2018年9月21日金曜日

英語の名前とか(7)

また暫く間が空きました。先日ちょっと厄介な仕事が来ちゃいまして、ったって、そっちが本業なんだし、ほんとは常時そうでなくちゃ、とても稼ぎは足りぬところ、そのどうしようもなく足りないってのが常態化していたため、すっかり億劫になっちゃって。でもやり出すと結構のめり込んじゃうところは昔から変らず。

とは言い条、こっちの、つまり一銭にもならない愚論を書き散らすほうに、どうしてもよほど注力しちゃうんですね。そりゃまあ、こっちのほうが愉快なんだからしょうがない。これじゃあ貧窮必至。わかっちゃいるけど何とやら。まあいいや。
 
                  

さて、前回までのところ、英語の名字としては、該当する者の数が最も多いという、先祖の名前に由来するものについて諸々書き散らして参ったわけですが、今回はその次の区分、先祖の出身地に因む名字について申し述べようと存ずる次第。

と思う間もなく、前回で無理やり終えたつもりだったその「名前由来型」について、突然思い出しちゃったことがあるので、まずはそれを語っとくことに。
 
                  

該当者数については最多ながら、千年近く似たり寄ったりっていう個人名に由来するため、土地由来のものに比べれば種類はずっと少ないのがその第1区分、ってことなんですが、それでもそうした名前由来の名字自体は多数の派生形を擁し、原形である元の個人名よりはどうしても多様とはなる、ってことでして。

付加要素というものについて言えば、 ‘-son’ だの ‘-(e)s’ だの、あるいは ‘M(a)c-’ だの ‘O’ だの ‘Fitz-’ だの、はたまた ‘Ap-’ だのという、父系の名称に付されるもの以外にも、 ‘John’ が ‘Jack’ に転ずるきっかけとなった ‘-kin’ に加え、同じくノルマン語源の愛称用接尾辞だという ‘lin’ ってのがありまして、ほんとはそれ、さらに ‘-el’ と ‘-in’ を連ねたものだってんですけど、 ‘Hopkin(s)’ だの ‘Tomlin(s)’ だのという名字の末尾がそれらの一党ってことで。

さらには、まさに ‘Thomas’ が ‘Tom’ となるように、個人名は短く縮めるのが愛称化の第一段階なんですが、そうして短縮されたものにもまた各種の付足しが、場合によっては複数施されるとともに、表記も1つに固定されるわけではないため、結果的には実に多くの派生形が生ずる、という次第。その多くが、そのまま名字として使われるかと思うと、かつては専ら名字だったものが、後に個人名にも用いられるようになったという例もあり、それは比較的近年、と言っても近代の後半に生じた習慣だともいうのですが、どうやら敬愛する著名人の名字をそのまま自分の子の名として利用し出した、という経緯だったらしい。

そうした名字(と名前)の多様性をちょっと例示致しますと、たとえば ‘Simon’ という聖書のキャラ名からは、ごく一部を上げるだけで、ざっと  ‘Sim(s)’、 ‘Sime(s)’、 ‘Simkin(s)’、 ‘Simlin(s)’、 ‘Simon(s)’、 ‘Simpkin(s)’、 ‘Simpson(s)’ などが派生し、しかもこれに先述の各種付加要素が、前後や語中に施されるのみならず、 ‘i’ の代りに ‘y’ を用いたり、 ‘m’ の字をもう1つ重ねるなど、表記の多様性も加わって、まさに無数とも言える呼称が発生、という具合。横着して ‘(s)’ なんて書いてますけど、この ‘-s’ が ‘-son’ に代ったり、 ‘-son’ の後にまた ‘-s’ が付いたりと、ほんと、いろいろなんです。

しかも、そうした場合、語源的には、言わば最古のケルト語の名残だったり、それのラテン語風だったり、その後の各種ゲルマン語、および最終兵器の如きノルマン語、つまりゲルマン風味のフランス語みたようなものだったり、といった経時的変遷を網羅する多彩な要素がないまぜになっているのが、中世後半に定着し出した英語の名字のありよう、とでもいった感じで、先祖の名前に由来っていう第1区分では、その傾向がかなり強いようでもあります。

……などということを、後知恵っぽく言っときたくなっちゃったのでした。てことで、この話はこれまでと致し、漸く次なる第2の区分、「土地」に由来する各種名字について。
 
                  

