とは言いながら、これもまた鳥由来の渾名系よりは、第2区分の「土地型」に属する例が基本で、「渦」とか「急流」とかいう意味の同形異語が名字となったものだと申します。後期古英語および中英語(11世紀のノルマン征服後が過渡期)では「大穴」を指すとのことですが、語源の1つは古北欧語の ‘svelgr’、それこそ「渦」だというのです。
なお、これまでも何度か記している(ような気がする)「古北欧語」ってのは、 ‘ON’ こと ‘Old Norse’ のことでして、 ‘Norsemen’ っていうと、今のノルウェーが本拠っぽい雰囲気だけども、実はデンマーク辺りの ‘Danes’ ってのも一緒くたで(現代語としてはデンマーク人の意)、要するに ‘Vikings’ ってことてす。日本では「バイキング」のほうが通りはいいけれど、英語(英国?)では、 ‘Danes’ とか ‘Norsemen’、あるいは ‘Northmen’ って表記のほうがよく見られるのではないかと。
とにかくも、英語史では ‘OE’、すなわち「古英語」に対して、‘ON’ と呼ばれるのがその「古北欧語」(でいいと思うんだけど、もっとスッキリした訳語もある?)ではあります。前者がアングロサクソン、後者がバイキングの言語ということになりますが(前者にはそのまま ‘Anglo-Saxon’ との別称も)、両民族は結局父祖を同じうする同族どうしであり、10世紀に北仏を占拠した後者の子孫がノルマン……ってな話も既述でした。
まあ占拠ったって、ケルト系のブリトン人が傭兵として招いたサクソンどもに駆逐されちゃったって話に似て、通説(伝説)では、西ドイツ辺りから侵攻した後、自らとは同族のゲルマン人たるバイキングに対する用心棒、という体で当地の領主として迎えられた(あるいは勝手に居座った?)のがそのノルマン人だとか何だとか。それがやがてはさらに、海を隔てたイングランドの地をも占領し、以後、英国の支配層はノルマン人の一統ってことにはなるという寸法です。
蛇足ついでに申し添えれば、しばしばアングロサクソン最後の王とされる ‘(St) Edward the Confessor’ 「懺悔王〔または証聖王〕(聖)エドワード」(政治には無頓着で、信心三昧だった由)ってのは、親父の ‘Ethelred the Unready’ 「無策王〔無思慮王〕エセルレッド」(バイキングに対するあまりの「無策」ぶり故)の後妻の子で、幼児期に母の故郷である北仏ノルマンジーに預けられたため、英語はよくわからないという御仁なのでした。
その後もイングランドは紆余曲折を重ね、一旦はバイキングの Canute (カヌート)が国王として迎えられるのですが、存外の賢王ぶりを示すとともに、デンマーク、ノルウェー、それにグリーンランド、ならびにスコットランド周辺の島々やマン島をも領有するという空前の勢威を誇るも、イングランドがその大王国の一部に成り下がる前に没します。死後は、再び暫しの紆余曲折を経てイングランド王が空位となり、その埋め草として招かれたのが、件の「無策王」の息子で、既に四十だったとかいう「懺悔王」ことエドワード。
因みに、 ‘Edward’ という王の名は、アングロサクソン時代にはこれ以前にも出てきますが、「一世」「二世」と称されるようになるのは、ノルマン朝以降ということになります。
とにかくまあそのエドワード王、何せ懺悔ばっかりしてるもんで(?)、実務上のイングランドの支配者、てえか責任者は、南西部ウェセックス (‘Wessex’、「西サクソン国」とでもいったところ)の主、ハロルドてえお人なのでした(なんせまだ世襲の名字がない時代ですから)。実質的にはこの人こそ最後のアングロサクソン王に違いない筈なんですが、勘定に入っていない場合もあったりして。人格高潔で勇猛果敢……だったてえんですけど、この大将の戦死により、イングランドは1日で(実質半日だけの激戦の末)ノルマンに負けちゃった、という無残なる亡国ぶり。
その直前、ノルウェーのバイキング(奇しくも自らと同じ ‘Harold’ って名前の大将)と手を組んで謀反を起した不肖の弟一味との戦に辛くも勝利し、戦場であったイングランド北端から大急ぎで南端の海辺まで取って返して来たばかり。当人も兵も疲弊の極みであるばかりか、そもそも兵の多くはまだ戻っていない状況での、圧倒的に不利な防衛戦であった、とは申します。まあ不運の名将、ってなところですかね。右目の上を、空高く射上げられ、雨のように降り注ぐ敵の矢の1つにやられた、ってんですが、宛然130年ほど前の将門の最期。いずれも伝説の類いではありましょうけれど。
