2018年9月1日土曜日

英語の名前とか(1)

イギリスがどうのアイルランドがこうのという与太話をしつつも、ちょいと引っ掛かってたことがありまして。

先般、 ‘Shakespeare’ は ‘Jacques-Pierre’ だった、という結構古典的な民間語源説についてちょっと言及しましたが、それを思い出したら、英語の名前に関して以前読んだ事柄などが改めて気になり出し、部屋を探して何とか見つけ出した古い本を2冊ほどざっと再読致しましたる次第。どのみち例の如く無益極まる与太話ではありますれど、下拙なりに思うところを述べて参ろうかと思いまして。
 
                  

沙翁の名字については、別にフランス語に由来する洒落なんかじゃない、ってのが本当だろうとは思うのですが、それはひとまずおいといて、この人、いわゆる ‘first name’ はご存知 ‘William’ なんですね。これ、1066年のノルマン征服におけるその征服者の名前でもあり、そもそも英国にもたらされたのがその折だったとは申します。後に英語の名前としては何世紀にもわたって人気の(つまりありふれた)男子名とはなり、 ‘Bil(l)’ とか ‘Billy’、 ‘Bllie’ って具合に端折るのが、 ‘Wil(l)’ だの ‘Willy’ だのよりむしろ普通っぽい……って感じもするんだけど、前者は近世(15世紀後半以降)になってから流行り出した形で、ほんとは古英語の別名に由来するものを混同した結果、との説も。

それはさておき、ノルマンジーからやって来たその「征服王ウィリアム」こと ‘William the Conqueror’ って、「庶子王ウィリアム」 ‘William the Bastard’ なる大きなお世話って呼び名もあるんですが、英国史では以後 ‘William I’、 すなわち「ウィリアム一世」とは称されます。とにかく、アングロサクソンの天下を覆したゲルマン系フランス人の侵略者。

その数世紀以前から繰り返されていた、デンマークだのノルウェー方面からのいわゆるバイキングとアングロサクソンとの攻防同様、所詮ゲルマン人どうしの争いではあり、もっと昔、ケルト系先住民(それも大陸からの移住者の裔)を辺境に追いやったアングロサクソンが、その後もイングランド人の主体を成すのは変ってないんですね。容赦なく庶民階級ってことにはなっちゃったけど。未だに「王室はどうせ代々外国人」と言う英国人もいるぐらいで。

まあ、どのみち民族なんてのは各人の帰属意識から成る、言わば幻想に過ぎぬもの、って言ったら怒る向きもいそうだけど、だってそうじゃん、どう見ても。いったいこの世界のどこに、掛け値なしの「万世一系」なんてやつがいるよ、ってなもんで。多様性こそが種としての強みだろうし、ってのはまた別儀ではあろうけれど。
 
                  

おっとその話でもなかった。この征服王、高校の世界史でも、別名「ギョーム」だとか言ってやがったんですけど、ぜんたいどういうことよ、とは思ったのでした。実はそれ、フランス語の同名、ってより本人の名乗りではそうだったってことなんですね。さっきの「諸子王」って呼び方も、もともとノルマンディー公としての現地での渾名で、 ‘Guillaume le Bâtard’ってほうがしっくり来そう。

でもなんで「ウィリアム」と「ギョーム」がおんなじ名前なんだよ、てえと、これはもともと代々のゲルマン人たるノルマン公国の親玉が、いつの間にか父祖が征服した土地の言葉であるフランス語(ただし田舎の訛り)を話すようになった結果、ゲルマン語の名前がフランス語風になっちゃった、っていう一例なんですと。

英語ではこの征服王の影響で、やがては被支配者であるアングロサクソンの庶民にも William という名がやたらと広まることになるのですが、今のドイツ語名にも見られる ‘Wilhelm’ 「ビ(ヴィ)ルヘルム) の古形 ‘Willahelm’ が原形とのことで、さらにはそれ、元来は ‘vilja’ + ‘helma’、つまりは ‘will’ + ‘helm’ 、「意志」+「兜」という、古代ゲルマン語名にありがちな力技の抱合せ方式。英語の ‘helmet’ は ‘helm’ の派生形ですが、戦時中はヘルメットを「鉄兜」とか言ってたんじゃありませんでしたっけね。

