2018年11月16日金曜日

英語の名前とか(20)

早速ながら、「落穂」の残りを拾うと致します。前回挙げた「大小」関連の名字にちょいと倣って、互いに対比を成すが如き事例を少々。

Victor とか Neil とか、‘Young’ っていう名字の有名人ってのがいますけど、 ‘Old’ という名字だってちゃんとあるのでした。これが「若造」とか「老いぼれ」とかいうそのままの渾名なのか、見た目や性格が「青い」、「じじむさい」ってところから来てるのかはわかりませんが。どっちもありそうか。渾名由来とは限らないような気もするし。まあいいでしょう。

それにしても、「ヤング」ってえと「ビクター」だの「ニール」だのと、音楽関係しか知らねえのか俺は……と思ったら、70年代後半、アメリカの二枚目アフリカ系国連大使ってのもいましたな。イギリス訪問の折に「あんたらがアフリカ奴隷の卸元なんだよね」みたようなこと言って、現地で受けてたのを思い出しました。

それはともかく、 ‘Olde(s)’ や ‘Olds’ も ‘Old’ の一派だってんですが、「古」の対義語としては「若」の前に「新」もあるんでした。やはりそのまま ‘New’ という名字だってあるんですけど、それはどうも、‘Nash’ と同工の、ほんとは前置詞と冠詞が合した ‘atten’ の末尾の ‘n’ に ‘e(o)w’ という木の名前(現代表記では ‘yew’)、すなわち「(セイヨウ)イチイ」が付された第2区分の「土地型」名字というほうが基本の模様。それでも、古英語の ‘newe’、つまりは ‘new’ という渾名が起源という例もなくはないそうで、意味はそのまま「新参者」てなところ。‘Newe(s)’、 ‘News’、 ‘Nuce’ などの別形があるそうで。
 
                  

そう言えば、ってのもちょいと間抜けだけど、 ‘Oldman’ って役者もいれば ‘Newman’ ってのもいるじゃござんせんか。前者は、てっきり「爺い」かと思ったら(‘old man’ って、普通は父親のことですが)、 ‘Oldham’  という地名に由来する第2区分、というのが基本的事例とのこと。「古村」っぽいけど、 ‘ham’ は ‘farm’ の意で、「古くから耕された所」ということらしい。つまりは、先祖がそういう場所に住んでいたのが名字の謂れ、ってことで、年寄り故の渾名ってわけではないようです。俄かには気づき難いけれど、 ‘Oldham(s)’ や ‘Oldum’、 ‘Oldan’ だのはその一党ということに。

一方の ‘Newman’ は、土地型ってよりはぐっと渾名寄りで、それこそ「新参者」といったほどの意味だった模様。いずれにせよ、他の名字同様、語源が1つだけってことはなかろうから、そういう例もある、と言っとくのが無難ではありましょうけれど。

この Newman って名字について、ってより Paul Newman っていう往年の二枚目俳優について、「典型的なアングロサクソン」という、かなり早計な断定を下した記事を、ずっと前に映画評論家かなんかが書いていたのを思い出しました。それに対し、「(バカめが!)アメリカでは東欧のユダヤ系に特有の「ノイマン」が英語化してそうなっているのだ」などと、さらに断定的に威張ってた物知りってのもおりまして、どっちかてえと後から威張ってたほうによりうんざり。

アメリカ人の Newman どもがどうして全員東欧からのユダヤ移民で、例外なく「ノイマン」て名前の言い換えだなんてことになるかよ、って、いちいち言うのも不快なほどのバカバカしさ。その手のバカは昔からいたってことで、それがこのネット社会到来により、今日の猖獗を極めるに至った……って、俺もまあ、相変らず威張ることよ。

ポール・ニューマンについては、「型通り」父親がハンガリー系ユダヤ人だというのですが(元は「ナイマン」っぽいらしい)、だから何だてえんだよ。母方はカトリックだてえし(ユダヤ「人」てえならカトリック「人」とでも言わざあ間尺に合うめえ)、とにかくその、後から威張ってたほうの愚者は、あの役者の家系になんざ触れもせず(まだネットもなかったし、知りもしなかったんでしょう)、宛も英語名の「ニューマン」は、米国に限らず(!)全部東欧ユダヤ名の「ノイマン」の変形だ、ってな口ぶりだったんです。
 
