逸脱のきっかけとなった回の投稿を分断し、その後半からいきなり始まってますんで、かなり唐突ではありますが、そこはどうかご容赦くだされたく、みたいな。最小限の修正は施してはいるんですけどね。ま、ともあれ…
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因みに水戸黄門(何代もいるから光圀だけじゃないんだけど)が「副将軍」ってのは、もちろんそんな地位も役職もあるわけじゃなく、単なる渾名。御三家では唯一の定府大名(参勤交代免除)で、常時江戸に、つまり将軍の傍にいたから、ってことのようで。……しまった、またどうでもいいことを。
脱線ついでに、もう本論たる「国語音談義」とはまったく関係ないんですけど、この江戸時代ドラマ(石倉三郎がレギュラー出演の『八丁堀の七人』)について今暫く。
まあそれが通例とは言え、他のテレビ時代劇と変らず、この番組でもやっぱり基本的な設定の間違いは目につきました(観たのは全部で数回だけですけど)。それもまた制作陣はどこまで認識していたのやら。わかっちゃいるけどしかたがねえ、ってことはどんな領域にもありましょうが、映画でもテレビでも時代劇ってのは昔からまさに無法地帯。ファン、てより自ら「通」を名乗る人たちだって、ほぼ悉くが「時代物オタク」とは言えても、決して歴史(文化・風俗史)に通じているわけじゃござんせんし。
たとえばその石倉(役名は忘れました)の台詞、「北町の月番」ってのが早速ヘン。まず「北町奉行所」は決して「北町」+「奉行所」ではなく、2人制(一時3人制)だった町奉行のそれぞれの役屋敷(官舎兼職場)を、区別のために便宜上「北」+「町奉行所」、「南」+「町奉行所」(ついでに「中」+「町奉行所」)と言い慣わしているだけ。つまり、役所(兼官舎)の位置関係から生じた呼称で、「北町奉行」だの「南町奉行」という役職はないんです。
したがって、「北の月番」ってんならまだしも「北町の」たあ言わない。発音以前に台詞自体が成り立たないって次第。さらに、ドラマの性質上、この「月番」ってのが宛も犯罪捜査、刑事裁判に関わる業務の当番を指しているかのようですが、1ヶ月ごとに交替するのは民事訴訟の受付です。処理に時間を要するので、月ごとに受付当番を替る、ってだけのことで。
俗に「中」と呼ばれる第三の町奉行を設けたのも、訴訟が多くて2交替制じゃ足りない、って判断したからでしょうか。十数年で元の2人制に戻るんですが、廃止されたのは八代将軍松平健、じゃなくて吉宗の御世。その暴れん坊将軍に抜擢された名奉行大岡越前守忠相の就任時はまだ3人制で、元の北と南の2つに落ち着いたのはその少し後ってことです。
発足は「犬公方」五代綱吉、つまりはかの柳沢老中の時代で、華美と爛熟の元禄時代ならではの冗官、冗吏を、質素倹約を旨とする享保の改革が容赦なく仕分けした、ってことでしょうかね。ま、実際必要がなかったのは、その後人口も市域も膨張を続けながら、明治まで2交替制のままだったことで明らかかと。
さて、昔の捕物シリーズなんかでは、しばしば「北町の縄張り」てな台詞が出てきたものですが、ある時期から「南北は交替制でそれぞれに縄張りなどない」ってことんなって、代りに用いられるようなったのがこの「月番」ってやつ。でも、見回り同心の巡回区域には自ずと分担があって、「縄張り」とは違うにしろ、所属先が異なれば当然担当地域も別。いがみ合う(こともなかったと思うけど)「北町」と「南町」の職員どうしが、同じ町内で鉢合せ、ってほうがよほど妙でしょう。お役所仕事にしたって、それじゃあまりにも無駄。
巡回ってのも、現代の交番勤務の巡査とは違い、各町内にある、言わば公設の町内会(および自警・消防団)連絡事務所である「自身番(屋)」を覘いて回り、異状の有無を問うのが「定町廻(じょうまちまわり)同心」の日常業務。ひょっとして「交番」ってのは、庶民の自治による「自身番」の対義語……だったりして(?)。
幕府公営の、または大名や旗本が設ける「辻番(所)」ってのもあったけど、それはもちろん「町方」、つまり「武家方」や「寺社方」に対する庶民関連とは別枠。自身番よりよっぽど頼りにならなかったとは言われてますね。赤穂浪士が武装したまま難なく吉良邸に行き着けたのも、やる気のない辻番ばかりの武家地だったから……って話です。