そう言や、件の沙翁だって、 ‘shake’ + ‘spear(e)’、「振るう」+「槍」ってことで、何気なく ‘William’ の原形と作りは同系統のような。当人の時分には、元来個人名だったものがとっくに代々の名字として定着してたってことで。
 
                  

どうもしょっぱなから話が偏りどおしのような気もしつつ、まあしかたがねえや、ってことでもうちょっと続けときます。

このゲルマン形の ‘Wil-’ (「ウィル」とか「ビ…」おっと「ヴィル」とか)で始まる英語名を、やがておフランス風のつもりで ‘Gil-’ にするってのがちょいと流行り出し、モンティ・パイソンのアメリカ出身メンバーにして、シュールなアニメも担当、後には何気なく大物映画監督って風情を見せるに至った Terry Gilliam って人の名字も、中世に生じた William の転訛だったらしゅうございます。 Gillam とか Gillem、 Gillham なども同工の由。

でもそれ、 ‘Gui...’ じゃなくて ‘Gi...’ ってんじゃあ、ほんとのフランス語なら「ギ」じゃなくて「ジ」なんじゃないでしょうかね。フランス語なんか知らないんですけど。後から読みが変ったのかも知れないし。
 
                  

まあいいか。それより「征服王……」とか「庶子王……」とか訳される ‘... the Conqueror’ だの ‘... the Bastard’ ってのは、まだ世襲の名字というものが確立していなかった当時のゲルマン人その他の因襲で、当人の名前に添えて個人を特定するための付足しの如きものであり、それこそが ‘surname’ の原義、すなわち「(にかぶせる)おまけの名前」の一例、とも申します。

これが後世冠詞が省かれて名字として定着するってわけですが、渾名としてはその後も長らくこの手は現役で、 ‘Billy the Kid’ 「小僧ビリー」(こいつも William じゃねえか)とか ‘Mac the Knife’ 「匕首マック」(!)とかってのがそれ。 ‘Jack the Ripper’ 「切り裂きジャック」ってのもありましたね。「切り裂き魔」とでもしたほうが正確ではありましょうが、やっぱり「切り裂き」だけのほうが語呂はいいようで。

と、またしても余談にばかり耽ってしまいました……ったって、どのみち全部余談か。ならいいじゃん、みたいな。すみません。たしかこれ、シェイクスピアの名前がウィリアムだったってところから想起しちゃったことをズラズラ並べてたらこうなっちゃったんじゃないかと。毎度無計画なことで恐れ入谷の何とやら。ま、それもしかたがねえ。
 
                  

さて、話の順序が逆なんじゃないかって気もしつつ、ここでとりあえずは英語の名字の基本情報みたようなものについて少々述べようかと思います。「名字」という国語の語義についてはこちらに愚論を晒しとりますが、それはさてき……。

英語の名字は、日本史では未だ古代に当る5世紀ぐらいに始まる中世以降、徐々に普及していったとされるもので、当初は個人名しかなかったとは申せ、親や先祖の名を伝える習慣は各民族に古くからあった、とは言われますね。

先ほどは渾名に類する例に言及しましたが、 ‘surname’、つまり「上の名前」というのも、元来は今日のような名字を指すものではなく、その個人の名前の一部として、あるいはその名に別語として添える父祖の名の一部分、または韻を同じくする語句のことだとか何だとか……って、相変らず言いようが曖昧で恐縮には存じますが、とにかくそういう話ではあります。
 
                  

因みに、結構昔からこの「サーネーム」というのを、何の根拠もなく極めて恣意的に誤解し、「サー」という貴族の称号からも知れるように、特権階級にのみ許された特別な呼称が英語の名字なのである、みたようなことを大威張りで言ったり書いたりしている「識者」もいて、どうにも冷笑を禁じ得ません。てのは嘘で、もう笑う気にもなりゃしません。

よくもまあここまで何重にも誤謬を連ねることができるもんだ、ってほどのトンチンカン。まず、 英語の ‘Sir’ ってのは、今や2人だけ生き残っている Beatle が、リバプールのアイルランド系という誇り高い下々の出でありながら、どちらもその称号を下賜されてるってぐらいのもんで、彼の国ではむしろ正規の「貴族」ではない証拠とさえ言えるのです。