                  

かと思うと、 ‘Stone’ って名字も「例外なく」典型的なユダヤ名の「シュタイン」が正体だ、って言い張ってたバカもいやがったな。そんなこと言い出したら、英語の名前はみんなユダヤ由来で、その名を有する者は悉くユダヤ人、ってことにもなり兼ねまい。まあ、個人名なんざ、遡れば大半が要するにヘブライ語だったりもするけれど、それはキリスト教流行りの所産、てなことは今さら敢えて言うに及ばず。ほんと、めんどくせえやつばらよ。

まあ実のところは、移民だけでできあがった合衆国のみならず、近代以降英国に移住した、主にドイツ名のユダヤ系ヨーロッパ人ってのも珍しかないだろうけれど、だからって、今 ‘Stone’ っていう素朴なアングロサクソン名を名乗る英国人は一人残らず ‘Stein’ を言い換えてそうなったんだ、なんて莫迦なことがあるものか。その英国から移住した米国人についてもそれは同断。言えば言うほど腹立たしく、やがて徒労感に苛まれます。
 
                  

閑話休題。名前の成立ちについては、東欧(のユダヤ人?)も同じような経緯だったんでしょうけれど、英語の ‘Newman’ は、古英語の ‘neowe’ や ‘niwe’ と ‘mann’ が合した、やっぱり「よそ者」「新参者」という素朴な渾名に由来する名字ではある、ってことで。12世紀の記録には ‘Noueman’ や ‘Nieweman’、13世紀には ‘Nyman’、 ‘Niweman’、 ‘Neuman’ との表記が見られるそうです。発音も今とはだいぶ異なるでしょう。 ‘Newmen’ や ‘Newmin’ というのが類似名。

つい「新しいやつ」っていう名字に引っかかってまた話が長くなっちゃいましたが、先述の ‘Oldham’ に対応する ‘Newham’ や、より馴染みのある(ような) ‘Newton’ という、つまりは「新しい所」っていう名字もあり、それは要するに地名由来、渾名よりは第2区分の「土地型」に属する例、ということにはなりましょう。
 
                  

何か忘れてるような気がしてたんですが、 ‘Oldman’ に対して ‘Newman’ というのを挙げるなら、むしろ ‘Youngman’ ってのにまず触れとくべきだったか、と思い至りまして。後回しにしちゃったのは、単純に名字としては圧倒的に(?) ‘Newman’ のほうが普通っぽかったからなんですが、そりゃまあ既述の如く ‘Oldman’ の ‘Old’ が 「若」に対する「老」ではなく、「新」に対する「古」というのが基本だってんだからしょうがない。とでも言っときましょうかね。

ともあれ、その ‘Youngman’ 姓、初出はノルマン征服からだいぶ後の13世紀前半だってんですけど、やはり古英語、被征服民の言語たるアングロサクソン名の名残で、文字どおり「若いやつ」っていう渾名系ということにはなるようです。表記は ‘Yungeman’ とのことですが。‘Yongeman’、 ‘Youngerman’、 ‘Yungman’ がその別形たる由。
 
                  

さて、「新旧」あるいは「老若」(順序が逆なのね)に続いては、「賢愚」の対比を成すが如き組合せもあるのですが、「賢」たる ‘Wise’ および ‘Wiseman’ だの ‘Wisdom’ だのという、いかにも賢そうな名字に対し、「馬鹿」ってのはあんまりじゃねえか、と思っちゃいそうな ‘Silly’ という名字、実は古英語の「幸せなやつ」とか「祝福された者」を指す ‘saeling’ の転訛なのだとか。

現代語としては「愚」としか見えぬこの ‘silly’ って形容詞、そういう意味に転じたのは16世紀とのことで、元来(1200年頃)は「幸福な」「神聖な」「敬虔な」といったところだったのが、13世紀末から14世紀初めにかけて「無邪気」→「無害」→「些末」→「薄弱」と転じ、それが1570年代には「愚鈍」にまで下落したということなのでした。知らなかった。何やら「おめでたい」ってのと通底するような。いずれにせよ、渾名であれ個人名であれ、それが名字として定着した時分には、まだあからさまに「バカ」って意味ではなかった、ということではありましょう。そりゃそうだろうな。