それより、そもそも町奉行の職責はまず行政長官のそれであって、奉行所を警察署兼刑事裁判所だと思ったら大間違い、っていう認識が肝要(でもないでしょうけど)。今でも因襲として一部残っている、庶民間の相互監視が制度化され、それが江戸における司法体制の基本(あるいは密告制とか。ちょいと陰惨な臭いも……)。公式の警察官なんて殆どいなかったというのが実のところで、各町内が自治的に防犯に当り、犯罪者を検挙したらそれを町奉行(の配下)に引き渡す、って仕組み。
南北合せてわずか二百数十名の与力・同心では、いかに今の都内23区のほんの一部が江戸府内であったとは言っても、警官の数としては到底足りるわけがありません。現実には大半が基本的に行政官・行政吏であり、警察業務の殆どは民間の自身番に委ねられていたというのが実態なんでした。定町廻はその番屋を回り、犯罪者が捕らえられていたらそれを引き取って牢へしょっぴいてくって形。
ま、現実味がないのは現代ものの刑事ドラマもまったく同じで、どうしたって都合よく1週間に必ず1回だけ事件が起り、毎回全員がそれの捜査だけに従事し、やがて毎回都合よく解決してまた1週間……なんてわけにゃ行くわけありませんよね。お粗末なのは決して時代劇だけじゃないってことで。
またつまらんことを言ってしまった。気を取り直して話を進めます。
町奉行が重罪犯を罰する権限も限られていて、なかなか大岡だの遠山のように勝手な判決は下せませんでした。死刑などは必ず老中(および将軍)の裁可が必要(ま、大概は形式的手続きでしょうけど)。決定権を有する事案においても、今だってエラい人ってのは言わば(形だけの)決裁に任ずるだけで、実務に当るのは全部下っ端ですよね。民事裁判はベテランの吟味与力が担当するのがどうしたって自然。
今も昔も、おエライさんってのは別に実際的な業務を担う必要がない、ってより、そんなのできないのがむしろ「エライ」の証し。なんにもできないけど、いざとなったら自分が腹を切る、ってだけで優遇されてるってのが建前……なんだけど、実際に事が生じると、下っ端からまっさきに切られるのは、これまた古今を問わざる世の習い。
それでも、実際的な仕事の能がない自分は現場の実務に容喙すべきではない、っていう基本的かつ当然の認識を欠くバカってのはしばしばおりまして、まったくわかりもしねえくせに、ベテランの部下にいちいちトンチンカンな指図をしやがります。事あるごとに命令を下さなくちゃ「エライ」の意味がなく、そうしていないと下っ端に舐められるとでも思い込んじゃうんでしょう。でも無能はみんな先刻お見通し。余計な真似さえしなけりゃ、聖なる存在として祀られたままでいられるものを、ただの「いなくてもいい人」から一気に「有害無益の除かねばならぬ障害物」に大出世。黙ってりゃそこまで邪魔にされることもあるまいに。
おっと、またもさらにつまらんことを。個人的な恨み言でした。いかん、ちょっとでも油断するとすぐこれですから。
実を申しますと、これまでは〔2016年12月当時〕、後から反省して余計な話を削り、その辻褄合せでまた余計な時間がかかる、ってことを繰り返してきたんですが(これでも!)、どのみち全部が無駄話なんだから、趣旨の迷走をちょっとばかり取り繕うのに手間をかけたってしかたがあるめえ、と思い極めましたのよ。何度寄り道しても、その都度引き返して来りゃいいか、と居直ったる次第。
……てことで、既に脱線しどおしでもありますれば、本旨たる無声母音の話とは懸隔したまま〔もともとはそういう流れなんでした〕、今暫くこのまま見当違いの町奉行ネタを続けとうございます。そんでまた、結局こんだけ長くなっちまってますんで、懲りもせずここで一区切りし、続きはまた次回。自分でもいつまで続くのか予測不能。終らせたくないのかしら。
……と、こうして話は国語の音韻問題から日本史ネタにズレ込んでしまい、数ヶ月戻って来られなくなったまま、肝心のアクセント問題、「アカトンボ談義」はその後半年ばかり放置という、酸鼻を極める成行きとはなり果てたのでしたが、数ヶ月を隔てて再開致しました「歌メロとアクセントについての言いがかり」の続きは既に再録済みです。話の順序が入れ替ってるってことなんですけど、どのみちこんな感じで、もう無秩序の極みですから……。
ひとまず次回以降も、暫くはこの町奉行ネタが続くってことでひとつ。
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