだけでしょう。でもそれは百年ほど前の政治的分断の結果に過ぎず、あの旗自体が初めからアルスター、つまり北アイルランド「地方」を象徴するものなんかじゃないのは、その分断を1世紀以上遡る19世紀初年から現行のユニオンジャックは存在し、それは取りも直さず、その「3国」連合の旗印が現出するには、それ以前に、第三の構成員として加えられたアイルランド王国、すなわち北も南もないあの島全体を版図とする国の印、あの赤バッテンが既に存在しなければどうしようもなく、ってことなんです。

左は白が上で右は赤が上になってんのは、上下の優劣は日本と同じながら、あっちじゃ常に右より左がエラい、ってことで、要するにスコットランドの聖アンドルー(青地に白バッテン)とアイルランドの聖パトリック(白地に赤バッテン)の、いずれにも花を持たせようとの姑息な、おっと配慮に富んだ措置、ってことが言いたかっただけなんですけどねえ。その2つのバッテンを除くと、残るのがイングランドの聖ジョージの旗で、白地に赤十字っていう、一番つまんねえやつだったりして。

左右で上下を入れ替えることにより穏当を得る、っていう手法は、2大スター共演(競演?)作のキャスト表示なんかでもよく見ますね。高校のときに観に行った『タワーリングインフェルノ』(聳え立つ火炎地獄)っていう映画で、どっちがどっちだったかは忘れたけど、スティーブ・マクウィーンとポール・ニューマンの名がその手で一緒に示されとりました。

おっとその話じゃなかった。日本ではときどき間違えて、左右が逆転した裏返しのユニオンジャックを掲げてんのを見るんですよね。旗を揚げるときは、竿の右側にたなびくようにするのが基本で、左側になったときは左右のバッテンの上下が逆転するという塩梅。裏返しにしなければ上下左右の関係は変りません。当り前か。
 
                  

余談ついでに申し上げれば、「守護聖人」ってのが何かてえと、大抵は大昔の殉教者であるキリスト教の聖人てやつのうち、守り神の如き存在としてありがたがられてんのが、当該の土地や個人その他にとっての守護聖人こと ‘patron saint’ なのでした。

イングランドのジョージ(ゲオルギオス)とスコットランドのアンドルー(アンデレ)は、随分昔の異国の聖人であるのに対し、アイルランドのパトリックは、ウェールズ生れながら、物好きにも(失礼)アイルランドにキリスト教を広めた立派な御仁、ってんで、彼の地の守護聖人とはされとるわけです。

でも問題の赤バッテンは、単独の旗印としては一時的に用いらただけで、しかもどっちかてえと侵略者たるイングランド側の、 FitzGeranld(s) だか Geraldine(s) だかてえ鼻持ちならねえ貴族の紋章であり、ほんとはパトリック本人とも無縁なのを、1780年代になってからその聖人の旗ってことにされちゃっただけで、それまで用いられていたパトリックの印とは全然違うんだとか。でもこの赤バッテンの発祥については、結局誰も確たるところはわからない、ってのがほんとらしい。

ローマ認定の使徒ってことで「パトリキウス」とも称されるそのパトリックさん、聖人とは言え、殉教はしていないので、殉教者の象徴だという十字やバッテンを叙されたわけでもない、とかいう話だし、無理やりその聖パトリックの旗ということにされた白地に赤バッテン、本来アイルランドの民にとってはおもしろかない代物らしゅうございます。世界随一のカトリック教国ともいうアイルランド共和国の国旗がまったく別物なのは、それもあるんでしょうか。
 
                  

そのパトリック氏、ウェブのカラ知識によると、4世紀末から5世紀にかけて生きた人だってんですけど、伝説ではキリスト教徒の家に生れ、少年の時分にアイルランドの海賊によって彼の地に奴隷として売り飛ばされてしまい、数年間羊飼いなんぞをやらされていていたところ、ある日神の啓示を受けて一念発起、自力で故郷に戻り、さらにはヨーロッパに渡って研鑽を積み、やがてはローマ教皇からアイルランド布教の任を託された……とか何とか、いずれも伝説の域を出ないとは思われますが、そういうお話にはなってます。

