2018年7月30日月曜日

‘Have you a cigarette?’(1)

‘tense’ 談義からの逸脱ネタ、 ‘modal’ についての駄論からも外れて、今回は急遽 ‘to have’ という動詞についての、ちょっとした昔語りの如きものを記したくなりました。以前 SNS に書き散らした内容に寄りかかりつつも、その後仕入れた知見や、改めて加えた考察なども盛り込んで、以下に述べて参ろうという魂胆。
 
                  

1971(昭和46)年、中学に入って初めて英語習ったとき、教科書には ‘Do you have a book?’ とか何とか、とにかくそういうのが載っていて、それに対する答えは ‘Yes, I do.’ とか ‘No, I don't.’ だってんですよね。

でもその後、洋楽ポップなんぞを聴くようになると、アメリカの歌の文句じゃあ、明らかに ‘I have’ の意味で ‘I've got’ あるいは単に ‘I got’ って言ってるじゃありませんか。否定は ‘ain't got’ とかさ。 ‘must’ と同義だって習った(ほんとはおんなじじゃないんだけど) ‘have to’ ってやつも、 ‘have’ なんか言わず ‘gotta’ (と書いて[ガーラ]とか)だったりするし。

2018年7月28日土曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(10)

早速ですが、 ‘semi-modal’ としてもなかなかの曲者ではある ‘dare’ について。

意味は……何でしょうね、「敢えて~する」とか「~するのを恐れない」といったところ? 助動詞としてでなければ、子供どうしのやりとりとかで「~してみろよ」というふうに、「けしかける」てな意味の他動詞でもあったりして。
 

2018年7月25日水曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(9)

マッカーサーの名文句なんぞについて要らざる御託を並べてしまったがために、前回は随分と話が逸れてしまいましたが、英語助動詞の4箇条てえもんについてひとまず話を続けます。

この4つの特徴、英語の文法書などではだいぶ以前から、 ‘NICE properties’ などと、多分に駄洒落的な用語で言及されておりまして、 ‘NICE’ はその4要素の頭文字を繋げた造語てえこってす。すなわち、

 Negation(否定)
 Invertion(倒置)
 Code(符号)
 Emphasis(強調)

の最初の文字をとって並べたという寸法。で、3つの ‘primary verbs’、すなわち

2018年7月22日日曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(8)

さて、日本では「仮定法過去」ということになっている、実は ‘indicative mood’ の ‘past tense’ が、現在か過去かという一次的な ‘tense’ の語義とは離れて、話者にとっての「遠い」事柄を示している例、ってな話から、そういうことなら、堅気の ‘full verb’ てえ連中よりは、「(叙)法助動詞」と訳される ‘modals’ のほうがよっぽどそういう使われ方に当てはまるんじゃないか、と思い至りまして、それについてまたぞろ小理屈を捏ねようというのが今回の趣旨……だと思います。

ついては、その ‘modal [(auxiliary) verb]’ ってもんについてちょいと確認などを。
 

2018年7月16日月曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(7)

前回はつい場違いな恨み節などを吐露してしまいました。強引に話を戻し、まずは以下の2例を再掲。

 If she comes tomorrow ...

 If she came tomorrow ...

いずれも未来への言及であり、初めはこれ、 ‘tense’ というものが決して現在や過去の事象にのみ充当されるわけではない、という事例として示したものだったんですけど、こうしたいわゆる条件文ってやつにおける、「時制」ではなく「法」についての、これまた余計な言いがかりの如き与太話として、下の例に見える ‘came’ を「仮定法過去」などとは笑止千万、ってなこと言ってるうちに、図らずも20数年前の「名門」英語塾の面接試験のことなどを思い出し、またも話が大きく逸れることに成り果てたのではありました。

2018年7月14日土曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(6)

「現在時制」こと ‘present tense’ は、いわゆる「現在」に限らず、過去にも未来にも充当される、話者にとっての主観的な現在、あるいは現実とでもいった、言うならば時間の枠を超えた「近い」事柄に対して用いられる動詞の形、ということではありました。前回まではそうした事例をいくつか並べておりましたわけですが、万古不易の真理だの、自然の摂理、法則だのってのも、つまるところは話者にとって(あるいは誰にとっても)、悠久の過去から永遠の未来へと連なる(であろう)「現在」ということにはなる……って理屈なのではないかと。

