2018年1月27日土曜日

幕末に太刀?

前回までの与太話、まだ言い残しがありました。忘れていたわけではないのですが、つい後回しになっちゃって。

烏帽子の風俗?」という投稿の初めのほうで、〈頭より腰のほうがよほど大時代〉などと書いておりましたが、今さらながらそれを蒸し返そうとの魂胆。ついては、しつこくて恐縮ですが、まずは前回に引き続きその同じ写真を掲示。

(……しつこくてすみません)

2018年1月21日日曜日

月代と烏帽子と兜の話

月代の話」と言いつつ、つい鎧姿の、それも右腕の様子などに話題が逸れてしまいましたが、ひとまず腕から頭のほうへと話を戻します。でもまあ、月代と烏帽子と兜は互いに結構関りが深く、今回はまず眼目たる烏帽子ではなく、後2者についての能書きから。

                  

進歩した戦国期の兜は、防護機能の向上と引換えに頭の蒸れが問題化し、その解消のために頭髪を剃った(あるいは抜いた)のを、やがて常時そのままにする習慣が普及し、以後、兜とは無関係に明治まで続くことになったのが、今日「さかやき」と呼ばれるもの……と、あらずもがなの要約を施しちゃいましたが、それ以前、つまりまだ蒸れない兜の時代の話と思し召されたく。

平安後期から鎌倉初期までは、頭頂部で硬く結い上げた「髻(もとどり)」を兜の頂点に開けた「天辺(てへん)の穴」に通して固定していたのが、やがて(鎌倉以降?)髪を解いてかぶった烏帽子を鉢巻きで固定し、その烏帽子の先端を絞って天辺の穴から引き出す方式に変じた、ってことだったんですが、その場合の烏帽子について、またぞろ与太話を始めようてえ了見でございます。

まずは、先日晒した烏帽子三人衆の写真を今一度ご覧くだいませ。

月代の話

忘れてました。先の投稿で「後述する月代」などと書いておりましたが、実はこの(一連の)駄文、2010年に知人の娘さん(当時中学生)のために書いた、結構恐ろしく長い文章の一部を流用したものでして、原文ではその月代についても飽くことなく書き連ねておったのでした。なお、その娘さんに直接会ったことはありません。

むやみに長くなったのは、毎度のこととて、他者の記述に対するあらずもがなの難癖に耽ってしまった故なのでした。だって、やれ九条兼実が自著の『玉葉』で平時忠(「平家にあらずんば……」って言ったことになってる人)の月代について悪口書いてるとか、太平記には片岡八郎だの矢田彦七だのの月代の跡がどうこうってくだりが出てくるとかって話を根拠に、明らかに後世のものである、頭頂部を全部剃っちゃう月代の習慣が、平安末から室町以降まで行われていた、なんて抜かしやがんですぜ。

ご丁寧にも、わざわざ自説(のふりした受売りのしぞこない)の反証にしかならない文言を引合いに出してくれてるわけですが、たぶん、ってより紛う方なく、そもそも自分の言っているサカヤキがいつの時代のどういう形のやつのことなのか、ってのがまったくわからないまま、とりあえず知ったかぶりだけはしときたくてしょうがない、ってことなんじゃないかと。そんなのを読んで鵜呑みにしちゃう人たち、特に小中学生なんかにとっては、まさに犯罪行為にも等しき愚蒙の所行。

2018年1月18日木曜日

烏帽子の風俗?

よみがえる幕末・明治』から幕末の写真をもう1枚。







〈烏帽子の風俗は主に公家や武士の平服のときに用いられた。紙貼りに黒漆を塗り縁を固くして形を作ったもので、左が「折烏帽子」右が「侍烏帽子」(右二人)である。着用は陣羽織で、大小刀を差してパリの街を歩いたので、パリジャンにはさぞ好奇な目で見られたことだろう。〉

……などと自信たっぷりに解説しておりますが、いったい何時代の話をしてんだか。これが江戸時代、それも幕末の武士の平服だなどと本気で思ってるんでしょうかね。「風俗」ってのも「用いる」ものなのかしら。「烏帽子を用いる風俗」てえなら意味も成すでしょうけど。

2018年1月17日水曜日

兜を猪首に……?

2006年に解雇された、地元文京区本郷の印刷会社で、2002年に組版(くみはん)をやらされた『よみがえる幕末・明治 大君の使節たち』(「大君」には「たいくん」とのルビあり)という写真集にまつわる、懐かしくもバカバカしいお話でございます。日本カメラ博物館とやらが、結構な値段で来館者に売りつけるみやげものだったんですが、文章部分に明らかな誤りが目立つので、何の義理もないのにしかたなくいくつか指摘してやったところ、一切無視してそのまま発行。ハァ……。

たとえばこのこの写真:


公官混同?

また古い話ですが、2014年の暮から年明けにかけて、渋谷区が公園から野宿人を締め出したり閉じ込めたりしたという騒ぎがありまして、「おおやけのその」に対するかかる暴挙は到底許し難い、というような意見も散見されました。

さて、その「公」こそが曲者。役所の理屈ではそれとはまったく裏腹に、「おおやけ」の場である公園を不埒にも野宿者めらが「わたくし」しおって、そのほうがよほどけしくりからん、ってことになるんでしょう。私見ではこれ、公私混同ならぬ公官混同といったところ。

                  

こうした語義の混乱は、英語の ‘public' を「公」、 ‘private’ を「私」とする安直な置換の所産ではないか、と常々思っておりました。かつては、「四公六民」(容易に逆転)という語句からも知られるように、「公」は「民」の対立概念、つまりは「お上」って意味だったのが、近代になって性急に西洋の用語、あるいは概念を取り入れた結果、今日的建前としては名目上の主権者たる「民」こそが一応「公」とはなっている、というに過ぎないのではないかと。しかし、21世紀のこの期に及んでなお実状はそれに遠く及ばぬまま、ということを改めて示したのが件の公園閉鎖騒動だったような。

2018年1月16日火曜日

ドレミ? ハニホ?

