2018年8月8日水曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(12)

‘modals’ すなわち ‘modal (auxiliary) vebs’、いわゆる「法助動詞」または「叙法助動詞」というやつにこそ端的に表れる(と無理やり言い張ることにしとります)、「現在」と「過去」という「時制」、正確には ‘present’ および ‘past’ という2つの  ‘tense’ が、多くの場合、即物的な時間区分とは無関係に、言うなれば、その動詞によって表される状況に対しての話者の意識、当人にとっての「遠近感」の如きものを言い分けるのに用いられる事例が多い、という話をして参りました。相変らず文が長くてすみません。どうにかならぬものか、と自分でも思うことはあるものの、どうにかする気がそもそも希薄なようで。そこはどうぞ悪しからず。

ところで、‘modal’ だったり ‘modals’ だったりと、表記が不統一なのは夙に認識致してはおるのですが、全体が国語文なので、英単語も本来は悉く無冠詞単数形で統一すべきところ、しばしば違和感に耐えらず、つい複数にしちゃったりってのが実情なんです。ほんとなら、遡って ‘s’ は全部除去すべきかとも思いつつ、見直すとやっぱり取り去るに忍びず、ってところでして。もうしょうがねえんです。
 
                  

ともあれ、まずはその「遠近感」ってやつの話。これには、さっき「即物的」などと表しました、素朴な時間状況の区分としての「現在」と「過去」も含まれる(自分が勝手に含んでる)んですが、たとえば現在時制の用法の1つとして挙げられる、悠久の過去から永劫の未来へと続くべき「自然の摂理」だの「永遠の真理」だのといった、あらゆる者にとって共通に「本当のこと」などは、自然それに言及する個々の話者にとってもまったく同じ、つまりは「近い」事象とはなる、ってな理屈でして。

ことのついでにぼやいときますが、今言った「続くべき」の「べき」は、当然のことに「推量」とか「予想」とかの「べし」の連体形、ってつもりなんだけど、今どきはこんなことすらわからない大人も多いようで、こないだも「使い方間違えてる」って指摘されちゃいました。エラそうにそう威張ってる当人こそ、こっちに言わせりゃ憐れなほど訛ってる上(それは関係ないか)、「~すべき。」っていう「終止形」を多用しやがんですよ。

係り結びでもあるめえに(そんなこたますますわかるめえが)、なんで普通に「すべきだ」って言わねえんだか。文語調のつもりだってんなら「すべし」がいっちスッキリしようし。何にせよ「すべき」はどこまで行っても連体形であって、連なるべき体言がねえんじゃあまりにも半端かつ無様。俺が頻用する「~みたいな。」とは、言い方としての「立場」あるいは「身分」が根柢から異なろうぜ、「みたいな」。

でも今じゃその「べき止め」、岩波の国語辞典も「口語」として認知しちゃってんですね。げにひとの口に戸は立てられねえ、ってそりゃまた意味違うけど。

……と思ってたら、だいぶ前にもおんなじこと書き散らしとりました。ほんと、しょうがねえな、俺も。
 
                  

閑話休題。そんなことよりその「遠近」の話。話者にとって「近い」ほう、言わばごく自然な状況、あるいは自明の理といった素直な内容に充当される ‘present tense’ に対し、「遠い」事象に当てられるのが、 ‘past tense’ ということにはなり、単純な時間区分における「過去」も、既に発話時点からは切り離された「遠い」話であるには違いなく、という塩梅でして。で、これもまた実際の時間状況とは関りなく、言わば心理的に「遠い」ものには、現在だろうが未来だろうがお構いなく何にでも ‘past tense’ が使われる、ってことなんです。

その基本的な用法が、本朝においてはこの期に及んでなお「仮定法過去」などと呼び慣わされている、「現在の事実に反する仮定」とやらに当てられる「過去時制」(「過去形」?)ってやつ。でもこれ、主語の人称や数を問わずに用いられる ‘were’ を唯一の例外として、 ‘subjunctive’ でもなけりゃ、そもそも ‘mood’ が何かなんてあまりに間抜け。そりゃ ‘indicative’、直説法に決ってんじゃん、ってことには前回も言及致しました。

と言うより、 ‘subjunctive’ なんざ、あまりにも使い出がないからってことなのか、もはや ‘mood’ という括り自体が適当しないとの見方が優勢で、未だに「法」という訳語が当てられている、動詞の語形としての ‘mood’ には、 ‘indicative’「直説」と ‘imperative’「命令」の2つしかない、というスッパリした流儀も珍しかないようで。