さてその ‘Silly’ 姓、仏語由来の ‘Sully’(とか ‘Soilli’)というのから ‘Silly’ に転じたって例もある一方、アングロサクソンに駆逐されたブリトン人の居住地域であるイングランド南西端のコーンワルには、‘Ceely’ という名を ‘Silly’ に言い換えた者もいたと申します。仏語起源と言えば、同じく「純真無垢」というほどの意味だったのがやがて「単純バカ」をも包含するようになった ‘simple’ という語も想起されるところ。ともあれ、‘Cele’、 ‘Silley’、 ‘Silliman’ などは皆この名字の一派だそうですが、最後のやつなんざ、 ‘silly man’ みたようなもんで、やっぱりこの名字、現代においてはちょいと不利なんじゃないかしらと。要らぬお節介か。

一方の ‘Wise’ のほうは、古英語起源の素直な渾名型のようで、つまりは「賢いやつ」「物知り」ってなところでしょう。‘Wyse’ っていうのが代表的な別形で、派生名である ‘Wiseman’ にも、ざっと ‘Wisman’、 ‘Wyseman’、 ‘Wysman’ といった変形があるとのことです。また、 ‘Wisdom’ という、より立派そうな名字については、 ‘Wisedom’、 ‘Wisbom’、 ‘Wistow’ というのがその一党ということになります。

尤も、ドイツから(英国に)移住したユダヤ系には、 ‘white’ に対応する ‘weiss’ から転じたという例もあるそうで、日本の姓氏ほどではないにしろ、安易に現在の名字から先祖や家系を探るのが不穏当たるは英語名でも同じこと、とは申せましょうや。
 
                  

話は変りまして、チャック・ベリーの代表作(?) ‘Johnny B. Goode’ ってのがありますけれど、もちろん ‘Jonny, be good.’ の洒落には違いないでしょう。で、その ‘Good(e)’ という名字もやはり「善人」、あるいは見た目が「いい」といったような渾名系とのことではございます。

‘Goad(e)’、 ‘Gudd’、 ‘Gude’、それに ‘Legood’ といった別形があるというのですが、ではその対極たる ‘Bad’ という名字はどうかと思ったら、なんと、ちゃんとありました。 先祖によほどの「悪人」がいたのか……と思いかけたけど、そもそも ‘bad’ が「邪悪」といった意味で使われ出したのは14世紀末とのことで、初出自体が1300年頃、「不充分」とか「不運」とかいう意味だったと申します。古英語起源ではあろうとのことながら、語源は定かならず、というのが実情らしい。「悪」という意味だと、16世紀までは ‘evil’ のほうがよほど普通で、それより、名字としては13世紀以前から、 ‘Badde’ などの形で記録が残るとのこと。つまり「ワル」っていう渾名から生じた名字ではなさそう、ってことで。

どうやらこれ、フランス(の北西部 ‘Brittany’ =ブルターニュ)からの移住者が持ち込んだ名前のようでして、 ‘Badaire’、 ‘Badier’、 ‘Badière’ などの後部消失により ‘Bad’ とは成り果てた……とか何とか。仏語はどうせわかんないし。
 
                  

‘Good’/‘Bad’ につられて ‘Goodman’/‘Badman’ ってのについても見てみたら、やはり、と言うべきか、単純な「善(人)」/「悪(人)」ではない模様。

‘Goodman’ のほうは ‘Godman’ の転訛とのことなんですが、いずれも ‘good man’ の意ではあり、そういう渾名または個人名に由来する名字、という例もなくはないものの、基本的には「‘Godmund’ の息子」という洗礼名から、あるいは「戸主」といった意味の「職業型」と見るべきらしい。 ‘Godmund’ の ‘God’ もどのみち ‘good’ に通じ、それに「保護者」を意味する ‘mund’ を付したのがこの名前なんだとか。いずれも古英語起源ではありますが、 ‘good’ と ‘god’ が同根というのは古典的な民間語源説だとは申します。結局これ、よくはわからなかった、というのが実情のような。