4種に大別されるという英語の名字ですが、先般も申しましたように、それぞれがその4つに画然と分れるわけではなく、特に第1種たる「名前由来」と第2種の「土地由来」は重なる部分も多く、同様に、第3の「職業・身分由来」と第4の「渾名由来」もまた、しばしば相関するとのことではあります。まあ、稼業で呼ばれる、ってのは渾名には違いないでしょうし。

何はともあれ、その第2区分、「先祖の出身地」型の話を。

個人名由来やその他の型と同様、表記や音の経時的変化により、もともとが何だったのかわかんなくなっちゃってる例も多いとのことですが、それについては後述するかとも思われます。まずは眼目ともいうべき基本事項を述べとこうかと。

眼目の1つめとして挙げたいのは、「先祖の出身地」とか「土地」とかに由来といっても、それは必ずしも「地名」が語源というわけではない、ということです。その土地というか地域というか、とにかくその名称すなわち地名ではなく、地形とか地勢とか、または単にその土地、ってよりその先祖の住居およびその周囲の状況とか特徴とか事件とか伝説とか、とにかく「人」ではなく「地」にまつわる何らかの要因が語源、という名字がこの第2の区分に相当、ってことなんです。「地名」由来の場合は、国外ってこともあるんですが、そこが、同じ島国とは言いながら、長らく自然の鎖国が常態と化していた我が国との大きな違いでしょう。

「土地に由来」ってところは、日本の名字だってそれが基本形って感じではありますけれど、そこはむしろ、先祖ではなく自らの居住地または領地を名乗って、氏(うじ)を共有する一族内での差別化を図るのが、概ね「名字」の原義でありますれば、本当は英語の ‘surname’ を「名字」と訳すのは不正確とも申せます。ま、歴史的には不穏当かも知れないにせよ、なんせ現今の用法、および法令の規定では、姓(せい)も氏(し)も名字も、まったくの同義。だって誰でもみんな1つしかない、ってことになっちゃったんだから、そりゃ当り前……ってな国内事情については、しつこいけれど、こちらにくだくだしく書き連ねておりますので、気が向いたらちょいと覗いてくだされば。
 
                  

いけねえ、ちょいと油断したらまた話が逸れちまった。気を取り直しまして、英語の名字、 surname の第2区分たる「先祖の出身地」に由来ってやつについての眼目の続きを。

2つめの眼目としては(さっき何の気なしに「1つめ」って言っちゃったからこうは申しております。相変らずの場当り方式、恐縮の至りにて)、今触れた逸脱ネタである日本の名字とはまさに対極をなすが如き特性なんですが、飽くまで先祖の故地に由来するのが、第2区分たる「土地由来型」の基本。

地名由来の場合などは、その土地に住んでいる限り、何せ周囲の誰もが同じ条件であれば、何ら個人の特定に資することはなく、つまりそれが呼称として利用されることはない、ということになります。必ずそこから別の土地に移動しなければ、その(前にいた)場所が当人の呼び名として有効とはなり得ず、したがって子孫の名字となることもない、という寸法。

未だ世襲の姓氏などない時分、個人を特定するのに、その個人名だけを用いたのでは、なんせどこもおんなじ名前のやつばっかりだから、何らかの付加的な情報を添えて各人を区別していた、ってことなんですが、第1区分のように父の名を添えたり、第3区分、第4区分のように、職や身分、身体的・性格的特徴などによる渾名を添えたり、っていうのも結局は似たようなもの。まあ、それが基本的に英語の名字の成立ちだったということで。

地名がそのまま後の名字に変ずる場合、片田舎の「村」の名前という例が多く、「町」の名前を遥かに凌ぐのは、田舎から都会へ出て行く者のほうがその逆より圧倒的に多かったから、ってことなんですね。それは今でも、またここ日本でも同様ではありましょう。

都市名由来の名字は、今日でもその地元の都市には該当者が少なめで、周辺地域、あるいは遠隔の土地にこそ多いとは申します。そりゃまあそうだろうな、ってところですかね。でもまあ、 ‘London’ って名字の人などは、先祖が一旦ロンドンから田舎へ移ったにしても、その後また子孫が「上京」って例もありましょうから、必ずしも地方に特有の名字というわけではなかったりして。知らないけど。

一方で、既に消滅してしまったものも含め、小さな村や集落の名前に由来する名字は昔から一貫して全国的に分布すると言います。しかし、英国各地に同名の土地が複数、場合によっては多数点在するため、同じ名字ではあっても、それぞれがいずれの地域に由来するものかを判ずることは極めて困難とのこと。
 
                  