一方、 ‘mood’ という文法用語には、この「動詞の形」のほかに、意味による「文(今どきは ‘clause’)の種類」を指す用法もあり、そっちは「~法」ではなく昔から「~文」と訳されとります。すなわち ‘declarative’、 ‘imperative’、 ‘interrogative’ の各 ‘mood’ で、それぞれ「平叙文」「命令文」「疑問文」というのが旧来の訳。でもこっちは、日本の英文法じゃ、なんせ「~文」ってだけだから、ほんとはこれも ‘mood’ だったなんて、実は二十歳過ぎまで知りませなんだ。

なお、「法」呼ばわりされるほうの ‘mood’ における ‘indicative’、「直説法」ってやつも、しばしば ‘declarative’ と言ってたりするんで、以前はちょいとまごつくこともあったのでした。
 
                  

閑話休題(またかよ)。とにかく、多くの事例が示す前述の如き 「過去形」こそ、実際の「過去」かどうかとは無関係に、話者にとっての「遠い」事象であることを示す動詞の形であり、英語じゃあ ‘hypothetical past’ とか ‘modal past’、あるいは ‘modal preterite’ と呼ばれる、いずれも醇乎 たる ‘tense’ の例。で、話者にとってのこうした「遠さ」を指して ‘modal remoteness’ とは称するという次第でして。

‘hypothetical’ は ‘hypothesis’ の派生形であり、要するに「仮定的」「仮説的」てな意味合い。 ‘modal’ は、前回も言ってたように、「気持ち」みたようなもんを、つまり「どういうつもりでものを言っているのか」を示すべき、ってほどの意味で、 ‘modal past’ とは、言わば「気分的過去」……って、そりゃちょいと舐めた言い方でしょうかね。

いずれにしろ、「現在の事実に反する」かどうかなんざ知ったことではなく(当然過去の事象にも用いられるし、「事実」ではないのが仮定だの仮説だのの前提ではないか、とは中高の頃から思っとりました)、自らにとって(あるいは誰にとっても)現実味のない事柄に言及する、または初めから現実ではないと明言するのに用いられるのが、この「仮定的過去時制」。

「仮定法過去」って言い方がこの ‘hypothetical past’ に引きずられたものかどうかは、これまた知ったことじゃねえけど、どうしてこの期に及んでこんなふざけ切った和訳文法用語を温存しようてんだか。ま、単純にほんとの英語文法がわかってねえからだとは思うけど、それにしたってひど過ぎらあ、ってのが、こうして数々の言いがかりを書き散らすことになったそもそものきっかけではあったのでした。
 
                  

いかん、また恨み言に耽るところであった。とりあえず少しばかり例示しときますと、

 If I knew ...

だの

 Wish you would ...

っていうありふれた言い方がその一党。尤も2例めは前回話題にした ‘modal’ の用例ではありますが、「助」が付こうが付くまいが、「動詞」の用例において、実際の過去かどうかは問わず、専ら話者自身が現実的ではないものとして、つまり自らとは「距離を置いた」ことについて話している、というのを明示するのがこの「疑似過去形」、とでも言っときましょうかね。

なお、現在とか過去とかって区分は成り立たない、ってところでは、 ‘participle’ 「分詞」ってやつも同様で、だから今どきは ‘present’ とか ‘past’ とかって代りに、 ‘-ing form’ とか ‘-ed/-en form’ とかって言う、てな話もだいぶ前に致しました。またも繰り言、汗顔の至りにて。
 
                  

‘past tense’ の話を続けましょう。上述の ‘modal remoteness’ とはまた別に、言わば対人的な遠慮を示す「過去」ってのもありまして、こちらは ‘social distancing’ という現象、てえか了見による ‘attitudinal past’ と呼ばれる、やっぱりちょいと間尺に合わねえ過去時制。言語現象ってより、社会心理学みたようなもんの領域に属する事柄、って雰囲気もありますが、同じ英語とは言っても、何かと率直(らしい)米国よりは、とにかく控えめな言い方……のフリした皮肉と慇懃無礼をこそ基調とする(?)英国風の表現に顕著なのではないか、という印象はあります。
 
                  

……という具合で書いてたら、またしても思ってたより随分と長くなっちゃいましたので、ここで一旦切ることにして、続きはまた次回、ということに。ほんと、講釈師のような真似ばかりで恐縮の極み。

ま、ひとまずはこれにて。

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