シーザーの侵攻以来、と言っても実際はその100年後ぐらいから本格化したとかいうんですが、先住民を支配し続けていたローマがブリテンの地から撤退したのが5世紀初めですので、既にローマが卸元のようになっていたキリスト教が、「ブリトン人」と括られるケルト系のブリテン島民の間にも充分浸透してはいた、ってことにはなりましょう。
 
                  

ときに、「ブリトン人」に対応する表記(発音)には ‘Britons’ と ‘Brythons’ ってのがあるんですけど、前者は今日、新聞を始めとするマスコミ報道で、いわゆる「英国人」「イギリス人」の意味で使われますので、どっちかってえと後者の書き方のほうがあたしゃ落ち着きます。関係ないけど。てえか、前者は言わば民族全体の総称で、後者は本来それに包摂される部族名の1つ、ということらしいし。

それから、概ね単に「ブリテン」と書いとりますが、それ、 ‘Great Britain’ と同義ですから。イギリス人は普段いちいち ‘Great’ つけませんので。西の ‘Ireland’ に対し、東に位置するでっかい島「大ブリテン島」の呼称ってこってす。百年ほど前までは、両者をひっくるめたのが ‘UK’ 「連合王国」だったてえことで。因みに「ブリテン諸島」、 ‘British Isles’ てえと、まったくの地理的用語で、つまりは ‘(Great) Britain’ と、 島としての ‘Ireland’、および周辺の島嶼をひとまとめにした名称、ってことに。何やら、イギリスの子供が学校で習うようなことを言ってる気分になって参りました。
 
                  

それより、アイルランドと同様、長らくイングランドの属領であったウェールズは、前者が一応「王国」という名目ではあったから「連合王国」の一員とされたのに対し、旗にも交ぜては貰えないってわけなんですが、ちゃんと守護聖人はおります。それも、4国中唯一の地元出身者で、聖デイビッド、 ‘St David’ てえお人。

16世紀にできたアイルランド王国ってのが、何のこたあねえ、それ以前と同様イングランド王の領国であり、独自の王様なんかいなかった、ってのよりもっとやり切れねえのがウェールズかも知れません。初めは「ウェールズ公国」こと ‘Principality of Wales’、現地語で ‘Tywysog Cymru’ ([タワソグ カムリ]って感じだけど、英語だと[タウイソグ]みたいに誤読されるかも)という独立国の建前ではあったのが、やがては後のイングランド王あるいは連合王国元首の跡継ぎの名称 ‘Prince of Wales’ の ‘Prince’ ってのがその「公」の正体ってことに。

その「公国」、最初期に当る1216(建保4)年からの数十年を除くと、13世紀末にイングランド王エドワード(一世)に征服されてからこっち、徹底的にイングランド王室の所領扱い。殿様の「ウェールズ公」は全然ウェールズ人じゃないんでした。征服者のエドワード王が、生れたばかりの自分の倅を「ウェールズの公子」だと宣言し、被征服者たる現地民を宥めた、という伝説もあるけれど、そうは行きますかね。因みに当時のイングランド王はまだ(訛った)フランス語しゃべってたんじゃないかと。

エドワードという名のイングランド王は、この「一世」以前の古い時代にも1人ならずいたんですが、いずれにしろ、そうこうするうち16世紀には、件のアイルランド名目王国発足と軌を一にするが如く、ウェールズは名実ともにイングランドのおまけみたようなことんなっちまって、それでも「公国」という名称だけはその後も非公式に用いられている、という塩梅。

イングランドに対する恨みはアイルランド人より深いかも、ってなことを、ウェールズ出身の人(40年前、 ‘Melody Maker’ のメンボ広告を通して1回だけ会いました)が笑って言ってました。ウェールズ人でなきゃ読み方知らないから、普段は表向きの英語名を使ってるけど、ほんとはそれを本来のウェールズ語に訳した名前もある、ってところはちょいと羨ましいような。
 
                  

さて、「イギリス」という日本独特の不正確極まる呼称が「連合王国」全体を意味する(らしい)ってところからして、いつまでも話が曖昧にならざるを得ぬは必定であり、あたしゃどうにも落ち着かんのです。 GB (Great Britain) が、飽くまで2つの王国(および一方の属領たるウェールズ)の連合体、というよりその地理的範囲を指し、それにアイルランドを加えて一体としたのが UK、United Kingdom だったところ、そのアイルランドが前世紀の初めに独立。独立反対派が過半を占めたため、袂を分って連合王国にとどまったのが ‘Ulster’「アルスター」地方(の大部分)ということに。今の「国名」の末尾についでのように付されている ‘(the United Kingdom of Great Britain and) Northern Ireland’ の「(……および)北アイルランド」ってのがそれなんですね。