かと思うと ‘England’ だの ‘Ireland’ だの、あるいは ‘English’、 ‘Irish’ だのという、随分大雑把な地名型もあるのでした。いずれにしても、それぞれの土地、というより国から、どこか他所へ引っ越さなければ、そうは呼ばれないという点は変りなく。 それぞれの土地、というより国から、どこか他所へ引っ越さなければ、そうは呼ばれないという点は変りなく。 ‘England’ という名字は、本来イングランドの外側でしか意味を成さない呼称ではあり、たとえばウェールズとかスコットランドとかアイルランドとかに引っ越したイングランド人の渾名が子や孫にも伝わり、やがては子孫の名字となる、ってな塩梅かと。

でもその ‘England’、元来は国名というより、「アングル族の土地」ってことなので、より古くは、単純にサクソン地域に住むアングル人、っていう具合に、後のイングランド内にあっても充分有効ではあったかと。とにかく、どこか他地域からの移住者でなければ、これら土地由来の呼称は成立しない、とは申せましょう。

ときに、‘Ireland’ って名字で思い出すのが、イリヤ・クリヤキン役が粋だったデイビッド・マッカラム二世との離婚後、日本では『マンダム』の CM で人気のチャールズ・ブロンソンと再婚した英美人女優、ジル・アイアランドって人(またぞろ話が古過ぎて恐縮)。でもこれ、ほかにこの名の有名人知らないからわかんないんですけど、人名の場合は「アイルランド」じゃなくて「アイアランド」ってのが作法なんですかね。まあいいか。
 
                  

‘English’ とか ‘Welsh’ とか ‘Scott’ なんかは、やはりイングランド、ウェールズ、スコットランドから移動した者の呼称には違いないようなんですが(後の2者には別の語源もありましょうけれど)、 ‘Irish’ に関しては、イングランド人の無知または傲慢の故、実はスコットランドのゲイル人をも一緒くたにした呼称だったとは申します。

なお、イーグルズのジョー・ウォルシュって人の ‘Walsh’ は、 ‘Wallis’ とか ‘Wallace’ ってのと同様、十中八九 ‘Welsh’ の派生形とのことですが、ウェールズ人自身にとっては自国の名は飽くまで「カムリ」 ‘Cymru’であり、アイルランド人にとっての「エール」(エアラ?) ‘Éire’ と同然 。いずれもアングロサクソンによる勝手な言い方であって、特に ‘Welsh’ は元来蔑称だった、ってことです。原義は「(ゲルマンにとっての)異民族」ってほどのものらしいのですが、それに「奴隷」という蔑みの意が包含された、という次第かと。

まあ、引っ越した先がイングランドなら、周囲のイングランド人からよんどころなく勝手な呼び方をされる、ってことではありましたろう。尤も、土地由来の呼称の中には、移住者本人が自ら名乗った例もあったでしょうけれど。

ついでに申し添えれば、 ‘Cornwall’ の ‘-wall’ は ‘Wales’ と通じ、つまるところ「異郷の角」ってところでしょうか。古英語部分の ‘wall’ が「異郷」で、ケルト語の ‘corn’ が「角」みたいな。わかんないけど。
 
                  

ところで、さっきちょっと「国外ってこともある」などと申しましたが、特にノルマン征服以降は、フランスの地名に由来する個人的呼称が、やがて形を変えて子孫の名字になった、という例も多いようです。前回言及しました ‘Moon’ とか ‘Money’ とかってのがそれでしょう。

それらは単純に、先祖がもともとはフランスから来た、っていう例だと思われますが、それならもっと直截的に ‘French’ という名字もありますね。アイルランドでは別の語源を主張する向きもあるそうですが。

外国由来の場合、別に故地がフランスに限るということもなく、 ‘Lubbock’ という名字などは、中世ハンザ同盟の筆頭であった北ドイツのリューベック、‘Lübeck’ が語源とのこと。

中にはそのまま ‘Rome’ だの ‘Paris’ だのという、ちょっと柄の大きな名字もあったりしますが、その場合は、もともとそこから渡来した者とは限らず、一旦それらの地に渡った後に帰国した故の呼称、ということもあるそうで。

甚だしきは、バグダッドの意の古仏語形 ‘Baldock’ という例さえあるというのですが、これはどうも、現地とは直接関係なく、ちょっとした洒落っ気が発端だった模様。
 
                  

眼目などと言いながら、結局また諄い話になっちゃいました。しかたがありません。とりあえずこのまま続けようとは思いますが、やっぱりもう充分に長くなっておりますので、それはまた次回に持ち越しということに。

毎度恐縮至極。

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