誰がこんなもん読むかよ、と自分でも思いつつ、どちらかと言うと、自分が調べたことやそれについて考えたことを記録する目的で、つまり自分自身のためにこの一連の投稿を続けてるってのが実情に近いようなところではあるのでした。
で、2016年秋(だったかな)より、飽くことなき迷走を重ねながら連綿と綴って参りましたこの長駄文、「東京語の音韻について」(という話題」からさらに派生した「無声母音欠落の例」)という当初の趣旨からは逸脱したまま、当面は「中町奉行所」、およびそれとの関連で、「坂部三十郎邸」についての、実に以てまったくどうでもいい話を書き散らしているのはご承知のとおり。
その過程において、しばしば確認のため、隙を見ては近所の真砂図書館(正しくは「文京区立真砂中央図書館」)や、神田神保町(殆ど三省堂だけ)に出かけてたんですけど、2017年初めの一夕、当面の論考(論難)対象たる『図説 江戸町奉行所事典』が、わざわざ三省堂へ行かずとも、その真砂図書館で閲覧できるってことが判明致しましたので、肝心の投稿文の続きをひとまず閑却し、それについて少々述べたくなっちゃいました。まあ悪しからず、ってことでひとつ〔さらに、また暫く後には、同書の旧版『図説 江戸の司法警察事典』が「地域資料」のコーナーにあり、借出し可能であることにも気づいたのでした。それによって、自宅でスキャンしたページの画像を、この一連の愚文中にも示すことができるという次第〕。
実は、20年ほど前にもこの真砂図書館(不正確ながらこの呼称でご無礼)で、この『町奉行所事典』を見た記憶はあったんですが、大規模改装の後の2016年、久しぶりに行って覘いたらそれが見当らないんですよね。サイト上では「在架」となっているものの、貸出し対象外の参考図書の筈なのに、実際に見つからないんだからしょうがない、ってんで諦めてたんでした。まあ、親切な係員がいるのはわかっちゃいるけど(バカで尊大な利用者も少なくない中、頭が下がるほど親切)、実はあたし、ひとにものを尋ねるのがものすごく億劫なたちでして。子供の頃は単純に「人見知り」ってことで片づけてたんですが、どうもそういうことでもないらしい。単なる異常性格なんでしょう。
でもまあ、その性格こそが、こうして何でも自分が納得するまではわかった気がしない、という厳しい追究心にも繋がってるわけで(それ自体が異常と言われればそれまで)、特に英語に関しては、平均的な英語教師なんぞよりはよっぽどわかってる(って勝手に思ってる)今の自分を現出させた要因と思われたりもして、まあ差し引き損にはなってないか、とは思量致す次第にて。何のことやら。
とにかく、その日の夕方、どうでも「参考図書」(貸出し対象外)の棚にある筈、との思いで探したら、あったんです、その『図説 江戸町奉行所事典』。しかも、嬉しいことに、20年以上前に三省堂で手にしたのと同じ91年発行の初版。前年の暮から神田に数回覘きに行ってた現行版は、どうも自分の記憶と違うなあと思ってたのは当然で、まず表紙(カバー)が、くすんだ色の絵柄が施されたものになっており(毎回表紙なんか眺めないんで、どういう絵かは未だに知らず)、自分の記憶にある、白い(ほんとはアイボリー?)無地の表紙に文字だけ印刷された粋な本、って印象を容赦なく裏切ってはおったのです。
あれ? こんな安っぽい本だったかな、と思う間もなく、中身を覘くと、各ページも安価な薄い紙だったので、またも軽く驚き。自分の記憶では、全ページがむしろ無駄に厚くて光沢のある紙だったので、こりゃあかなり体裁を変えたんだな、と確信してはいたのでした。
それが昨夕、やっと再会した91年初版のそやつ、冒頭には数ページに及ぶ豪儀なカラーの図版が載せられ、ああ、こういう本だったじゃねえか、と、我知らず懐古の情に溺れそうになったほどでございましたのよ。そのひと月あまり三省堂で立ち読みしてた現行版には、そんな贅沢な(無駄な)部分はありません。著者の笹間氏は自分でイラストを作成するぐらいだから、大抵の執筆者よりは絵が好きなんだろうし、それには何の不思議もなかったものですが、当人の死後は容赦なく無駄なページは切り捨てられた……ってことだったりして。
……というのはあたしの思い違いで、単に最初のほうはすっ飛ばして立読みしてただけなんでした。ちゃんと現行版(「普及版」だそうで)にもまったく同じカラーの口絵はございました。お詫びして訂正しときます。
