2018年9月10日月曜日

英語の名前とか(5)

このところ、先祖の名前に由来する英語の名字についてダラダラと書き散らしているわけですが、前回、職業由来の ‘Smith’ に次いで、米では ‘Johnson’、英では ‘Jones’ というのが2番めに多い名字(古い調査ですが)で、それに比べれば、両者の原形である ‘John’ という姓は遥かに少数、などという、まあ言わずもがなのようなことを申しました。

‘Richards(on)’ に対する ‘Richard’ ってのも同工ではありましょうけれど、 ‘John’ って名字よりゃ普通っぽいかも。ストーンズのキース・リチャーズが当初間違えられて ‘Keith Richard’ とされていたのを暫くの間敢えて訂正しなかったのは、当時の大スター、クリフ・リチャードの係累か? と誤解して関心を抱く向きもいようか、との期待があったから、などという穿った言説もかつては流布しておりました。ほんとかしら。そいつぁちょいと了見がいじましいような。別にいいけど。てえか、クリフ・リチャードって本名じゃないし。
 
                  

さてその「息子」を表すゲルマン語、つまり先住ケルト系に対して、後からやってきて居座った連中の言語である英語の接尾辞が、ドイツ・北欧語の ‘-sen’ に対応する ‘-son’ ではあり……と言うか、それ、単語としてまさに「倅」ではありませぬか。今日の英語名で、その前にもう1つ ‘s’ がおまけについていれば、それは先祖が北欧系(デイン人その他のいわゆるバイキングの裔)だという証拠、とは仄聞致しますが。

……などという話はどうでもよくて、問題は、たとえば上記の ‘Richardson’ と ‘Richards’ との違い。いや、別に何ら「問題」なんかないんですけど、どちらも「リチャードの息子」だてえから、あたしゃてっきり接尾辞の ‘-son’ が端折られて ‘-s’ だけになっちゃったのが ‘Richards’ っていう名字なのかと思ってたんです。複数形、すなわち「リチャード家」とか「リチャード兄弟」とかってのとも区別がつきませんけど。もちろんそれ、 ‘Roberts’ とか ‘Ro(d)gers’ でも同じことなんですが、たまたまストーンズのキースから想起しちゃったもんで。

因みに、例として挙げた3つはどれも ‘R’ で始まりますが、他意はありません。でもこれらは皆、1066年、例のウィリアム一世、またの名ギョーム率いるノルマン人によるアングロサクソン制圧後に流行り出した名前ではあるってんですよね。フランス語(の俚言)をしゃべっちゃいても、中身は殆ど被征服民と同じゲルマン人ではあり、アングロサクソンのほうにもこれらに類する名前は既にあった、とも言うのですが、英語の名前として一般化するのはやはりノルマン征服後暫くしてからではあるようで。
 
                  

という話もまたどうでもよかった。とにかくこうした個人名がやがて世襲の名字となってくわけなんですが、その場合によく見られる、元の、つまり素のままの名前に付された ‘-s’ の字は ‘-son’ の詰ったものではなかった、ってことなんでした。

かつては発音と同様、表記、というより文字自体が今とはかなり様子が違っていた筈ですが、実はその、うっかり ‘-son’ の略なのかと思ってた ‘-s’ という付足し、今日の所有格の表示法である ‘'s’、「アポストロフィ付きの s」に対応する活用語尾、 ‘-es’ の名残りってのがほんとらしゅうございまして。

表記の簡略化ではなく、音韻の変化、有り体に申さば、いちいち母音を発音するのがめんどくさくなって省略したのを表すのが、つまりは ‘'s’ という書き方だったとのことであり、それはそのまま複数形の語尾や規則動詞の過去、過去分詞(今どきは ‘-ed / -en form’ と言う、ってのも既述ですが)とも通ずるところかと。

しかし、動詞については、現代表記はまた実際の音韻とは異なる、言わば古来の綴りとも言うべき ‘-ed’ ってのが定着して久しきところ、何しろ「韻」こそが眼目たる詩文だの芝居の台詞だのでは、敢えてアポストロフィを用いて発音されない母音はちゃんと省略表記するのが作法だったようで、ってより、昔はそうしないと読み方が異なり、音節数が変っちゃうってことだったようで、先般引用したシェイクスピアの作からもそれは知られます。