2018年7月12日木曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(5)

前回、2つ(だけ)の ‘tense’、すなわち ‘present’ と ‘past’ のいずれもが、決して原義どおりに「現在」や「過去」の事象のみを示すわけではなく、前者は実際の時間状況を超えて、話者にとってより現実的な、言わば「近い」事柄に充当され、後者は同様に、実際に過去かどうかはさておき、話者にとっては自らの現在あるいは現実と隔絶した時間または状況に対する意識を反映するもの、とでもいうような理屈を述べました。

前者が ‘unmarked’、後者が ‘marked’ とされるのもそのため、ってな話ではありましたが、それぞれ「現在」と「過去」以外の事柄に用いられる「時制」の例はまだいろいろありますようで、それについて書き散らして参る所存。ひとまずは、前回に引続き、「現在時制」の、現在に限らぬ用法について少々。
 

2018年7月10日火曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(4)

さて、またぞろ繰り言ではありますが、2語以上の「動詞句」は埒外とし、飽くまで単体の動詞の形についてのみ ‘tense’ とは言う、ってな立場からは、英語の ‘tense’ は「現在」か「過去」しかない、ということになるわけではあります。

しかも、と言うか、しかるに、やはり何度も申し上げておりますとおり、その「現在」と「過去」という2つの ‘tense’、とっくに原義たる時間的な区分からは遊離し、先日言いかけていた『現在が「無標」で過去が「有標」』ってのも、決して「現在」や「過去」という時間についてのことではなく、飽くまでそれぞれの語形が表す意味、と言うより、それぞれに表れる話者の感覚についての話……って、これじゃやっぱり何のことかわかりませんね。毎度話が下手ですみません。
 

2018年7月7日土曜日

‘come’ が「行く」?

以下は、既に1年ほど前の2017年7月23日、SNS に書き散らした愚文なんですが、前回の投稿でちょっと言及した ‘go’ と「行く」、 ‘come’ と「来る」の違いについての、結構念入りな与太話。どうせのことに、それを再録しとこうかと思っちゃいまして。 ‘tense’ についての言いがかりはまだ続きますが、ちょいと一休みってことでひとつ――

2018年7月6日金曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(3)

さて、時間的な区切りによって分れる動詞の形が「時制」こと ‘tense’ たる筈が、実際にはそう簡単に行かない、ってことが言いたかったんですが、そもそも、いつからいつまでが現在だの過去だの未来だのかってのも、まったくその時々の事情、あるいはその人の了見次第って愚見は、前回までの投稿に記しましたるとおりにて。

とりあえず下拙の認識としては、今どき(ここ数十年)の文法の潮流に沿って、 ‘tense’ は飽くまで単体としての動詞の語形であり、したがって ‘future tense’、「未来時制」は認めず、同時に、 「いつ」のことかではなく、「終った」ことなのか「まだ終っていない」ことなのかを表す「完了」「進行」については、 ‘aspect’ とか  ‘phase’、すなわち「相」という区分こそ妥当、という了見であることもまた夙に申し上げておりますとおり。
 

2018年7月1日日曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(2)

前回の続きです。ひとまずは「現在」というものについての愚論から。

とにかく、現実には何を指して「今」だの「現在」だのと言っているのかと言えば、それはどうしたって、ちょっと(あるいはだいぶ)前とちょっと(あるいはやはりだいぶ)先をくっつけた時間の区切りのことであり、いつからいつまでがその「現在」なのかは、状況次第、あるいは人それぞれとしか言いようがない、ってのが実情……ではありましょう。

現在完了とか過去完了という言い方、ってより観念のない(?)日本語では、中学生あたりがその明確な意義を把握するのは厄介、ってのも無理のない話で、まず「現在」だの「過去」だのってのがほんとは何なのか、最初にそれをちゃんと言っといてくれないと、とは思ってたりもします。