いや、問題は、この駄長文の眼目(の1つ)とも言える、「それいったいいつの絵なのよ」っていう、あたしにとっては最も大事なところが欠落しているところ。家康も慶喜も、政治史区分では一緒くたに「江戸時代」ではありましょうが、文化・風俗史においてはそんなもん、何の区切りにもならねえぜ、ってのがわかってねえじゃん、って感じ。で、実際わかってなかったわけですが、こういう「大家」が書いた本は、それだけで権威的存在になっちゃうんだから、まあ単純に迷惑ですよね、こういうのを参考にしようてえ人にとっては。
いや、俺はわかってっからいいけど、そんなどうでもいいことは知らないほうが普通なんだから、殆どの人は、こういう本見ちゃったら、そうか、そうなのか、って信じちゃうじゃねえかよ。そりゃあちょっとヤだよ、いくらひねくれた俺だって。……なんて言ったところで、この笹間氏、既述のとおりとっくに故人ですし、時代感の欠けた時代物作家、それどころか歴史学者、時代考証者なんてのも昔からいくらでもいるわけだし、な~にを今さら、ってのはよっくわかっちゃいるんですけどね。
えー、とりあえずこの日の経緯を記して今回の投稿は終えようと思ってんですが、どうしてこの事典が見つからなかったかと言いますと、この図書館の「参考図書」の欄に置かれた本は無数にあり、てっきりその中の「日本史」の棚にあると思い込んでたのが間違いだったんです。その日本史欄自体が多数の書物を抱え込み、全部を虱つぶしに見るなどは、網膜症のこの身には相当の負担、ってことで、どこにあるか知ってる三省堂行くほうが手っ取り早かったんですよね。職員の人に訊けば済むことなのに、やっぱり人格に問題ありとは自覚の上。
で、結局なぜそれまでこの本の場所がわかんなかったのかってえと、この図書館のパソコンによる検索では、各蔵書のIDだか何だか、とにかくあたしにとっては余計な数字がいろいろ掲げられてはいるものの、実際にそれらが置かれた書架の番号、およびそれに基づいてそれぞれの本の背表紙に貼られたシールの番号は示されず、何だよ、意味ねえじゃん、的な状況によるものだったんです。
……と思ってたら、それもあたしの早計で、うちでこの図書館のサイトを検索したところ、件の事典の項にはちゃんと、頭に‘R’を冠した3桁の整数+1桁の小数から成る「請求記号」というのが記されており、その整数部分が書架番号、小数(下位区分なんでしょう)を加えたものが背表紙に貼られた数字だったってことが判明。実はこれ、‘NDC’、すなわち「日本十進分類法(Nippon Decimal Classification)」とやらによる数字付けのようで、図書館のパソコンで検索したときはちゃんと見てなかった、と言うより、「請求記号」という言葉と、頭の‘R’の文字から、こりゃ関係ないや、って思い込んじゃったんでした。たださえ目が悪いもんで。
とにかく、目当ての『町奉行所事典』が参考図書であることまではわかっているので、昨日はその参考図書の欄を全部見てやろうとの覚悟で臨んだところ、なんとこの事典、日本史ではなく、「法律」の欄に置いてあったんでした。「歴史」の書架からは随分と離れたところに、左を『ドイツ法律用語辞典』、右を『日本国憲法史年表』てえ書物にひっそりと挟まれておりましたのよ。
そりゃなかろうぜ、とは思ったけれど、件の図書館サイトによれば、この本、「『図説 江戸の司法警察事典』(1980年刊)の改題新装」とのこと。そういうことか、っていうオチ。因みに、奥付を見たら、〈1991年1月25日初版第一刷発行 新装版……〉となっておりました。「新装版」ってのが、まさにその前の『司法警察事典』の体裁を新しくしたってことで。
それと、20数年前、最初に三省堂で立読みしたときは、どうせ買う気はなかったので値段なんか見てなかったんですが、せいぜい2000円ぐらいかと思ってたら、とんでもない。当時の価格で税込3800円でございました。今の、だいぶ安っちいやつが4000円ほどだから、まあそんなもんなんでしょう(おっと、改めて確認したら、現行普及版の値段も3800円+税でした。20何年前と殆ど変らず、その分紙は薄くなってるけど、カバーには少し色気が添えられてる、って感じ)。
毎度蛇足ながら、「歴史」の場所には「伝記」の棚が隣接しており、実は『大武鑑』も『寛政譜』も、置いてあったのは日本史ではなくその伝記の場所だった、ってことにもそのとき漸く気づいたてえ次第。
……と、日頃にも増してどうでもいいことを書き散らしてしまいましたが、「中町奉行所」あるいは「坂部三十郎邸」についての冗文も、遠からず続きを記す所存ではございますので、まあテキトーにあしらっといてくだされたく。
てことで、今回はこれにて。毎度ご無礼。
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