なお、現代語でも規則動詞の過去分詞形が専ら形容詞として用いられる場合は、 ‘-ed’ の ‘e’ の字が発音されることが多く、高校のときに ‘learned’ が 「学のある」っていう形容詞の場合は[ラーンド]じゃなく[ラーニド]となる、などと習い(相変らずカタカナだといかにも間抜けだけど)、「へえ」って思ったのがちょいと懐かしいところ。でもこの ‘learned’、動詞の活用形としては基本的に米国の流儀で、英ではどっちかてえと不規則型の ‘learnt’ ってほうが普通……だったと思うんですが、今どきはそれもまたアメリカ風のほうが幅を利かせるようになってんのかも。

そう言や、 ‘burned’ は主に自動詞、 ‘burnt’ は他動詞、って使い分ける人もいる、ってのだって、とっくに今は昔ってやつだったりして。まあいいや。本来俺の知ったことじゃねえし。でも、国語のみならず英語についても既にジジイを自任するおいらとしちゃあ、やっぱりこのまま ‘learnt’に ‘burnt’、それに ‘dreamt’ だの ‘leapt’ だの ‘smelt’ だの何だのと言い続けたいところ。てえか、そういう癖がついちまってるもんで。やっぱりどうでもいいけど。
 
                  

どうでもいいついでにもひとつ言っときますと、不規則動詞の ‘-en form’ の発音ですが、これは規則型の ‘-ed’ とは違って、どんな無声音の後であろうと、その ‘e’ をしっかり発音するというやり方も普通です。ゆっくり丁寧に言えば自然そうなりましょう。でも通常は無視され、そうでないとちょっと外国訛りっぽく聞こえたり、あるいは舌足らずの幼児的発音のようにさえなり得るかも知れません。その母音を発音せずとも、最後の /n/ がいわゆる ‘syllabic consonant’、「成節子音」となるなため、実は音節数に異同は生じないのです。

一応申し上げときますと、一部の有声子音には、母音と同様に音節の核、すなわち「音節主音」として機能するものがあり、それを「音節主音的子音」または「成節子音」と称する、ってな塩梅でして。鼻音 /n/ もその一例ってこってす。

それはそうと、不規則動詞の過去分詞に頻出するその ‘-en’ ってのもまた、純然たる形容詞の場合は必ず発音される、という事例が少なくはないのでした。そういう形容詞は通常の過去分詞とは別の形であるのがむしろ普通で、たとえば ‘sink’ の過去分詞は現代語では ‘sunk’ なんですけど、 ‘sunken’ という形容詞の場合、 ‘e’ は曖昧母音 /ə/ として必ず発音される、という次第。そこが、たとえば ‘break’ の過去分詞 ‘broken’ の ‘e’ との違いということで。

などという例を持ち出したのは、ビートルズ、てえかほんとはポール・マッカートニーの独演、 ‘Blackbird’ の歌詞にこの両者が出てきまして、ものの見事に ‘broken wings’ では /brəʊk n/ と歌ってるのに、 ‘sunken eyes’ ははっきりと /sʌŋk ən/ になってるのに気づいたからなんでした。ギターソロ同様、歌も結構完コピしたくなるたちなもんで、それでわかったんですが、これ、ロングマンの発音辞典、 ‘LPD’ のみならず、同社発行の普通の辞書の音声表示でも、またオックスフォードのやつでも、 ‘broken’ のほうは他の過去分詞同様  /brəʊk ən/  の  /ə/ が斜体で示され、つまりその曖昧母音は省略されがちっていう表記になっているのに対し、 ‘sunken’ の  /ə/ は斜体ではなく、つまり省略はされない、ということになってるんです。

ところが、大修館『ジーニアス英和辞典』の最新版では、恐らく他の例との安易な類推から /ə/ が斜体表示になっており、、つまり発音されない場合もある、という表記。やっぱり「和もの」は当てにならねえな、と思っちゃってもしかたがないでしょう。
 
                  