とりあえず ‘Lord’ と呼ばれるような連中が ‘peers’ って部類で、難なく「貴族」と訳されるのは、そいつら「公爵」 ‘duke’ から「男爵」 ‘baron’ までの5段階の爵位に当てはまる手合い。てえか、明治期にでっち上げた日本の爵位なんざ、西洋貴族の階級を猿真似したもんじゃねえかい。

とにかく、 ‘Sir’ と呼ばれるのは大半、日本のマスコミがよく「ナイトの称号」を云々と報じている一代限りの名誉貴族。どうやら「勲爵士」というのが穏当な訳語らしいのですが、かつては「騎士」がその ‘knight’ じゃござんせんか。それって、ハナは「公家」の下に位置した「武家」に相当、ってことになりましょう。とにかく「サー」の称号ったって、そんな大したもんじゃありません。まあ今の時代だと、我が国の文化勲章みたようなものと思召されたく。昔なら名字帯刀御免の百姓町人てなところかと。

それとは別に、もひとつ ‘Sir’ を冠して呼ばれる位がありまして、‘knight’ の1つ上、 ‘baronet’ 「準男爵」ってやつ。こっちは世襲の ‘hereditary title’で、だからむしろあまり目立たない。いずれにしろ、「サー」で呼ばれる人たちは基本的に準貴族、あるいは名誉貴族ってことで。

でも二次大戦中の英雄(なのか?)、チャーチルも ‘Sir’ 付きなんでした。この人の場合は、14世紀以来の伝統ある「ガーター勲章」 ‘the Order of the Garter’ とやらにによる ‘KG’ こと ‘Knight of the Garter’ ってやつで、かなり格が高い上、もともとが歴代英国首相の中でもごく珍しい貴族の家系のお生れでありますれば、安手の名誉貴族ってのとはちょいと違い、一代限りとは申せ世襲の準男爵よりゃよっぽど正統の ‘peer’ とはされる、って話です。いずれにしろこちとらにゃあとんと縁のねえ話。しゃらくせえ。
 
                  

しかしその「サーネームすわなち貴族名」論者の愚蒙はそれにとどまらないのでありました。「貴族の称号」である「サー」の付く名前は特権階級のもの、なんてのは、近世末の公儀の布令が近代以降に誤解され、明治以前の庶民には姓氏がなかった、などという、これまた根強い勘違いを、ご丁寧にも幕府も大名旗本もついぞ存在したことのない西洋に対して強引に充当するという、あまりにも念の入った頓痴気ぶり。これが、その辺の酔っぱらいオヤジ(俺か)がベラベラしゃべってるってだけなら、聞くほうだってそう容易く本気にゃしねえだろうけど、あたしゃそれ、複数の出版物やウェブの記事で見ちゃいましたから。

まあネットのカラ知識なんてのはどうせそんなもんだとして、結構古い本にも堂々とそう書いてあったりするってことは、それを本気にしちゃった人も少なからずってこってしょう。多少とも英語自体を知ってりゃ、字面を見ただけでそんなことがあり得ないのは明白ながら、そうでもない「カタカナ=英語」的な人だったら、何せ本を書くぐらいの「エラい」人が言ってんだから間違いなかろう、と思い込んでもしかたがありません。

何より、貴族の称号云々というその ‘Sir’ は、決して名字には被せませんから。 ‘first name’ のみの前に付するのが基本で、名字も添えるなら必ずその個人名の後、ってのは結構常識だったりして。ってなことよりも、名字は飽くまで ‘surname’ であって ‘sirname’ なんてもんはハナからありゃせんのでした。

バカってのは、己が勝手にバカってだけじゃなく、ほんとはバカでもない多くのまともな人たちにとんでもねえ間違いを吹聴しやがんですね。ネットの弊害などとは言うけれど、実はそれ、昔の書物の世界でだっていくらでも見られた様態なのでした。軽く恐ろしい。
 
                  

おっと、また余計な文句を垂れちまったい。話を戻して英語の名字の話……と思ったんだけど、またまた油断してつい余計な難癖に血道を上げてしまい、かくも長き駄文とは成り果てておりますれば、本題は次回またじっくりと、ってことでひとつ。

一向に凝りもせず、毎回ほんとにすみません。自分じゃとっくに諦めてます。

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