その年、すなわち1066年の初めに、何かと馴染みのあるノルマン人の友人や遠戚ばかりを優遇していたその「懺悔王」が死去し、満を持してイングランド侵略を発動したノルマンジー公、ウィリアムまたはギョームってのは、何とその懺悔王エドワードの従兄弟だったいう、ちとやるせないような実情もございます。
懺悔王が生前、フランスからその従兄弟を招いた折に、次代のイングランド王は君だ、などと口約束していたともいうのですが、どっこい、イングランド国王を決めるのは ‘Witan’ と呼ばれる「賢人会議」(‘Witenagemot(e)’)の一団(‘Wita’ の複数形とのこと)で、国王自身の口約束などは初めから無効。征服王ウィリアムは、言わば力ずくでその約束を実現させた、ってよりは、その約束を盾にイングランド侵攻を正当化した、ってところでしょうかしらね。
因みに「ウィタン」の面々が後継王として選んだ男こそ、武運拙く一敗地に塗れた勇将ハロルドだったのでした。俺にゃ関係ねえけど。
いや、ほんと、そんなこた関係なかった。またぞろ飽きもせず蛇足に耽ってしまい、汗顔の至りに存じます。気を取り直しまして ‘Swallow’ っていう名字の話に戻りますが、基本は「燕」ではなく、「渦」だの「穴」だのって意味の言葉に由来する「土地型」という話ではありました。「喉」ってのがその派生義ってことでしたけど、「飲み込む」という動詞はこちらの ‘swallow’ に類する用法で、原形は古英語の ‘swelgan’、「吸収する」ってほどの言葉だったとのこと。ただし、動詞となると、その頃は活用が細かくて、 ‘swallow’ に落ち着くのは中世も終盤ではあるのでしょう。でも動詞としての譬喩的語義、「破壊する」「費消する」は14世紀半ばの用例が見られ、「否応もなく承服する」は1590年代が初出の由。
ありゃ、結局また蛇足になっちゃってますが、毎度慙愧の極み、とでも言っときましょう。とにかく、鳥の名による渾名系という線もなくはないとは言え、どのみち経緯は不明とのことではあるのでした。土地型、すなわち「渦」だの「穴」だのを指す中英語の ‘swallow’ に由来するほうは、その原形が古北欧語の‘svelgr’ であったのに対し(つまりアングロサクソンよりはバイキング系の語?)、「燕」のほうは古英語の ‘swealwe’ に遡るそうで、 ‘swallow’ という語形になったのは「渦」より「燕」のほうが後だとは思われます。名字としてもやはり「渦」「急流」という「土地」由来のほうが基本とはなりましょう。
そうこう言ってるうちに、また余計なことを思い出しちゃいました。「渦」のほうの ‘swallow’ に発する「飲み込む」っていう動詞、および後にそれから派生した名詞、いわゆる「嚥下」ってやつなんですが、奇しくも、と言うべきか、漢字でもそれ、「口」に「燕」って書くじゃござんせんか。もちろん英語を洒落で訳した表記などではなく、正統の漢字ではあるのですが、やはり鳥の名前とは無関係の、いわゆる形声文字というやつだそうで。「のど」の意の「咽」と音が通ずる故の、音符としての「燕」だってことなんでした。英語の事情との暗合は、まあちょっとした奇遇ってところですかね。
いずれにせよ、 ‘Swallow’ という人名がイングランドにもたらされたのは、、やはりノルマン征服以後のことだとは申し、どのみち「燕」がそう綴られるようになるのは中世も後半ではありましょうから、渾名型よりは土地型のほうがどうしても先ってことにはなる筈です(たぶん)。別形には ‘Swalow’、 ‘Swallowe’、 ‘Swaylow’ などがあるとのこと。
‘Sparrow’ からの安直な連想でつい書き始めてしまった ‘Swallow’ だったのですが、結局トリに由来する渾名系としてはいかにも「弱い」例でした。鳥とも渾名とも名字とも関係のない蛇足ばかり並べてしまった、という体たらく、またしても忸怩の極みにて(嘘)。まあ、めげずに続けると致しましょう。
……と思ったけど、図らずも余計な英国史の話などに溺れ、またもかなりの長談義とはなっておりますれば、続きはやはり次回ということでひとつ。なんせ時代物が好きなもんで、そこはどうにも己を止められず。西洋の戦記物はまたぐっと見て来たような講釈調だったりもするため、読んでたらついおもしろくなっちゃったって次第。
てことで、今回言及した鳥由来の名字は結局「燕」だけだったということに。自分でも思わず唸っちゃいますが。
0 件のコメント:
コメントを投稿