しまった、また関係ねえ話に溺れちまったい。名字の末尾 ‘-s’ が元は ‘-es’ だった、かも知れないって話なんでした。やがてその ‘e’ の音が端折られるようになり、それが表記にも充当されたのが、 ‘Richards’ とかの例で、もともとそれは今の普通の表記だと  ‘Richard's’ となる、つまりは所有格ってことではあり、 ‘Richard’ の倅、ってのもつまりはそれだってことなんでした。

でも場合によっては、親子ではなく、その ‘Richard’ の使用人、あるいはそこの家に住んでるやつ、っていう意味だったりもしたそうな。 ‘-son’ という接尾辞はそれに対し、「息子」であることを明示するためのもの、ということになりましょう。

やっぱり ‘-son’ が端折られて ‘-s’ だけが残った、ってのは勝手な思い込みだったようで。 ‘-s’ は飽くまで ‘-es’ の縮約と見るのが妥当ではありそうです。でも現代表記で ‘Richardes’ てえと、とても英語の名前にはなりそうにありませんがね。
 
                  

因みに、現代語における所有格の ‘'s’ も、地名その他の固有名詞の一部では結構アポストロフィはあっさり省かれます。上接語の末尾が ‘s’ だったりすると、複数形の場合と同様、アポストロフィだけを残し、その後にあるべき ‘s’ を記さないってのが通例ではありますが。複数形の所有格については、中学のときに友達から借りたビートルズのアメリカ版 LP のジャケットにあった ‘the Beatles' second album’ とかいう文句を見て、「やっぱりちゃんと授業で習ったとおりになってんじゃん」と思ったのが懐かしく。

で、それと言わば同様に、たとえば ‘James's’ と書くよりは ‘James'’ ってほうが普通なんですが、初心者の頃はその発音でちょっとまごつきました。前者には表示のない(省略された筈の)母音を挿入して /dʒeɪmz ɪz/ と発音するのが、まあ穏当な処理だとは思われるものの、実際には、アポストロフィだけで終る後者と同様  /dʒeɪmz/ とだけ発音される場合もあるかと思えば、その後者をもわざわざ /dʒeɪmz ɪz/ と、表示のない部分を加えて言ったりするってな具合で、結構恣意的なんです。

でまた、これが道路や施設などの名前の一部だったりすると、最後の ‘s’ の字だけでなく、その前のアポストロフィも除いて ‘James’ だけで間に合せたりするってことなんですよね。さすがにそれは /dʒeɪmz/ としか発音されませんけど。
 
                  

つい何気なく、末尾が ‘s’ の名前についての事情などを述べて参った次第ですが、文字や表記より、やはり音韻の違いが先行するのは言うまでもなく、ってところではありましょうかね。 ‘s’ の字に限らず、語末の音が /s/、 /z/、 /ʃ/、 /ʒ/ といった摩擦音、 およびそれらの前に /t/ や /d/ の付された破擦音であれば、所有格の発音と表記には多少厄介さが伴う、ってことで。

でもこの話、そもそもの趣旨は音韻問題ではなく、かつては ‘-es’ という活用語尾だったものが、いずれ音韻変化の結果ではあるにせよ、やがて ‘e’ の字を省いて記すようになり、省いた証拠にアポストロフィを用いるかと思うと、表記はそのまま ‘e’ を残して音だけを無視、ってことんなってたりして、ここ数百年ですっかり英語の表記と発音の関係は相当の滅裂ぶりを呈するに至る、っていう流れが(一定の法則性はあるんですけどね)、名字の末尾の ‘-s’ にも表れている、ってことなのでした。たぶん。
 
                  

……と、いろいろ関係ない話の呪縛から脱け出せぬまま、またしてもなかなか主旨に的を絞れませず。さすがにそろそろ気を引き締めなくちゃ、という気はしております。とにかく、ゲルマン語系の名字に見られる「個人名+ s」ってのは、単純に「息子」の意の ‘-son’ とは限らない、ってことではありました。それがどうしたよ、とは自分でも思いつつ。

てことで、毎度の如く索然を決め込んだまま長談義とはなってしまいましたので、またしてもこのまま次回に続く、ってことで何卒ご容赦。すみません。

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