一方の ‘Badman’ は、 先述の ‘Bad’ 姓とはまた系統を異にするようで、こちらは仏語ではなくアングロサクソン名。 ‘boat’ を意味する古英語の ‘bat’ に由来し、つまりは「船頭」みたような職業型名字だったということになるのでしょう。一説に「競争者」といった意味の ‘bate’ から派生、ともいうのですが、そちらは ‘Bater’ という形に落ち着いた例のほうが普通とのことです。 ‘Bademan’、 ‘Bat(e)man’、 ‘Pad(e)man’、 ‘Pateman’ などは皆その一派たる模様。
 
                  

しかし、さらに別の説ではこの ‘Badman’、 ‘Bartholomew’ という名前の愛称的派生形である ‘Bad’ に「家来」とか「召使」とかの意の ‘man’ を繋げたものである、とも言い、つまりは ‘Jackman’ などと同類、ってことになるようで。

「バーソロミュー」(バルテルミ?)と聞くと、16世紀フランスの宗旨争いに絡む陰惨な殺戮事件が想起されるところですが、キリスト教の聖人名として欧州各地に流布したヘブライ語由来のこの名前、英語の表記が ‘Bartholomew’ という次第なのでした。 ‘Bartholemew(e)’ とかの別形もあるってんですが、 ‘Bart’ ってのがその代表的な愛称形ということに。名字としてはその個人名に由来する第1区分に当り、 ‘Bartlett’ とか ‘Barton’ ってのが派生形の例。

エンニオ・モリコーネの音楽とジョーン・バエズの歌が感動的な「死刑台のメロディ」って映画がありましたけど(有名な劇中歌は早くから知ってたけど、映画自体は後から一度テレビで観たきり)、原題が ‘Sacco e Vanzetti’ というこの話、わずか百年ほど前(映画からは数十年前)の、イタリア人アメリカ移民に対する冤罪死刑事件が主題で、犠牲者2人の名字がサッコとヴァンゼッティという次第。で、その後者の名前が「バルテロメオ」とかいったんじゃないかと思うんですが、たぶん中学の友達から借りたモリコーネ作品集 LP の解説にでも書いてあったんでしょう。今思うとそれ、英語の「バーソロミュー」と同名なんですね。ググってみたら、 ‘Bartolomeo Vanzetti’ との表記が知れました。てえか、映画の最後に出てくんじゃなかったかと思われるバエズのその歌、 ‘Here's to You’ の歌詞の冒頭が ‘Here's to you, Nicola and Bart’ で、「バルトロメオ」じゃあちょいと諄いけど、「バート」ならグッと楽じゃねえか、とは思ってたんでした。

因みに、映画の初めと終盤に聴かれる長く重厚な歌(そっちが主題歌?)のほうがだんだん好きになったのを思い出したりして。ついでなので、 YouTube にあった両曲のテキトーなやつをリンクしときます。最初がより人気の高いその映画終幕の曲で、2番めが序盤に流れるほうです。

Here's to You(勝利への賛歌)
The ballad of Sacco and Vanzetti(サッコとヴァンゼッティのバラード)

いけねえ、また話がズレちまった。この ‘Bartholomew’、語源を遡ると(また余計なことを……)ヘブライとは同じ北西セム系だというアラム語が起源だそうで、原義は「丘(とか畝とか)の息子」っていうようなものなんだとか。ヘブライ語では「農夫の倅」ってほどの意味だそうですが、いずれにしろ話が古過ぎて「そうなんですか」としか申しようはなく。それより、英語の名前として落ち着く頃には、すっかりキリスト教絡みの偉い人の名前、ってことにはなっていたんでしょう。
 
                  

さて、対立概念を成す組合せはもちろん他にも無数にありますところ、とりあえずほんの2つ3つを挙げるにとどめました。「とどめる」などと申しながら、結局はまたしても意想外に(それは本当)長くなっちゃったので、またも予告を裏切り、あと1回だけ落穂拾いに興じ、それでほんとに今度こそこの馬鹿げた長談義にも引導を渡してやろうとの所存。

「諸説」などと申しますが、やはり複数の異なる記述を見てしまうと、その1つだけを取り上げるのはどうにも心苦しく。かと言って、もちろん読みかじった話を全部記しているわけでもありません。

どうしてこんなことになってしまったのか、と嘆いてみたところで空しい限り。いやはや……。

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