リチャード・ロジャーズが作曲を担当した、舞台および映画の『サウンド・オブ・ミュージック』の中の人気曲、 ‘Do-Re-Mi’、すなわち『ドレミの歌』ってのを聴くたびに、階名ドレミを音名ハニホの意味で使ってる連中(ソルフェージュは「移動ド」ではなく、須く「固定ド唱法」によるべし、みたいな)に、「じゃあこれはどうすんだよ」って言いたくなります。

ハ長調(てめえらだって「ド長調」たあ言わねえじゃねえか)なら、そのままドレミで構わねえだろうけれど、この曲、主音が1音低い変ロ長調、 B♭なんですぜ。「おまえ、『シーはシータケのシー』とでも歌うってのかよ」……なんてね(しかもほんとは「シのフラット」だし)。

英語だから「ド」はどのキーでも長調の起点であり(短調なら「ラ」)、決った高さの音じゃなくて、決ってるほうは「C」。その決ったほうがすわなち階名じゃなくて音名であり、英語のアルファベットに対応するのが、日本じゃハニホ…ってことんなってるやつじゃねえかい。なんでそこだけイタリア風に「ド」だの「ラ」だのを音名に使うかねえ。それならそれで階名は「ヒフミ」とでもすりゃいいだろうに。……などと言うまでもなく、既に「イロハ」をそれに当ててんだから、ドレミ=音名ってのをやめちゃえばいいだけの話。

NOTHING COMPARES 2 U — TO? WITH?

シネイド・オコナー(Sinéad O'Connor)という人を知ったのは、既に30年近く前、 ‘Nothing Compares 2 U’ って曲によってでした。作者はプリンスで、もともとはその数年前に他者へ提供した曲だった……とは、当時はまったく知りませず。

この題名の洒落た表記法、つまり ‘to you’ の代りに ‘2 U’ と書くのが流行り出すのはEメールが普及してからで、プリンスは随分と早くそれを先取りしていたことになります。検索したところ、この曲の初出は1985年、 the Family のアルバムに収録されていた由。オコナーのヒットは90年で、プリンス自身がライブ音源を出したのはそのさらに暫く後だったのだとか。ふ~ん。

ところで、 ‘to compare’ という動詞とともに用いられる前置詞は ‘with’ が基本だったのが、いつの間にか、特に米国においては ‘to’ のほうが優勢となってたんですね。かつては、 ‘to compare A with B’ だと主に「AをBと(AとBを)比較する」、 ‘to compare A to B' なら「AをBに例える」というふうに大概分れていたのが、今は区別がなく、アメリカではいずれも圧倒的に ‘to’ が多い模様。ウェブ上の記事からもそれは明らかなんですが、いつからそうなったのだろうと思って、Google の Ngram Viewer ってのを覗いてみたら、どうも60年代以降のようでした。

白洲ジープウェイレター誤訳

10数年前ですが、斎藤兆史著『英語達人列伝』(中公新書)を読んでいたら、以下の文言がありました。吉田茂の番頭役で、同じく英国かぶれだった(?)白洲次郎が、1946(昭和21)年2月15日、GHQ の C. Whitney に宛てた、通称 ‘jeep-way letter’ の一節(下線は私が施しました)。

He is as anxious as you are, if not more as after all this is his country, that this country should be placed on a constitutional and democratic basis once for all as he has always deplored the unconstitutionality of the nation.

この文が、著者の訳では:

ご自身の祖国ということもあって多少は慎重であるにもせよ、常日頃からその非立憲制を嘆いておられた身、これを機会に民主主義に則った立憲国家を樹立したいという同じ願いを抱いておられます。

となってたんです。下線部分の解釈を間違えているために、文意そのものが妙な具合になっちゃってんですよね。文体自体もちょっと野暮ですけど(なんちゃって)。因みに‘He’とは松本丞治大臣(商法学者)のことだそうで。

2018年1月15日月曜日

「天国への階段」の拍子問題:Stairway to Heaven — time signatures

まったく出し抜けではありますが、ここ数年の間に、知己へ宛てたメールだの、SNSへの投稿だので書き散らした索然極まる駄文をここに晒したくなりました。内容もさることながら、文体の無秩序ぶりには自ら辟易を禁じ得ず。

でもまあ、めんどくせえから、殆ど手直しもせずそのまま順次垂れ流して行こうとの太え了見。とりあえずは先日ものしたばかりの漫言を以下に。先日とは申せ、中身は数年前の話題なんですが。

                  

4年あまり前ですが、 ‘Songsterr’ というタブ譜掲載サイトを偶然覘いたところ、〈間違いを見つけたら報告を〉とあったんで、常々「みんな間違ってるじゃん」と思ってたツェッペリンの『天国への階段』のギターソロについてちょいと書き込みました。ソロ自体については触れず(それもところどころ違ってたけど、もとより正確な記譜など物理的に不可能ですし)、専ら拍子、と言うか小節の認識違いを指摘しといたんです。以下にその拙文および和訳を:

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[Led Zeppelin — Stairway to Heaven]
All the notes (but the first chord) in bars 109 – 117 are mistakenly placed a half beat forward. The intro to guitar solo really starts at the beginning of bar 110, not anacrustically, so the chord at the beginning of 109 fills the whole bar — a value of semibreve. Everything after the chord delayed by a quaver's length, it all fits in 8 quadruple bars, with no need for changing time signatures.