それ以後、イングランド(+ウェールズ)とスコットランド、それにアイルランドの北(東)端だけを合せたのが、つまりは現行の UK、連合王国ってことではあるのだけれど、一般にはアイルランドはどこまでもアイルランド全体。「北」だけは「イギリス」で、アイルランドじゃないなんてのは、まさにその「イギリス」っていう日本特有のあまりにもいい加減な言いようならではの誤解、ってところでしょうか。日本人の大半は今も昔もその杜撰さをまったく自覚していない、ということになろうかと(相変らずエラそうだよな、俺も)。
 
                  

それについて思い出すのは、40年前のロンドン暮しの間に会った数人の「自称」アイルランド人。大半(確認しなかった相手もいるけど、ひょっとすると全員?)が、共和国ではなくアルスター出身者で、あたしもまだ不慣れだったもんだから、北アイルランドの人も自分のこと単に ‘Irish’ って言うのか、ってのが新鮮だったりしたってこと。でもその辺の「イギリス人」もみんな、連合王国の一部か外国であるアイルランド共和国かはまったく無差別に、とにかくあの島の出身者はひとしなみに ‘Irish’ って言ってて、ああそうなんだ、と納得したという次第。

それを改めて思い出させてくれたのが、前回言及した、(物好きにも)新聞配りながら日本語学校行ってた英国の知人とのやりとり。歳は自分よりちょいと若かったんですが、何気なく凄腕のロックドラマーで、実はアイルランド出身の大物バンド、シン・リジー解散後、その首領だったフィル・リノット(「ライノット」は誤読です)のオーディションに受かり、これでプロドラマーになれるか、と思ったら、当のリノットの急死によりあっけなく頓挫、っていう同情すべき御仁。

そいつと話していて「ああやっぱりね」と改めて思ったのが、そのリノットの盟友、ギャリ―・モー(「ゲーリー・ムーア」のこってす)について、日本のファンならみんな知ってそうな、北アイルランドはベルファーストの生れ、ってことを何気なく言ったところ、「あいつぁ Irish じゃねえだろ。アイルランド訛りなんかねえぞ」って言ったんですよね。つまり、普通のイギリス人は、有名人に多いアイルランド出身者をいちいちアイルランド人として「別枠」扱いにはしておらず、アイルランドとかアイルランド人って言う場合も、共和国という外国と、自国に属する北アイルランドのいずれの出身者かなんてのにはまったく無頓着、ってことなんでした。「北」か「共和国」かなんてことに拘るのは、日本人の勝手(つまり思い違い)ってことで。

この話は既に、別の論題の投稿で既出でした。こりゃまた無調法。
 
                  

さて、1707年のブリテン内2国連合時には、アイルランドは一方のイングランド王国の一部という扱いで(イングランドは16世紀以来、一時的な共和制時代を除いて ‘Kingdom of England and Wales’ というのが本名でした)、イングランドとスコットランドが合した ‘Kingdom of Great Britain’、「大ブリテン王国」という連合体となったところ、既述の如く19世紀初年(しかも元日)に名ばかりの「アイルランド王国」をも連合国の1つに加え、そんで3国の守護聖人の旗を交ぜ合せた現行のユニオン旗ができ上った……ってことも既述でした。またも繰り言になってしまって面目ない。とにかく、その時点で漸くアイルランドは「王国」という空手形から解放された、とも言えましょうか。

古くはそれ自体が1つの王国であったというアルスター(の大部分)が、いわゆるプロテスタント系住民の反対で、新生独立国、 ‘the Irish Free State’ には交ざらず、それで連合王国の末尾も ‘and Ireland’ から ‘and Northern Ireland’ とはなったてえわけですが、なんでこんな半端なことんなっちゃったかってえと、やっぱり宗旨の人口分布によるもの。宗教対立たって、信仰ではなく政治的支配力の問題でしょうがね。そりゃ昔からそうか。
 
                  

……と、またも唐突ながら、今回はここまでと致し、続きは次回に持越しということにしとう存じます。結局まだ長くなりそうなんもんで。

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